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勝とう常時のブログ一覧

2009年05月10日 イイね!

「解説」って必要なんでしょうか?

「解説」って必要なんでしょうか?部屋の前の道路で、警察の取り締まりの不条理さを大声で主張する人・・
三日に一回位の割合で一時停止違反の取締りをやる道沿いに住んでいるので、その度に警官と違反者のやり取りが、聞きたくなくても耳の中に入ってきます。
「あれくらいで捕まえるのは、ちょっと厳しいでしょ~!」とか、「前も後続の人もやってるのに、どうして自分だけ!」とか、色んな主張をなさっているようです。悔しい気持ちは十二分に分かります。ですが、ここでふと思いました。
普段から、制限速度40キロ道路のところを45キロで走ったり、横断歩道の前で横断したい歩行者が待っているにも関わらず、クルマの流れというものに逆らえず止まらなかったり、クルマに乗り込んで10mくらい走り出してからシートベルトを締めたり・・。
これらはとっても軽微ですが違反です。本人もそれを納得してるし、警官も見て見ぬ振りをするかもしれないくらいのものかもしれません。
それらを違反し続けてきて、いつの日か警官に明確な違反で捕まります。そういう時というのは、貯まってきた軽微な違反がある臨界点に達し、この時点で代償を支払わされるのではないかなぁと思ったのです。
例えば、15キロの速度超過で捕まったとします。後続の車両も自分のクルマに着いて来たため、同じ速度で走っていたにも関わらず自分だけが捕まりました。前も空いてて見晴らしもいい道路で、しかも夜も遅い時間でした。
“こんな時間に、しかも何で自分だけ・・”と憤懣やる方ないのは十分分かりますが、今まで軽微であれ違反を繰り返してきた身として、あるタイミングで代償を払う時が来た、それが今だった・・と納得するしかないのではないでしょうか、潔く。

上記は本題とは何の関係もありません。前振りでもありません(笑)。

宮本輝氏の「花の降る午後」を読みました。
大変面白い作品でした。表と裏に分かれて進んでいくストーリーの進行具合が素晴らしく、また余計な“説明”もなく(いい小説は押し並べてそうだと思います)、読後の余韻を楽しみました。
私はよく小説を読みますが、昔から思っていることなんですが、最後の数行を読み、その後に訪れる余韻に浸るという目的のためだけに、1ページ目の最初から最後までずっと読み続けると思うんです。言わば、小説の最後の数行以外の部分は、その余韻に浸るためだけの前振りだけでしかないと。
ですが、本当はそんなことはなく、例え“前振り”という言葉で当てはめても、主人公を巻き込むやっかいな事件や恋物語、登場人物の幾多の葛藤や悩みなどがあるからこそ、最後の数行を読んで感動を得られる資格が得られる訳でして・・。あくまで、“微妙な、漠然としたイメージ”として思いを書きました。
この作品は“前振り”からとっても面白い。もう15年くらい前の作品で、古本屋でかなり安く売っている部類だと思います。お勧めです。

で、じつはここからが本題なんですが(笑)、文庫本の最後に「解説」ってあるじゃないですか。文芸評論家や同業の方々が、その作品を解説したものが載ってますね。
あれって、いらないと思うんですよね。
読後に受けるその作品の感想は人それぞれ。そこに尤もらしい難かしめの言葉を並べて、作者の精神状態なども分析しながら「解説」しても、それは解説者が解いたものであって、大半のものはこちらはあまり受け入れられなかったりか、難解な「解説」で何を言わんとしているのか分からないかのどちらかですね、私の経験では。しかもその作品内に収められるので、悪く書くはずもないし。
最終頁の次の頁から、「解説 ○×太郎」というのが見えるとちょっとげんなりします。ただ、そうなら解説は読まなきゃいいんですがね(笑)。
Posted at 2009/05/10 14:54:48 | コメント(3) | トラックバック(0) | お勧めの本 | 日記
2009年05月08日 イイね!

