震災から51日にして、ようやくインターネット回線が復活しました。
今回の震災にたいして、SMPのみなさんから数多くの励ましのお電話や、たくさんの救援物資をいただきました事、ほんとうに感謝の気持ちでいっぱいです。
また、前回のブログに100件を越える、たくさんのコメントをいただきながらパソコンが復旧せずコメントが返せなかったことを、この場をお借りしてお詫び申し上げます。
みなさん、ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございました。
SEVENに出会えたこと、そしてSMPに出会えたこと、遠く離れていても素晴らしい仲間に囲まれていること、生きてみんなにまた会えることの素晴らしさを今実感し、そして感謝しています。
今回震災直後から、自分の事を本当の親兄弟のように心配してくれたSMPの多くの仲間の思いが、きっと自分を守ってくれたのだと信じています。
3月11日午後2時46分、あの震災があった時、仕事が休みだったので、いつもZERO1をお願いしている車屋さんで、アルトワークスのエンジン乗せ替え作業をしていました。
中学3年生の時に宮城県沖地震を体験していましたが、今回は揺れている時間が恐ろしいほど長く(仙台で3分間だったそうです)、道路のアスファルトが20cm程浮いたり沈んだりを繰り返し、隣の会社の前の歩道が陥没し、そして立っていられないほどの激しい揺れが何回も繰り返されました。
自分は気が付きませんでしたが、電柱が折れるのではないかと思うくらい激しく揺れていたと主治医は言っていました。

地図のAの場所が車屋さんです。
そして地図左側赤丸、同じ通り沿いにあったビックハウスとドコモショップです。
そして、一本内側の通りにあるしまむら。
地震後すぐに、車でAのセブンイレブンに非難しました。
しかし、地震から40分後この場所まで物凄い勢いで津波が押し寄せてきて、ここから車を捨てて走って逃げました。
この時から、携帯は圏外になり皮肉にも雪が降り始めました。
日が暮れて、電気一つ無い真っ暗な闇のなか、山の向こう側の地元の方の空が不気味に真っ赤に光っているのが見えました。(門脇 南浜町地区の火災の光だったようです)
そして、一夜明けたセブンイレブン前
周辺の車が津波でセブンイレブンの駐車場に流され、まるで解体屋さんの車置き場のように、積み重なっていました。
車には前日に降った雪が積もっています。
セブンイレブンに向かう田んぼにには、たくさんの車が流されていました。(上の地図 緑の点)
どこが、道路かわからないような状態で、道路には真っ黒なヘドロが堆積していて悪臭を放ち、水産加工場から流れてきたのか、大量の魚が転がっていました。
津波の勢いで多くの車が家に突っ込んでいたり、電柱に登ったりしていました。
しかも、震災直後は未確認の情報が飛び交い、北上川に掛かる3本の橋のうち、日和大橋①と石巻大橋③が落ちたという話しがあり、内海橋②を目指すことにしてヘドロまみれの道路を歩き、ようやく国道へとたどり着きました。
しかし、国道は流された家のがれきと水没した車で、道路はアスレチック状態で、よじ登って進まなければならず、がれきの板からは釘が飛び出していたりして、非常に危険で地図上の×印付近まで進んだところで、断念せざるおえない状態でした。
しかし、国道にいた警察官に石巻大橋③が落ちていないこと、内海橋②は大量のがれきと車で通れないことを聞き、急遽石巻大橋を目指します。
そしてこれが震災から5日後の内海橋の様子です。
橋に家の二階部分が乗っかっているのが見えます。
そして、橋の右側には船が乗っています。
白い建物は漫画館になります。
震災直後ここまでたどり着けたとしても、渡ることはできなかったでしょう。
石巻大橋の手前で道路が冠水していて、しかたなく腰まで水に浸かって石巻大橋に到達できました。
北上川を渡りながらこれで家に帰れると思ったのですが、渡りきった先は大量の海水に飲み込まれた市街地でした。
自宅に帰るルートは完全に水没しており、高校に避難して周りを水に囲まれ孤立した住民を、自衛隊の人がボートで救助しているのを、呆然と見ていることしか出来ませんでした。
結局この日も自宅に帰ることはできず、その後避難所に2泊して、震災から4日目にして無事に自宅に帰ることが出来ました。
幸いにも、自分と自分の家族は全員無事でしたが、親戚、友人、昔付き合った彼女、職場の人、仕事のお客さん、自分の周りの多くの方々が亡くなり残念でなりません。
今回の震災は大切な物や人を一瞬で奪っていきました。
最近では街も復興しはじめ、ガソリンスタンドやスーパーも普通に買い物が出来るようになりました。
それでも、仕事に行くのに門脇地区や湊・渡波地区を通ると、二ヶ月近く経った今でも、がれきが大量に積まれているのを見るたびに心が痛みます。

家から1分(大街道)

日和山より(門脇・南浜地区)

日和山より(門脇・南浜地区)

日本製紙付近

門脇・南浜地区

門脇・南浜地区

門脇・南浜地区

渡波地区

渡波地区

石巻魚市場付近

石巻魚市場付近

石巻魚市場付近

石巻魚市場付近
広大ながれきの山を見ると、生かされた自分と亡くなった人の生死の境目は、ほんの紙一重の差だったのかもしれないと、つくずく思います。
震災以降、仕事が休みの日もなんだか気持ちが落ち着かない日々を過ごしています。
心にポッカリ穴があいたようで、気持ちが不安定で、こんなに自分って弱かったかなみたいな、いっぱいいっぱいな自分にがっかりしています。
でも、いくら悲しんでも時間は二度と逆戻りはしません。
生かされたものの責務として、精一杯人生を生きていこうと思います。
そして、今回の震災で愛機ZERO1は水没してしまいました。
この相棒といろんな所に行った思い出が走馬灯のように思い出されます。
ピカピカだったボディーは泥をかぶり、塩水に腐食され、見るも無残な姿となってしまいました。
ごめんな・・・・ZERO1 そして、ありがとう。
でも、いつかきっとZERO1でみなさんに会いに行ける日が必ず来ると思います。
その時はどうぞよろしくお願いします。
長距離戦隊 隊長スネレッド
最後に、今回の震災で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます 。