今回は関東地区の日産販売会社の変遷についてまとめていきたいと思います。その他の地域も順次アップしていく予定です。
なおその他の地域については下記のリンクで飛べます。
・北海道地区
・東北地区
・関東地区
・甲信越/北陸地区(制作中)
・東海地区(制作中)
・関西地区(制作中)
・中国地区(制作中)
・四国地区(制作中)
・九州/沖縄地区(制作中)
かつて日産には日産店・モーター店・サニー店・プリンス店・チェリー店の5つの販売チャンネルが存在し、1999年以降は日産店・モーター店がブルーステージ、サニー店・プリンス店・チェリー店がレッドステージに統合されました。
しかし現在では全て1つの販売チャンネルとなっています。
これらの販売チャンネル別に各都道府県に販売会社の数も存在したのでその変遷について各都道府県ごとに解説します。またチェリー店の前身であるコニー店の販売会社についても載せてある場合があります。
なお販売チャンネルや店舗デザインの変遷については過去にアップしているので、下記のリンクの記事をご覧ください。
:日産の販売店の歴史
今回の記事の制作にあたっては過去の総合カタログやディーラーのパンフレット、各ディーラーの公式サイトのウェブアーカイブ、各ディーラーの公式サイトの所有権解除の項目に書かれた旧社名などを参考にしました。資料が少ないためここに書いてあること以外にご存知の方がいれば情報提供してくださると有り難いです。
なお1999年のレッドステージへの再編の際に旧サニー店は1999年のレッドステージへの移行の際に、旧サニー店は社名が日産サニー○○から日産サティオ○○へ変わっています。サティオというのはSatisfaction(満足)から生まれた造語です。また旧サニー店・サティオ系販売会社のみ正式社名が前株となっています。
現存する販売会社は各販売会社名の文字のリンクをクリックすると公式サイトへ飛びます。また現存しない販売会社で2001年時点ではまだ残存していた場合、当時の公式サイトのアーカイブへのリンクを掲載しています。
これらの動画には70年代後半の関東地区の日産販売会社のラジオCMが多く入っています。
なお関東地区ではプレジデント・インフィニティQ45・シーマを本来の販売チャンネルでは無いにもかかわらず例外的に取り扱っていた販売会社が存在したため、これらの事例は太字としています。
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・茨城県
【現存する販売会社】
:
茨城日産自動車
旧:日産店(ブルーバード販売会社)・ブルーステージ。1946年11月25日設立。
持株会社の茨日ホールディング傘下となっています。なお合併した旧:日産サティオ茨城の店舗には現在でもサティオの名称がついています。
:
日産プリンス茨城販売
旧:プリンス店(スカイライン販売会社)・レッドステージ。1960年9月21日設立。
【現存しない販売会社】
:水戸日産モーター
旧:モーター店(ローレル販売会社)。
年月不明(90年代・ブルーステージ発足前)に茨城日産自動車と合併。末期の90年代には「マーチからインフィニティQ45まで、あなたのカーライフをもっと素敵に」というキャッチコピーが使われていました。
:日産サティオ茨城(旧:日産サニー茨城販売)。1965年3月設立。
旧:サニー店(サニー販売会社)・レッドステージ。
年月不明に茨城日産自動車と合併。中古車展示場にはサンプラザの名称を用いていました。前述した通り合併した旧:日産サティオ茨城の店舗には現在でもサティオの名称がついています。
・2001年当時のホームページのアーカイブ
:日産サニー水戸販売
旧:サニー店(サニー販売会社)。
年月不明に日産サニー茨城販売と合併。
:日産プリンス土浦販売
旧:プリンス店(スカイライン販売会社)。
詳細不明。
:日産チェリー茨城販売
旧:コニー店(後のチェリー店・チェリー販売会社)
1965年以降に日産コニー茨城販売へ改名します。そして1970年頃に日産チェリー茨城販売へ改名されています。
茨城県内には日産チェリー茨城北販売・日産チェリー茨城南販売・日産チェリー茨城販売と3つのチェリー店の販売会社が存在していたようですがこの3社の関係など詳細については不明な部分が多いです。