「アイドラーズ春の三時間耐久」の参戦概要

「アイドラーズ春の三時間耐久」の参戦概要私勝とうにとって乗り手として今年最初のレースであり、同時に今年最後のレースになる可能性の高い(?)「アイドラーズゲームス春の三時間耐久」がいよいよ迫って来ました。24日(日)決勝です。

前のブログにも書きましたが、昨年の12耐では“ゼロ・ファイターズ・カー・クラブ”からのエントリーであったkinmeさん所有のMGFは、今回は新たに結成した“TeamKinme”よりのエントリーとなり、ドライバー五人で戦います。
実は、私以外の四人さんは某所で作戦会議が済んでおり、その日はコンテッサクラブ総会と重なり私のみ参加出来ませんでした。しかも、私はKinmeさん以外の方とは一面識もないのです。レース当日が初対面となるでしょう。人見知りなので、緊張します~。

オーナーのSさんが精力的に動いているカローラレビン(AE111)は、今年もZFCCよりの通年エントリー予定。ドライバーは三名さんです。同じピットにMGとレビンが並びます。
応援&お手伝い大歓迎ですよ~。


Posted at 2009/05/08 13:20:30 | コメント(7) | トラックバック(0) | アイドラーズゲームス | 日記
2009年05月06日 イイね!

“むつ湾スピードウェイ”が頭から離れません

“むつ湾スピードウェイ”が頭から離れませんこの記事は、みちのく3人旅② について書いています。

一緒に行った 疾如風!さんもブログにアップしています。よろしければこちらもご覧下さい。
彼にとっても、今回の探訪は特別なものになったようです。
Posted at 2009/05/06 22:50:20 | コメント(2) | トラックバック(0) | むつ湾スピードウェイ | 日記
2009年05月05日 イイね!

むつ湾スピードウェイ探訪記②

むつ湾スピードウェイ探訪記②書き忘れてましたが、Aさんの粋な計らいで当時の「むつ湾グランド200マイルレース」の車両通行証とパドックパスをコピーしたものを持参してくれました。
パスを首から掛け、通行証をウィンドウに貼って更に気分を盛り上げます。

続き

更に靴を濡らしながら先に先に進んで行くと、地面からアスファルトが盛り上がったところを発見しました。眼前にはおだやかな陸奥湾の海が広がっています。
この辺りで自然物以外の物があるということは、当時のむつ湾SWの舗装に違いない。心が一気に浮き立ちました。
アスファルトの辺りに進むと、左側の小高い丘と木々はなくなり、右に海を見てはるかはるか先までほぼ平坦な空き地が広がっているのがよく見えます。この辺りはコースのどの辺なのか、いまいち分かりません。アスファルトも微妙に左に折れながら先まで続いているようです。
さぁどうしようと思っていると、Aさんが追いつき、そして私を抜き広大に広がる空き地を先へと進んで行きました。私もちょっと休んでから離れて後を追います。下は草地か、土の上に薄く水を張った湿地です。海辺に近いところは乾いていて比較的歩きやすいんですが、道が閉ざされているのでどうしてもぬかるんだ道を通らねばならず、これには苦労しました。
それとひどいのはごみです。至るところに散乱しています。当時の物もあるかもしれませんが、比較的新しいごみに見えました。海辺にも漂流物と思しきごみがたくさんあります。
Aさんの「ピットあったよ~!」という声が聞こえ、興奮して近づいていきます。確かにピット跡です。ブロックが縦三段くらい積み重なったものが、ずっと先まで続いています。四段目より上は倒れてしまっており、誰かが意図的に倒したのか、風雪により崩れ落ちたのかは分かりません。
“ピットの壁”という、初めて明確に判別出来るサーキットの跡を発見し心からの安堵と感動に浸ります。ということは、最初に発見したアスファルトは恐らくコースのバックストレッチ部で、今歩いて来たところはメインストレート上なんでしょう。どうして湿地になっているかは、コースのアスファルトが土の下に残っており、それより下に水が浸透していかないからなんだと気付きました。
Aさんとピットを見やりながら1コーナー方向に向かって進んで行きます。Aさんも36年振りの訪問に感慨深げのようです。「確かうちのピットはここら辺だったよなぁ」といって、そこで写真を撮りました。
右に小高くなっているところがあり、進むとそれはグランドスタンドの跡であるのが分かりました。比較的良好に残っています。10mくらいの高さでしょうか。
上まで登ると、見晴らしが良く今まで歩いて来た辺りも含め遠くまで見渡せます。すぐ裏は断崖絶壁ですぐに海です。いずれ、スタンドは下部の土ががえぐられ海側に倒れて無くなってしまうのではないかと思いました。
ずっと先にも、コンクリートの支柱のみが地面に突き刺さったまま何本も残ったものも見えましたが、そこまでは行きませんでした。
暫く待って、全員がグランドスタンド跡に集まりました。

