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2007年04月02日 イイね!

新車で大事故

S15シルビアもご機嫌なクルマでした。
初めての新車だけに、いつも大喜びで乗ってました。
新車の喜びとゆうたら、やっぱ慣らしです。
当時は名古屋在住やったので、平日の夜に繰り出して名古屋高速環状線を13周も回ったりしてました。
高速のほうが一定の速度、ギア、回転で走れるので、上のギアの慣らしにもちょうど良かったです。
さすがに最後のほうは飽きてきましたが。
(大阪でコレやると、パトカー上がってくるやろなぁw)
そんなこんなで、きっちり3000km慣らしたもんでした。

最初にやったチューンはラジエターでした。
慣らし後、ドノーマルでYZやMMLでドリってみましたが、10分ほどでパワーが垂れてくるのを感じます。
メーターないんでわかりませんが、たぶん相当上がってんでしょう。
お世話になってるショップFootworkで安い2層ラジエター(銅製)とローテンプサーモ、水温計を買って自分で四苦八苦して取り付けてました。
効果はあり、エアコンつけて渋滞でも80~85℃で安定してるし、サーキットでもかなり思いっきり走れました。
次にイジったのは足回りとブレーキ。
S15はノーマルサスでもそこそこイイんですが、やっぱりサーキットともなると不満たらたら。
ってことで、車高調をチョイス。
当時Footworkにいたドリフト先生のKさんオススメのシルクロード製車高調(SECTION)を買って、これも自分で取り付け。
全長調整式なのでバネのプリロードも変えることができ、おもしろかったです。
ピロアッパーをネガ側全開にしてかなりキャンバーつけてました。
車高も落としまくりで、トーを合わせただけなので、アライメントも結構狂ってたやろなぁ…。
でもS15はやっぱペタ~っとした車高のほうが似合うなぁと思ったもんでしたw
そしてドリに欠かせんのはやっぱデフ。
純正のヘリカルLSDもいいんですが、ドリフトするにはちょっと役不足でした。
やっぱアクセルオン・オフについてくる、2WAYのバキバキ効くやつが欲しくなり、これまたKさんオススメのTOMEI TECHNICAL TRAXをチョイス。
これだけで動きが全然違うクルマになりました。
たまに地元の峠に遠征して走ってましたが、よく来るS14と勝負したら、ノーマルサス時代は負けてたけど、足回りとデフ入れた後は上りでも引き離せるくらい。
この頃は岡山の備北ハイランドサーキットにも行くようになり、早速全開で走りまくってました。
新車なのに、コースアウトして下回りをしたたか打ったりして。
今思うともったいないことしてたなぁ(´Д`;)
さすがに走るとなるとペタペタ車高では具合が悪いので、ちょっと上げてました。
次にイジったのはまた冷却系で、オイルクーラーでした。
やっぱ真夏にドリると水温・油温がキンキンに…。
13段のオイルクーラーと、ついでに油温・油圧計を取り付けました。Kさんに頼もうと思ってたのに、「んなもん、工具貸したるで自分でつけや~」ってことで、自分で…(-_-;)
S14と同じキットで、S15も可って書いてあるのに、オイルブロックは手届きにくいわメーター穴合わんわ、フィッティングがオルタネーターのコネクタに当たるわでえらい苦労しました。
結局、コネクタを逆にしたり、メーター穴を作ってもらったり。
でもオイルクーラーのお陰で、さらに長時間走れるようになりました。
その次はマフラーでした。
結構周りの人は最初にマフラー入れたりしますが、S15では必要十分なパワーと低速トルクがあって扱いやすかったため、後回しにしてました。
でも峠の上りではやっぱつらかったり。
ドリメインやったので、スタイルや抜けのよさばかりでなく、中低速を重視してメインパイプの細いのを探してたところ、通販で見つけたので早速問い合わせると…S15用はまだなし_| ̄|○
落胆してると、「あ、じゃあ作りますよ。1週間待ってください」。
ってことで、注文を言うとワンオフで作ってくれました。
出来上がったのはリアまで曲げが1箇所、タイコ部分がバイク用みたいなストレートな中間パイプ70Φ、出口100Φのマフラーでした。
しかもスチールやのに結構軽い。
早速寮の走り仲間のえいかん君と交換作業。
気になる音はというと…爆音でした(;゜д゜)ほとんど直管か!?というくらい。
しかし当時はちょうど規制緩和が進んで、こうゆううるさいマフラーがバンバン出回ってた頃で、サーキットではそない目立つほどでもありませんでした。
さすがに街乗りでは音が気になり、後付けのサイレンサー入れてましたが…。

