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勝とう常時のブログ一覧

2009年08月04日 イイね!

F1 1964 Rd.6 ドイツ



なかなかいい動画を見付けました。
画質がいいですし、この時代の映像はダイジェスト的なものが多い中で、スタート進行から序盤の競り合いまでを、10分を使って丹念に捕らえています。
コース上でのドライバーズブリーフィングの模様もいいですね。グリッドの先頭付近に徐々に集まって来たドライバーの周りを、カメラを構えたメディアの方たちが取り囲んでいきます。
輪の中に、ジャンカルロ・バゲッティとエドガー・バルトを発見しました。お二人が普通に映っている映像はかなりレアだと思います。
バゲッティはF1デビュー戦優勝と凄いんですが、その後一回も勝てなかったという不思議なドライバーで、バルトは欧州ヒルクライムチャンピオンを三度獲得した名ドライバーですが、この翌年癌で亡くなります。
他の見所は、3分30秒あたり、メカ退去の中、乗り込むのがちょっと遅いクラークの側に立つチャップマンにオフィシャルが退去を促すのを、掌を向けて応じる場面と、5分8秒あたり、今とはかなり違うスタート手順ですが・・・って、半分くらいフライングじゃないの!?

ちょっと調べたんですが、このレースに出走した22名のドライバー中、ご健在なのはたった四人(ガーニー,サーティース,ブラバム,エイモン)、レース・テスト中の事故で亡くなったのはなんと九人・・・死亡事故が多い時代でした。

Start:
1. John Surtees (Nr.7, Ferrari)
2. Jim Clark (Nr.1, Lotus)
3. Dan Gurney (Nr.5, Brabham)
4. Lorenzo Bandini (Nr.8, Ferrari)
5. Graham Hill (Nr.3, BRM)
6. Jack Brabham (Nr.6, Brabham)
7. Bruce McLaren (Nr.9, Cooper)
8. Phil Hill (Nr.10, Cooper)
9. Chris Amon (Nr.14, Lotus)
10. Jo Siffert (Nr.19, Brabham)
11. Richie Ginther (Nr.4, BRM)
12. Jo Bonnier (Nr.11, Brabham)
13. Mike Hailwood (Nr. 15, Lotus)
14. Maurice Trintignant (Nr.22, BRM)
15. Bob Anderson (Nr.18, Brabham)
16. Tony Maggs (Nr.26, BRM)
17. Mike Spence (Nr.2, Lotus)
18. Peter Revson (Nr.27, Lotus)
19. Gerhard Mitter (Nr.23, Lotus)
20. Edgar Barth (Nr.12, Cooper)
21. Giancarlo Baghetti (Nr.18, BRM)
22. Ronnie Bucknum (Nr.20, Honda)

Posted at 2009/08/04 20:34:36 | コメント(2) | トラックバック(0) | フォーミュラワン | 日記
2009年08月04日 イイね!

↓の正解発表

ちょっと難しかったかもですね。
賞品が缶コーヒー一本じゃなく、一年分だったら回答される方が現れたかもしれませんね。

問1:正解③

アーサー・オーウェンはイギリス人で、確か60年の地元イギリスGPに一戦のみスポット参戦しています。日本グランプリでは、ロータス23で三位に入賞してますね。
①のタルッフィはちょっと引っかけで、確かに50年代にF1の参戦経験もあって、日本グランプリにも来てたんですが、FIAからのオブザーバーみたいな役割でレースには出走してないんです。
②のウォアは、日本グランプリでは23で優勝したりして有名人ですが、F1への参戦はこの後もありませんでした。

問2:正解②

ロータスの創設者として著名なチャップマンは、彼自身“コンストラクタードライバー”と言われることもある通り、自身も初期はレーサーとして活躍してました。チーム・ロータスとして初めてのF1参戦は58年ですが、56年に確かヴァンウォールで予選のみ出走しています。
五番手の好タイムで易々と予選を突破しましたが、何故か本戦には出ませんでした。そこらへんの事情は私も詳しくないんですが、どうやらテスト(?)で最初から予選だけのつもりで乗ったようです。
エクレストンは58年にコンノートで予選のみ出走してますが、「予選落ち」と「スタートせず」が一回ずつです。あまり知られてませんが、彼もレーサーでした。
余談ですが、近代F1の始まり、1950年の第一戦イギリスGPにおいて、サポートレースに出走していたレーサーの中に、18歳の彼はいました。そう、エクレストンは本当に最初に最初のF1の現場にいたということになります。
以来60年間、立場が変わりながらも、彼はF1の現場を見続けています。彼のことを色々言う方もいますが、彼ほどF1を“知っている”人はいないというのも、また事実ではないでしょうか。
現FIA会長のモズレーも元レーサーですが、F2止まりだったはずです。

問3:正解②

「“B”ビラ」ことビラボンス・ハヌバン王子はタイの皇太子で、英国留学中の戦前よりレースに出始め、戦後の50年代にはF1にも参戦。優勝こそありませんでしたが、確か三位か四位には入ってるはずです。彼の駆ったマセラティ250Fはまだ現存してるはずです。
インドとマレーシアは各一人ずつで、ナレイン・カーティケヤンとアレックス・ユーンが比較的最近ですね。
日本人で最初は、76年の高原敬武,星野一義,長谷見昌弘の“イン・ジャパン”スポット参戦トリオですね。

問4:正解①

チリといえば、エリセオ・サラザールです!
ネルソン・ピケがサラザールと接触して両者リタイヤになったのに腹を立て、マシンから降りて殴りかかった映像をご覧になった方も多いかと思います。サラザールはまだヘルメットを被っていたので、全然効いてませんでしたが(笑)。
モナコには戦前からの名ドライバー、ルイ・シロンがいます。58年に58歳で引退するまで乗り、その後はモナコGPの競技長を務めました。モナコ人で他にもいるかもしれませんが、私はシロン以外知りませんね。
他に一国一人だけというと、リヒテンシュタイン(オランダの隣り)のリッキー・フォン・オペルやチェコのトーマス・エンゲ、ハンガリーのゾイト・バウムガルトナー等でしょうか。

問5:正解②と③

どちらもドイツ人ですね。F1では結果は残せませんでしたが、彼らの偉大な足跡を少しも汚してません。
ローゼマイヤーは38年の速度記録チャレンジ中に事故死。ヌヴォラーリは、戦後もミッレミリアなんかは出てたのかな?でも、F1に乗ることはありませんでしたね。年齢的なものでしょう。
Posted at 2009/08/04 18:17:12 | コメント(1) | トラックバック(0) | フォーミュラワン | 日記
2009年08月04日 イイね!

ブログでの写真埋め込みに関して

すいません、分かる方ちょっと教えて頂けると嬉しいんですが、一つのブログ内で写真をいっぱい埋め込んでいらっしゃる方も多いと思うんですが、それってどうやるんでしょうか。

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「[整備] #ロードスター 購入後初のギア・デフオイル交換 https://minkara.carview.co.jp/userid/335937/car/3547031/7684700/note.aspx
何シテル?   02/21 19:10
2007年よりみんカラを始めて、2019年途中で飽きてしまいブログを休止しておりましたが、ぼちぼちマイペースではありますが、2022年より再開していきます。se...
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