現在、日産は販売店が1種類のみとなっております。しかし現時点で全国に約2200店舗あると言われており、これはホンダより多くトヨタの次に多いと言われています。
確かに日産の店は車の店の中でもよく見かけますよね。
まあ、整備工場や中古車屋に毛の生えたような個人経営の店(業販店、協力店、サブディーラーなどと呼ぶらしいです)を含めればスズキやダイハツの方がトヨタよりも多くなる訳ですが…
現行の日産販売店の例(公式のイラスト)
ところで看板に書かれている日産の販売店の社名に注目すると、よくある
○○日産自動車 の他に
日産プリンス○○ 、
日産サティオ○○ と書かれている例もあったりするのにお気づきでしょうか。地域によっては
○○日産モーター とか、ごく稀に
日産チェリー○○ と書かれている例があるかもしれません。
事実、うp主も○○日産自動車と書かれている店舗と、日産プリンス○○と書かれている店舗が割と近い距離にある事例をよく見かけます。
これらは経営している会社が違うだけで、今はどこ行っても同じ…と言えばそれまでなのですが、何故名前が違うのか、何で販売会社の名前の種類がこんなにもあるのかとか、特に若い世代だと知らない人も多いかと思います。(うp主も当時の世代では無いのですがw)
実はかつて、日産の販売店は5種類もありました。
トヨタがカローラ店、ネッツ店、トヨペット店、トヨタ店…とあるのと同じと言ったところです(トヨタもさらにビスタがあったんですけどね…)。これらをまとめて5チャンネル体制と呼びます。
そして先程、日産の販売店の社名の例として挙げた例が5つもあるのはその名残なのです。先程挙げた例はそれぞれ、
日産店 ・
プリンス店 ・
サニー店 ・
モーター店 ・
チェリー店 の例となっていました。
ホンダもかつてプリモ店、クリオ店、ベルノ店と3つに分かれておりこれらを今のホンダカーズに統一する際、ホンダカーズを入れた新しい社名に一新したのに対し、日産の場合は未だに社名が昔のままとなっていますw ある意味こっちの方が面白味はありますけどねw
後に日産店・モーター店が
ブルーステージ へ、プリンス店・サニー店・チェリー店は
レッドステージ へと変更され、さらに2007年より一本化されて現在に至る訳です。
さらにこれらに加えて総合カタログなどでは、
・大型車部門の子会社である日産ディーゼル(現在はUDトラックスと改名しボルボ系列)
・フォークリフト部門(TCM・三菱重工のフォークリフト部門と統合の上で三菱重工傘下のユニキャリアへ譲渡)
・マリーン部門(小型クルーザーなど。2016年終了しニュージャパンマリンへ譲渡)
の販売店も同列に並べられることもありました。
今回はこれらの販売店の歴史について説明していきたいと思います。なおCMなどの広告では何故か○○店とは言われずに○○販売会社の名称で呼ばれていました。
当時の販売店の画像なんてのは持っていないですし、色々探しても流石に少ないですので、そのために今回は下手くそながらペイントでイラストを作ってみましたw そのイラストを使って解説していきたいと思います。
・
日産店
別名:○○日産自動車、○○日産、ブルーバード販売会社。代表的な車種…ダットサン乗用車→ブルーバード
60年代~70年代当時の販売店の一例
80年代~90年代当時の販売店の一例
最も古くからある販売店で、広告ではブルーバード販売会社と呼ばれていました。ダットサン110・210のダットサン乗用車→ブルーバードをメインとしつつも70年代まで一般向けの乗用車は他にバイオレット、Zがあったぐらいで法人向け高級車のプレジデントに商用車のダットラ・キャブオール・シビリアンなどと法人向け販売に強いラインナップでした。
80年代以降、レパード・リベルタビラ・ダットサンバネットコーチ・セフィーロなどを加えて乗用車のラインナップも充実していくことになります。
また東京・大阪の2地区の販売店のみ例外的にインフィニティQ45を取り扱っていました。
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91年頃にはとんねるずをCMに起用して「ブルーバード販売会社へようこそ」というCMを流していました。当時モデル末期だったU12ブルが映っています。
余談ですがとんねるずはこのCMに出る前、ダイハツのシャレードのCMにも出ていました。
当時の販売チャンネルとしてのホームページはブルーバードウェブという名称で展開しており、歴代ブルーバードの紹介や最新情報、販売会社一覧、そして何故かイタリアンのレシピなども紹介していました。下記のリンクでご覧頂けます。
・当時の公式サイト