こうしてちょこちょこイジりながら走り回ってた私でしたが、またもや悪夢は起きてしまいました。
忘れもしない2000年2月、3連休のときに1日飛びでMLSとYZの走行会に連荘でエントリーしてました。
MLSの走行会は楽しく走り終わり、次のYZでも楽しく終わるはずが…。
前々日の走行会や朝早くから準備してたのもあり、昼飯食った後に一眠りしてました。
で、次の走行時間になったので起こされて、あんま目が覚めてない状態で走り始めました。
そのときの自分の課題は、ロングをいかにうまく繋げるか練習してたのですが、その日は全然うまく走れてませんでした。
フロントに終わりかけのタイヤを履いていたので、次のヒートで交換するかと思ってそのヒートはそのまま走行。
今度こそうまく繋げるぞ~と1コーナーに突っ込んだら、ちょっとオーバースピード(|| ゚Д゚)ヤバイ
リアは出てましたが、フロントも逃げてしまい、YZ名物のトラックのタイヤバリアー&鉄ウォールに激突!
左リア、左フロントの順に当たり、跳ね返ってハーフスピンしてやっと止まりました。
YZの1コーナーは大体120km/hくらい出るでしょうか。
ブレーキングしてるので80km/hにはなってると思いますが、すごい衝撃でした。
一瞬の出来事にもう何がなんやら。
クルマの中で頭を何回も打った気がします。
幸いヘルメットと4点ベルトのお陰で、膝を打ったくらいで体は無事。
しかしクルマは…哀れ左側は全滅、左フロントに至ってはストラットのアッパーマウントまで倒れてる状態でした。
インタークーラーももげかけでエンジンかからず…。
一旦赤旗中断で、みなさんが見守る中、そのままフォークリフトに抱えられて退場。
私はというと、吹っ飛んだバンパーやミラーを担いでスゴスゴピットへ。
さすがにこれには凹みました。
頭の中にいろんなことが浮かびます。
「クルマのローンと修理代どないしよ…、いや、その前に直るんかコレ? 帰りはどないしよう??」などなど。
お世話になってるショップのKさんも参加してたので、クルマを診てくれましたが、冷たく一言。
「あかんな。買い替えたほうが安いで」
そんな…orz
確かにフレームまでイッてるのでまともに直るかどうか、素人目でも心配になります。
とにかく見積もってもらうために、その日はクルマをYZに置かせてもらい、後日Kさんに積車で持って帰ってもらうことにしました。
その後はただ見物してるだけでしたが、なんて日でしょう、もう1件大事故が起きてしまいました。
ポルシェ911が2台絡んで、1コーナーの鉄ウォールに真っ直ぐ突っ込み、タイヤバリアーに乗り上げそのまま横転してました (((( ;゚Д゚)))
急いで我々ギャラリーも一緒に助けに行きましたが、クルマを起こすとドライバーは脚を骨折してるようで動けない模様。
何と救急車を呼ぶハメに。
YZみたいなミニサーキットで救急車呼ぶ事態は初めてでした。
なんとも後味の悪い走行会でしたが、帰りはえいかん君R32に荷物と一緒に乗っけてもらって助かりました。

