• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

勝とう常時のブログ一覧

2012年01月20日 イイね!

センスいいCMですね~

Posted at 2012/01/20 21:46:58 | コメント(3) | トラックバック(0) | フォーミュラワン | 日記
2011年02月20日 イイね!

「スカラブ」とランス・リヴェントロウの動画発見

モータースポーツにとって「挑戦」というのはいつでも美しいもので、それが成功したか失敗したかは、それぞれの努力や発想や財力による実力や運、ライバルのポテンシャルによって決まってしまうものですが、あり余る情熱を持って臨んだ分、それが失敗したと分かると、当事者の情熱も急速にしぼんでしまうこともままあります。

アメリカのとんでもない大富豪、23歳の若きランス・リヴェントロウは、国内のスポーツカーレースで成功を収めていた自らのコンストラクター「スカラブ」で、1960年のF1に打って出ることを決意します。エンジンも自製し、オールアメリカンでの世界制覇を目指す壮大な夢です。
ですが、59年にミッドシップのクーパーがワールドチャンピオンになったのにも関わらず、フロントエンジン車を開発します。
欧州に渡り、自らと友人チャック・デイの二人が搭乗したスカラブは果たして、パワー不足と信頼性のなさからまともなレースが一切できず、シーズン途中で一旦アメリカに戻り体制を立て直すことにし、この年最終戦のアメリカGPにデイの一台だけがエントリーします。結果はトップから5周遅れの10位で何とか初完走。同時にこれがスカラブ最後のレースとなります。リヴェントロウの野望と情熱は、急速にしぼんだのです。



何かの記録映画かプロモーションビデオなんでしょうか?
場所は砂漠の中のサーキット、リバーサイド。そう、60年アメリカGPが行われた、スカラブ最後のレースの舞台でもあります。本当に最終戦に向けての事前テストの映像かもしれませんね。
終始厳しい表情のドライバーは、スカラブ創始者であり、オーナーであり、ドライバーでもあったランス・リヴェントロウその人。写真でしか見たことのなかった彼は、大柄で、意思の強さを感じさせる相貌ですが、この映像が撮影されたのがシーズン前かシーズン途中かで、見方も変わってしまいますね。

彼はその後モータースポーツの世界からは一切手を引き、72年に飛行機事故で亡くなりますが、もし存命で今年74歳になった彼が、何と現存するスカラブでグッドウッドやラグナセカを観客に手を振りながら走る姿を想像できません。きっと彼にとっては、この年1960年で自分にとっての“モータースポーツ”は、全てが終了したということではないでしょうか。
Posted at 2011/02/20 22:17:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | フォーミュラワン | 日記
2011年02月13日 イイね!

女性F1ドライバーはたった二人だけです

女性F1ドライバーはたった二人だけです女性のF1ドライバーは61年の歴史の中でもたった二人だけ。50年代のマリア・テレーザ・デ・フィリッピスと70年代の“女傑”レッラ・ロンバルディ(共にイタリアン)だけです。
え?他にもデジレ・ウィルソンや“あの”ジョバンナ・アマティがいたじゃない、というマニアな突っ込みをなさる方もいらっしゃるかもしれませんが、決勝に一回でも出走しないと「F1ドライバー」と認められないのが記録的には慣例となっているんですね。ですのでウィルソンもアマティも、合わせてディビナ・ガリカも元F1ドライバーとは言えません。



フィリッピスの恋人で有望なレーサーであったルイジ・ムッソは、58年に下記のブログにもあるランスで事故死します。失意のフィリップスは、翌年に静かにステアリングを置きます。

80歳を過ぎた現在、時折ヒストリック系イベントにも顔を出すフィリッピスですが、ある若者が小柄な彼女を見て、今からおよそ50年前、シートベルトもせず、最高速およそ300kmで3時間弱、死と隣り合わせで走り、戦い続けたレーシングドライバーであったなどと、想像すら出来ないかもしれませんね。

Posted at 2011/02/13 16:27:32 | コメント(1) | トラックバック(0) | フォーミュラワン | 日記
2011年02月13日 イイね!

