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Ameotokoのブログ一覧

2017年11月09日 イイね!

MEG3RSの空気圧 記録1

ブログというか、記録用です。

妙に早起きして目が冴えたので、出勤前に思い切ってドライブへ。いつもの山道へ暗いうちから出発。

空気圧は前回同様、冷えた状態でF/R 2.1/2.0でスタート。前回と比べるとあまり嫌な抵抗感は感じません。うん、やっぱりリアは接地感がはっきりしています。

これまた山一つ越えた前回と同じ場所で計測してF/R 2.3/2.3 迷いましたが、結局、2.3/2.1 に変更してひと走り。

....あ、ダメかも。明確にリアのハーシュネスを感じます。でも路面状況はべらぼうに入ってくるなあ....。
登りだったので荷重は後ろ。下りならいい感じでは? と思ったらやっぱり。下りではリアの接地感がありつつハーシュネスもいなしています。イメージとしてはいつもより回転中心が後方にある感じがします。

前回同様、麓で計測すると 2.4/2.2 でした。リアの2.2barは好印象です。

ただ、ふとタイヤを見てみると
フロント

しっかり隅まで接地の跡があります。

リア

わかりにくいですが、オレンジのラインが境目でその外側は設置した痕跡が薄い。

うむ、良いか悪いかわからん!

ただ乗っている時は端までリアを使っているイメージだったのですが、ぜんぜんだ...。
スリップアングルなんかも考えると、リアはそんなに外まで使わないか...な?

某雑誌で見たタイヤの接地面の画像はこんな感じです。

できたらリアのコーナリング時も欲しかったなあ。

仮に空気圧が低すぎたと仮定すると、撓んだタイヤも空気圧の高すぎるタイヤもリアの端は使いづらいような気もします。私の芸術的な絵で示すと、

空気圧低い

空気圧高い


おっと、あまりにも芸術的過ぎましたかね、はっはっは。ちょっとクオリティが高すぎてわかりづらいかもしれませんが、赤い部分がタイヤの端です。
空気圧が高い、低い。どちらにしても端は接地しないのかもしれません。
あくまで想像なので間違っているかも。

手探りすぎるなあ....。
ワクワクします(笑

走った後のタイヤも都度都度眺めてみる必要がありそうです。
いくつか記録してみよう。
Posted at 2017/11/09 17:46:04 | コメント(2) | トラックバック(0) | MEG3RS と日常 | 日記
2017年11月07日 イイね!

MT考 3

FLAT6さんの投稿に触発されてのMT考 ラストです。

運動学習というのをご存知でしょうか。

ブリタニカ百科事典を引いてみますと、
「運動技能の習得を一般にさすこともあるが,通常,特に感覚系と運動系の協応関係を伴う動作の学習をいう。感覚運動学習ないしは知覚運動学習ともいわれる。スポーツ,楽器の演奏,電信作業,あるいはタイプライタの学習などはその例である。」
とあります。

例えば水泳のクロールを想像してみます。


この画像では右手が水中を掻いているでしょう。その時、泳ぎ初心者は
「よし、今から左手を持ち上げよう」
「息継ぎに首を曲げよう」
「おっと、忘れずにバタ足しなきゃ」
と各々の運動を確認してぎこちなく行ってしまいます。

対して熟練した泳ぎ手はそうした運動の分解と意思による発動を簡略化、合理化して「泳ぐ」という一個の運動を無意識に実行できるレベルにまで落とし込んでいます。

この初心者から熟練者に至るプロセスを理論化したものが運動学習です。

運動学習の進行で鍵を握るのが「フィードバック」です。
今のはこうしたから失敗した。
ここの動作があっちと連動していない。
あそこがこうだから上手くいった。
というトライアル&エラーの反復のうちに、脳の大脳基底核や小脳はデータを蓄積し、