後日、クルマをKさんの知り合いの板金屋さんに入れてもらい、修理代の見積もりを取ってもらった結果は…工賃含めると何と138万円!! Σ(゚д゚lll)ガーン
ほぼ前乗ってたR32買った時の値段やんけ…_| ̄|○
ローンがまだ3年残ってるので、さすがに即答しかねました。
Kさんも、「S14の安い前期型見つけてパーツ移植したるで、やめとき」と。
それもおもしろそうではありましたが、やっぱS15のスタイルとサイズ、何よりボディに惚れてた私は、今更S14に乗り換えるなんて考えられませんでした。
迷った挙句、「わかりました、直してください…」と回答。
「ほんとにいいんやね?」と言われながら、電話を切りました。

こうして、またローン地獄が始まるのでした(-_-;)
Posted at 2007/04/02 23:44:37 | コメント(1) | 回想録 | クルマ
2007年03月31日 イイね!

4台目:S15シルビア

中部に来てサーキットを走るようになり、クルマも足回りやブレーキ、冷却系、追加メーターなどかなり手を入れていきました。
リアシートやエアコンまで取っ払い、コックピットにはフルバケットシートに4点ベルト。
足回りも、街乗りじゃつらいくらいの硬い車高調を入れてました。

大きな事故もなく、峠、埠頭、サーキットなどで大活躍やったR32Type-Mでしたが、ドリフトのような激しい走り方をするようになると、あちこちガタが出始めました。
あるときは埠頭でリアのロアアーム(三角形で3点留めしてあるアーム)が曲がってしまい、リアをフラフラさせてなんとか自走で帰り、ディーラーに修理に出したこともありました。
当時は車検を自分で取っていたため、ちょくちょく日産の部品共販やディーラーの整備工場に顔を出していたのですが、さすがにロアアームを曲げたと言うと「普通そんなの曲がりませんよw」って言われたのを覚えています。
またあるときは、ドリフト走行中にパワステベルトがぶっちぎれて重ステになってしまったことも。
まあこれは、ベルトの定期交換をケチってただけなので私が悪いのですが、車庫入れでヒーヒーゆうてました。
サーキットではたまに勢い余ってタイヤバリアーに突っ込んだりもして、バンパーもボロボロ。
そして極めつけはボディでした。
長年の激しい走りに耐えかねてか、妙にトラクションが抜けるようになってしまい。
気のせいかと思ってましたが、雨の日にちょっとパワーをかけるとすぐわかりました。
真っ直ぐ加速してるのに、ブーストがかかるとすぐリアが出てしまい、ナナメに。いわゆる犬走りです。
メンバーのヘタリやブッシュのヘタリなど、思い当たることもたくさんありましたが、やっぱり補強してないボディで散々走ってきたので、金属疲労等あちこちガタが出てきたんでしょう。
まあそれでも、コンマ何秒を争うモータースポーツをしてるわけやないので、それなりに楽しんでました。

