
人生二度目の吉川英治版三国志(新潮文庫)を再読中であります。5巻孔明の巻を読了し6巻では赤壁の戦いに突入。
社会の垢にまみれたオサーンになってから読むとまざまざとリアリティを感じるのであります。

曹操のリーダーシップには組織の長たる者のあり方を。

関羽の義心溢るる漢ぶりには理想の男性像を。

正直あまり玄徳には魅力を感じません。

殊に呂布には少年の日も今もアンチヒーロー的な憧れを抱きます。北斗の拳でいうラオウに通じるピカレスクロマンといえましょう。

その呂布がお手馬にしていた「赤兎馬」
今回記事の主題でありますが赤い毛色を持ち、兎のように素早い馬
戦いの場面で数々の名シーンを引き立てます。

以下wikiによる
『三国志演義』によると赤兎馬は稀代の名馬で、一日に千里を駆けることができた。
はじめ董卓が持っていたが、呂布とその養父の丁原を離間させるために李粛の策で呂布に贈られた。呂布はその見返りに丁原を殺し董卓に仕えたが、赤兎馬は後に呂布を討った曹操の手に移る。しかし赤兎馬は気性が荒く誰にも乗りこなせずにいた。当時曹操は関羽を自分の部下にしたいがために軟禁状態に置き、気を引くために様々な贈り物を与えていた。しかし一向に効果がなかったため、「貴殿なら乗りこなせるだろう」と赤兎馬を与えたところ彼は見事にそれを乗りこなした。さらに、それまで何を贈っても喜ばなかった関羽が大喜びしたので、曹操はその理由を尋ねた。関羽は「この馬は1日に千里を駆けると知っております。今幸いにこれを得て、もし兄者(劉備)の行方が知れましたら、一日にして会うことが出来ましょうぞ」と答えたために曹操は愕然とし、また後悔した。
そののち、関羽が処刑された後は、呉の馬忠に与えられたが、馬草を食わなくなって死んだという。
てな訳で愛車登録に関する重大発表です。
こちらは我が赤兎馬 DUCATI 748S号
文字通り千里を1日で駆ける。後漢時代の単位1里は約417mだから千里は約417km。
この度譲渡しました。赤兎馬の如く乗り手を選ぶ馬でした。わたくしの腕はともかく呂布、関羽の気分になれたので手放す後悔は微塵もありません。※なぜか後方の藪に女性下着が吊るされてます。

さらば赤兎馬!コイツとコイツの思い出に、たくさんのイイネをありがとうございました。
そんなこんなで
育てた賀茂ナスでババガヌーシュを作りました。
ナスはグリルし柔らかく。ゴマペーストと合わせ焼きニンジンにオン。ゴマの香りがするルッコラを添えて。

ひんやり前菜ムール貝のブルーテ。これまた自家製賀茂ナスと玉ねぎをブルーテソースに。

酷暑が続きますが皆様どうかご自愛を。
ブログ一覧 | 日記
Posted at
2020/08/30 04:22:52