む、Aの動きからBの動きに繋ごう
Bの次は...Cか
CからE? いや、やっぱD
DでこっからEだな....。

というプロセスをABCDEというパッケージとしてストックし、自動的に伝達される高速道路として、さっと泳ぐ行為の時に取り出して使うようになっていきます。

この高速道路の構築のためのフィードバックには、外的フィードバック、内的フィードバックの2種類があります。
外的フィードバックは、人から教えられたり、本を読んだり、言語化されて伝えられることの多い外部からの情報です。
対して内的フィードバックは、実際に自分が行なって得た感覚情報を元にした「こんな力加減の時はうまくいくんだ」「この感覚の時にA動作からB動作に移るとスムーズなんだな」という自身のフィーリングを主体にしたものを言います。

どちらが欠けてもいけません。内的フィードバックばかりでは、間違った方向に最適化されていく歯止めが効きづらいですし、外的フィードバックだけではいわば耳学問のように実感が伴わず身につくのが遅くなります。適度に内外のフィードバックを得つつ高速道路は構築されていきます。

この学習プロセスは3段階に分けられています。
◯認知段階
動作を頭で考え、理解するレベル。こうして、次こうして、次こうして....と理論化して動作を行う戦略を練ります。
◯連合段階
実際やってみて失敗しつつ、試行錯誤していくレベル。
いい動作と悪い動作の違いの感覚が掴めてきます。
◯自動化段階
考えなくても実行できるレベル。高速道路が出来上がり、バスケットでドリブルしながらボールを一切見ないなど、意識のリソースを他に割くことができるようになる。

このようにして学習が進んでいくわけですが、当然、より複雑であったり多面的な課題ほど高速道路の構築は難しく、時間を要します。
そして運動と関わりが深い神経伝達物質ドーパミンは、学習、意欲、快感と関わりを持ち、共通して活発な働きを促すため、より複雑な運動課題の達成や運動学習の進捗、自動化は意欲や快感と強くリンクしますし、報酬系と言われる脳の機関による達成感でのドーパミン分泌とオーバーラップしていきます。

より難しい運動学習の過程と達成の方が快感な訳です。

さて、ようやくMTの話です。
上記の運動学習を運転行為に当てはめていくと、複雑な道路状況の中でペース配分や他の車や歩行者等の存在、信号や標識、時事刻々と変わっていくシチュエーションに対応しつつ車を操作します。
教習所を卒業する頃には、「今からアクセルペダルを踏むために右足を曲げよう」なんていう段階の人はいないでしょう.....いない...ですよね?
少なくとも
加速しよう→右足がアクセルペダルを踏む
減速しよう→右足がブレーキペダルを踏む
くらいの自動化はできていると思います。

そうなって初めて周囲の状況やペース配分等々、他の部分に意識を向けるリソースが生まれます。

前回、MTの特徴にパワートレーンをハズせるということを挙げました。ゆったりとした40km/h足らずで流れている道路で5速で巡航は出来なくはないですが、アクセルを踏んでもトルクは乗りません。状況に応じた変速をドライバーが行う必要が常にあるのです。

自分の場合に置き換えてみると、何かあるとクラッチを踏むという動作は自動化されていると思います。エンジンの回転数を聴きながら加速してシフトアップ。これも自動化が進んでいます。
対して減速時のブリッピングは半分は意識してやらないとできません。heel&toeは「さあやるぞ」とやっています。

学習していく過程では、きちんと課題に集中し、結果の分析と実行を繰り返す必要がありますから、最近意識して練習を始めた課題はまだまだ連合段階にあることがわかります。

対してATの車にはドライブトレーンの選択という行為がない、あるいはMT比では極端に少ないということができます。もちろん一つのコーナーでの荷重移動、ブレーキのタイミングやステアリングの舵角等、突き詰めれば失敗はあるでしょう。その辺りを意識しつつ走ると、実家のC-HRもとても良くできた車です。でも常にそのテンションを維持しつつATに乗れるかというと、なんだかんだ漫然と乗ってしまいがちです。