写真で見ると72年のむつ湾ストックカーの決勝日当日は快晴で、海の青と空の青のコントラストが本当に綺麗でしたが、今日はそれほど厚くはないですが雲が空ほぼ一帯を覆っているのを残念に思いながら、ぼんやりと周りの景色を眺めやります。
今は何もないといっても言い過ぎではないこの場所に、全長4.5キロ、直線1800mのサーキットがあり、オープニングレースに9万余の観衆が集まったのが信じられないくらいです。
豪雪地帯で冬季は深い雪の下に埋まるこの本州の北の果ての地にサーキットを作り、果たして最初から勝算はあったのか。普通に考えれば誰しも難しいと思うでしょう。
当時東北地方にはサーキットはなく、東北のエントラントを一手に集められれば・・東北のモータースポーツのメッカという立ち位置になれれば・・という思惑もあったかもしれませんが、それは叶いませんでした。やはり場所であったり、NAK(この年にNACから改称)の崩壊であったり、他にも当事者しか知らない事情があったのでしょう。因みに東北第二のサーキットである「スポーツランド菅生」が出来るのは、それから7年も後のことです。

塩澤氏の回顧録の最後に、

「私はスピードウェイ内での挨拶を終わった後、場内の各部の点検に回りました。広さが東京ドームの5倍以上もあるものですから、時間もかかります。やがて午後9時になりました。私は一人、4階建てのコントロールの屋上に立ちました。この時間になっても、まだ場内から出きらない車の列があります。そして場内から出た「はまなすライン」を南に向かう列は、真っ暗な中に、何キロも何キロも先まで、一台ずつが二つのテールランプの赤い列を作って、徐行しながら連なっているのです。  中略  そして、ここで見るむつ湾スピードウェイの光景は、この10年前、1962年11月4日、鈴鹿サーキットのオートバイグランプリが終わった日に見た夜の風景とそっくりでした。私は数時間かけて場内から立ち去る観客が、光の列となって遠ざかっていく、同じ場所の同じ景色に、もう一度立ち会っているような思いに囚われていたのです。  中略  私は自分がムービーカメラであるかのように目を見開いて、その場に立ち尽くしていたのです。」(原文通り)

とあります。
夕方から夜にかけてゆっくりと日が沈んでいくまでここにいて、奇跡的なことを成した彼らの思いを享受し、反芻したいという思いもありましたが、残念ながら我々には時間がありません。今日中に八王子まで帰らなければならないからです。約800キロの道程です。
二時間弱の滞在でした。我々以外には人っ子一人見かけなかった跡地を名残惜しく思い、来る前は“一生に一度”の訪問と思っていましたが、いつの日かまた再び訪れたいと思うようになっていました。不思議な魅力のある地です。
帰りの道中もずっと頭にむつ湾SWの名残が漂っていました。それは今日までも完全には消えてません。
本当に素晴らしい経験でした。言葉ではうまく伝えられないことをご容赦下さい。

終わり





Posted at 2009/05/05 12:27:02 | コメント(6) | トラックバック(0) | むつ湾スピードウェイ | 日記
2009年05月04日 イイね!

むつ湾スピードウェイ探訪記①

むつ湾スピードウェイ探訪記①5月2~3日と、青森県上北郡野辺地町にあった伝説の超高速サーキット“むつ湾スピードウェイ”跡地に行って参りました。
72年から73年の間のたった二年で閉鎖された、下北半島の付け根に近いところにあるそこに行くことは、約十年前に「オートスポーツ」誌で連載していた塩澤進午氏のノンフィクション「レース史・私の報告書」を読んで以来、私のささやかな夢となりました。
一昨年、「日本の名レース100選 むつ湾ストックカー」が発行され、その思いはますます強くなり、遂に今年の黄金週間期間中に、悲願成就となった訳です。

