2007年12月16日
ちょっと時間があったので思い返してみました。
免許を取ったのが高校生3年の冬ですね。
一番最初に乗った車はレビン・AE111のFFでした。
人生最初で最後??のFF車ですね。後にガードレールに刺さって廃車になりますが・・・・
免許を取ってその日にやった事といえば・・・・・
親父と広場でパイロンを立ててのスラローム走行。
どうせお前は走るだろうからその前に俺が基本を叩き込むとか言われて通いました。
ハンドル操作とアクセルワークを徹底して反復練習。
ハンドル操作が悪いと
『ちがぁ~う!!』と桜木花道にリバウンドを教える赤木剛憲のように怒鳴られながら。。
※ スラムダンクネタです。わかる人にはわかるシーンだと思いますが???
次にヒール&トゥーを練習
コレが完璧に出来るまで走ることは許さんと言われ・・・・
ひたすら街乗りで練習。まずはアクセルのみを吹かして回転を合わせてシフトダウンを繰り返す。
慣れてきたらブレーキ操作を組み合わせる。
ちなみにブレーキ踏みながらアクセルを吹かす練習を停車した状態で徹底して繰り返しました。
一ヶ月コレだけの反復練習を毎晩繰り返し、検定合格し晴れて走りの舞台へ・・・・・・
っというわけでもなく。。。
高校卒業して一人暮らしを始めた事で開放され、ナンパ~な男に目覚めたもので!!
車よりも楽しいことが他にたくさんあったのでした。
そんなこんなで半年経ったある日、調子乗って山道トバしてたら曲がりきれず
ガードレールに刺さって廃車。。。。最悪ですね。
親父には素でキレられました・・・・・・今思えば未熟なのに調子こいてただけだった気がします。
それで次の車を探すにあたって、この頃バイトもはじめていたので金銭的に自分で出せる範囲もあり
どうしてもFRが欲しいと希望を伝え、人生初のFRデビューをしました。
というのも何故かドリフトへの気持ちが強く芽生えてレビンの頃からサイドターンばかり練習してたんです。
そうはいってもお前にターボは100年早いと言われ、S14前期のQ’sでした。
コレも半年後に、廃車にしてしまうんですが、この車に乗ってからが走り屋人生の本格的スタートでした。
まだ19歳になる前の夏ですね。。。
レビンはノーマルだったんですが、このS14は最初から車高調とマフラーが付いてました。
といってもすぐにドリフトを始めた訳ではなく(っというよりまだ何も出来なかったので)もっぱらグリップ走行で。
当時グリップが盛り上がっている峠が近くにあった事と(週末はグリ車が30台以上居たと思います)
周りがFF乗りだったことも有りひたすらグリップを練習していました。
相当下手だったと思いますが、毎晩毎晩走ったことで徐々に走れるようになったと思います。
最初は納車の時から付いていたM7R(ドリフトでは結構好きだった)でひたすら練習しておりましたが、
調度その頃RE01が新発売される事で、現モデルのRE711が安く購入できるとの事で4本新品を購入しました。
BS(ポテンザ)を新品で購入して履いたのはコレが最初で最後ですね。215/50/16だったかな??