関東近辺での販売会社の例…東京日産自動車販売・神奈川日産自動車・埼玉日産自動車・千葉日産自動車・茨城日産自動車・栃木日産自動車販売・群馬日産自動車
主な取り扱い車種…
60年代…ブルーバード・フェアレディ・プレジデント・ダットサントラック・パトロール・キャブオール・ジュニア・エコー・大型トラック/バス
70年代…ブルーバードU・バイオレット・フェアレディZ・プレジデント・ダットサントラック・パトロール・キャブオール・シビリアン
80年代…ブルーバード・ブルーバードマキシマ・フェアレディZ・レパード・リベルタビラ・マーチ・プレジデント・テラノ・サファリ・ダットサントラック・ダットサンバネット・ダットサンADバン・アトラス・シビリアン
90年代…ブルーバード・マキシマ・セフィーロ・パルサー・フェアレディZ・レパード・マーチ・キューブ・ラシーン・プレサージュ・プレジデント・ウイングロード・S-RV・アベニール・ルネッサ・セレナ・ラルゴ・テラノ・サファリ・ダットサントラック・バネット・AD・アトラス・シビリアン
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モーター店
別名:○○日産モーター、ローレル販売会社、セドリック・ローレル販売会社。代表的な車種…ローレル・セドリック
当時の販売店の一例
元々は1956年に小型トラックのキャブライト・ジュニアの販売のために設立された販売店ですが、実際には高級車に強いラインナップで、広告ではローレル販売会社、セドリック・ローレル販売会社と呼ばれていました。
なお一部の都道府県や山間部などの販売数が少ない地域には無く、その場合は日産店でモーター店の取り扱い車種を販売していました。
またセドリックバンより下のクラスのライトバンのラインナップを補うべくブルーバードをバンのみ取り扱っており、これは後継となるアベニールに引き継がれていました。
さらに東京・大阪の2地区の販売店のみ例外的にプレジデントを取り扱っていました。
下記にあるようにモーター店は販売会社の名前が独特で、県庁所在地が名前に入る例が多く、また地域名や旧国名、親会社の社名などが入る場合もありました。
これは元々あった日産店の販売会社と被らないようにするためと言われています。
例えば、下記にある横浜日産モーター・水戸日産モーター・宇都宮日産モーター・前橋日産モーターは県庁所在地の名前が入っています。また太洋日産自動車販売は日通の子会社で、西武日産販売は西武百貨店(セゾン)の子会社、日産特販は都内の法人向け販売会社でした。
高級車をメインに扱う販売店であるためか、他の販売店のような販売チャンネル単体での大々的な広告展開は行われなかったと思われます。
また当時の販売チャンネルとしてのホームページはローレルウェブという名称でしたが販売会社の一覧のみでした。下記のリンクでご覧頂けます。
・当時の公式サイト
一応、新聞や総合カタログなどでは「ゆきとどいたサービスで、長いおつきあい」(80年代初頭)、「高級車に乗った感想をお聞きしたい」(97~98年頃)といったキャッチコピーは使われていたようです。
関東近辺での販売会社の例…東京日産モーター・太洋日産自動車販売・西武日産販売・日産特販・横浜日産モーター・埼玉日産モーター・千都日産モーター・水戸日産モーター・宇都宮日産モーター・前橋日産モーター
主な取り扱い車種…
70年代…セドリック・ローレル・キャラバン・ブルーバードUバン・キャブスター・ジュニア・シビリアン
80年代…セドリック・ローレル・ガゼール・ローレルスピリット・プレーリー・キャラバン・サファリ・ブルーバードバン・アトラス・シビリアン
90年代…セドリック・ローレル・シーマ・インフィニティQ45・シルビア・ステージア・プレセア・プレーリー・ラシーン・マーチ・キューブ・アベニール・キャラバン・クルー・テラノレグラス・エルグランド・サファリ・アトラス・シビリアン
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サニー店
別名:日産サニー○○、日産サティオ○○、サニー販売会社。代表的な車種…サニー
当時の販売店の一例
その名の通りサニーを中心とする大衆車に強いラインナップで、1966年の初代サニーの販売開始に合わせて設立され、広告ではそのままサニー販売会社と呼ばれていました。
当初はサニーのみで始まり、その後貨物車のサニーキャブ(後のバネット)が追加、70年代以降は今も人気の高いシルビアや、バイオレットの姉妹車で高級志向としたスタンザなどが加わりました。