MTはハズせる構造故に、常に回転数を意識してギアを変えざるを得ません。強いられているのです。
四肢を使った非MTと比べて複雑な運動課題を遂行しつつ走るしかないのです。
そしてその運動課題は非MTよりも遥かに明確に失敗という結果をわかりやすくフィードバックしてくれます。
その過程で、シフトショックのない変速とか、ロールを感じながらきちんと姿勢を制御しつつ変速といった動作の学習を繰り返しつつ習熟と達成によるドーパミンの分泌を促しているんだと思います。
いくら速く走れようと、自動ブリッピング機能はMTの運動課題の難しさをスポイルしますし、課題の難度低下は快感の低下に直結します。

加えて、少し脇に逸れますが、内的フィードバックと外的フィードバックの双方が運動学習には必要だと言いました。これは車の電子制御と通ずるものがある気がしています。

先日WRXに試乗させていただいた際、感動するとともに飽きそうだな、とも思いました。

これはトルクベクタリングや電子制御デフの存在がやはりあるんじゃないでしょうか。高度な制御は恐らく私の感覚領域の限界を超えた車の挙動を実現していると思います。
本当に唖然とするくらい地面にビッタリと張り付く車でした。私の試乗程度で電子制御の介入があったのかよくわかりませんが、私がWRXの運転後に得られるフィードバックは、電子制御機構の設計や制御の発動条件の理解等の知識によって、いわば机上で考察して導き出す外的フィードバックが多くを占めてしまうのではないかと思います。対して感覚的には、タイヤが滑るかな、と思うあたりでなんか介入が入ってもう一段高い安定が得られる。というどこか五感で感じたフィーリングに直結しない戸惑いも生まれます。もちろん私のレベルでは、ですが。



MEG3RSを楽しいと感じるのは反対で、得られるのはありありとわかる4輪の接地感とピッチ、ロール、トーの感覚。ステアリングに伝わるトルクステアの予兆など、プリミティブな内的フィードバックです。
それは物凄くわかりやすく、きちんと前輪に荷重をかけて曲がる。前輪が負けそうなら荷重を抜く。というようなシンプルな外的フィードバックと直結しています。
このバランスの良い内外のフィードバックが自身のドライビングの理解と学習の進捗に寄与する最良のものであることは間違いなさそうです。そしてこの素朴な感覚と、車としての素性や限界の高さが相まって MEG3RSを評価の高い車にしているんじゃないでしょうか。
結局ポルシェもシンプルな素のモデルが楽しい。というのもこういう理由なのかな、と想像します。乗ったことないけど。

つまるところ、私は速く走りたいだけではないのですね。タイムを縮める為により合理的に、より先進的にという突き詰めていく達成感を今のところ私は求めていません。
速く走れたら楽しいのではなく、きちんと車をコントロールして、MEG3RSの特性を隅々まで活かしてその中で速く走りたいのです。「MT考 1」 のコメントで、FLAT6さんから、父同様、私はそれぞれの車の個性が訴えるものに惹かれるのではないか、と指摘を頂きました。
なるほど、MTが構造上エンジンとの対話を求める以上、性格や意思を付与された生き物と思うような付き合い方を私はしています。これは車に興味を持つ以前からそうだったと思います。

私はサーキットに近々行ってみたいと思っています。
でも競争がしたいという意識は今のところありません。行こうと思うのは、MEG3RSがそういう場所で思うさま駆けることができる車で、そこに私の知らない個性があるからだと思います。
機械音痴にも関わらず工具を買ってあちこち触ろうとしているのも、構造やボルトの締め付けに至る知識と実感を深めることで、より豊富な内外フィードバックを得ようと望んでのことです。

結局、車=MT= MEG3RS となっている私にとって、よりうまく MEG3RSを操ることが今の楽しみの源泉なのですね。

というわけで、最初に述べたように、MTがどう優れているか、とか新しい観点などの提案はなく、単純に車を擬人化するにはMTである必要があり、より複雑な運動課題であるMTの運転は脳の分泌物から言っても楽しいよね。

という数行で終わるお話でした。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
Posted at 2017/11/07 17:45:27 | コメント(3) | トラックバック(0) | 車徒然 | 日記
2017年11月06日 イイね!

