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勝とう常時のブログ一覧

2010年09月25日 イイね!

“ウルフ”北野元氏とお会いしました

“ウルフ”北野元氏とお会いしました23日秋分の日は、友人のお誘いで軽井沢へのツーリングに参加させて頂きました。そこでの主賓は、“ウルフ”北野元氏です。

60年代の国内モータースポーツ黎明期、多大なる人気と素晴しいテクニックを兼ね備えたレーサーを3人挙げろと言われたら、答えは必然です。

生沢徹・高橋国光・北野元です。

叩き上げが多いトヨタ陣営よりも、二輪の実力者を積極的に採用し、吸収によりプリンス陣営の腕利きも加入した日産陣営は、ワークスドライバーの“腕”という点において、正直一歩リードしていた感があります。その中でもツートップといえば国光と北野ですが、一発の速さ、度胸、剃刀の様な切れ味鋭い走りが信条の北野は、60年代当時、実力NO1であったというのが私の見解です。

大きい会社の社長になったり、またはほとんど消息が聞かれなかったりと、当時の花形レーサーの今は様々ですが、二輪のタイヤショップの大将というのが、何かたまらなくいいですよね。お店に行けば、60年代の日本で最も輝いていた男の一人に会えるというのは、素晴しいことです。

北野さんは大変紳士な方でした。むつ湾のお話しもさせて頂きました(笑)。

(敬称略)
関連情報URL : http://www.wolf-kitano.com/
Posted at 2010/09/25 16:22:42 | コメント(1) | トラックバック(0) | 往年のレーサー | 日記
2010年08月10日 イイね!

「七人の侍」は、プリンスや日産だけではありません!

「七人の侍」は、プリンスや日産だけではありません!先頃発売された「日本の名レース100戦 vol.61」は、“第1回日本GP”号でした。
前年に完成した鈴鹿サーキットを舞台に、20万人もの観衆を集め、二日間で11レースが行われました。
大会の模様はあらゆるところで書き尽くされているので端折りますが、この我が国初の近代自動車レースに積極的に力を入れたメーカーは、トヨタとスズキでした。因みに、逆に全く関心を示さなかったのはプリンスと東洋工業でした。

日野自動車は、塩澤進午氏率いる105マイルクラブ(塩澤商工→デル・レーシング)にチューンナップも含め、レース活動を委託しました。
塩澤氏は、C-ⅢクラスとB-Ⅰクラスにそれぞれ7台のワークスコンテッサ900を投入し、両クラス制覇を狙いました。

その時の「七人の侍」は、代表塩澤進午ご自身(33歳)、後のJRSCC(ジュピターレーシング&スポーツカークラブ)代表で、JAFのモータースポーツ専門部会委員もなさった弟の三子夫(27歳)、恐れながら私のハンドルネームの由来にもなっている、ライセンスネームの走りである「勝常時」を名乗り、それぞれ一回ずつの参戦のみとなった伝説のマシン「デルRSA」「デルRSC」を駆った弟の勝臣(21歳)の“塩澤三兄弟”に、日野のエースとしてこの後もご活躍された山西喜三夫(21歳)、出場した3クラス全てで表彰台を獲得、C-Ⅲクラスでコンテッサを優勝に導いた今大会陰の主役、後の厚保サーキット代表でもある立原義次(38歳)、日本語ペラペラで、映画「ゴジラ」にも出演している謎の(?)アメリカ人ロバート・ダンハム(31歳)、日本オートクラブ(NAC)の中心人物としてこの後も長く活動され、NAC主宰のレースでは常にペースカーのドライバーを務めた小島常男(29歳)と、いずれ劣らぬ役者揃いでした。
この「日野七人の侍」は、日野自動車がトヨタに吸収合併されワークス活動が終焉した後も長く、国内モータースポーツ界に確かな足跡を残されました。
ご興味のある方は、ご自分でもお調べになってみて下さい。こちらもいずれ、機会があればそれぞれの人物について少し書いてみようか思います。(敬称略)


注:画像は「第2回日本GP」のものです
Posted at 2010/08/10 22:28:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | 往年のレーサー | 日記
2010年05月03日 イイね!