1999年のレッドステージへの移行の際に、旧サニー店は社名が日産サニー○○から日産サティオ○○へ変わっています。サティオというのはSatisfaction(満足)から生まれた造語です。
また地域によっては業販店、協力店、サブディーラーなどと呼ばれる個人経営の整備工場・中古車屋に併設されて販売する店舗が存在し、サニーショップ、サニー協力店と呼ばれていたようです。
当初、サニー店が全国に拡充される1970年頃まではプリンス店でサニーを扱うケースもありました。
70年代後半~80年代前半には「若いハートの日産サニー」というキャッチコピーを使用し、主力車種のサニー・シルビア・スタンザの3車種で「THE TRIO」というキャッチコピーも使用していました。
また90年代後半には、ニュース、ニュースのサニー店というキャッチコピーを使用していました。
当時の販売チャンネルとしてのホームページはサニーサイドストーリーという名称で展開していました。
ファミリー層向けのポップな雰囲気のホームページとなっており、下記のリンクからご覧頂けます。
・当時の公式サイト
関東近辺での販売会社の例…日産サニー新東京販売・日産サニー東京販売・日産サニー神奈川販売・日産サニー湘南販売・日産サニー埼玉北販売・日産サニー埼玉南販売・日産サニー千葉北販売・日産サニー千葉販売・日産サニー茨城販売・日産サニー水戸販売・日産サニー群馬販売・日産サニー栃木販売
主な取り扱い車種…
60年代…サニー・サニートラック・サニーキャブ
70年代…サニー・スタンザ・シルビア・サニーキャブ(→サニーバネット)・サニートラック
80年代…サニー・スタンザ・サンタナ・シルビア・RZ-1・マーチ・サニーADバン・サニーバネット・サニートラック
90年代…サニー・プリメーラ・セフィーロ・シルビア・プレセア・NXクーペ・ルキノ・ルネッサ・ラシーン・S-RV・ウイングロード・ティーノ・ミストラル・マーチ・キューブ・セレナ・ラルゴ・バネット・AD
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プリンス店
別名:日産プリンス○○、スカイライン販売会社。代表的な車種…スカイライン・グロリア
当時の販売店の一例
1966年に日産に吸収合併されたプリンス自動車の販売店がそのまま引き続がれたもので、スカイラインを中心にスポーティーな車種に強いラインナップでした。広告ではスカイライン販売会社と呼ばれていました。
70年代まではピックアップトラックのジュニアを除いてプリンス自動車から受け継いだ車種がほとんどでした。
80年代以降それまで無かったスカイラインより下の小型車としてラングレーが加わり、またサンタナとプレーリーも加わった他、トラックがそれまで大小でクリッパーとホーマーで分かれていたものが他の販売会社同様アトラスに統合されました。
そして90年代に入ると、車種の統廃合と複数店舗での取り扱い車種増加で販売車種が一気に増えていきました。
なお、ワンボックスカーのホーミーは沖縄では販売されず、代わりに姉妹車のキャラバンが販売されていました。(少なくともキャラバンの姉妹車になってからは確実だが、ホーマーのバンであった初代も同じであったかは不明)。
これはホーミーという名称が沖縄弁で女性器を表す単語に似ているからだと言われています。
なお、プリンス店のみ他の販売会社とは別に全国のプリンス店のみを統括する日産プリンス自動車販売という会社がありました。これは旧・プリンス自動車工業の販売部門の子会社であるプリンス自動車販売が合併に伴い社名変更したものでした。
日産は製造部門と販売部門(以下、工販)が一体であったのに対し、プリンスは別々であったからだと思われます(ちなみにトヨタも以前は工販が別々でした)。
しかし日産とプリンスが合併して20年経った1986年に、日産本体の販売部門に統合されて消滅してしまいました。
このように元々別会社で吸収後も独自性が強かったためか、現在でも多くのプリンス系販売店は合併せずに残っており、有り得ないでしょうが仮にプリンス店復活!ということになってもやって行けるぐらいの数はあるのでは無いかと思いますww
このプリンス自動車販売→日産プリンス自動車販売の本社は東京都港区三田に存在し、プリンス時代の1962年に建てられた8階建ての立派な本社ビルがありました。
このビルは日産との合併後も使用され、恐らく1986年の合併時に取り壊されたと思われます。(80年代に撮影されたと思われるラングレーと書かれた看板がある写真があるので)
プリンス自動車販売→日産プリンス自動車販売の本社ビルの跡地と思われる場所の写真。現在では駐車場になっている。