しかし1999年1月、日産から新しいシルビアS15型が発売になりました。
ある週末、サーキット仲間のKさんと確かポートメッセ名古屋で催し物を観た帰りやったかな、ひょんなことから「S15の試乗に行こう!」って話になり、その足でお世話になってるディーラーに顔を出しました。
出たばっかりのクルマで、しかも予約もなしに飛び込みですから、普通断られます。
しかも試乗車はなし。
帰ろうとすると、「○○店に試乗車があります。ちょっと時間いただければお連れしますよ」とのお言葉。
同じく出たばかりのR34スカイライン25GT-TURBOで送ってくれましたw(しかも運転もさせてもらったりw)
違う店に到着し、30分ほど待って試乗車が回ってきました。
店員さん、Kさん、私の3人で乗り込み、試乗開始。
さっきの34もそうでしたが、乗ってすぐボディが全然違うのがわかります。
当時どこでもケツを流してた私は、噂のヘリカルデフの効きを試してみたくなり、店を出るとき回転上げてクラッチミートし、いきなりパワードリフト。
予想以上にデフは効き、大オーバーでしたw
店員の引きつった顔をよそに、思わずニヤニヤしながらぐるっとひと回りして帰ってきました。
小柄やけど強靭なボディ、下からくるトルクの太さ、6速ミッション、スタイル…などなど、一発でS15に惚れ込んでしまいました。
欲しい!でも新車。さて、どーする!?
spec-R(ターボモデル)の一番安いグレードで239万円。
ディーラーオプションなど何もつけない状態で試しに見積もってもらうと、270万円強でした。
さすがにこんな買い物はしたことがありません。
ローンすら簡単に組めそうもない金額やし、かといってそない貯蓄があるわけでもないし…。
さすがの私も「検討します」ということで、その場は去りました。
でもその後もS15のことが頭から離れません。
今のR32が高く売れれば…と相場を見ましたが、中古で買ってから既に4年経っており、走行距離は11万km、エアコンは壊れてコアごと外してある状態、見た目もボロい…。
これでは査定0は目に見えてます。
あとの望みは個人売買のみ。
それからは、サーキット仲間づてに売りたい旨伝えて回ってました。
すると、意外と早く買いたいという人が現れ。
たまにサーキットでご一緒してたロードスター乗りのAさん。
車検(?)のためか、買い替えを予定してるそうで、すぐサーキットをそのまま走れそうな私のクルマを買いたいと。
エアコンないですよ?と言うと、ちゃんと別に普段乗りの車があるそうですw
名義変更も自分で出来るとのことで、商談成立。
細かい仕様を伝えると、なんと中古相場に近い値段で買い取ってくれました。
これには感謝感激ですm(__)m
引渡しの日はちょっと寂しかったですが、心は次のクルマS15に向いていました。
さて、そこからは金の算段です。
私も若い頃とちょっとは違って(?)、先のことも考えるようになっていましたw
ドノーマルを新車で買っても、たぶん満足に走れるようにするにはパーツ代がかかるやろうと。
相変わらず生活費のことは大して考えてなかったですが。
貯蓄とR32売った金を頭金に、今度はカーライフローンはやめて関係会社のファイナンスのローンを利用。
200万円借りようとしてたので保証人が必要になりますが、めずらしく親がすんなり保証人を受けてくれました。
これで車両代とその後の維持費、ちょっとしたパーツ代くらいは用意できます。
言うまでもなく、ディーラーで契約してしまいました。
色は迷ったのですが、前乗っていたType-Mと同じくブラックに。

そして待ちに待った納車の日、ちゃんと休暇まで取って、待ちきれずに歩いてディーラーまで取りにいきましたw
「連絡くれれば迎えに行きましたのに~」という営業さんの言葉もそこそこに、やっと納車。
初めての新車にわくわくしながら乗って帰りました。

こうして、次の愛車はS15シルビア Spec-Rになったのでした。
Posted at 2007/04/01 00:14:33 | コメント(2) | 回想録 | クルマ
2007年03月10日 イイね!

転勤

事故から1ヶ月、ようやくクルマの修理も終わろうとしていた矢先、ぬわんと会社から転勤を命ぜられました( ゚Д゚)行き先は名古屋。
地元や走り仲間との別れ、未知の土地への引越しの不安など、イヤで仕方ありませんでしたが、仕事なので断るわけにもいきません。
泣く泣く仲間たちと別れ、独り名古屋へ。
慣れない土地や人間、職場の風土…と、マジで辞めて地元戻ったろかと思いましたが、我慢して仕事は続けました。
クルマの修理も無事終わり、もちろん名古屋に持って行きました。
大破したフロントはもちろんですが、エアクリやインタークーラーもついでに社外品にしてもらってうれしかったり。


名古屋では、寮費や駐車場代も安かったので生活は助かっていました。
しかし、毎週末楽しみにしてた仲間との走りができなくなったのが残念で仕方ありませんでした。
さすがに毎週名古屋から地元に帰るわけにも行かず、週末になると孤独感で押しつぶされそうになったり。