ただし日産チェリー茨城南販売については茨城いすゞ傘下だったので関係は薄いと思われます。
:日産チェリー茨城北販売
旧:チェリー店(チェリー販売会社)
詳細不明。法人格としては現在の茨城日産自動車。
:日産チェリー茨城南販売
旧:チェリー店(チェリー販売会社)。1971年9月設立。
茨城いすゞ自動車の傘下。1996年、会社清算により解散。
:日産北茨城販売
詳細不明。年月不明に茨城日産自動車に合併。
・栃木県
【現存する販売会社】
:
栃木日産自動車販売
旧:日産店(ブルーバード販売会社)・ブルーステージ。1943年2月13日設立。
:
日産プリンス栃木販売
旧:プリンス店(スカイライン販売会社)・レッドステージ。1954年5月16日設立(商号変更に伴い登記上は1966年6月20日設立)。
栃木プリンス販売として設立した当初は三井物産による栃木県内のプリンス車の代理店でしたが、1966年の日産自動車とプリンス自動車の合併に伴い日産自動車直営となりました。1990年より宇都宮市にニスモパドック栃木と呼ばれるディーラーを持っていましたが、現在は閉鎖されています。
【現存しない販売会社】
:宇都宮日産モーター
旧:モーター店(ローレル販売会社)・ブルーステージ。1958年4月1日設立。
・2001年当時のホームページのアーカイブ
:日産サニー宇都宮販売
旧:サニー店(サニー販売会社)
詳細不明。
:日産サティオ栃木(旧:日産サニー栃木販売)
旧:サニー店(サニー販売会社)・レッドステージ。
・2001年当時のホームページのアーカイブ
:日産チェリー栃木販売
旧:チェリー店(チェリー販売会社)
年月不明に栃木コニー自動車として設立され、1965年以降に日産コニー栃木販売へ改名します。そして1970年頃に日産チェリー栃木販売へ改名されています。
当時は「みなさまと共に歩む」というキャッチコピーを使用していました。
・群馬県
【現存する販売会社】
:
群馬日産自動車
旧:日産店(ブルーバード販売会社)・ブルーステージ。1937年12月1日設立(持株会社化に伴い登記上は2012年4月設立)。
1925年にフォード車の輸入会社として設立し、1937年に群馬日産自動車として日産ディーラーに商号変更しました。戦時中の群馬県内の自動車配給会社の群馬県自動車配給となりますが、戦後は再び日産ディーラーとして再出発して現在に至ります。
2012年をもって群馬日産自動車・群馬日産ディーゼル&ロジスティクス(元・日産グループのUDトラックス・ユニキャリアフォークリフトの販売会社)・日産部品群馬販売株式会社で構成されるGNホールディングスの傘下となっています。
また大型店舗にはゆうタウンという名称を用いています。ステッカーは頭文字をとってGNのロゴが入ったものを長年に渡りを使用しています。
:
日産サティオ群馬 (旧:日産サニー群馬販売)
旧:サニー店(サニー販売会社)・レッドステージ。1966年5月13日設立。
:
日産プリンス群馬販売
旧:プリンス店(スカイライン販売会社)・レッドステージ。1956年4月21日設立。
【現存しない販売会社】
:群馬日産モーター
旧:モーター店(ローレル販売会社)・ブルーステージ。1959年設立。
1959年に群馬日産自動車から独立して設立しました。1987年に前橋日産モーターから群馬日産モーターに変更しています。2001年4月1日をもって群馬日産自動車と合併しました。本社はドームタウン前橋という名称がつけられた大型店舗となっていました。
・2001年当時のホームページのアーカイブ
:日産チェリー群馬販売
旧:チェリー店(チェリー販売会社)
年月不明に群馬コニー自動車として設立され、1965年以降に日産コニー群馬販売へ改名します。そして1970年頃に日産チェリー群馬販売へ改名しています。
チェリー店の中でもかなり遅くまで残っており、消滅したのは1995年以降だと思われます(N15パルサーの広告を確認出来ているので)。
:日産オート群馬販売
詳細不明。
・埼玉県
【現存する販売会社】
:
埼玉日産自動車
旧:日産店(ブルーバード販売会社)・ブルーステージ。1943年2月21日設立。
現在は埼玉県内の日産の部品販売や車検場を傘下に置くサイニチホールディングス傘下となっています。