余談ですが、このプリンス自動車販売跡地の近くにはFCA(フィアット・クライスラー)の日本法人が入居するビルと三菱自動車の本社ビルがあったりします…
当時は三菱と提携することになるとは誰も思わなかったはず…
独自性の強いディーラーらしく他の販売チャンネルにはない多くの特徴がありました。
*ディーラー単体で月刊の広報誌が存在し、60年代からレッドステージ発足まで長きに渡り配布されていました。
当初、プリンス自動車時代(開始時期は不明)~ハコスカまでは「カートピックス」という名称でした。
そしてスカイラインがケンメリにモデルチェンジした際に「PRINCE」という名称に変わり、少なくともR32の時代まで長きに渡り存在したと思われます。
その後90年代に入ると「日産プリンスライフ」に改名し、レッドステージ発足まで存在しました。
*70年代から90年代にかけてはオリジナルのアパレルブランドを展開しておりディーラーで販売していました。
70年代中頃のケンメリや330グロリアの時代には、「Ken&Merry」や「Adults Groria」(330の当時のキャッチコピーであるアダルトのグロリアに由来)と書かれたTシャツやキャップ、バッグなどを豊富に揃え、ディーラーで販売していました。
その後80年代後半から90年代のR31~R32の時代には「P'COLLECTION」というブランドを展開していました。
*70年代後半のケンメリ~ジャパンの時代のディーラー総合カタログの表紙には必ず「こんにちは あのスカイラインの日産プリンス○○です」と書かれていました(○○には販売会社名が入る)
*89年~90年頃には「SPIRIT OF SPORTS」というキャッチコピーを使用し(「私はプリンス、スポーツロードを独占します」というのも併用)、R32スカイライン・Z32フェアレディZ・180SX・Y31グロリアグランツーリスモといったスポーティな車種を全面に押し出した広告展開を行っていました。
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*90年から92年には毎年夏と冬に「プリンスの夏」・「プリンスの冬」というキャッチコピーのCMを流していました。女優の高橋リナさんが起用され、スカイラインGT-Rと180SX、そして愛について視聴者に問いかけた後、「星が綺麗なら、明日、日産プリンスに行きませんか。」と問いかけるような内容でした。
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*97年頃からレッドステージ発足まで歌手の相川七瀬さんを起用したCMを流し、スポーティーな車種に強いラインナップをアピールしていました。この時期には日産プリンス、いい走り、いい生き方。というキャッチコピーを使用していました。
当時の販売チャンネルとしてのホームページはそのままプリンスという名称で、スカイラインのスポーティなイメージを全面に押し出したものとなっていました。下記のリンクでご覧頂けます。(注:音が出ます)
・当時の公式サイト
関東近辺での販売会社の例…日産プリンス東京販売・日産プリンス多摩販売・日産プリンス神奈川販売・日産プリンス千葉販売・日産プリンス埼玉販売・日産プリンス群馬販売・日産プリンス栃木販売・日産プリンス茨城販売
主な取り扱い車種…
60年代…スカイライン・グロリア・スカイウェイ・マイラー・クリッパー・ホーマー・ホーミー・ライトコーチ
70年代…スカイライン・グロリア・ジュニア・クリッパー・ホーマー・ホーミー・ライトコーチ
80年代…スカイライン・グロリア・サンタナ・ラングレー・プレーリー・レパード・サファリ・ホーミー・アトラス
90年代…スカイライン・グロリア・シーマ・プリメーラ・ステージア・180SX・フェアレディZ・パルサー・S-RV・マーチ・キューブ・ラシーン・プレーリー・ティーノ・ウイングロード・アベニール・ミストラル・サファリ・エルグランド・ラルゴ・セレナ・バネット・AD・ホーミー・アトラス
・
チェリー店
別名:日産チェリー○○、パルサー販売会社。代表的な車種…チェリー→パルサー
当時の販売店の一例
1970年に日産初のFF車である小型車、チェリーの発売に併せ、同時期に日産の子会社であった愛知機械工業が自社ブランドで展開していたコニーという軽自動車の生産・販売から撤退したことを受けて、それまでのコニー販売店・日産コニー店をチェリー店に転換したものでした。広告ではパルサー販売会社と呼ばれていました。
なお、コニー販売店は1965年の愛知機械工業の日産グループ入りに伴い日産コニー店へ転換し、各地の販売店も社名を○○コニーから日産コニー○○販売へ変更しています。
この時期には一部の販売店では既存の日産車と併売したり、あるいは逆に既存の日産販売店でコニー車を販売するケースも見られたようです。
またチェリー店は一部の地域には存在せず、その場合は他の系列のディーラーでチェリー店取り扱い車種を販売しており、チェリー事業部という部門を設けた販売会社も存在しました。
コニーブランドで展開されていた軽自動車の一つ、コニー・グッピー。軽自動車のピックアップでおもちゃのようなデザインは今見ても中々の物だが販売不振で僅か1年しか製造されなかった。
コニー販売店から転換したチェリー店はまず、チェリーと貨物車のチェリーキャブ(後のバネット)からスタートし、その後1973年に上級車種として日産店との併売である中型セダンのバイオレットを追加されます。
そして4年後にバイオレットがフルモデルチェンジすると日産店の専売となり、穴の空いたチェリー店には姉妹車のオースターが追加されました。
翌1978年にはチェリーが3代目にフルモデルチェンジする際にパルサーへと車名変更し、チェリーキャブもチェリーバネットへ車名変更しており、主力車種2車種が一気に車名変更してイメージアップを図ります。さらに80年代に入ると高級車のレパードTR-Xも加わりました。
なお、チェリーがパルサーに車名変更しても店名のチェリー店は変わらないまま、パルサー販売会社と呼ばれていました。上記の通り店の看板もパルサーを前面に押し出したものになっていました。
しかし、コニー時代から続く経営的に苦しい状況は変わることなく、各地でチェリー店が他の系列に統合されるケースが相次いだためか1990年頃にプリンス店と取り扱い車種が共通化されてしまいました。
その後も一応形としては1999年まで残りましたが、この時点で事情上消滅したと考えても良いと思います。
なお、コニー時代からの名残で業販店、協力店、サブディーラーなどと呼ばれる個人経営の整備工場・中古車屋などに併設されて販売する店舗が存在し、これらの中には現在でも日産の販売店として営業を続けているところもあります。
また岩手県に存在する日産チェリー岩手販売は先程のような個人経営の店舗を除く正規のディーラー・販売会社の中では唯一現在も残っている事例です。
またチェリー店の無い一部地域では既存の他の販売チャンネルの販売会社で取り扱っており(地域によって異なる)、その場合はチェリー事業部という形で展開している例もありました。
80年代のレパードTR-X登場辺りからは「世界のパルサー販売」というキャッチコピーを使用し、欧州で人気を博したパルサーを全面に押し出した広告展開を行っていました。
関東近辺での販売会社の例…日産チェリー東京販売・日産チェリー神奈川販売・日産チェリー千葉販売・日産チェリー埼玉販売・日産チェリー群馬販売・日産チェリー栃木販売・日産チェリー茨城北販売・日産チェリー茨城南販売
主な取り扱い車種…
70年代…チェリー、チェリーキャブ、バイオレット
80年代…パルサー、チェリーバネット、パルサーADバン、マーチ、オースター、レパードTR-X
・
日産ディーゼル店(現:UDトラックス販売店)
別名:○○日産ディーゼル、日産ディーゼル販売会社。代表的な車種…コンドル・大型トラック/バス
その名の通り当時日産の子会社だった大型車メーカー、日産ディーゼル(通称UD、現・UDトラックス)の販売店でした。
日産の総合カタログには2000年代中頃まで最後の方のページに日産ディーゼルと日産フォークリフトの車種が掲載されており、同列に扱われ、日産ディーゼルの店舗に日産車のカタログが置かれて販売していた事例もありました。
また70年代までは大型事業部と称して日産店の販売会社が直接、日産ディーゼルの店舗を経営していた事例もあるようです。他にもかつて日産自身が大型トラック/バスを扱っていたことでそれらの後継として日産店でUD車を扱っていた事例も70年代までありました。
1953年に当時の民生デイゼル工業に資本参加して以来50年以上日産は親会社でしたが、90年代には親会社同様経営不振に苦しみ、ゴーンによるリストラでスウェーデンのボルボに売却されてしまいました。
その後しばらくはアトラス10→コンドル10でのOEMなどで提携が継続されていたものの、2010年にUDトラックスに社名変更してからはボルボ色がさらに強まり、最後まで残ったアトラスのOEM供給も終了したことから提携解消したと思われます。
関東近辺での販売会社の例…関東日産ディーゼル・東海日産ディーゼル・群馬日産ディーゼル・栃木日産ディーゼル
・
フォークリフト店(現:ユニキャリア販売店)
別名:フォークリフト販売会社。
