
皆さん、こんばんは(^^)
このブログ(アメリカ同時多発テロ)は本当は9月11日にUPしたかったのですが、仕事が忙しく遅れてしまいました(≧≦)
長文めんどくさいので当時の記録映像を、見て聴いて感じて下さい(≧≦)
各旅客機の世界貿易センタービルへの突入の様子2001年9月11日朝(現地時間)、マサチューセッツ州ボストン、バージニア州ダレス(ワシントンD.C.近郊)、ニュージャージー州ニューアークを発った4機の旅客機が、モハメド・アタを中心とするアラブ系のグループによってほぼ同時にハイジャックされた。彼らは操縦室を乗っ取り、自ら操縦桿を握り、2機をニューヨーク・マンハッタンへ、残りの2機をワシントンD.C.へ向かわせました。
乗っ取られた4機のうち2機がアメリカのボーイング社製のボーイング767型機で、残りの2機がボーイング757型機ですが、この2種類の機体は、運行する航空会社のパイロットの互換性を持たせるために、コックピットの操縦システムには基本的に同じものが使われて、ともに2人のみで操縦できるため、あえてこれらの機体が運行されている便が選択されハイジャックされたと見られています。また、ハイジャック犯たちはアメリカ国内にある民間の航空学校で航空機の基本的な操縦法を学んでいた上、これらの機体の操縦方法を事前にフライトシミュレータで訓練していたことが明らかになっています。
また、これら4機がいずれもアメリカ大陸横断ルートという、アメリカ国内線の中では長距離飛行に入るルートを飛ぶものであったのは、いずれも燃料積載量が多く、衝突後の延焼規模を多くすることを狙ったと推測された。なお、ハイジャックされ墜落させられた旅客機の乗客・乗員は全員死亡している。
アメリカン航空11便
アメリカン航空のボーイング767(写真は胴体延長型の767-300)ボストン(ローガン国際空港)発ロサンゼルス(ロサンゼルス国際空港)行きアメリカン航空11便(ボーイング767-200型機・機体番号N334AA)は、乗客81名・乗員11名を乗せて、午前7時54分に遅延出発した。午前8時14分頃にハイジャックされ、コックピットを乗っ取られた模様である。午前8時23分に進路を急に南向きに変え、午前8時46分にニューヨーク世界貿易センターの超高層ビルであるツインタワー北棟(110階建)に突入し爆発炎上。離着陸時の事故と違い、機体の残骸は全く原形をとどめませんでした。
また、衝突の瞬間をフランスのテレビ局から取材に来ていた兄弟のカメラマンが偶然にも撮影。ビル近隣にある消防隊の平凡な日常を描くはずであった彼らの番組は、たちまち未曾有の事件に対峙する消防隊の活躍を記録するドキュメンタリー番組となり、のちに日本を含む世界各国で放送されました。
ユナイテッド航空175便
貿易センタービルに激突した機材と同じボーイング767。なお事故当時の塗装は白ではなく旧塗装(灰色?)だと考えられます。
ボストン(ローガン国際空港)発ロサンゼルス(ロサンゼルス国際空港)行きユナイテッド航空175便(ボーイング767-200・N612UA)は、乗客56名・乗員9名を乗せて、午前8時14分に遅延出発した。管制部とアメリカン航空11便のハイジャックに関する交信を交わした後、午前8時43分頃までにハイジャックされ、コックピットを乗っ取られた模様。直後にアメリカン航空11便を追うようにニューヨークへ進路を変え、午前9時3分に世界貿易センタービルのツインタワー南棟(110階建)に突入し爆発炎上。なお、離着陸時の事故と違い高速で建築物に激突・炎上したため機体の残骸は全く原形をとどめませんでした。
11便の突入で多くの報道陣と見物人がビルの周りに集まっており、続く175便の突入では数多くの映像と写真が記録されました。これも、テロリスト犯の狙いでしょうか!?