全国の共通のステッカーに移行しつつある中、現在でも昔から変わらないオリジナルの楕円形のステッカーのままとなっています。またさいにち君というマスコットキャラクターもいます。
90年代のラジオCMにはオリジナルのサウンドロゴを使用していました。
:
日産サティオ埼玉北 (旧:日産サニー埼玉北販売)
旧:サニー店(サニー販売会社)・レッドステージ。1966年4月1日設立。
:
日産サティオ埼玉 (旧:日産サニー埼玉販売)
旧:サニー店(サニー販売会社)・レッドステージ。1966年4月1日設立。
2012年4月2日より愛知県に本社を置き、多くのメーカーの自動車ディーラーの持株会社であるVTホールディングス(株)のグループとなっています。
:
日産プリンス埼玉販売
旧:プリンス店(スカイライン販売会社)・レッドステージ。1954年7月7日設立。
70年代にはパンフレット類に県花であるサクラソウのイラストが入ったものを使用していました。
【現存しない販売会社】
:埼玉日産モーター株式会社
旧:モーター店(ローレル販売会社)・ブルーステージ。1948年設立。
年月不明に埼玉日産自動車と合併。設立当初は友愛自動車という社名でした。
・2001年当時のホームページのアーカイブ
:日産チェリー埼玉北販売
旧:チェリー店(チェリー販売会社)
詳細不明。
:日産チェリー埼玉販売
旧:チェリー店(チェリー販売会社)
年月不明に埼玉コニーとして設立され、1965年以降に日産コニー埼玉販売へ改名します。そして1970年頃に日産チェリー埼玉販売へ改名しています。
:日産サニー埼玉南販売
旧:サニー店(サニー販売会社)
年月不明(90年代?)に埼玉日産自動車に合併。
・千葉県
【現存する販売会社】
:
株式会社CNホールディングス
2009年以降、千葉県内の日産販売会社は直営の日産サティオ千葉を除いて全て傘下となっており、以下の3社も全て傘下となっています。
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千葉日産自動車
旧:日産店(ブルーバード販売会社)・ブルーステージ。1942年9月設立。
戦時中の千葉県内の自動車配給会社の千葉県自動車配給として設立され、戦後に日産自動車の販売店へと変更されました。
*
日産プリンス千葉販売
旧:プリンス店(スカイライン販売会社)・レッドステージ。1956年4月設立。
かつてはR31・R32のスカイラインでスーパー耐久に出場しクラス優勝もしたこともあります。また以前は「now racing soul」というキャッチコピーを使用し、ステッカーにも書かれていました。
*
日産サティオ千葉北 (旧:日産サニー千葉北販売)
旧:サニー店(サニー販売会社)・レッドステージ。1969年4月設立。
1969年に日産プリンス千葉販売のサニー部門が独立して設立され、これ以前はプリンス店でサニーを販売していたと思われます。
習志野・野田といった千葉県北西部をエリアとしています。
:
日産サティオ千葉 (旧:日産サニー千葉販売)
旧:サニー店(サニー販売会社)・レッドステージ。1966年4月1日設立。
千葉県中央部・南部にサニー店→レッドステージを展開し、CNホールディングス傘下にはならず現在も日産自動車直営のディーラーとして展開しています。
【現存しない販売会社】
:千都日産モーター
旧:モーター店(ローレル販売会社)・ブルーステージ。1956年10月1日設立。
千都と書いて「せんと」と読みます。2005年10月をもって千葉日産自動車と合併。
・2001年当時のホームページのアーカイブ
:日産チェリー千葉販売
年月不明に千葉コニーとして設立され、1965年以降に日産コニー千葉販売へ改名します。そして1970年頃に日産チェリー千葉販売へ改名しています。
1991年にY32シーマが登場して以降、
全国のチェリー店の中で唯一シーマを例外的に取り扱っていました。 チェリー店の中でも比較的遅くまで残りましたが1997年をもって日産プリンス千葉販売と合併しています。
:日産チェリー市原販売
詳細不明。
・東京都
【現存する販売会社】
:
日産東京販売ホールディングス