そして追い打ちをかけるようにその年の年末、ある訃報が届きました。
いつも一緒に走りに行ってた仲間のうち2人が、交通事故で亡くなったとの知らせを受けたのです。
ちょうど東京出張しているときに知ったのですが、愕然としました。
あまりの突然の知らせに信じられず、ホテルからその仲間の家に電話しました。
お母さんが泣きながら私に事故のことを話してくれたのを今でも覚えています。
電話を切った後、何年ぶりでしょうか、私もホテルで1人で泣きました。
出張から帰った翌日、休みをもらってすぐ地元に帰り、香典を持って仲間の家を訪れました。
なんで事故ったのかを詳しく訊きだすと、どうやら走りに行っての事故ではなく、よくモーニングを食いに行っていた近くのサテン付近の国道で、スピードの出しすぎによるハンドル操作の誤り…やったそうです。
普通の道で、あんな緩いコーナーで??
一般ドライバーならともかく、あんだけの走りができる奴がそう簡単に事故って死ぬなんて信じられませんでした。
何かが飛び出てきて避けようとして…としか考えられませんでしたが、今となってはわかりません。
お供えと線香を上げ、半ば呆然としていました。

それからしばらくは走る元気もなく淡々とした日々を過ごしていました。
事故の怖さを改めて思い知らされ、もう地元に帰ってもあいつらはおらんのやと思うとやるせなさでいっぱいでした。
ホンマ、峠道なんかより、人がいて他の車がぎょーさん走ってる街中のほうがよっぽど危険です。
それからはより慎重な運転をするようになりました。

でも、クルマ好きと走るのだけはやっぱやめられません。
名古屋にいても、週末になるとクルマを出して、地図見ながら1人で山道探して走りに行っていました。
でも残念ながら、走りスポットなどは見つけられず。
いつも決まった場所に走りに行くわけでもなく、知らん場所なので常に全開できるわけでもなく…と、今思えば単なるガソリンの無駄やった気がします。

この頃から、仕事柄家でもネットをするようになった(当時はダイヤルアップでしたが(^^;))のですが、転勤して1年ほど経った頃、ネット上で中部のミニサーキットを走行してる人のホームページを見つけました。
主なホームコースは岐阜県の瑞浪モーターランド(通称MML)、そのすぐ隣にあるYZサーキットとのこと。
山道を徘徊してるだけでおもろくなかった私は、思い切ってその人にメールしました。
「私もサーキット走りたいです!」ってw
すると、すぐに返事をくれました。
「是非一緒に走りに行きましょう^^」。
その後、数通メールをやり取りするうちに、早速フリー走行枠で一緒に走りに行こうってことになりました。
場所はMML。
今でもお世話になっている店、Footworkというショップに集合、初めまして。
後ろについて一緒にMMLまで移動して、途中で他のチーム仲間と合流。
年上の方々でしたが、みなさん気さくな人らですぐ打ち解けました。
MMLは貸切やイベントがなければ普段はフリー走行でエントリーできるので、早速受け付けでエントリー。
走行準備して、初走行の人はピット脇でルールや旗の種類・コース説明などを受けます。
後は時間枠内で走るだけ。
中山に比べて全長は1km程短いですが、ストレートが長く第一印象は意外とハイスピードなコース!?という感じでした。
コース幅も広くて走りやすいのですが、結構路面が悪い(^^;)
最初はグリップで恐る恐る走ってましたが、すぐに全開で走るようになりw
コーナーが少ないのであんまドリフトには向かんサーキットかと思ってましたが、走ってみるとそうでもなく、ちょっと流してみたり。
一緒に行った人らもドリってましたw
こうして中部のサーキットの初走行は無事終了。
サーキットは何かと金がかかるもんですが、MMLやYZは1時間あたりの走行料金がリーズナブルやったので、かなり助かります。
それからも、ちょくちょくこのチームの人らとは走りに行くようになり、集合場所であるショップにも、クルマのメンテでわざわざ岐阜のショップまで出向いたもんでした。
その人のHPの掲示板で知り合った人ともサーキットオフ(この頃から使われだした言葉!?)するようになり、走るステージは段々サーキットになっていきました。
(名古屋の某埠頭など有名スポットにもちょくちょく行ってましたが…)
また、会社の同じ寮に住んでる人の中にもやはりクルマ好きはいて、私に共感したのか、一緒に走りに行くようにもなりましたw
やっぱり一緒に走る仲間がいると楽しいもんです。
いつしか、転勤で来てあんなにイヤだった名古屋生活が楽しくなってきていました。
Posted at 2007/03/10 00:51:03 | コメント(1) | 回想録 | クルマ
2007年03月09日 イイね!