“B・ビラ”とオノフレ・マリモン

“B・ビラ”とオノフレ・マリモン以前、09年のブラウンGPのデビューウィンに感化され、同じくデビューウィンであった名車メルセデスW196&ファンジオのことを書きました。1954年フランスGP、場所は超高速のランス。

ネットサーフィンをしていますと、あぁ~いい画だなぁ~と、しみじみと眺めてしまうような画像をちょくちょく見かけます。この画像もそうです。1954年第4戦フランスGP。そう、同じレースです。

恐らく出走前のドライバーズミーティングでしょうか。
飲みかけのビンを横から取られてちょっと不服そうにしているように見えなくもない彼は、マセラティ250Fを駆るアルゼンチン人オノフレ・マリモン。左に写るファンジオの弟子であり、有望な速さを見せ始めていた彼は、それから一ヶ月も経たずに事故死します。ファンジオはショックのあまり引退を決意しますが、チームとの契約のためそれは認められませんでした。
ビンを奪っているように見える彼は、アジア人初のF1ドライバーであり、タイの王族である“B・ビラ”ことハヌバン王子。戦前から留学先の英国でレースを初め、大戦後も初年度からF1に参戦。F1シリーズ戦での最高位は4位。
ビラの写真はあまり残っていないようなので、この画像が見れて嬉しいです。

Posted at 2011/02/13 02:16:44 | コメント(1) | トラックバック(0) | フォーミュラワン | 日記
2011年02月12日 イイね!

レーシングオン誌の「ブラバム」特集を読んで

レーシングオン誌の「ブラバム」特集を読んでなるほど、フォーミュラワン60年の歴史の中でも、自分の名を冠した自製のマシンで優勝&チャンピオンを取ったのは、確かに「ブラバム」だけでしたね。ジャック・ブラバムの偉大さを改めて再認識しました。“イーグル”のダン・ガーニーは勝ったけどチャンピオンを取ってないし、“マクラーレン”のブルース・マクラーレンも然りです。
こう考えると、現代において、例えばセバスチャン・ベッテルが現役中に自分で“ベッテル”というコンストラクターを作って自分が乗ってチャンピオンを取る、というのは想像すら出来ないことですね・・。

豪州で敵無しとなり50年代にヨーロッパに渡り、66年に三度目のタイトルを“ブラバム”で取った時には既に40歳、70年に44歳で引退する最後の年も1勝している彼は、豪州の石炭ガラを蒔いたダートオーバルで運転技術の基盤を築いたのが大きいと語っています。


それと今回の特集を読んで更に感じたことなんですが、カルロス・パーチェってかっこいいですね。生涯唯一の勝利が地元ブラジルっていうのもいいです。後にペドロ・ディニスがトリビュートした矢印ヘルメットも最高です。

Posted at 2011/02/12 22:15:13 | コメント(1) | トラックバック(0) | フォーミュラワン | 日記

プロフィール

「[整備] #ロードスター 購入後初のギア・デフオイル交換 https://minkara.carview.co.jp/userid/335937/car/3547031/7684700/note.aspx
何シテル?   02/21 19:10
2007年よりみんカラを始めて、2019年途中で飽きてしまいブログを休止しておりましたが、ぼちぼちマイペースではありますが、2022年より再開していきます。se...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/9 >>

 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930    

ブログカテゴリー

リンク・クリップ

PCさぽーと なんでもや 
カテゴリ:わたくしお勧めスペシャルショップ(クルマ関連以外)
2024/04/07 16:45:38
 
ビクトリーサークルクラブ(VICIC) 
カテゴリ:カークラブ
2024/03/26 17:03:26
 
学校法人横浜商科大学 
カテゴリ:お勧めサイト
2024/02/04 13:00:27
 

愛車一覧

ボルボ 940 エステート (ワゴン) ボルボ 940 エステート (ワゴン)
二桁ナンバー、ワンオーナーでずっとガレージ保管だった極上車です。ターボSE(190馬力仕 ...
ヤマハ セロー225WE ヤマハ セロー225WE
人生初の二輪車です
マツダ ロードスター マツダ ロードスター
自身6台目のマツダ車となります。これでマツダ耐久等の草レースに出るかも 2024/08 ...
日産 モコ 日産 モコ
アシとして購入。28台目にして初の日産車(OEMだけど)
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation