
PVレポート見てると、車系のみんカラで、少数派同好向けのタイトルなのに、結構数字が上がっています。足跡(OFFかも?)は、ほぼお馴染みさんばかりなので、このテーマの時にみんカラメンバー以外の読者が増えているのかもしれない。
そんな訳で、今後もお遍路の投稿を続けていこうと思ってます。
真面目にお遍路を遣ろうとしてる方へ
最低限の基本的用語
ネットから引用
弘法大師
「空海」として広く知られ、「お大師さま」の名称でも親しまれています。高野山を開創者で、広く密教の教えを多くの人々に導きました。密教の宗派の一つである
真言宗を開祖で、遍路で行われる
参拝作法は密教真言宗のものを基本としています。
大師は讃岐の国(香川県)の出身で、青年期には、
四国の山中海岸、太龍岳、室戸岬、石鎚山などで山道修行を行うことで虚空蔵求聞持法の智恵を得たとされ、このことが四国遍路の基礎の一つとなっています。四国には今でもお大師さまが遍路を巡っているとされています。
同行二人
お遍路をはじめると、様々のところで目にするのが、この「同行二人」。「同行二人」とは
お遍路がお大師さまと二人ずれという意味です。遍路では一人で歩いていても常に弘法大師がそばにいて、その守りを受けているとされています。そして、遍路で使われる
杖には弘法大師が宿ると言われています。
札所とは
お遍路で
巡る88ヶ所のお寺のことを指します。その由来は、昔、参拝する際に、巡礼者がお寺に「お札」を打ちつけたことに由来しています。お遍路では四国に点在する、この88ヶ所の札所を巡ります。
四国では、今でも札所を弘法大師がを巡っているとされ、お遍路では札所を巡ることで
弘法大師の功徳を得られるとされています。
また、88ヶ所の札所の他に、弘法大師ゆかりの地や社寺が「番外札所」とも呼ばれています。
順打ち、逆打ち、区切り打ち
お遍路では札所を巡る順番に決まりはありません。お遍路で札所にお参りすることを「打つ」といい、
四国を時計まわりに巡ることを「順打ち」、反時計まわりに巡ることを「逆打ち」といいます。
一般的には「順打ち」が基本とされていますが、「逆打ち」の方が功徳が大きいとされています。その理由としては、弘法大師が順打ちで四国を巡っていることから、逆打ちのほうが大師に出会いやすいということ、へんろ道が順打ちを基本として作られている為、逆打ちのほうが巡礼することが難しいとされている為です。実際にへんろ道では案内板や道しるべが順打ちを基本に設置されている為、逆打ちは初心者の方には巡りにくいです。
「打つ」の語源は、以前、お寺を参拝した際に巡礼者が柱や壁に木製・銅製の納札を打ち付けていたことに由来しています。
また、88ヶ所の札所を日にちを分けて巡ることを「区切り打ち」といいます。これは88ヶ所の札所を一度に巡らず、
数回に分け四国を訪れて巡る方法で、近年になって多く広まったようです。
その他に、県ごとに区切って巡ることを「一国参り」といい、明治期に土佐の国(高知)で遍路の規制がなされた際などには、土佐を抜いた三県で「三国参り」として遍路が行われた事などもありました。
納札 と 納経帳
遍路では各札所で「納札」(おさめふだ)を納め、「納経帳」(のうきょうちょう)に印をもらい四国を巡ります。
「納札」
は手のひらほどの紙札に氏名を書き、各札所の本堂と大師堂におさめるというもので、これは”碑伝”という参拝慣習に由来していると考えられています。この慣習は
自分が参拝した証を残すためのもので、これを多く残すことが功徳だとも考えられていました。本来は木柱を立てたり、木製や銅製の札を打ち付けたりしていたのですが、現在は建物の保護のために紙の札をおさめるという形をとっています。
「納経帳」
何も書かれていない冊子に各札所で黒書と朱印をいただくというもので、これは
お寺にお経をおさめた証としてその寺の印をもらうというものです。多くの印がある納経帳はその巡礼者の徳をあらわし、また、そういった納経帳自体が御利益を持つとされています。
いずれも現在に残る慣習ですが、その意味は失われつつあります。お経をおさめることはおろか、お堂に手を合わせることすらなく、単に
納経帳に印を集めるような遍路であって意味があるわけありません。”遍路はお心”です。それぞれに合った遍路をすればよいのですが、寺々を巡る以上、仏道への礼節を尊重したいものです。
お接待
遍路の道中、見知らぬお婆さんが「お茶でもどうぞ」と招いてくださるなんてことがあります。それは
巡礼者に施しをくださる慣習「お接待」です。
お接待には食べ物や飲み物などをくださったり、[接待所]と呼ばれる休憩所を開放していたり、[善根宿]という遍路に宿として提供してくださる所など、その形は様々です。これらの手厚いお接待は地元の方々や他県の接待講の方々のご尽力により無償で行われています。
もしこういったお接待をいただいたときは、「南無大師遍照金剛(ナムダイシヘンジョウコンゴウ)」の宝号を唱え、納札を手渡します。
道中、車の方が「お接待いたします。お乗りください」と車でお送りくださるといったお接待の申し出がある場合があります。全てを歩いてまわろう決めている方は正直に「歩くことを行としております。」と断ってもよいです。
しかし、基本的にはお接待は出来るだけお受け下さい。なぜなら、
お接待は「行けない私の分まで宜しくお参り下さい」という代参の意味でもあったり、お接待自体がその方の行でもあり功徳となるからです。ですから参拝の際には、
お接待をして頂いた方の分までお参りするという気持ちで参拝したいものです。
このようなご好意の裏には地元の方々の人知れぬご尽力とご苦労があるはずです。お接待をうける際には、その方々への感謝と敬意を忘れたくないものです。
その1、その2と記載したように遣ってもらえたら、お四国の参拝はほぼOKです。
どうしても不安であれば、バス会社企画の先達付遍路旅に、初回だけ参加して4~5ケ寺参拝
すれば一層理解できると思います。バスの企画旅が気に入れば残りの企画にも参加すればよく
(最終には高野山奥の院迄バス遍路旅が有ります)、自信ができればマイカー遍路旅がお遍路以外
に観光や食事、買い物等の自由が利きます。