サーキットデビュー

2台目のType-Mもご機嫌なクルマなのは変わりなく。
相変わらず走り回るのは一緒でしたが、今度こそ事故には気をつけて…といくらか勉強した部分もありました。
そして毎月の支払いがきっついけど、今回は車両保険ちゅうものにも入ったり(^^;)
ようやくと言ったらええのか足回りにもちょっと不満が出てきて、タナベのショートストロークショックにRS-Rのバネとか組み合わせて乗ってました。
ホンマは車高調が欲しかったのですが、高くてとても手がでません。
当然、足回りも自分で組んだもんです。
バネ交換するとき、バネを縮めないままショックの頭のネジまで緩めてしまい、えらい勢いでショックが飛んだ覚えが(^^;;)

この頃からやったかな、周りの走り仲間がLSDを入れ出したのは。
最初はピンとこなかったのですが、確かに峠をある程度走れるようになると、トラクション不足に悩まされており、内輪が空転するのに不満がありました。
「FR車なら機械式LSDを入れとかんと!」ってな意見にも触発され、姫路のとある有名ショップにLSDの見積もりをお願いしました。
メーカーはNISMO。
サイドフランジもセットで工賃・オイル代入れて14万ちょいやったでしょうか。
当時の私には大金でしたが、それ以上にどう変わるか楽しみでもありました。
ようやく組みあがって、すぐにも試してみたい気もありましたが、ショップの人に慣らしをちゃんとするよう言われてたので、500kmくらいはおとなしく走ったもんです。
オイル交換後、早速峠で試すと、もう感激。
ガンガン前に進みます。
踏みすぎるともちろんオーバーステアですが、アクセルでコントロールできることに更に感動w
だんだんドリフトもどきなことが出来るようになってきました。

その頃、弟がハチロクのN1車両を手に入れ、サーキットを走るようになっていました。
兵庫県近辺で近くのサーキットといや、当時は岡山の中山サーキット、TIサーキット(現在の岡山国際)でしたが、そこにクルマを持ち込んで、フリー走行や草レースをやっていました。
おもろそうやったので、朝早起きして一緒に積車に乗り込み、中山サーキットに見学に行きました。
サーキット着くと、何のレースか走行会かは忘れましたが、他にも同じようなハチロクがウヨウヨ。
あちこちで爆音轟かして積車から降りてきます。
しかも朝からみんなキレまくってますw
異様なテンションの中、レース開始。
ハチロクが峠走っててもそれほど気にしてませんでしたが、レースカーとなると全然迫力が違います。
おまけに速い。
タイヤが違うから当たり前やけど、N1車両でも900kg切るので恐ろしくキレのあるコーナリング。
うーん、サーキットもおもろそう…という思いがふつふつと湧き上がってきました。
そーなるともう実践するしかありません。
中山はフリー走行も受け付けてくれるので、電話でフリーな日を確認してヘルメットやグローブなど、装備を揃えて走りに行きました。
その日は午前中貸切走行会で、午後からフリーとのこと。
1時間1万円とちょいとお高い値段ですが、初めてなのでドキドキもんです。
しかもラッキーなのか偶然なのか、その時間帯のエントリー台数は私1台だけ(゜Д゜)
うは、いきなり中山貸切かい!と思いつつ、恐る恐るコースイン。
ゆっくり周回しながら徐々にペースアップして走ってました。
中山はアップダウンがあり、幅が狭くなったり広くなったり、縁石が高かったり…と峠ちっくなコースでもあり、なかなかおもろいです。
そのうち全開で走ってました。
当時まだ拾った廃タイヤばっか履いてた私でしたが、サーキット用に溝のあるタイヤを履いて走ったにもかかわらず、異様に食わんなぁというのが第一印象でした。
アンダーもオーバーも簡単に出るし、スピード域も高い。
そして今度はブレーキのフェードという洗礼も(^^;)
ピット帰ると、水温もギリギリ。
初めてサーキット走行の厳しさというものを体験しました。
峠では気にならなかったブレーキの効きも、サーキット全開だと全然ダメ。
早速パッドをノーマルからENDLESSのCC-Mに交換してました。