“かっこいいレーサー”古今東西No.1は「ダン・ガーニー」?

“かっこいいレーサー”古今東西No.1は「ダン・ガーニー」?68年にホッケンハイムに散った不世出のレーサー「ジム・クラーク」は、古今東西数多生まれたレーシングドライバーの中で、セナやシューマッハー、ヌヴォラーリやファンジオらと並び歴代レーサーのNo.1候補に必ず上げられる天才ですが、彼をしてその実力を誰よりも認め、一番マークをしていた相手は、ヒルでもスチュワートでもサーティースでもなく、長身のアメリカ人、ダン・ガーニーだったそうです。

彼は、アメリカ人としては珍しく50年代から積極的にヨーロッパでもレース活動を行い、ポルシェ(エンジン供給だけじゃなくコンストラクターですよ)での唯一のF1での勝利を挙げ、自製の「イーグル」でも勝利。F1通算4勝というのは、彼の実力からしたら少なすぎる感があります。
その間には、67年のル・マンでA・J・フォイトと組みフォードで勝利。
自国でも、ストックカーやインディ、カンナムで大活躍をし、乗るマシンを選ばないオールラウンダー振りを発揮します。このあたりは後輩のマリオ・アンドレッティに通ずるところがありますね。

長身で二枚目、ポルシェやイーグルでのF1での活躍、アメリカ製マシンでアメリカ人コンビでル・マンを制覇、“ガーニーフラップ”という彼の名を残す空力付加物が存在する等、もしかしたら彼は、古今東西最も“かっこいい”レーシングドライバーなのかもしれません。

Posted at 2010/05/03 18:40:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | 往年のレーサー | 日記
2009年12月27日 イイね!

「ハルムスーパーカーズ」とクリス・エイモン!!

以前ブログに67年F1ワールドチャンピオンであるデニス・ハルムのことを書きました
youtubeを色々見てたら、彼の故国ニュージーランドで「ハルムスーパーカーズ」というメーカーが、どことなくエリーゼ340Rやアリエル・アトムに似ているクルマをデビューさせたようですね。全く知りませんでした。
ハルムとどの程度関連があるのか分かりませんが、彼の駆ったカンナムを隣りに展示してたり、奥さん(?)がいたり、勝手に名前を使っている訳ではなさそうです。
関係者が被ってるハルムのヘルメットを模したキャップ、欲しい・・。

で、このクルマのことよりも何が一番書きたかったかというと、34秒から始まるサーキット走行シーンで搭乗しているのが・・・同郷のクリス・エイモン!!青と赤の三角が前面に入る特徴的なヘルメットのデザインですぐに分かりました。
エイモンのことを語らせたらかなり熱くなってしまいますが、63年に当時の最年少記録(19歳)でグランプリデビューし、2位/PP/FLは何度も取りながら13年間と長きに亘りグランプリシーズンを戦いながらも、遂に一勝も出来なかった悲運のドライバーです。但し、ル・マンは一度制しています。キャリアの途中で「エイモン」というコンストラクターを立ち上げたりもしました(失敗しますが)。

引退後は農業をやりながら、現地のトヨタのテストドライバー(市販車部門)をしているらしいと聞いていたんですが、いや~サーキットを走る元気なお姿を拝見出来て、ちょ~嬉しいですね。

ニュージーランド出身のF1レーサーって、もしかしてマイク・サックウェルが最後?え~ならばもう三十年近く出てない計算ですね。
あ!そういえばサックウェルのデビューも当時の最年少記録だったんだ・・・これは凄い偶然。

Posted at 2009/12/27 19:19:26 | コメント(2) | トラックバック(0) | 往年のレーサー | 日記
2009年12月04日 イイね!

