2007年12月18日
【ターボ車デビューと峠遠征・サーキット通い】
その①は ⇒⇒
ココ
初めてのターボ車!!今考えると赤ヘットのノーマルなんてクソ遅いのにその当時は感激するぐらい速かった。
もうドリフトが相当楽で。アクセル踏みこんだだけでパワースライドするし。
乗った瞬間あはははは~って、こりゃいいわ!!と笑うしか無かったですね。
速攻その日に峠に行きました。ドリフトがつながるつながる!!
Q’sだと雨の時しかつながらなかったラインがドライでも楽につながる。
むしろライン少々失敗してもアクセル踏んどきゃドリフト続くし!!
そうは言っても今思えば15インチのドリフトなので次元が低い話ですが・・・・・
調子こいて走ってるとアホですね~。溝に落としてタイロッド曲がって終了。
ジャッキを使ってまっすぐに修正していると『ボキッ』て折れちゃって自走不能!?
この当時はタイロッドの予備が必要などの知識を持っておりませんでした。
この後純正で強化になるスカイラインタイプM流用とワッシャーかましてキレ角UPさせましたが。。
でもターボに乗り換えて出来なくなったこと ⇒ クラッチ蹴りですね。。
Q’sでは蹴って進入するぐらいで調度良かったのですがターボで蹴るとちょっと怖い・・・・
蹴った後の飛距離も全く違いますし、むしろ直線で車速が十分のるのでサイドやこじりでもキッカケ作れるし。
ビビリミッター発動で、これから山で蹴って進入できるようになるまでダイブ時間がかかりました。
今でも山ではあまり蹴って進入は・・・・・!!!人生守るモノが出来ると走りも守りに入ってしまいます(笑)
この頃は走ることが楽しくてあまり車のこと等考えずにガンガン行ってました。
毎日チーム員のスタンドでタイヤを2~3セット組替えてはその日に終了の繰り返しで。
テンパータイヤで帰って着た事もあります。
学生はヒマなんですね~今思えば。
別に当時も彼女が居なかったわけではないのですが車が楽しくて楽しくて。
ある程度走りなれてくると自分の走りに自身がついて違うところで試したくなるんですね~。
まだまだ2速ドリで15インチ野郎のヘタレなのに・・・・・
色々行きました。学校の関係で○崎県に居たんですが、○民の森がメインで○仙に行ってみたり
○賀県の○山と○山(多分わかる人は漢字一文字当てはめれるハズです)
特に○山(漢数字のほうです)は絶頂期だったのでかなりの台数が毎週居ましたね。
ココはレベルが非常に高かったですね。
この当時一緒に山を走ってた奴が居てそいつは同じ年なのに天才でしたね。。
下りでも蹴って進入するし、当たり前に3速使ってましたので。もちろん車もゴリゴリ破壊して次から次に
乗り換えてましたけど。ちなみにコイツの兄貴もさらに天才でAE86に111の4A-Gを乗せて走ってました。
知ってる人居るかもですね。確かグリーメタリックのトレノ(ハッチ)でアドバンオニを履いてました。
ちなみにこいつが免停になって一緒に山に行くことは極端に減り、かつ自分も今度はサーキットに通うようになるんですが。
サーキットに通うようになったキッカケは親父の会社で働いてる人のおかげです。
当時黄色のS13に乗ってました!!(西日本地区統一戦がまだ九州・四国・中国3地区の頃の九州代表だったりします)
親父の会社に廃タイヤをもらいに行くことも多くなり、色々話をする機会が増え
それだけ走るならサーキットに行こうよと言われ、20歳になって直ぐに人生初のサーキットデビューでした。(もちセキアです。)
何処かの走行会だったと思います。もちろんビギナークラスエントリー!!!
タイヤ10本持っていきました。ヘルメットとグローブも親父から借りて。
雨だったと思いますが、楽しかったですね~。思いっきり走れて少々失敗しても全く怖くない。
1コーナーとヤシ→2ヘアだけはツナゲル事が出来ませんでしたが、もうその2週間後には会員になってフリー走行に
通いはじめるのです。
まずは1コーナー以外を全てつなげて走れるようになる事。
コレが最初の課題でした。それで練習したのはロングサイドですね。サイド活用して飛距離を稼ぎつなげる。
一番苦労したのはサイドを引くとその間に回転数が落ちて失速してしまいますので、その間にアクセルを空吹かして
回転を上げてつなぐ作業。ひたすらコレの練習を街乗りの至る所でも練習してました。
そのおかげで2回目にはヤシから2ヘアもつながるようになりましたし、逆に一度つながってしまえば今度は
サイドを使わないでつなげるライン取りを考える!?みたいな。
それから1コーナーが出来るようになるまでは2回ほど通いました。
最初は2コーナー辺りから2速でクラッチを蹴ってその感触をつかみつつ、それが出来るようになれば今度は
蹴る位置をドンドン手前に持って来て最終的には進入から蹴るみたいな・・・・
当時のファイナルが3.9だったので1コーナー2速で蹴っても吹けきる事無くつながっていたんでしょうけど。。
(まだこの頃はファイナルギアなる知識も無く、デフがついてれば問題無しでした)
逆に3速で蹴り出すとこのギア比のおかげでエンジン回転が上がらず四苦八苦するようになるんですが・・
3速で蹴り始めた頃にこの知識があればもっと楽に出来たことでしょう!!
その後ファイナル4.3に出会い、こんなに乗りやすかったのかとまた感激。
よく今までこんなに乗りにくい車でやってたなと痛感しました。
ちなみにこの乗りにくい車の頃に一度奮発してチタンマフラーを購入したんですが
エンジンノーマルでかっこ良い音がするハズも無く、しかも取り付けてその翌日の1コーナーで
ケツアタックをかましてマフラー破壊してしまいました。その当時は泣きそうになりましたね。
高い金払ってチタンを買ったのにたった一日でオシャカにしてしまったので・・・・・・
今なんてチタンなんて絶対買えません。昔はバイト代=車代だったので可能だったんでしょうが!?
そんな感じで走っていると今度は車をカッコよくしたい願望が出てくるんです。
まずは5穴にしたい!!S13系に乗ってて一番最初の願望はこれですね。。
1コーナーが出来るようになって直ぐの頃に今度は5穴化しました。
その部品は代々の車に受け継がれて今のいぱ号にも装着されています。
今では当たり前の作業でも当時は周りと比較して優越感に浸ることが出来ましたね。。
一番最初に履いたホイールはR32純正です。多いときにはバフ使用も含め6本持ってました。
スペアも全部R32みたいな!?そこからR33に発展するんですが!!
そんなこんなでこの車も車検満了間際にサーキット帰りの高速で猛烈な白煙を噴出して
エンジンブローで乗換えを決意するに至りました。
その頃にはもう少しパワーのある車に乗り換えたいとも思っていた時期で
タイミング良くタービン交換のS13を格安で譲ってくれるとのお話を頂いたので
この車に乗り換えることになりました。珍しく自分の車暦ではエアロ・オールペンされてました。
がしかし、この車の寿命は短命で3ヶ月程だったんです・・・・・・
次回 ⇒⇒ 私のドリフト人生を狂わせたS13と180SX復活への道へ続く・・
Posted at 2007/12/18 21:34:42 | |
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