かつて日産にはフォークリフト部門もあり、その販売店でした。店舗の少ない地域などでは日産店・モーター店でフォークリフトを扱っている例もありました。
割と最近の2010年まで社内の一事業部として残っていましたが、2010年に子会社の日産フォークリフトとして独立した後、輸送機器メーカーTCMのフォークリフト部門と統合の上新会社のユニキャリアへ移行しました。
この際にブランドを日産・TCMからユニキャリアへと変更し、資本関係は無いものの日産と縁の深い高田工業への委託生産も終了しました。
なお高田工業はシルビアヴァリエッタやプレジデントリムジンなどの生産でも知られている特殊車両・自動車部品のメーカーです。
その後さらにユニキャリアはニチユ三菱フォークリフト(輸送機器メーカーのニチユこと日本輸送機が三菱重工の傘下になった)と合併し、三菱重工グループのロジスネクストユニキャリアとなり今に至ります。
しかし日産との縁が無くなった現在でも昔の名残で、日産の販売店でユニキャリアのフォークリフトを扱う例はあるようです。
・
マリーン販売会社
日産にはマリーン部門(モーターボート)もありました。1995年に日産マリーンとして分社化されこちらも割と最近の2015年まで継続していましたが、この年を持って製造を終了し、製造していた大分の工場とアフターサービスをニュージャパンマリンという企業に売却しています。
なお、他の系列のように○○店と○○販売会社の2種類があったかどうかは確認出来ておらず○○販売会社の方での呼び方のみ判明しているのでこの名称で表記しています。
*車種別の取り扱い販売店一覧
販売店別に年代ごとの取り扱い車種を取り上げましたが、ここでは逆に車種ごとの取り扱い販売店を解説します。なお1999年の販売店統合までに登場した車種のみを掲載しております。
またプリンス店は1966年の日産と合併後の販売車種のみ、チェリー店は1990年頃のプリンス店との販売車種共通化以前の販売車種のみとなっております。
・小型車
*マーチ...サニー店・チェリー店・日産店(K10のみ3店での販売・K11からは全店)
*キューブ...全店
*ティーノ...サニー店・プリンス店
*ウイングロード...サニー店・日産店・プリンス店
*チェリー...チェリー店
*パルサー...チェリー店・日産店(1990年頃より)・プリンス店(1990年頃より)
*リベルタビラ…日産店
*ラングレー...プリンス店
*サニー...サニー店
*ローレルスピリット...モーター店
*プレセア...モーター店・サニー店
*ルキノ...サニー店
*Be-1...全店
*パオ...全店
*フィガロ...全店
・中級セダン/ハッチバック/ワゴンなど
*ブルーバード…日産店(バンのみモーター店でも取り扱い)
*バイオレット…日産店・チェリー店(710のみ)
*オースター…チェリー店
*スタンザ...サニー店
*サンタナ...サニー店・プリンス店・ヤナセ
*パサート(VW製・サンタナ後継)…サニー店・プリンス店・ヤナセ
*マキシマ…日産店
*プリメーラ...プリンス店・サニー店(P10のみ)
*プリメーラカミノ...サニー店
*ローレル...モーター店
*セフィーロ...日産店・サニー店
*アベニール...日産店・モーター店・プリンス店(1997年のプリメーラワゴン登場まで)
*ステージア...モーター店・プリンス店
*クルー...日産店・モーター店
・高級車
*レパード...日産店・チェリー店(F31のみ)・プリンス店(1990年頃より/F31のみ)・サニー店(Y33のみ)
*レパードJフェリー...日産店
*レパードTR-X...チェリー店
*セドリック...モーター店
*グロリア...プリンス店
*シーマ...モーター店・プリンス店
*インフィニティQ45...モーター店
*プレジデント...日産店
・スポーツ
*NXクーペ...サニー店
*エクサ...チェリー店
*シルビア...サニー店・モーター店(S13以降)
*ガゼール...モーター店
*180SX...プリンス店・チェリー店
*RZ-1...サニー店
*フェアレディ...日産店
*フェアレディZ...日産店・プリンス店(Z32以降)
・SUV
*パトロール...日産店
*サファリ...日産店・モーター店・プリンス店
*テラノ...日産店
*テラノレグラス...モーター店
*ミストラル...サニー店・プリンス店
*ラシーン...全店
*S-RV...サニー店・日産店・プリンス店
*ルネッサ...日産店・サニー店
・ミニバン
*プレーリー...モーター店・プリンス店
*セレナ...サニー店・日産店・プリンス店
*ラルゴ...サニー店・日産店・プリンス店