(それ以来BSは履いてません。→→ 何故か??だって高いですもん。喰い過ぎてパワーが足りませんもん。)
もう激変でしたね。RE711を履いただけで簡単に速く走れました。
合わせてブレーキパットもプロミューのパットに交換したのでさらに無敵でした。
思いましたね。車で全然走りが違うじゃん。
でもこの頃からグリップに対する魅力が一気に冷めていった気がします。
コレだけ車の差が走りに影響するなら、さすがに四駆ターボのSタイヤにはQ’sじゃ勝てねえなと。
Q’sは登りのスタートダッシュがアルトワークスよりも遅いですもん。
運転手が下手であればターボでも軽く撃沈できますが、ソコソコの乗り手に来られると歯が立ちませんでしたね。
Sタイヤを導入しようかとも思いましたが、それよりもそのタイミングでLSDを入れた事がよりドリフトへの道を加速させました。
もうドリフトの練習は相当楽しかったですね。色々ビデオや本を買って独学で勉強しました。
まずは定常円を左右完璧に出来るようになる事。それが出来れば2速で。大きく回ったり小さく回ったり。
それが出来ればアクセルを一定に保っての定常円。Q’sだったので14インチとか履いてやってましたね。
有料道路のパーキングエリアや山の広場など至る所で練習してました。
次に8の字と卍。出来るようになれば2速で。。それが出来るようになればパイロン並べて1コーナーに見立てて練習。
今みたいに広場での走行会などが開催されている事など知らずに(そんなに多く無かったとも思いますし)!!
さすがにパーキングエリアでパイロン並べて練習してた時にポリに捕まった瞬間はヤバイと思いましたが
そのときはまだ未成年という事で許してもらえた気がします。(今だったらもっとえらい事になってるかな)
サイドドリから初めて、次はハンドルこじって、次にブレーキング、それが出来たらクラッチ蹴り。
全ての進入方法をパイロン1コーナー左右完全制覇目指して練習しました。
その時通っていたスタンドに山を走っている兄ちゃん達が居て、初めてドリフトスポットに連れて行ってもらいました。
モチロン走りました。でも徹底して基礎をやっていたおかげで普通に混じって走れたと思います。
今思えばその人達は相当下手だったので当たり前ですが、走る頻度や走りに対する考えがあまり合わず
それからは一人で毎晩通うようになりました。
雨の日は特にパワーが関係ない・タイヤ減らないでガソリン缶持って走りに行ってました!!
給油のために一度山を降りて再度登るのも当たり前の時代です。
そんなこんなで19歳になって間も無く、前の日記に書いた
『カーブの目測を誤り速度超過で雑木林に突入』をやってしまい、この車は廃車になりました。
取り合えず保険が出たので次の車を探していた時に、タマタマS14後期の下取り車に出会い、AT→ミッションへ乗せ変えして
乗りました。もちろんQ’sです。でもこの車の寿命は3ヶ月しかありませんでした。別に廃車にした訳ではありません。もうQ’sのパワーでは全然面白くなくて、どうしてもターボに乗りたいという気持ちが強くて。
取り合えず山と広場練習を行なっておりましたが、やっぱり不満ばかりが募り乗換えを決意して売りました。
そこで初めて乗ったターボ車が180SXでした。ココから180SX人生のスタートですね。(間にS13が入りますが・・・)
ガンメタのCAボディSR乗せ替えでした。この車はそれから車検が切れるまで1年半乗りました。
未だにこのボディとエンジンは秘密工場に部品取り車として残ってます。
末期にはユーラスのトンガリエアロとか付けてセキアも山もガンガン走ってました。
もう最初は相当ぼろかったです。なんたって素人が乗せ替えして作った車だったので。
ヘッドライト付かない、スピードメーターの電気付かないので夜は回転数もスピードも見えないみたいな。
それを手直し始めた頃からが車を自分で作るようになった始まりですね。
幸い親父がコレ系の仕事をしているので、場所や道具に困る必要も無かったですし
多くの競技車を自分で作ってたので知識に困る事も全く無かったので相当助かりました!!
5穴にしてR32純正ホイールを履かせたり、S14タービンを付けたり、メンバー交換したり、ミッション交換したり
この車をイジる事で整備の知識(ちなみに私の知識はシルビア・180SX限定です)を付けたと思います。
ちなみに頑固一徹エアコン・オーディオレスが始まったのもこの車からですね・・・・・
未だにその血は受け継がれております。
⇒⇒ 次回ターボ車デビューと峠遠征・サーキット通いへ続く・・・・・
Posted at 2007/12/16 13:13:51 | |
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