以前、東京檜原村にあるスキー場跡地を調べました。
「千間台スキー場」「浅間尾根スキー場」「浅間台スキー場」などと、複数の呼び名があったようです。
https://minkara.carview.co.jp/userid/2576178/blog/38495516/
https://minkara.carview.co.jp/userid/2576178/blog/38629235/
https://minkara.carview.co.jp/userid/2576178/blog/38629708/
https://minkara.carview.co.jp/userid/2576178/blog/38630455/
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https://minkara.carview.co.jp/userid/2576178/blog/42958993/
八王子の高尾山にもスキー場があった事は、本や新聞にも載っているようで、そこそこ認知されているようです。
ネットでも出てきますし。
テレビ番組でも紹介されていました。
ネット検索すると、絵葉書が紹介されています。
https://kotarobs.blog.ss-blog.jp/2010-04-14
この絵葉書をアップされてる方に連絡を取り確認すると、「京王電鉄が駅で配布していたパンフレット」との事。
この写真と、ネットの情報を調べると、スキー場の場所の情報は・・・
・一丁平園地付近にあった
・スキー場から富士山が見える
・絵葉書の写真では、斜度は12~5度くらい
です。
私が探せる昔の航空写真では、昭和19年が一番古い。
赤丸がバーンになりそうな場所です。
現在の地図で言うと、この辺り。
裏高尾からバイクで行ってみます。
一丁平園地の下になります。
ここから登山です。
赤丸の場所を探しましたが、この道は尾根道なので両脇は当時の日本の板と滑り方では絶対に滑れません!
今の道具で私なら普通に滑る事が出来ますが、当時の滑走写真を見ると、誰一人としてターンをしていません。
現在のスキー滑走は、ターンを楽しむ事になっていますが、当時はソリのように直滑降で滑っていました。
ピステンも入れてないので、20度の斜度は滑れないと思います。
赤丸地点は30度くらいあります。
この道は尾根道なので両脇はこのような斜度です。
なので、昭和初期の航空写真では、道以外に滑る場所は無いと考えます。
絵葉書の斜面の道を探します。
一丁平園地に到着。
紅葉台便所から探したんですが、該当箇所は見つかりませんでした。
一丁平園地ですが、この辺りだと、当時のバーンでは斜度が緩すぎて滑れなさそう・・・
休憩舎方向に歩くと、そのまんまの場所が!
絵葉書は、向かって左が谷で、右が山です。
草と木で分かりにくいですが、地形は同じです。
スマホで斜度を調べると、16度前後!
ココだぁ!
休憩舎に上がると、富士山が見える(今日は曇ってて見えませんが・・・)
昭和21年の航空写真だと、この赤丸の道を滑っていました。
ネットで見つけた別写真(昭和8年の新聞の写真)では、右が谷の写真もあるんですが、黄色丸の場所だと思います。
現在の航空写真ではこの場所。
昭和初期には、東京に二つのスキー場がありました!!!
以前テレビの
「マル秘映像借りました」という番組で、高尾山スキー場を紹介されていましたが、あの場所は違うと思います。
日本初のリフトは昭和23年のようで、この時代はハイクアップで登ってました。
なので、200m以上のコースは考えにくと思います。
高尾山スキー場から見た隣の山が、現在のスキー場のように見えたのだと思います。
帰りに見つけた「おにぎり」。
「まさかの国道か?」と思ったら、作業道でした(笑)
Posted at 2023/06/11 21:10:05 | |
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廃スキー場 | 日記