始めに書いておきますが、今回の探訪は、私の人生の体験の中においても、最高ランクに素晴らしいものでした。



青森一泊遠征の強行軍のスタートは、八王子からでした。パートナーはAさんと疾如風!さん、それにレンタカーのトヨタ・プリウス。
Aさんは73年にむつ湾で行われた「むつ湾グランド200マイルレース」に当時関係者として行っており、36年振りの訪問となります。
14時少し前に出発、最初の運転は私。首都高を避け、国道16号をひたすら北上。東北道は岩槻インターから乗りました。次の蓮田SAで疾さんに交代、後はひたすら北上していきます。
一泊目の宿は岩手県八幡平市の村上旅館です。最寄のインターは安代。500キロ以上の距離です。予定到着時間は21時と読んでいたんですが・・。
暫く行ってから、渋滞情報を告げる電光掲示板を見ると、“渋滞50キロ”という表示が。
途中の前沢SAで牛丼を食べ、宿に着いたのは21時45分頃。何とか本日中に着けました。

宿でMさん一家と合流となります。北海道在住ですが、今回のむつ湾探訪に興味を持ち、北からの合流となります。
風呂入ってちょっと酒飲んで爆睡。6時半起床、7時からの朝飯を食べ、早速目的地目指して出発です。運転は引き続き一番若い疾さん。また安代から東北道に入り、東北道最終地点である青森ICに出、そこから青森自動車道→みちのく有料道路と進み、国道4号線に入ります。
東北道が開通されてなかった当時、むつ湾に向かう関東のエントラントがひたすら北へ北へと進んだ道です。そこから更に国道279号へと進み(その辺りでちょっとミスコース)、左に陸奥湾が広がる海沿いの素晴らしい景観の中を更に北上していきます。
目印は右に見えるはずの風車です。最初にそれが視界に入ってきた時は、いよいよ目的地が近いと興奮しました。
いつの間にか海は木々に遮られて見えなくなりました。むつ湾SWは279号と海との間にあります。道がちょっと内陸寄りになり、そこからまたちょっと海寄りになる辺りのはずです。いよいよ近いということです。
右に見える風車がかなり大きく見えてます。この辺りに間違いありません。左にちらっと砂利道と鉄の門を確認しました。またちょっと行くと左に同じく砂利道と、今まさにその先に入ろうとしている作業員と思しき人が見えました。入口にロープをかけてます。そこから更に行ったところで踏切が見えました、野辺地踏切です。ここまで行くと行き過ぎです。左に海が見えてます。
そこでUターンし、鉄の門が見えた最初の砂利道にクルマを入れます。門の前にクルマを止め、奥に進みます。いよいよこの先でしょうか。期待と不安で一杯です。
・・・道なき道を暫く進んでも、目に広がるは木々と草と低い丘と水溜りばかり。海も全く見えません。ちょっと違うような気がしてきて、この先を進むのを止め、かといって作業者がロープを張っていた道へはさすがに入って行けそうもありません。何かの工事が行われているのは確かで、もしかして跡地は既に開発途中で、立ち入り禁止なのか・・そんな風にも思いました。
Uターンした場所に戻ると、ガードレールの切れ目があり、何となく奥に入っていけそうな感じです。道はありませんが。踏切の手前辺りにも入っていけそうなところがあって、Mさん一家はそこから行ったようですが、私は焦り・焦燥感で他の二人も置いてけぼりにしてひたすらそこからどんどん奥へ奥へと進みます。下は湿地帯で靴はビショビショ、靴下も濡れました。左側はちょっと小高くなってるんですが、木々が生い茂り進入は不可能です。
画像は最初に探索した違ってたところ。

続く
Posted at 2009/05/04 15:28:38 | コメント(2) | トラックバック(0) | むつ湾スピードウェイ | 日記

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「[整備] #ロードスター 購入後初のギア・デフオイル交換 https://minkara.carview.co.jp/userid/335937/car/3547031/7684700/note.aspx
何シテル?   02/21 19:10
2007年よりみんカラを始めて、2019年途中で飽きてしまいブログを休止しておりましたが、ぼちぼちマイペースではありますが、2022年より再開していきます。se...
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