2011年以降、東京都内の日産販売会社は日産自動車販売(旧:日産特販)を除いて全て日産東京販売ホールディングスの傘下となっており、以下の3社も全て傘下となっています。2004年に東京日産が持株会社に移行し、さらに2011年に大規模な再編が行われて日産プリンス東京販売・日産プリンス西東京販売が傘下入りし、法人販売向け店舗を日産自動車販売に移管しています。
なお、ホールディングス化する前から日産東京販売会社グループ、日産東京会といった名称でグループとなっていました。
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東京日産自動車販売
旧:日産店(ブルーバード販売会社)・ブルーステージ。1942年11月16日設立(持株会社化に伴い登記上は2004年4月設立)。
戦時中の東京府内の自動車配給会社の東京府自動車配給として設立され、戦後に日産自動車の販売店へと変更されました。東京全域に新車34店舗、中古車3店舗を展開しています。
かつては六本木に自社ビルを構え、自動車教習所の「東京日産ドライビングカレッジ」や、フォードの販売店である「フォード東日」、ジャガーの販売店の「ジャガー東京」も運営していましたが、現在では全て売却・撤退しています。
本来はモーター店でしか取り扱っていないインフィニティQ45は東京・大阪限定で日産店でも取り扱っていたため、この東京日産でも取り扱っていました。
またかつてはラジオCMにオリジナルのCMソングを使用していました。このCMソングは1991年に新バージョンに変更されました。
かつて1社提供でニッポン放送にて放送していた「東京日産 朝の発言」という番組です。1977年のもので810ブルーバードと思われるCMも流れています。なおググっても他に情報が無かったため番組の詳細は不明です…
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1988年当時のラジオCMです。前述のCMソングの旧バージョンが用いられたCMとなっています。
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1991年当時のラジオCMです。前述の新CMソングが用いられています。
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1994年当時のラジオCMです。前述の新CMソングが用いられています。
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日産プリンス東京販売
旧:プリンス店(スカイライン販売会社)・レッドステージ。1968年6月1日設立(分割に伴い登記上は2006年4月設立)。
1968年に都内のプリンス店の合併により設立され、東京都23区を中心に新車44店舗、中古車11店舗を展開しています。各項目にて後述しますが日産サティオ東京、東京日産モーターを吸収合併しています。大型店舗にはP'sステージという名称を用いています。
また直営でモータースポーツ室と呼ばれる部門・店舗を運営しており、チューニングやリフレッシュ、NISMOなどのカスタマイズパーツの販売や走行会などのイベントも開催しています。
また以前はルノーディーラーも2店舗運営していましたが現在はルノーNT販売という別会社に移管しています。さらにBMWディーラーのプリンツモトーレンも運営していました。
同社が経営する店舗のうち、池上店は日産と合併する前のプリンス自動車時代に建設された店舗を現在でも使用しています。
以前(昭和時代)に使用していたステッカーはNの中にPが入ったものでした。なおこのデザインのステッカーは他地域でも使われていたことがあります。
また90年代には「響きあう、君と僕 Being Active」・「FOR EACH TOMORROW」というキャッチコピーが制定されており、これらが書かれたステッカーも存在しました。
これらのステッカーは現在でもマニアに人気があり、上記のモータースポーツ室において現在でも一部はグッズとして販売されています。
1970年代にはオリジナルのCMソングが存在し、
「今日会う人はどこの人 今日見る顔はどんな顔 この街東京 この街東京 人の数だけ夢があり 夢の数だけ道がある~ 日産プリンス東京~」 という歌詞でした。歌っているのはトワ・エ・モアのお二人(山室英美子さんと芥川澄夫さんのデュエット)だそうですが、詳細は不明です…