だんだん戦闘力が高くなるマイカーにウキウキしながら走ったもんです。
しかし、またもや悪夢は起こりました。

ある冬の夜の峠で、そこそこドリフトもできるようになったこともあり、半分路面が凍ってるのに調子こいて流しまくってたら、オーバースピードで壁に刺さってしまいました。
クルマは哀れボンネットがひしゃげ、バンパーからコアサポートまで大破。
運が悪いことに、ラジエターも損傷してしまいました。
やばい、帰れんよーになる!ってことで、エンジンはかかったので水があるうちに
帰ろうとしたり(爆)
しかしそう長くもつはずもなく、油温が異様に高くなってきたため、あえなく停止。

そこからは、警察に事故検証してもらうわ、積車呼んでクルマ持って帰るわで、結局着いたのは朝でした(+_+)
次の日、ぎりぎり県境やと思ってたら管轄が鳥取県とのことやったので、連れに送ってもらって鳥取県警まで出頭したり。
最初やさしかった担当の警官でしたが、事故った場所を説明するとだんだん機嫌が悪くなり、「走っとったんやろが~!!」って怒られまくりました(´・ω・`)
それでもなんとか事故証明を取ってもらい、クルマは仲間の弟の知り合いの板金屋さんに入院。
またしばらくクルマなし生活となるのでした…。
Posted at 2007/03/10 00:36:56 | コメント(0) | 回想録 | クルマ
2007年02月26日 イイね!