アメリカン航空77便
アメリカン航空のボーイング757-200ワシントンD.C.(ダレス国際空港)発、ロサンゼルス(ロサンゼルス国際空港)行きアメリカン航空77便(ボーイング757-200:N644AA)は、乗客58名・乗員6名を乗せて、午前8時20分に出発した。午前8時50分ごろまでにハイジャックされ、コックピットを乗っ取られた模様である。直後に向きを北向きに変え、すぐに南へ転回し、しばらくして東へ進路を変えた。最初の進路離脱から3分間は管制塔と機長が交信していたが、通信不能となった。そして午前9時38分、バージニア州アーリントンにあるアメリカ国防総省本庁舎(ペンタゴン)に激突し、爆発炎上。激突の瞬間の映像がペンタゴンの駐車場の監視カメラによって記録された。また、付近を通行中の多くのドライバーや歩行者によって激突の瞬間が目撃された。映像によるとほぼ水平の状態で地面を滑走しながらペンタゴンに衝突した。離着陸時の事故と違い、高速(多分時速900キロ…)で建築物に激突・炎上したため機体の残骸はほとんど原形をとどめませんでした。
なお、一説によると77便はホワイトハウスに向かおうとしたが太陽の反射で前が見づらく、たまたま近くにあったペンタゴンを狙ったのではないかという説もあります。
それか、93便のように乗客の反撃に合い仕方なく1番近いペンタゴンを狙ったのかもしれませんね(≧≦)
ユナイテッド航空93便
ニューアーク(ニューアーク空港)発サンフランシスコ(サンフランシスコ国際空港)行きユナイテッド航空93便(ボーイング757-200、N591UA)は、午前8時42分、乗客37名(4人のテロリスト含む)・乗員7名を乗せて、41分もの遅延で出発した。遅れの理由は滑走路の混雑とされている。93便離陸のわずか数分後、アメリカン航空11便が世界貿易センターに激突しました。
乗客の電話での通報によると、午前9時27分にハイジャックされ、コックピットを乗っ取られた模様である。オハイオ州クリーブランド付近で進路を南に変え、さらに南東へ向かった。ワシントンへ向かうことを管制官に通告、標的はアメリカ合衆国議会議事堂、あるいはホワイトハウス(僕個人的にはホワイトハウスではないと思います。屋上にスティンガーミサイルを備えていたから)であったとされています。
午前9時57分、機内電話や携帯電話による外部との連絡で、ハイジャックの目的を自爆テロと認識した乗客が機の奪回に乗り出す。午前 10時3分、ペンシルバニア州シャンクスヴィル(ワシントンD.C.北西240kmの場所)に、時速580マイル(時速933km)もの猛スピードで墜落した。公式の調査報告書では、乗客はコクピット内に進入できず、テロリストの操縦により機体を墜落させたと結論づけている。なお、地震計のデータから墜落の時刻を午前10時6分とする説もあったが、後にこの時刻を算出した地震学者本人により撤回されている。また、93便には日本人大学生1名が搭乗しており、日本へ帰国する為にサンフランシスコへ向かっていた最中に巻き込まれた。
乗客たちがハイジャッカーたちに反撃した際に“Let's Roll”(さあやろうぜ)を合図にしたと言われている。この9.11事件以降のアフガニスタンへの「報復戦争」において、この“Let's Roll”は軍用機に描かれたり、空母乗組員が人文字を空中撮影する際に用いられたりするなど、しばらく「テロと戦うスローガン」とされた。
なお、離陸からハイジャック、墜落までの乗員乗客の行動を基にした映画『ユナイテッド93』として2006年に公開された(この映画ではハイジャッカーたちに対して反撃した乗客たちがコックピットに進入して、操縦桿をハイジャッカーから奪いとって機体を上昇させる寸前であったかのように描かれているが、実際にそこまで辿り着けたかは確認されていない)。
世界貿易センタービル