また90年代後半には上記の「FOR EACH TOMORROW」のキャッチコピーが入った、「FOR EACH TOMORROW プリンス東京」というオリジナルのサウンドロゴを使用していました。
1978年当時のラジオCMです。オリジナルのCMソングが用いられています。1分バージョンもあったようでこれは上記のCM集にあります。
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1991年当時のラジオCMです。中古車の案内となっています。
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日産プリンス西東京販売 (旧:日産プリンス多摩販売)
旧:プリンス店(スカイライン販売会社)・レッドステージ。1956年10月11日設立(合併に伴う登記上は2001年10月設立)
かつては日産プリンス多摩販売という名称でしたが、2001年に東京都内のレッドステージの再編が行われ日産サティオ東京の多摩地区の店舗を継承したことにより現法人に移行し、社名も日産プリンス西東京販売に変更されました。その後2006年に東京日産モーターの多摩地区の店舗を継承しています。
東京都多摩エリアを中心に新車35店舗中古車8店舗を展開しています。 大型店舗にはレッドステーションという名称を用いています。またモンキーロード多摩という大型中古車店舗を展開していましたが現在はレッドステーションに統合されています。
また以前はルノーディーラーも2店舗運営していましたが現在はルノーNT販売という別会社に移管しています。ステッカーは以前は筆文字のようなもので書かれたアルファベットのものを使用していました。
・2001年当時のホームページのアーカイブ(日産プリンス多摩販売)
:
日産自動車販売 (旧:日産特販・日産フリート)
旧:日産店(ブルーバード販売会社)・レッド&ブルーステージ。1981年5月設立。
東京都・神奈川県の法人(主にハイヤー・タクシー)主体の販売会社として設立され、2007年に関西地区で同様の展開を行っていた日産キャブ販売と合併しています。2008年に札幌・名古屋・福岡の法人営業店舗を継承して日産フリートに社名変更しています。
その後2011年の再編によって現社名に変更し、東京日産自動車販売・日産プリンス東京販売・日産プリンス西東京販売の法人需要の多い都心部の店舗を移管して一般のディーラーとしての展開も始めています。
日産特販時代には上級タクシーやハイヤー向けに特別仕様車で装備を充実させたY31セドリックセダンSパッケージ、ワゴンタクシー用のルネッサタクシー、ハイヤー向けのエルグランドハイヤーといった独自の改造車も販売していました。
・2001年当時のホームページのアーカイブ
【現存しない販売会社】
:東京日産モーター
旧:モーター店(ローレル販売会社)・ブルーステージ。1956年9月設立。
2001年時点で都内54店舗を展開していました。2006年をもって消滅・分割し多摩地区の店舗を日産プリンス西東京販売に、それ以外の店舗を日産プリンス東京販売に吸収・移管されています。
バブル期には「すえながくおつき愛を」「最高級車は、高級車専門販売会社から」といったキャッチコピーを使用し、インフィニティQ45専用の「エグゼクティブ・メンテナンスプログラム」という3年間30万円で消耗品の交換、洗車、サービスダイヤルを自由に行えるサービスも展開していました。
本来は日産店でしか取り扱っていないプレジデントは東京・大阪限定でモーター店でも取り扱っていたため、この東京日産モーターでも取り扱っていました。
ラジオCMをニッポン放送の朝8時頃を中心に放送し、オリジナルのCMソングを用いていました。なおこれらは少なくとも70年代から90年代まで長きに渡り使用していたようです。70年代のバージョンは上記のCM集にあります。
・2001年当時のホームページのアーカイブ
1993年当時のラジオCMです。Y32セドリックのマイナーチェンジのお知らせとなっています。また上記のCMソングを使用しています。
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1996年当時のラジオCMです。Y33シーマ登場のお知らせとなっています。こちらも上記のCMソングを使用しています。