*クエスト…ごく一部の販売店(系列は関係無し・オーテックによる少量輸入車のため特殊な販売形態を取っていた)
*エルグランド...モーター店・プリンス店
*プレサージュ...日産店
*リバティ…モーター店・プリンス店
・バン/ピックアップなど
*AD...チェリー店・サニー店・日産店・プリンス店(1990年頃より)
*エスカルゴ...全店
*サニーキャブ...サニー店
*チェリーキャブ...チェリー店
*バネット...チェリー店・サニー店・日産店(1980年より)・プリンス店(1990年頃より)
*ダットサントラック...日産店
*キャラバン...モーター店
*ホーミー...プリンス店
*ジュニア...モーター店・プリンス店
*スカイウェイ...プリンス店
*マイラー...プリンス店
・トラック/バス
*キャブライト...日産店
*キャブオール...日産店
*キャブスター...モーター店
*クリッパー...プリンス店
*ホーマー...プリンス店
*アトラス...日産店・モーター店・プリンス店
*パラメディック...日産店・モーター店・プリンス店
*エコー...日産店
*ライトコーチ...プリンス店
*シビリアン...日産店・モーター店
*大型トラック/バス...日産店
*当時のホームページ
・統合寸前の頃の販売チャネル別ホームページ一覧
↑1999年当時の販売チャネル別のホームページの一覧のアーカイブです。
*統合後の販売店
1999年、ルノーと提携し少し前に逮捕され今もなおお茶の間を騒がせているゴーン会長がやってきたのがこの年でした。
前述の通り、この年の4月に日産は販売店の整理を行い
レッドステージ と
ブルーステージ の2種類になりました。その後両方の取り扱い車種を扱うレッド&ブルーステージも発足しました。
この2チャンネル体制の時代には、グッドニュースは日産のお店からというキャッチコピーを使用していました。
実際に看板の取り替えが本格的に始まったのは2000年からで、それまで暫定的に看板はそのままに取り扱い車種を共通化していました。
そのためCM等でも発足した1999年のみレッドステージはスカイライン・サニー販売会社、ブルーステージはブルーバード・ローレル販売会社と紹介されていました。
・
レッドステージ
発足当時の販売店の一例
プリンス店・サニー店・チェリー店を統合して発足しました。太陽をイメージした円形のマークと赤い看板が特徴です。これに伴いプリンス店向けのプリメーラとサニー店向けのプリメーラカミノで分かれていたのがプリメーラに一本化されました。
個人ユーザーに強い3系列(事実上の2系列)を統合したためスポーツカーやRVがブルーステージより充実していました。
その後日産のロゴが変更された2001~2002年頃から、新たに新築・改築・改装した店舗は上記のようなデザインになりました。シルバーのギザギザに立体的な日産のマークが特徴でこれは現在でも引き継がれています。
販売ラインナップの統合で末期には専売車種がサニーとグロリアのみになり、2004年にサニーがティーダラティオへ移行し、グロリアがセドリックと統合でフーガに移行したことで専売車種が無くなりました。
主な取り扱い車種(2001~2002年頃)…
シーマ・グロリア・スカイライン・プリメーラ・サニー・ウイングロード・ステージア・エルグランド・バサラ・セレナ・ティーノ・シルビア・サファリ・マーチ・キューブ・キャラバン・AD・バネット・エキスパート・セドリックセダン/営業車・アトラス
当時のホームページ
・2001年当時のホームページのアーカイブ(販売会社リスト)
・
ブルーステージ
発足当時の販売店の一例
日産店・モーター店を統合して発足しました。空と水をイメージした波形のマークと青い看板が特徴です。法人ユーザーに強い2系列を統合したためセダンや商用車のラインナップがレッドステージより充実していました。
ブルーステージも日産のロゴが変更された2001~2002年頃から、新たに新築・改築・改装した店舗は上記のようなデザインになりました。シルバーのギザギザに立体的な日産のマークが特徴でこれは現在でも引き継がれています。
2004年にセドリックがグロリアと統合でフーガに移行したことで乗用車での専売車種が無くなり、専売車種はタクシー用車両のクルーとマイクロバスのシビリアンのみになりました。
主な取り扱い車種(2001~2002年頃)…
プレジデント・シーマ・セドリック・ローレル・セフィーロ・ブルーバードシルフィ・ステージア・アベニール・ウイングロード・エルグランド・プレサージュ・リバティ・サファリ・テラノ・エクストレイル・マーチ・キューブ・ハイパーミニ・キャラバン・AD・ダットサン・バネット・クルー・エキスパート・アトラス・シビリアン