崩壊した世界貿易センタービル世界貿易センタービル・ツインタワーの北棟は、8時46分にアメリカン航空11便の突入を受けて爆発炎上した。この時点では多くのメディアが普通の航空機事故として報じた。ブッシュ大統領も第一報を受けた時点では事故だと考えたと発言した。1機目の激突は、数日前から地元消防署の日常を取材していたフランスのテレビ局から派遣されていた兄弟によって偶然撮影(ガス漏れの通報があり、出動していた消防隊に同行していた)され翌日に報道されています。
続いて、9時3分に南棟がユナイテッド航空175便の突入を受け、爆発炎上した。2機目の激突は1機目の激突後にテレビ中継を行っていた際に発生し、日本を含む世界各国に1機目の衝突を臨時ニュースとして国際中継していた間におこった出来事であるため、前代未聞かつ衝撃的な映像を多くの人たちがリアルタイムで見る事となった(この時点で、事故ではなく故意に起こされた「事件」であることが認識された)。また、撮影クルーが多くいた為、旅客機が激突する瞬間がプロやアマチュアを問わない多くのカメラマンにて撮影されている。
ツインタワーは、ジェット旅客機のボーイング707が突入しても崩壊しないよう設計されていたはずだった(あくまで衝突のダメージのみを換算されていたものであり、ジェット燃料の延焼による火災のダメージは換算されていなかった)。だが、実際に高速で突入した同サイズのボーイング767によってビル上部は激しく損傷、漏れ出したジェット燃料は吹き抜けを通して下層階にまで達し、爆発的火災が発生した。次いで火災の熱による鉄骨の破断でタワーは強度を失い、9時59分に南棟が突入を受けた上部から砕けるように崩壊しました。北棟も10時28分に南棟と同様、砕けるように崩壊した。かつて世界最高を誇ったツインタワーは両棟ともに完全に崩落するという大惨事に至りました。
ツインタワーは、特に北棟で人的被害が大きく、死者は約1,700人(救護活動中の消防士を含む)であった。特に突撃を受けた92階以上に被害が多く、この階以上の在館者全員が死亡したと言われている。それは航空機に突入されたフロアの階段が大きく破壊され炎上し、避難経路が遮断されたためである。南棟も同様に激しく炎上したが、こちらは旅客機が外側に少し反れて激突し、反対側の階段が損壊や延焼を免れたため、突入フロア以上でも延焼の少なかった部分にいた十数名は無事避難することができた。また、突入前の未然避難者も含めると約7割の人が生還している。ただしこの時、炎上部より上にいた人の一部が、煙による苦痛や絶望感から飛び降りを行い、消防士や避難者の一部が落下してきた人の巻き添えになり命を落とした(自殺及び飛び降りの項も参照)。また崩壊時の破片や煙により、ビル外でも数人が命を落としている。一方、タワー崩壊後も館内で奇跡的に生き残っていた人も数名おり、それらの人々は当日夕方に救助されました。
北棟および南棟の崩落による影響で、敷地内の他の4つのビルも崩落・炎上し、8時間後に敷地北隣の高層ビル・世界貿易センター7号棟もともに崩落。道路は完全に封鎖、世界貿易センターの地下をターミナルとしていた地下鉄やパストレインもトンネルの崩落で走行不能に陥った。これらのことからニューヨークでは合計で2749人が死亡するという大惨事になりました。
この事件以降、世界貿易センタービル跡地はグラウンド・ゼロ(爆心地)とも呼ばれている。
アメリカ本土を攻撃されたのは、真珠湾攻撃以来のことですから、アメリカ国民に多大なる恐怖と絶望を与えたのは言うまでもありません…
日本時間は、今でもしっかりと覚えていてちょうど10時58分NHKを見てまして、突然この映像がニュース速報として流れてきました…
彼女の家から帰るとこだったのですが、TVに釘付けになってしまい結局朝まで起きてました。
人の記憶ってほんと凄いですよね…昨日の晩ご飯は忘れちゃうのに、この日の事は昨日のことのように覚えてます(≧≦)
色々と賛否両論ありますが、忘れてはならない出来事なので7年目の今日改めて思い出し、犠牲になられた方への御冥福を込めUP致しました。
目を疑うような光景ですが、後世に語り継がなければならない生き証人である 我々はしっかりと目に焼付けなくてはいけませんね。