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:東都日産モーター
旧:モーター店(ローレル販売会社)。
1977年3月22日をもって東京日産モーターに合併。
:千代田日産モーター
旧:モーター店(ローレル販売会社)。
詳細不明。
:武蔵野日産モーター
旧:モーター店(ローレル販売会社)。
詳細不明。
:太洋日産自動車販売
旧:モーター店(ローレル販売会社)・ブルーステージ。1983年9月設立。
日通グループによる販売会社で、日通商事の子会社となっていました。2015年をもって日産自動車販売・東京日産自動車販売・日産プリンス東京販売に事業譲渡しています。
譲渡時点では東京都23区内に新車5店舗、中古車2店舗を展開していました。またルノーディーラーも1店舗展開していました。
本来は日産店でしか取り扱っていないプレジデントは東京・大阪限定でモーター店でも取り扱っていたため、この太洋日産でも取り扱っていました。
・2001年当時のホームページのアーカイブ
:西武日産販売
旧:モーター店(ローレル販売会社)・ブルーステージ。1963年9月設立。
セゾングループ/西武百貨店系列による販売会社で、同じセゾングループの自動車販売会社でシトロエンなどの輸入車を取り扱っていた西武自動車販売→新西武自動車販売とは深い関係にあり、同じパンフレットに掲載されることも多かったです。またステッカーにも西武百貨店と同じロゴが入っていました。
本来は日産店でしか取り扱っていないプレジデントは東京・大阪限定でモーター店でも取り扱っていたため、この西武日産でも取り扱っていました。 2001年7月1日をもって東京日産モーターと合併しています。
・2001年当時のホームページのアーカイブ
:東新日産自動車
旧:モーター店(ローレル販売会社)。1968年設立。
日新自動車(現在の株式会社アクセス)・日産自動車・東急日産販売の合弁で設立され、後に新東京日産販売に合併されました。
なお日新自動車は大阪本拠の自動車部品商社で、その大阪においても日新日産モーターの名称でモーター店を運営していました。みづほ自動車興業、タカラ部品と合併して現在の株式会社アクセスへと至っています。
:新東京日産販売
旧:モーター店(ローレル販売会社)。
年月不明に東京日産モーターと合併。80年代まで多摩地区を中心にモーター店を展開しており、1978年時点では10店舗を運営していました。
またオリジナルの鳥のキャラクターが存在してステッカーにも使用されていました。さらにお馴染の楕円に棒の日産マークに英字略称のSTNを入れたマークを使用し、信頼の1台をお届けするというキャッチコピーが使われていました。
本来は日産店でしか取り扱っていないプレジデントは東京・大阪限定でモーター店でも取り扱っていたため、この新東京日産でも取り扱っていました。
:日産サティオ東京(旧:日産サニー東京販売)
旧:サニー店(サニー販売会社)・レッドステージ。1969年設立。
1969年に日産プリンス東京販売のサニー部門が独立して設立され、これ以前はプリンス店でサニーを販売していたと思われます。
2001年10月1日をもって多摩地区の店舗を日産プリンス西東京販売に、それ以外の店舗を日産プリンス東京販売に吸収・移管されています。
90年代には「Activation Sunny Tokyo」というキャッチコピーを使用していました。
・2001年当時のホームページのアーカイブ
:日産サニー新東京販売
旧:サニー店(サニー販売会社)
日産サニー共立販売として設立され、その後日産サニー新東京販売に改名しました。本社は現在の日産プリンス東京販売駒澤店の場所にありました。
年月不明(90年代・レッドステージ発足前)に日産サニー東京販売と合併。
:日産サニー京王販売
旧:サニー店(サニー販売会社)
京王グループによる販売会社で、その中のタクシー会社である京王自動車の子会社でした。合併・消滅などの詳細は不明ですが80年代には既に消滅していたと思われます。
この関係で同社のタクシーは現在に至るまで長らくセドリックが中心となって使用されています。
:日産サニー城北販売
詳細不明。
:日産チェリー東京販売