MEG3RSのタイヤ空気圧

MT考の続きをサボってMEG3RSと日々遊んでおります。

先日、空気圧計を購入してから、どのくらい乗り心地が違うのかに興味津々です。



因みに実家のC-HRは

前 左右 2.1 2.0 bar
後 左右 2.0 2.2 bar

だったので、全て推奨の2.3bar に変更したところ、驚くほどハーシュネスのいなしがスムーズになりました。段差を超える際にトルクをコントロールしての電子制御がハマっているのでしょう。


MEG3RSは
前 左右 2.4 2.5 bar
後 左右 2.4 2.4 bar
でした。

週末に少し高速に乗ったので、まずは
前 2.3 後 2.2 bar
で高速を走って見ましたが、違いはわかりませんでした。

そこで気温の低い夜のうちに
前 2.1 後 2.0 bar
の街乗りに設定。ワインディングに行って見ることに。

動き出しは明らかに転がり抵抗が増しています。空気の減った自転車で空走している感じです。うーん、いいのか、コレ? 低すぎ?
確かにタイヤの端は感じるけど、空気圧低すぎてサイドウォールとかによくない気もします。この辺は経験値がなくて良し悪しの判断が出来づらい。
気温も上がった日中にそのまま山道に入ります。リアタイヤの存在感が際立っています。
そのまま20分ほど走ると、すっと抵抗が消えていきました。車を停めて計ると、前2.3bar 後2.3bar うーむ、後輪の方が温度が上がってる? うまく使えてるんでしょうか。ともあれ境目はこのあたりかな。山道で高度も上がったので相乗効果ですかね。そのまま数十分走って海沿いの低い場所で計測した時は前 2.4bar 後 2.3bar でした。

私が行くワインディングは山一つ超えるまでは道幅が狭くてMEG3RSでは安全運転で走ります。その先がかなり道幅の広い山道で、少しスピードを出せるのですが、今回はそこにたどり着く前にタイヤの摩擦抵抗が普段の感じに戻っていました。境目は2.2 くらいにありそうな感じでしょうか。次は2.1〜2.2bar くらいで走ってみたいです。



黙って私と遊んでくれる、本当に雄弁な相棒です。heel&toe 2回も失敗してすいません。反省してます。
色々勉強するからまた遊んでなー。
Posted at 2017/11/06 21:13:03 | コメント(5) | トラックバック(0) | MEG3RS と日常 | 日記
2017年10月31日 イイね!

MT考 2

このエントリーはFLAT6さんの投稿に触発されてのMT考 2です。

前回、私のMT嗜好は、
左足を基軸とした四肢と知覚による対話=運転
ということがそもそも刷り込まれている、
ことによるというながーい自分語りをアップしました。

それを踏まえて今回は生理学的に

ATにおける、
右足のみのペダル操作+上肢でのステアリング操作

MTにおける、
左右下肢でのペダル操作+上肢でのステアリング操作+右or左上肢でのシフト操作

両者において脳の活動に差異を生じるのかを考えてみます。

○MT脳とAT脳


まず物凄くざっくりと脳の解剖と神経の道筋を言うと、
脳は左右の半球に分かれており、太い回線の束で連結しています。この回線によって常に左右の連絡を行なって活動しているのです。

横から見ると大脳は前から前頭葉、頭頂葉、後頭葉に分かれています。前頭葉は情感や理性といった分野を中心とした機能を司り、側頭葉は聴覚情報系、後頭葉は視覚情報に関する部位です。
今回は話を絞るため、前頭葉の運動野と頭頂葉の体性感覚野を中心に話を進めていきます。

