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勝とう常時のブログ一覧

2013年01月02日 イイね!

HKSスカイラインと萩原修

HKSスカイラインと萩原修最新号のオートスポーツの付録として、1993年のグループA(JTC)のDVDが付いてました。前にもブログで書いてますが、私の最初のビッグレース観戦は、この年最終戦のインターテックでした。本当に懐かしいです。

クラス1にエントリーの7台のGT-R(BNR32)。その中で唯一、エンジンを日産工機に出すのではなく自社でメンテしていたのが、チューニングパーツメーカーの雄、「HKS」でした。
パワーはナンバー1と噂されてながらなかなか勝てずにいたのが、第3戦の菅生で遂に勝ちます。ファーストドライバーの羽根幸弘(現株式会社スペックス代表)からトップでバトンを受けたセカンドドライバーの萩原修は、スピンで2位に落ちながらも再度逆転しての劇的な勝利でした。

そのインタビューの映像を見ていて、自分の中である“忘れ物”みたいなものを思い出しました。
クラス1に参加した14人のレーサーたち、星野一義、高橋国光、長谷見昌弘、見崎清志・・・まさに錚々たる面子ばかりですが、この萩原修だけ、私はほとんど経歴やプロフィールといったものを知らなかったんです。
その年でグループAが終わり、それと共に「萩原修」の名前も主要レースのリザルトに見受けられなくなったように思います。月日が流れ、このDVDを見て、あぁ、萩原修っていたなぁ・・・と彼のことを考えてみました。
いつ頃得た知識が全く覚えてませんが、確か彼は、どこかのサラリーマンだったのではないかという記憶の断片だけ、頭の片隅にへばりついていました。そして、もしそうであるならばエントラントであるHKSか、若しくは、チームタイサンとHKSにのみタイヤを供給していた横浜ゴムのどちらかではないかと考えました。

netで簡単に調べられる世の中となってしまいました。確かに彼は、当時横浜ゴムの社員でした。そして今も、横浜ゴムでホイールのデザインをされてるようです。
1993年当時、今では伝説となったグループAのスカイラインGT-Rを駆った14人の内、確かにHKSからは乗車手当は頂いていたはずとはいえ、本職が普通のサラリーマンだったのは彼だけではないでしょうか。そして彼は確かに、第3戦菅生において並み居るプロフェッショナルレーシングドライバーを相手に、トップでチェッカーをくぐったのです。痛快でしょう。

JAFの競技結果検索で調べますと、彼は翌年N1耐久に1年間だけ参戦し、その後はマシンから完全に降り、いちサラリーマンに戻られたようです。
大のヨコハマファン、グループAスカイラインファンでもある私にとって、彼はレジェンドドライバーの一人です。
2012年01月04日 イイね!

これでオフィシャル死んでたら誰に文句言えばいいの・・



1番の後に続いて高速の右コーナーに入っていった75番とゼッケン不明の白い車両(以後、白)ですが、アウト側にいた75番はイン側にいる白に対して全くスペースを提供していません。全く見ていなかったか、もしかしたら確信犯だったのかもしれません。白は四輪とも完全に芝に入っています。ただ、その状態でも全くアクセルを緩めずコース復帰、横から75番を押すかたちになります。
その後、二台ともドリフト状態になりますが、先に何とか立ち直らせた白が、まだ舵角が右を向いている75番をプッシング(している様に見えます)するかたちとなり、ほとんど運動エネルギーが衰えないまま右45度の角度でそのままガードレールに一直線、後はご覧の通りです。

マナーとしては、75番が最初の右コーナーの時点で白にインのスペースを提供してあげれば良かったのか、若しくは、白がインへの進入を諦めてちょっとアクセルを抜く方が正しかったのか・・。動画が途中からなので微妙ですが、32秒のところからよ~く見ると、75番がアウトから被せ気味にコーナーに侵入しているような気もします。このタイミングだと、白はアクセルを抜く抜かないというか、フルブレーキングしてもコース外に出るより致し方なかったようにも見えます。
で、その後白は、ほとんど減速しないままコースに復帰し、75番の右後ろをプッシュするかたちとなります。ただ、ランオフエリアがほとんどなく、かなり勢いもついていたので、滑りやすい芝の上で下手にブレーキを踏んだり、右に舵を切るよりかは、それしか選択肢がなかったのかもしれません。

ただ、コース上に戻った白は、まだ斜めになっている75番の後ろで、アクセルを緩めずそのまま追突しているように見えます。これも推定になってしまいますが、もしそうであれば、押す角度とタイミングによって、こうなってしまうことも事前に想像出来たでしょう。

サーキットで起こる事故でもっとも愚かで、しかも危険だと個人的に思うのは、頭が真っ白になるか血が昇っているかのどちらかでしょうが、コースアウトした後、無謀なコース復帰を試みることと、通常の状態にない前車(斜めになってたり横向いてたり)に対する無用なプッシングだと思います。


この動画の事故では、「全損1台、死亡・怪我人無し」で済んだようですが、ほんのちょっとの差で「全損1台、死亡2名、怪我4名」などとなっててもおかしくありませんでしたね。

2011年12月18日 イイね!

BTCC 53年の重み



BTCC(ブリティッシュ・ツーリング・カー・チャンピオンシップ))は53年の歴史を持ちます。まだ鈴鹿サーキットが影も形もない時代から、彼の地ではスプリントレースによる“ハコ”使い英国一を決めるシリーズ戦を展開し、JTCCがアッと言う間に誕生→終焉したのに関係なく、今現在まで連綿と続いています。

①アンディ・ロウズ
過去4回もチャンピオンシップを獲得している唯一のドライバーです。私がモーターレーシングに興味を持ち始めた頃もまだ現役バリバリで、フォードワークスからモンデオで参戦し、競り合いでの強さを遺憾無く発揮してましたね。それにしても、シエラがかっこ良すぎる・・・。

②ジャック・シアーズ
過去2回王者に着いており、初代(58年)王者でもあります。
シアーズといえばコルチナ、そしてフォード・ギャラクシー!当時は、図体がでかく機敏性に欠けるアメ車でも、その大排気量大パワーを生かして、かなりコンペティティブな存在でした。右に左に盛大なロールを繰り返しながら、V8サウンドを轟かしてスネッタートンやグッドウッドを駆け抜けたその雄姿が甦るようです。


ジョン・ローズ
ミニ乗りには説明のいらない方でしょう。偉大なレーシングドライバーです。
2010年05月02日 イイね!

1992「イギリスツーリングカー選手権」こういうレースを見たい!



前半の3台によるトップ争い、過去4度のチャンプを獲得しているイギリスツーリングカー界の至宝、アンディ・ロウズを取り囲むは、ボクスホール・カバリエ(オペル・ベクトラじゃないよ~)を駆るジェフ・アラムと、ひげのおじさん故デイビッド・レズリー。素晴らしいドッグファイトです。

後半は、日本でも活躍したスティーブ・ソーパーと故ウィル・ホイ、ジョン・クレランドらによる4位争いが熾烈すぎて、最後は残念な結果になってしまいますが、こういうプロによる熱いスプリントバトルを、国内でも是非見たいものです。

プロフィール

「[整備] #ロードスター 購入後初のギア・デフオイル交換 https://minkara.carview.co.jp/userid/335937/car/3547031/7684700/note.aspx
何シテル?   02/21 19:10
2007年よりみんカラを始めて、2019年途中で飽きてしまいブログを休止しておりましたが、ぼちぼちマイペースではありますが、2022年より再開していきます。se...
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