旧:チェリー店(チェリー販売会社)
年月不明に東京コニーとして設立され、1965年以降に日産コニー東京販売へ改名します。そして1970年頃に日産チェリー東京販売へ改名しました。
1989年に日産プリンス東京販売と合併しています。本社は現在の日産プリンス東京販売中野店の場所にありました。ラジオCMでは日産チェリー東京販売グループの名称でオリジナルのサウンドロゴを使用していました。
:日産プリンス台東販売
旧:プリンス店
1968年6月24日をもって日産プリンス東京販売と合併。
:日産プリンス大田販売
旧:プリンス店
1968年6月24日をもって日産プリンス東京販売と合併。
:東京プリンス整備
旧:プリンス店
1968年6月24日をもって日産プリンス東京販売と合併。
:板橋プリンス
旧:プリンス店
詳細不明。
:中央プリンス
旧:プリンス店
詳細不明。
:葛飾プリンス
旧:プリンス店
詳細不明。
:五反田プリンス
旧:プリンス店
詳細不明。
:武蔵野プリンス
旧:プリンス店
詳細不明。
:多摩プリンス
旧:プリンス店
詳細不明。後の日産プリンス多摩販売→現在の日産プリンス西東京販売の前身の可能性も有り。
:東急日産販売
詳細不明。恐らく東急グループによる販売会社と思われる。上記の東新日産自動車にも出資していた。
:日産プリンスサニー江戸川販売株式会社
詳細不明
・神奈川県
1997年には神奈川県の日産販売会社合同で、横浜ベイスターズ(現:横浜DeNAベイスターズ)に当時所属していたハマの大魔人こと佐々木主浩選手をイメージキャラクターに起用し、「ハマの大魔人グッズ プレゼントフェア」を開催していました。
ラジオCMでも本人が出演し、応援歌の熱き星達よが流れていました。
余談ですが、このブログの中の人も神奈川住みで野球に関しては横浜ファンだったりします笑
話がずれるのでこれに関しては別の機会に取り上げます。
【現存する販売会社】
:
神奈川日産自動車
旧:日産店(ブルーバード販売会社)・ブルーステージ。1946年12月26日設立。
新車64店舗、中古車10店舗を展開しています。2005年をもって横浜日産モーターと合併したのですが、その際に横浜日産モーター株式会社が旧:神奈川日産自動車株式会社を吸収合併して横浜日産モーター株式会社の赤字を清算し、現在の神奈川日産自動車株式会社に商号変更するという複雑な経緯となっています。
1999年以前はリボン風のイラストにコーポレートカラーのトリコロールを合わせたステッカーを使用していました。また以前はKn'sファクトリーと呼ばれるカスタマイズパーツを取り扱うディーラーも展開していました。
:
日産プリンス神奈川販売
旧:プリンス店(スカイライン販売会社)・レッドステージ。1972年10月1日設立。
1972年に既存のプリンス店3社を統合して設立しました。新車61店舗、中古車8店舗を展開しています。
80年代(スカイラインがジャパンだった時代)には「I LOVE KANAGAWA」というキャッチコピーを使用しLOVEのOの部分はハートになっていました。また90年代にはオリジナルのサウンドロゴを使用していました。
:
日産サティオ湘南 (旧:日産サニー湘南販売)
旧:サニー店(サニー販売会社)・レッドステージ。1966年4月12日設立。
新車21店舗、中古車3店舗を社名の通りの湘南地区のみならず相模や県西部にも展開しています。
日産サニー湘南時代はステッカーに黒ベースで波模様が入ったものを使用し、サティオ湘南になってからもカモメのイラストが入ったものを使用しており、湘南の海をイメージさせるものとなっていました。
また日産サニー湘南時代のCMには
「由比ヶ浜 片瀬海岸 鵠沼 西浜 柳島 照ヶ崎 袖ヶ浦 五ツ浦 御幸の浜~ 日産サニー湘南~」 という歌詞のオリジナルソングを使用しており、湘南の海岸を歌ったものとなっていました。また上記の1978年頃のCMではこれとはまた別のCMソングが存在したようです。
今はこのような湘南の海を感じさせるイメージ戦略はやっていないようで寂しさを感じますが、いつか復活してもらいたいですね…特に上記の海岸の名前を歌うCMソングは是非とも復活して欲しいものです。
1988年当時のラジオCMです。上記のオリジナルソングが使われています。