3台目:R32スカイラインGTS-t Type-M

クルマがなくなってしまい、残ったのはローンだけ…と、かなーり凹んでた私を、仲間達はよく横に乗っけてくれて、走りに行ったりしてました。
お山ではもっぱらギャラリーするしかないのですが、みんなが楽しそうに走ってるの見るともう居ても立ってもいられなくなってきました。
ちょうどその頃、阪神大震災で被災した私は地元の姫路から大阪の会社に通ってました。
なので何よりも駐車場が安いし、クルマがないので他に大して金を使うこともありませんでした。
結局、2ヶ月程してまた購入を決意w
ちょっとダブるけどローンもあとちょっとで終わるし、実家なら維持費もかからんからイケるか!?…とアホな私は性懲りもなくクルマ購入の算段を開始。
Gooやカーセンサーを読み漁り、神崎郡(兵庫県の北のほう)の小さな中古車屋に格安なクルマを見つけました。
車種は…またしてもType-M(爆)
せっかくやから他の車種も探しましたが、やはりType-Mの完成度とRB20のストレート6エンジンサウンドに惚れてた私は、他に乗りたいのが見つからず…。
ま、前の車から外したパーツがあるってのも理由でしたが。
早速店に確認し、走り仲間に乗っけてもらって見に行きました。
クルマは黒の平成3年式Type-Mで、当時としては安めの136万円。
走行距離が5万kmとちょっと多めなので安いのは当たり前かもしれんけど、それにしても相場よりは下でした。
しかし、現物を見てその理由が判りました。
なんとAT→MT乗せ替えw
事故とかはなさそうやけど…コレ車検通るのか?w
でも安いしええか~とロクに確かめもせず、試乗もせんと決めてしまい、またもや手付金を置いてきてしまったのです。
で、その後は車庫証明やらお得意のカーライフローンやらの手続き。
しかしこのカーライフローンには前回同様審査に手間取り、待たされまくって半分キレかけでした。
クルマ屋さんも「こない待たされたのは初めてやわ」と嘆いてたり。
ようやく金の目処がついて振り込み予定日を告げると、クルマ屋さん曰く「うーん、信用できそうな人やし、もう持ってってええよ」(゜∀゜)!
狭い敷地にクルマ陳列してるので、売約済みでずっと場所取ってる私のクルマがさぞかし邪魔やったんでしょう。
こんなに早い納車はまったく予想してなかったため、仲間にメシをおごって送ってもらい、大喜びで取りに行きました。
納車の帰り、BB1プレリュードの仲間が、信号待ちでハザードで合図。
お、やるか~?w
青と同時に前後でゼロヨンスタート。
しかし、スタートは一緒くらいやったものの、なんか伸びない。
プレリュードはだんだん離れていってしまいます Σ(゚д゚lll)ガーン
なんじゃこれ、なんかパワーがない…!?
ドノーマルなのでブーストがいくつかかってんのかわからんけど、明らかに前のType-Mより遅かったのです。
納車でうれしい反面、結構ブルーになったり。
プレリュードの連れは小バカにして面白がってましたが。
悔しくなった私は、地元に着くなりすぐボンネットを開けて色々チェック開始。
まずはオイル量!OK!…ってえらい汚いな。
試しにエンジンのオイルキャップから中を覗くと…ドロドロ! Σ(゚д゚lll)ガーン
次に水の量! OK!…って、ラジエターキャップ外すと濁った水が。これも汚いなぁ…。
次はエアクリーナー! OK…じゃねぇ! これでもかってくらい真っ黒。ススみたいなのもついてて、べとべとする。
これじゃ吸えるもんも吸えんわなぁ。
って、なんじゃこのクルマは!ヽ( `Д´)ノ
エンジンルームも汚いし、ロクにメンテしてなかったのが容易に判ります。
エンジンもなんかフケ悪いし、失敗したか…!?
不安になりつつも、すぐ交換できるエアクリーナーを交換。
やりだしたら止まらん私は、そのまま連れを晩飯オゴるからと拘束し、実家の車庫でマフラー交換しだしたり。
終わったのは夜中でした。結構寒かったのを覚えています。
メシもそこそこに、連れと早速某ワインディングロードへ出撃。
行く途中の直線で全開くれてやると…フロントパイプからフルストレートなマフラーの威力もあって、ウギャーッとリアタイヤが空転するくらいパワーがモリモリでした(゚∀゚)
おお、これでこそType-Mやがな~。
プレリュードの連れは不満そうでしたが、そのままワインディングを1往復して帰ってきました。
納車1日目からこんな感じでしたが、その後もまずじっくりメンテすることに努め、ラジエタークーラント、エンジンオイル、エアフロ掃除、プラグ交換…などなど。
これだけでかなり生き返りました。
最初はなんかハズレ引かされた気分でしたが、手をかけていくうちにすっかりお気に入りになってました。
バックに入れると「ピーッピーッ」という音(AT時代の名残)がするお茶目なところもあり、連れがえらいウケてたのを覚えています。

こうして我が3台目のクルマはまたR32スカイラインGTS-t Type-Mとなったのでした。
Posted at 2007/02/26 23:24:44 | コメント(1) | 回想録 | クルマ

プロフィール

「[整備] #ミライース エンジンオイル交換 202507 https://minkara.carview.co.jp/userid/265002/car/3546066/8285234/note.aspx
何シテル?   07/01 19:17
たくたくです。 3度のメシよりクルマが好きなオッサンです。 20歳から乗り始め、22歳のときに悪友に誘われ走りに目覚めました。 週末・休日前(時には平...
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日産 フェアレディZ Zねぇ (日産 フェアレディZ)
自動車税の重課という嫌がらせに耐えながら、現在はZ33初期型に乗ってます。 ターボカーば ...
ダイハツ ミライース ミラいー子 (ダイハツ ミライース)
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