当時のホームページ
・2001年当時のホームページのアーカイブ(販売会社リスト)
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レッド&ブルーステージ
発足時期は不明ですが2000年代に入ってからだと思われます。主に日産車のシェアが低い地域や過疎地域などに設置され、日産の全車種を購入することが出来ました。
*その他
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日産アプリーテ
バブル期に設けられたごく一部の大型店舗の名称で、かなりの台数を展示出来るショールームを持ち、5チャンネル体制の時代から全車種を取り扱っていました。
小文字で「aprite!」と書かれ、背後に緑色の逆三角形があるマークが特徴でした。
荻窪工場の跡地にあったアプリーテ荻窪が有名でしたが現在は閉鎖されており存在しません。しかし現在でも千葉県、愛知県、栃木県には僅かではありますが現在でも日産の店舗の一つとして名前が残り、現存しています。
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日産カレスト
1999年以降に設置された大型店舗の名称ですがカレスト座間とカレスト座間の2店舗のみが設置され、うち後者は閉店したため現在は1店舗のみとなっています。
オレンジ色のロゴが特徴でカレストベアと呼ばれる熊のキャラクターもいました。上の画像で車に乗っているのがカレストベアです。
ルノー車や用品のコーナーもありました後に消滅しています。旧車イベントなども開催されることがある他、カレスト幕張にはホールやカフェまでありました。
・店舗のデザインについて
イラストで説明した5つの販売店に分かれていた時代のデザインについては日産のロゴが変更された1983年頃より使われ始めました。
プリンス店・チェリー店については独自のデザインですがそれ以外は当時の日産のコーポレートカラーである赤・白・青のトリコロールカラーのラインが入ったデザインとなっていました。
↑1983年以前の販売店の一例
それ以前の旧デザインの販売店の看板にもトリコロールが入ったデザインでしたが、大々的にトリコロールを押し出した看板の店舗から本当に小さな看板を設置しているだけの店舗まで存在するようで、統一されたデザインが無かった可能性がありますが資料不足のため詳細は不明です。
また90年代に入って新築・改築・改装された店舗の一部は上記の通りにトリコロールのラインが簡略化されたものになっていました。余談ですが90年代後半に建てられた日産の販売店は何故か三角屋根になっている店舗が多いです。
レッドステージとブルーステージの看板のデザインはブラビス・インターナショナルというデザイン会社による物です。前述の通り2001~2002年頃からは看板のデザインが一部変更されています。
・現在
車種の統廃合が進んだことから、2007年にレッドステージ・ブルーステージ・レッド&ブルーステージの3系列が統合されて一本化されました。同じように一本化されたホンダのホンダカーズのように特定の名称は持っていません。
基本的に日産の全車種を購入することが出来るようになったため、今まであった取り扱い車種の一覧の看板は原則設置されません。ただしレッドステージ・ブルーステージ時代の取り扱い車種の一覧の看板が残っているケースは結構あります。またNISSANと書かれた看板も旧ブルーステージの店舗では青いままの場合があります。
ただしGT-Rのみ、日産ハイパフォーマンスセンターと呼ばれる専門のメカニックがいる店舗でないと販売・サービスがありません。
また2018年以降、このようなデザインに変更された店舗も増えてきています。
「ニッサン・リテール・コンセプト(NRC)」と呼ばれる世界共通の新しい販売店デザインで、黒ベースの落ち着いたデザインが特徴です。今後は国内外問わず順次変更されていくものと思われます。
今のようにどこ行っても基本的に同じようになっているというのは分かりやすいという意味では良いですが、昔は5つの系列が競い合い、さらに3つの他の部門も巻き込んで豊富なラインナップを形成していた訳ですからそれに比べると寂しさはありますね…
<追記>
日産アプリーテや日産カレスト、店舗のデザインに関する記述、車種別の取り扱い販売店一覧を追加しました。
新しい販売店デザインのNRCのイラストや5チャンネル時代の公式サイトのアーカイブへのリンク、コニー店の記述などを追加しました。