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1995年当時のラジオCMです。上記のオリジナルソングのカラオケバージョンが使われています。
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【現存しない販売会社】
:横浜日産モーター
旧:モーター店(ローレル販売会社)・ブルーステージ。1956年10月1日設立。
2001年時点では新車36店舗・中古車10店舗を展開していました。2005年をもって神奈川日産自動車と合併したのですが前述した通りこの際横浜日産モーターの赤字を解消すべく初代神奈川日産を吸収したために、現在の神奈川日産自動車の法人格はこの横浜日産モーターにある訳です。
・2001年当時のホームページのアーカイブ
:日産サティオ神奈川(旧:日産サニー神奈川販売)
旧:サニー店(サニー販売会社)・レッドステージ。1966年4月12日設立。
2001年時点では新車30店舗・中古車7店舗を展開していました。2005年4月をもって日産プリンス神奈川販売に合併しています。
・2001年当時のホームページのアーカイブ(ただしかなり文字化けしています)
:日産プリンス相模販売
旧:プリンス店(スカイライン販売会社)・レッドステージ。1972年10月1日設立。
2000年3月31日をもって日産プリンス神奈川販売に合併。
:日産プリンス京浜販売株式会社
旧:プリンス店(スカイライン販売会社)。
1972年10月1日をもって日産プリンス神奈川販売に合併。
:日産プリンス横浜販売株式会社
旧:プリンス店(スカイライン販売会社)。
1972年10月1日をもって日産プリンス神奈川販売に合併。
:日産プリンス湘南販売株式会社
旧:プリンス店(スカイライン販売会社)。
1972年10月1日をもって日産プリンス神奈川販売に合併。
:日産チェリー神奈川販売
旧:チェリー店(チェリー販売会社)
年月不明に神奈川コニーとして設立され、1965年以降に日産コニー神奈川販売へ改名します。そして1970年頃に日産チェリー神奈川販売へ改名しました。
1989年10月をもって日産プリンス神奈川販売に合併しています。
:日産チェリー相模販売
旧:チェリー店(チェリー販売会社)
年月不明に日産チェリー神奈川に合併となった可能性が高いです。現在は日産プリンス神奈川販売となっています。
:日産チェリー川崎中央販売
旧:チェリー店(チェリー販売会社)
詳細不明。
:日産チェリー茅ケ崎販売
旧:チェリー店(チェリー販売会社)
詳細不明。
:日産チェリー藤沢販売
旧:チェリー店(チェリー販売会社)
詳細不明。
:日産チェリー横浜西販売
旧:チェリー店(チェリー販売会社)
詳細不明。
:日産チェリー旭中央販売
旧:チェリー店(チェリー販売会社)
詳細不明。
:日産チェリー綾瀬北販売
旧:チェリー店(チェリー販売会社)
詳細不明。
:日産チェリーアヤセ販売
旧:チェリー店(チェリー販売会社)
詳細不明。
:日産チェリー磯子販売
旧:チェリー店(チェリー販売会社)
詳細不明。
:日産チェリー相模原販売
旧:チェリー店(チェリー販売会社)
詳細不明。
:日産チェリー瀬谷販売
旧:チェリー店(チェリー販売会社)
詳細不明。
:日産チェリー茅ケ崎販売
旧:チェリー店(チェリー販売会社)
詳細不明。
:日産チェリー販売
旧:チェリー店(チェリー販売会社)
詳細不明。
:日産チェリー平塚販売
旧:チェリー店(チェリー販売会社)
詳細不明。
:日産チェリー横須賀販売
旧:チェリー店(チェリー販売会社)
詳細不明。
:日産三浦販売
年月不明(90年代・ブルーステージ発足前)に神奈川日産自動車に合併。
:日産トラック神奈川販売
詳細不明。
:相鉄日産神奈川販売
恐らく相鉄グループの販売会社だと思われる。90年代時点で残存しており、当時はSAN山手台と呼ばれる店舗を展開していた。同店舗は日産プリンス神奈川の山手台店として現在も営業中。
:京急日産自動車
詳細不明。恐らく京急グループの販売会社だと思われる。
:日産カレスト座間
座間工場跡地にオープンした大型店舗で、当初は別会社となっていました。現在では神奈川日産の1店舗として吸収されています。
・2001年当時のホームページのアーカイブ