体性感覚野は温冷触圧覚や関節の角度、運動の方向を知覚し、情報を受け取る場所です。右半身の感覚は左脳の感覚野へ、左半身は右脳の感覚野へ伝達されます。

運動野は身体の運動を制御している場所ですね。しかし運動野そのものは純粋に運動のみを司っている場所で、いわばエンジン単体のようなものです。隣接する運動前野が視覚情報を基にした運動の制御を、補足運動野が「こう動こう」という情動と実際の運動の連結を担当しています。


さて、ATの車を運転する場合、左足はお留守になります。ということは左の大脳ばかりが活性化し、右の大脳はお留守になるのでしょうか?

答えはそうでもあり、そうではありません。

確かに右足の感覚情報の受容や運動の発動は左の大脳を中心とした活動です。

しかし、実験によって頭頂葉の左右同じ特定の部位を刺激した際、右半球では左の上下肢の運動を賦活し、左半球では唇の動きなど言語系の賦活がみられたという報告があります。

これは言語野という言葉の理解から発語のコントロールをしている部分がほとんどの人で左半球にあることに起因します。

また、運動前野や補足運動野の脳梗塞は対側麻痺を起こしたり同側麻痺を起こしたりと様々で、このことから運動前野や補足運動野は運動野を介さず左右とも両側の運動と関わっていると言われています。右半球の障害は左麻痺、左半球は右麻痺と一概には言えないのです。

しちめんどくさい詳述は避けますが、要するに右半身と左半身の運動では、脳の活動はそもそも対称性に活性化することはなく、大きく異なっているということです。
このため、上肢でステアリング操作をし、右下肢で加減速を行うATと、両下肢プラス片側上肢にシフト操作を担わせるMTでは、車の運転という運動課題で賦活され、可塑性によりシナプス結合が強化されている領域がそもそも違います。さらに言えば、RHD/LHDのMTでも異なる訳です。

脳の活動はイメージによっても喚起されます。ざっくり言うと、右手が動いてる映像を見たり、右手を動かすことを自分で思い描いたりすると、実際に右手を動かす時に活動する脳の部位が賦活されて活動するのです。

恐らく運転席から撮ったドライビングの映像を見た時に活性化する脳の部位はMT乗りとAT乗りの人間では大きく異なっているでしょう。

「さあ、運転するぞ」と車に乗り込んだ時、暖機運転のように活性化する私の脳の部位はMTに乗る時に使用する部位の筈です。ところがその車がATだった場合、実際には活性化した部位と違う場所を使って運転することになります。これは違和感やわずかな齟齬を生む要因となるかもしれません。

また、とある研究では、寝た状態で左右のつま先で爪先立ちするように下に板を押す運動を反復したところ、右半球では運動野、運動前野が賦活し、左半球では感覚野が賦活したという報告があります。

同時に行った運動なので一概には言えませんが、利き足である右足は機能脚であり、より繊細な運動を行うために感覚情報を処理する必要から感覚野優位の活動となり、支持脚である左足は支えるという筋活動のために運動野系が優位に活動したと思われます。
このことから、右足でのアクセル、ブレーキペダル操作は運動野よりも感覚野による情報処理作業を主体とするインプット系の活動で、左足のクラシック操作は運動というアウトプット系の操作と言えそうです。かなーり乱暴な飛躍で、言うのは少し勇気がいりますが、運転という動作においては、右足は常に受け身な運動を強いられており、左足は主体的、能動的な運動を行なっている......かも?

