2011年03月14日
報道されているとおり、今日は、東京電力の計画停電のため、埼玉県内を走るほとんどのJR・他の私鉄各線が終日運休のため、自宅待機を余儀なくされました。自転車で行けるような距離ではないですし、車で行こうにも、各幹線道路は大渋滞だったそうですし、会社の近くに駐車場所が確保できてるわけではないですので…。
JRの運行予定が明らかになったのが今朝の4時ごろと、各線で一番電車が動き出す直前だったそうで、自分ももちろんのこと、恐らくは多くの人にとって、今朝起きて初めてこういう状況を知ることになったわけで、さすがに今回はなすすべがなかったです。
お昼過ぎくらいから、徐々に運転区間を増やしながら様子を見てたようですが、勤め先のあたりでは18時過ぎから計画停電の予定でしたので、結局今日は休みになりました。
とはいえ、東北や茨城・栃木・長野県栄村周辺あたりに比べればまだ恵まれている状況ではあるわけですが…。茨城県内に住んでる、自分の知り合いのアップルの常連さんの自宅付近では、昨日あたりまで断水してたとのことです。
明日の鉄道各線の運行状況はまだわかりませんが、今日の計画停電が、多くの場所でやらずに済んだのは、先ほどの官房長官の会見でもあったとおり、多くの路線の運行を止めたからという部分が大きいんだろうと思われます。その一方で、仮に、今日と同程度の規模の鉄道運休を続けたとすればその影響は計り知れないわけで、関係者のみなさんは、今ものすごく難しい判断を迫られてるんでしょうね…。
Posted at 2011/03/14 21:18:10 | |
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東日本大震災 | ニュース
2011年03月12日
昨日14:46ごろ、M8.8の大地震があったとき、自分は会社で仕事中でした。
緊急地震速報が鳴ったわけではなかったので、最初は大したことはないと思ってました。が、だんだん強くなってきて、自分の席のすぐ後ろにある本棚の本とかが落ちてくるかも、と思い、それを押さえました。
でも、更に揺れは激しくなってきたので、ここにいては危ないと思い、とっさに携帯を持って安全な場所に避難しました。そのときは、ついに東海地震か首都直下地震が来たかと思いました。
揺れが収まったときには、自分の座っていたところにはいろんなものが落ちてきていました。小学生の頃、地震が起きたら机の下にもぐれと習いましたが、今回のような巨大地震ではそれでもかえって危険で、室内にいた場合は、とにかく、何も倒れてくる可能性がない場所に移動するのがあの状況でできるベストであると思いました。最初、落ちてくるものを押さえようとした行動は、場合によっては、文字通り致命的なミスになりえただろうと思います。
その後、携帯のワンセグテレビで情報を確認すると、
震度7 宮城県
という情報が…。
ここ(埼玉)でこれだけ揺れたのに東北方面はどれだけ大変なことになっているだろうと思いました。
地震で倒れたものの片付けをしていると再び強い揺れが…。今度は、茨城県沖が震源でした。
2回目のときは、たまたま非常口の近くにいたので、まずは非常口を確保しないとと思い、非常口の扉を開けようとしたものの、1回目の地震で既に歪んでいたのか開かず、その扉の前に倒れやすいと思われるものがあったので、あきらめて安全な場所に避難しました。
2回目の地震後、しばらく余震が続きそうで危ないということで、一時建物の外に避難しました。階段とかもひび割れたり、壁のタイルがはがれているところがあったりしました。自分は建築の専門家ではないので何とも言えない部分はありますが、何らかの耐震補強が必要な状況なのかもしれません。
外に出ると、同じように避難している人がたくさんいました。
携帯は持って出たので、ワンセグテレビで状況を見ていましたが、スマトラ島沖の大津波のときに見たような光景が東北各地で起こっている現実に言葉を失いました。
外に避難中、何度か携帯で自宅に電話してみたものの全くつながらず。こういう災害のときは携帯は役に立たないというのは知識としては知っていたのですが、そのことを実感として思い知らされました。
しばらく大きな余震は来なかったので、寒くなってきて上着を取りにいったん社内に戻ったのですが、ロッカーとかが倒壊していてとてもそこまでたどり着ける状況ではなかったため断念して外に出ました。
しばらく様子を見て、大きな余震は来なかったので社内に戻り、地震で落ちたものの片付けをしました。大きな災害に見舞われたあと、どこから手をつけたらいいのかわからず呆然と立ち尽くす様子がよく映りますが、その気持ちがよくわかりました。片付け作業をしてる最中も余震が相次ぎ作業中断を余儀なくされましたし…。
夕方になって、会社の近くの公衆電話でようやく自宅と連絡が取れました。会社があんな状態だったので家の方も心配だったのですが、家の方は大丈夫とのことでした。
夜になっても武蔵野線など首都圏の鉄道各線が動き出す様子はなく、JRに関しては、夕方には早々に11日中の運転見合わせが決まり、タクシーでもなければ帰れない状況でした。当然のごとく、タクシー待ちも長蛇の列でした。
いわゆる帰宅難民のために公民館・学校をはじめ、さいたまスーパーアリーナのような施設まで開放されてるという情報はつかんでいましたが、どこかで1泊することになるのかどうかは、その時点では不透明な状況でした。
ひとまず、電車通勤の人たちで駅近くの飲み屋で夕食を取りつつ、タクシー待ちの渋滞が解消するのを待つことにしました。
結局0時過ぎにタクシーに乗って帰ってきました。家に着いたのは1時くらいでしたが、今までに経験したことのないような種類の疲れでした。
自宅に着いてすぐ室内の様子を見ると、幸いにも、会社内の状況と比べると意外なほど散らかってなかったです。
寝たのは2時くらいでしたが、夜中から明け方にかけて緊急地震速報受信が相次ぎ、その度に起こされました。その中には、長野県北部を震源とする大きな地震もあり、少なからず被害が出てるようですが、三陸沖の地震及び津波の被害があまりにも大きく、長野方面の様子があまり報道されてないので、そちらも気がかりです。
今朝は9:30ごろ起きました。こんなときに不謹慎と怒られるかもしれませんが、二日酔いと思われる頭痛で、午前中は正直しんどかったです(汗)。普段の飲み会ならば、二日酔いにならないようにある程度ペース配分を考えるところですが、昨日は、冷静なつもりでいて、そういうことまで考えてる余裕がなかったんだと思います。
今回の震災を経験して思ったのは、震災時にはまず飲み物・食べ物(自宅以外の場所に避難しなければならない場合は)及び電源の確保(携帯は本来の機能を発揮できなくてもテレビで情報収集できますので)、あと、今回のように寒い時期の場合は防寒対策が重要になってくることを痛感しました。ちなみに、飲み屋で自分が座った席のところにコンセントの差込口があったので、それを拝借して携帯の充電をしました。普段ならそんなことしたことないですが。
東北及び長野方面では、埼玉あたりとは比べものにならないくらい大変な状況で、ほんと気がかりです。
Posted at 2011/03/12 23:33:45 | |
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