以前みんからに、中国で撮影した車やバイクの写真をいくつか載せたことがある。
中国へは1993年に北京出張で1回のみ行っただけで、その後は行っていない。当時は高度成長期前夜で、貧しさと豊かさがぐちゃぐちゃに混ざり合ったような混沌とした雰囲気があった。
空き日にプロジェクトの他の人たちは、「万里の長城ツアー」等へ行っていたが、私はこの混沌を味わいたくて、北京散歩をすることにした。その時たまたま入った骨董店で、購入したある懐中時計の話。
中国元でいくらだったか忘れたが、日本円で¥9,000だった事をはっきり覚えている。
それを買おうとしたとき、手持ちの中国元が足りなかったので、「日本円で払っても良いか?」(※当時は違法だったと思う)と言ったら、快諾してくれた。
一万円札を渡して、商品をもらって「¥1,000の釣をくれ」と言ったのだが、女性店員は知らんぷりをした、だいぶネバったのだが結局最後まで釣を渡さなかった。(※\1,000は当時の一般中国人には結構な高額。)そんなことがあり金額をよく覚えている。
この時計の蓋の部分には、中央にライフルが2丁クロスして周囲にキリル文字で何か書いてある。このデザインに一目惚れした。
裏蓋を開けると、ジュネーブと書いてあるのでスイス製なのが分かる。当然「手巻き式」なのだが、リューズは無く、巻き鍵がひもでつながっていた。裏蓋を開けて裏の穴に巻き鍵を挿してゼンマイを巻く、隣の穴で時刻を合わせる。巻き鍵は片面が英文、もう片面が漢字表記なので、純正品ではないようだ。
当時はまともに使えるインターネットがなかったので、このキリル文字が何を意味しているのかは分からなかった。
買った当初は1分位は動いていたのだが、そのうち不動となり、引き出しの肥しとなり、たまに眺めているだけだった。
それから約30年、久しぶりに思い出した。
文字盤は、陶器製でよく見ると手描きのようだ。
FLEURY GENEVE、と書いてあるのでジュネーブのフロイリーという会社だろう。
カバーのキリル文字について調べてみた。
“ЗА ОТЛИЧНЮ СТРЕЛЬБУ”(ザァ ォトリューチニュ ストゥリールブ)と書いてあるようだ。意味をネット翻訳すると「優れたライフル射撃のために」という意味だとの事。
ロシア語のWikipediaで調べると、同じデザインのバッジについての説明があった。要約すると、帝政ロシアの皇帝アレクサンドルⅡ世により1879年に歩兵と騎兵のうち優れた狙撃兵を奨励するために制定され、射撃競技での優秀者に授与された。(ただし時計についての記載はない)最後の表彰式は1917年
アレクサンドルⅡ世は1881年暗殺される。
以前同じ形状のFLEURYの懐中時計で、中央にアレクサンドルⅢ世の肖像写真が中央に埋め込まれたものがアメリカのオークションサイトに出品されていたので、帝政ロシアはこの時計メーカーのお得意さんだったのかもしれない。アレクサンドルⅢ世は1894年腎不全で崩御。
裏蓋や各所に、クマの立ち上がったホールマークがあり、これはスイスで1880年~1933年まで使用されていた純度87.5%以上のシルバーに付けられるのマークらしい。
時計とバッジの授与の違いはわからないが、バッジと同時期に授与されていたとすれば、1880年~1917年(帝政ロシア崩壊)の間で製造されたものと思われる。
すると106年~143年前の物で間違いないだろう。
さて、色々調べていると「こいつを直してやりたいな」と思ってしまった。
※ちなみに私は時計修理はできない。
まずは、いつもお世話になっている、時計修理店に、診断してもらったところ「内部の摩耗が激しすぎ、またパーツの入手が困難で修理できません」とのこと。これは予想の範囲。
次に、一度も頼んだことのない上野の時計修理店にネットで打診してみたら「やるだけやってもイイけど、直るかわからない。途中でギブアップした場合にも、そこまでの手間賃は頂く。金額はやってみないと判らない」という答え。なんかレア輸入車修理での「あるある不愉快回答例」みたいなのが来たなぁ、と思い勿論パス。
次にたまたま中目黒に行くことがあったので、ネットでよく見る駅前の「本橋時計店」に直に持ち込んで相談してみた。比較的お若い方(店長か2代目か?)が、大変感じよくご対応いただいて、「とりあえず見積もってみます」ということになった。
それから数週間後にお電話いただき、金額の目安が出た「〇〇万円以上、あとは作業を始めてみないと判らない。直らなかったら代金は頂かない」ということだ。直らなかった場合に代金をとらないのは、上野に比べれば良心的だが、修理代が青天井なのは怖い。
それから1週間ほど考えてから、こちらから電話した「上限額▲▲(税込み)以内で、直せる職人を探してほしい。直せなかった場合には元の形に戻して無償で返却という条件で」。これは私の気持ち的には結構頑張った条件。本橋時計店さんは快く「探してみましょう」と。
更に数週間後に電話があり、「この条件で引き受ける職人が見つかった」というので、修理を依頼した。
それから2カ月後、修理完成した。ゼンマイが交換されていた。あとはバラバラに砕けたルビーの破片が袋に入っていた。裏側からゼンマイを巻くと力強いカチカチ音で、秒針が動いている。「1日で1~2分位は狂いますね」と言っていた。精度としては大満足。
赤→部分は付け足してくれたようだ。
ここにきて、付属の巻き鍵についての疑問もでてきた。片面に「ALEX. ROSS & Co」反対面に「?土洋行」と書いてある。
ネットで1時間ほど調べていると、漢字部分は「囉士洋行」と書いてあると判った。ALEX ROSS & Co(=囉士洋行)は1920年前後に香港にあった英国資本の商社らしい、フォードの代理店が香港進出する前までは、フォード車の販売をしていたとの事。※ここでやっと車の話題とつながった。
他にインディアンモーターのバイクなども扱っていたようだ。ネットで探すと「ALEX. ROSS & Co囉士洋行」ブランドの懐中時計がいくつか見られる。
さて本橋時計店で修理代をお支払して・・・・(金額は私が設定した上限額よりはずいぶん安かったが、当初の見積額よりは少し高かった)・・・・時計店の方に言われた「本当に修理するとは思いませんでしたよ、古いパテックフィリップの修理代に近いですよ。ははは」と。※嫌味な感じではない。
本当に「ははは」だと自分でも思う。30年前フローリアンに乗り始めた頃に、いすゞディーラーに「買い替えた方が良いですよ(ニュアンス=なんでこんな車を修理すんだよ!)」と言われたときの感覚が蘇った。※こちらは嫌味な感じで
マイナーなものを救いたくなる私の悪癖がもとで、帝政ロシアの名も知らぬライフル名手の懐中時計が蘇り、それを眺めつつ自己嫌悪と自己満足に浸る休日となりました。