もう少しお付き合いください。

脳には「半球間抑制」という働きがあります。
片方の半球が活動すると、反対の半球の活動が抑制されるという働きです。この機能の存在自体は随分前から知られていたのですが、最近はそのメカニズムの解明が進んでいます。とはいえ必要なのは要点だけです。

ラットを使った実験では

左足を刺激→ 右感覚野が活動(100%)

右足を刺激→ 次に左足を刺激 → 右感覚野が活動(25%減)

という結果が得られました。
左右を頻繁に使用しているシチュエーションでは気にすることではないですが、右足ばかりのペダル操作では右半球に絶えず抑制がかかっていると言えるかもしれません。

ちなみに右半球の主な働きは、
視覚情報の解析
空間内の操作能力

というわかりづらい表現しかしようがないものです。右脳が欠落すると言葉の抑揚が失われるなんていうのも有名ですね。巷間で言われる右脳は芸術系ってのは、全否定はしませんが眉に唾して聞いていた方がいいレベルではあります。

結局のところ脳は左右が補完しつつ活動しているので、右脳が抑制されるからこういう機能が抑制される。というよりは、総合的な活動効率が低下すると解釈した方がいいと思います。

さらに言うと、そもそも入力される情報の量がMT/ATでは違います。ドライブトレーンの存在と、自動的に変速してくれるATと違い、MTは機構的にそれを外すことができます。
つまり外さないようにエンジン音やGのかかり方等の情報を脳に送り続けて対応の準備を強いられています。これも脳の活性化のレベルを高めているのではないでしょうか。

以上のように、原体験と習慣によってシナプス結合が強化された私の脳は、MT=運転。というふうに仕上がっており、逆にATを運転する際に使用する部位は開拓されていないと言えるかもしれません。

第2回は本当に読みにくくてすみませんでした。
ここまで読んでくださったあなたは御釈迦様のように慈愛に満ちておられます。正直抱かれてもいいd......いや、ともかく、ありがとうございました。

次回は上記の「ドライブトレーンを外せる」ということと運動学習についてです。

書き溜めがなくなってしまったので、少しかかると思います。

....と言うかコレ読んで面白いかな?
自分でもよくわからなくなってきました(汗

続く。
Posted at 2017/10/31 19:40:27 | コメント(6) | トラックバック(0) | 車徒然 | 日記
2017年10月30日 イイね!

MT考 1

MT考 1にわか車好きなりに少しでも経験を積もうと、節操なく試乗を繰り返しております。販促目的で試乗の機会を設けている各ディーラーの方々にはなんとも迷惑な輩ですね。
ほとんど目に留まることのない拙ブログではありますが、少しは情報を発信してご恩返しになれかしと思う次第です。

そんな中で、私自身は所有したことのないAT(トルコン、CVT、DCT様々ですがここでは便宜上ATと呼びます)に乗る機会が増えました。正直技術的なことは私の手に余りますが、良く出来ていると感心しきりでも、今のところ非MTの車を欲しいとは思いません。

何故でしょう?
もちろん好きだからなわけですが、ではMTのなにが私の琴線に触れ、離れがたくさせているのか?

今回はFLAT6さんの投稿に触発されてMT考です。

正直、特に新機軸の考察もない、ごくごく個人的な定義づけです。
「今や非MTの方が速い、といったことに代表される機能的優位性を云々する文脈は私のMT嗜好とはそもそも論点が異なる」
という単純な結論に向けてダラダラと書いていく予定です。よろしければお付き合いください。

○原体験による習慣化
トランスミッション、ギアボックス、言い方や含む範囲は様々ですが、私がここで言うトランスミッションはつまるところギア比の変更、あるいはそれに類する変換が可能な内燃機関の出力を回転運動に変換する機構のことです。
混合気の燃焼でピストンが吹き飛び、シャフトが回り、歯車の回転を生む。1トンを超える鉄の馬が駆ける。そこにはMTもATもありません。3000rpmなら1秒間に50回もの爆発のカタルシスがあるわけです。
車を思う時に、私はいつも自分には決して出すことが叶わない速度で駆けるこの機械に対する畏敬の念を覚えます。

でも、そうやって敬愛する鉄の馬を眺めるのではなく、自分が乗るということをイメージする場合、それは何故かMTなのです。ATでは馬に乗っているとは思えません。そもそも私は根本的な部分で車=MTと思っている節があります。それがつまるところ、原体験による訳です。