’90オートポリスオープニングウィークゴールデンカップ

前々回のブログで小関典幸氏の訃報を掲載しましたが、netで小関氏のことを調べていると、ある興味深いレース結果が出てきました。

上記タイトルのレースですが、どうやら九州唯一の国際公認コースである「オートポリス」のオープニングに開催されたレースのようです。
当時発表されてまだ間もなかったユーノスロードスターを使用したワンメイクのようですが、出場ドライバーが凄い!オールドファンには感涙ものではないでしょうか。

1位のガンさんこと黒沢元治氏はさすがといった感じでしょうか。もうシビアなレースには出ていない時分でしたが、グループA等で現役バリバリの見崎清志氏を10秒も離したのは、う~んと唸らされずにはおられません。

見崎さんの真後ろにピタッと着けるは、3位の津々見文彦氏と4位の真田睦明氏ですが、お二方とも“ハコの職人”という形容がピッタリです。
津々見さんは初期のシビックワンメイクレースのトップコンデンターで、N1耐久でも大活躍。
真田さんはワークスの経験はなく、一貫してプライベーターとして60年代から活動。フォーミュラも乗りましたが、特にハコに乗せたら無類の強さを発揮。数々の伝説をお持ちで、ギリギリ出走間際まで煙草を吸ってるためにマシンに灰皿が付いていたりと、かなりの無頼漢です。真田さんについては、いずれブログに書きたいですね。
この濃いお三方のバトルが見たかった・・。

5位には、ビートたけしの義弟で僧侶でもある松田秀士氏が着きますが、2位争いに加われなかったのは、最年少で、しかも現役F3000乗り(もしかして違うかも)にしては、ちょっとなぁ・・。

そこからグッと離れて6位と7位は、元ワークスドライバーのお二人。高武富久美(ホンダ)氏と浅岡重輝氏(いすゞ)です。お二人ともこの当時は引退されていました。
高武さんは今は二輪のショップを経営なさってるんでしたっけね?浅岡さんは、クラシックカーイベントでもちょくちょくお顔を伺えます。大変なエンスージャストですね。

8位は“走る歯科医”こと清水正智氏です。私は氏の大ファンです。サインも持ってます。
いずれ機会があれば、清水さんのこともブログに書きたいですね。

ここの9位に小関氏が出てきます。サーキットレースは十数年振りのようですが、大変立派な順位だと思います。
ここで私は唸りました。11位に大久保力氏のお名前があったからです。これを見て、ちょっとした感慨が湧きました・・。

小関氏は元々は富士重工の社員ドライバーで、第一回日本グランプリからず~っと一貫してスバル車で戦って来ました。
対して大久保氏は二輪で鳴らし、その実績を買われ富士重工と契約し、第一回と翌第二回のグランプリをスバルで走ったのであろうかと思います。もし間違ってたら、ご指摘下さると嬉しいです。
小関氏の第一回日本グランプリまでの競技歴(といっても二輪での活動があるかないかですが)は知らないんですが、第一回、二回とも、僅差で大久保氏に負けてるんです。改めて詳しく調べてみたんですが、第一回が8位と9位、次が1位と2位・・。
スバルは第一回は他メーカーに惨敗しましたが、第二回はスバル360で見事なリベンジを果たしました。この、モーターレース史の一番上に名を刻んだのは、大久保氏でした。
もしかしたら忸怩たる思いがあったかもしれませんが、小関氏は鈴鹿から遠いオートポリスの地で、大久保氏に対して正に26年振りに、リベンジを果たしたのではないかと思いました。レース後のパドックで、お二人で冗談でこういう会話がなされてたら素敵ですね。

以下の順位の濃い方々についても書きたいのですが、ブログがかなり長くなりそうなのでここらで止めます(笑)。
Posted at 2009/12/04 18:45:50 | コメント(2) | トラックバック(0) | 往年のレーサー | 日記

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何シテル?   02/21 19:10
2007年よりみんカラを始めて、2019年途中で飽きてしまいブログを休止しておりましたが、ぼちぼちマイペースではありますが、2022年より再開していきます。se...
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