私はつい最近まで、車にまったく興味がありませんでした。
その上、私は2000年代以降の車乗りです。キャブレターも知らないし、スロットルやカムだって電子制御された車しか知りません。

個人的な話ですが、父は大の車好きでした。交通事故で他界したのですが、その時乗っていたのはs2000。実家の近所に借りていたガレージにはTTとヨタハチ、117クーペ、古いアルピナの5シリーズ、型式不明のセブン(マツダではなく)が残っていました。....今思うと宝の山ですね。

全く車に興味がない私は、綺羅星の如き名車達が処分されるのを止めもしませんでした。あろうことか、ふーん、そうなんだ、ぐらいのノリ。阿保過ぎる....チクショウ。当時の自分が呪われますように....しくしく(泣

....それはともかく、エアコンもなく、エンジンの始動にすらコツがいる車はやはり今でも二の足を踏みます。所詮私は今時の車乗りなのです。

いみじくもFLAT6さんが最近のエントリーで述べておられる、「どこかに行きたいから運転する」と「運転がしたいからどこかに行く」という対比で言うと、私は長く前者として過ごしてきました。

にも関わらず移動の過程でTT8Nを運転するのは好きだったのです。

次はもう少しシフトショックを減らして変速しよう
クラッチを切っている時間を縮めてみよう
シフトフィールが回転数で変わる気がする
加減速や荷重で舵角が変わるような....
ブレーキとアクセルって同時に踏んだらどうなるんだろ?(左足です。事故りかけました)

そういった発見は本当に車の知識がゼロの私がTTを運転しつつ得たものです。

自分語りが長くなりましたが、ここまで言わんとしていることは、クルマ好きでない私のクルマ原体験には無自覚のうちに四肢によるエンジン・車との対話があったということです。

....すみませんがもう少し自分語りです(汗

私は車で音楽を聞きません。BGMなしで車の発する音を聞きながら走るのですが、これもTTの影響だと思います。私はクラシック好きなのです。
クラシックを車内でかけるには、TT8Nは吸排気音やロードノイズが喧し過ぎる車でした。結果的に、運転中はアクセルペダルを踏み込んだ時に高まるノートに耳を傾け、左足を踏み込むタイミングをはかる作業に没頭するようになりました。

これもまた、耳で車と対話する習慣を私に植え付けた訳です。

もし最初に所有した車が燃費と静寂性に重きをおく非MTの車だったとしたら、私は音楽をかけつつ目的地まで漫然と移動してくれる箱に乗り換えていたかもしれません。
あるいはAMGあたりだったなら、DVTの車でもエンジンとの対話が出来ると思えたのかも。

しかし現実には、私は左足で内燃機関のカタルシスを切り離し、また車に命を吹き込むように繋ぐ幻想と分かち難く同化してしまっています。

すべて、無自覚のうちにTTが(私のクルマ原体験が)私に強いた習慣、経験が決定したものです。

....長くなり過ぎました。
まとめると今回は、「四肢と知覚によって対話する」ということが、私の「車」という認知に原体験によって紐付けされているというお話でした。

次回は話が変わって脳の構造についてです。
今回以上にめんどくさいです。ごめんなさい。
よろしければ次回もお付き合いください。

続く。
Posted at 2017/10/30 21:13:12 | コメント(4) | トラックバック(0) | 車徒然 | 日記

プロフィール

「時代人として省みれば「今年がなんの年であった」かは明らかだが、次世紀の星間ウーバーイーツ長者となる杉本哲太の曾孫が「チキンナゲットが初めて成層圏に達した年であった」と振り返る年になるのを僕たちはまだ知らない...」
何シテル?   12/19 14:28
車音痴の本の虫ですがRenault に巡りあい、たちまち魅了されてしまいました。 気楽にRenault Life を過ごすことが出来ればいいなと思います。
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