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たれほんだのブログ一覧

2011年03月17日 イイね!

3.17

3.17 曇り時々雪 低温

AM7:30分頃

フィットにセイバー(折りたたみ自転車)積み職場へ出発。途中、南境トンネルを出た時、突然携帯が鳴りました。通信が戻ったか! と思いましたが、メール数件を受信してその後全く機能せず。しかし、色んな人が心配してくれている事がわかりました。しかし、こちらから連絡する術がありません…。

AM8:30頃

安否が分からなかった職場から2kmほど離れたスタッフの家に行ってみました。周囲は冠水したままでしたが、生存を確認。

AM9:00頃

職場に残っていた金品を回収していると、既に安否がわかっていたスタッフが訪ねてきました。職場にあった物資、灯油等を分けて、避難先へ送り届けました。

AM11:30頃

ボランティアをしている福祉施設へセイバーを置いてきました。スタッフの車全て水没し、以前寄った時に自転車が欲しいと言ってたからです。しかし、ワイヤー錠のカギがなく、セキュリティ問題が残ってしまった為に、出番はなかったようです…。

正午前には帰宅して昼食。そのままPM3:00頃まで自宅の片づけをしていました。そして、近所の人から渡波小学校で、自宅避難している人への配給があるとの情報を得て、母と二人で歩いて行きました。配給をもらいつつ、同小学校の避難者リストをみました。妻と義母がいるのではないかと…。しかしいません。母を先に帰らせて、妻が住んでいる実家へ行ってみる事にしました。実は数日前も行こうとしましたが、道がガレキの山で、自転車だったので断念していました。

ガレキの隙を縫いながら進み、家の近くまで行きましたが、またもガレキの山。と、そこへ一本のハシゴを発見。そのハシゴを登って、妻の実家道路一本挟んだ家の一階の屋根へ登る事ができました。周囲はガレキの山ですが、妻の家は形は残っていました。車もありません(今となっては記憶もあやふやですが)。大きな声で呼んでみましたが、返事はありません。

どこかへ避難しているな…

そう思いました。しかし、結果二人はこの家で発見されます。屋根を飛び降りてでも家の中を確認しておけば、もっと早く見つけてあげる事ができたのに…。後悔しています。

そのままハシゴを降りて帰宅。途中、せっきぃ君の実家で無事を確認しました。得られる情報はまだまだ少ない状態でした。
Posted at 2011/04/01 20:29:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | 東日本大震災 | 日記
2011年03月16日 イイね!

3.16

3.16 雪時々曇り

朝から雪が降りました。



カーポートの雨どいから落ちる雪融け水を集め、震災後初の下着替え&洗濯をしました。洗濯と言っても雪融け水での手洗いですけどね…。

AM8:00

とんかつ君と一緒にライトニング(自転車)で出撃。あけぼのにあるヨークベニマルへ買出しに行きました。昨日はホーマックで散々な目にあったので、今日は確実にヨークベニマルをチョイス。とはいえ、在庫品のみで個数制限あり、店頭販売という内容で、選べるものは少なかったです。その中で、カロリーになりそうなチーズやココア、味噌をチョイスしました。

買い物を終えると、西日本のテレビの取材を受けました。もしかすると、西の方で放送されたかもしれません。

その後、開店情報のあった近くのイトーヨーカドーへ行きましたが列に並べずに買い物は終了。ここでとんかつ君とは別れました。

そのまま職場へ行きましたが、新たな安否情報はナシ。通信は相変わらず取れず、身内、親戚の安否もわからず、逆に安否を知らせる事もできません。

AM11:00頃、情報収集を兼ねて市街地ルートで帰る事にしました。途中、バイクショップでマスターの生存を確認。マスター、オラにかなりメールや電話をしてくれていたようです。ショップ自体津波・地震の被害もなく無事で、直接安否確認できたのはよかったんですが、整備のオヤジさんの奥さんが亡くなってしまったことを聞きました。これが、オラ初の知り合いでの死亡事例となりました。

次は行きつけのスポーツショップへ。ここではスタッフ全員無事との事。しかしお店は破壊されてヘドロに埋もれていました。

お昼前、ボランティアをしている障害者施設へ寄りました。ここのスタッフの生存も確認できました。家に帰る事の出来ない利用者数名と非難生活をしていました。ここで昼食のヤキソバをご馳走になりました。雪が強くなってきて、ここで1時間半ほど待機。

PM2:00頃、とんかつ君の避難先に寄り、場所を確認しておきました。帰宅後は寒くて色々な事ができませんでした。使えない携帯電話も、ワンセグを天気予報の時間に見ていたりしたので充電が必要になり、フィットのアクセサリー電源がら充電。そんな事をしているうちに、家の近くに救急車が来ました。がしかし、近所で救急車を呼んだ人は誰もいませんでした。誤通報だったのか、場所を聞き間違えたのか…混乱しています。その救急車には和歌山串本と書かれていました、遠くからありがたい支援です。

PM5:00頃、近所の家からカレーライスを分けてもらいました。お礼を兼ねて、その家でオラが歩いてみた情報を教えてきました。

暗くなるとすることがないので、また長い夜が始まりました。
Posted at 2011/04/01 05:24:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | 東日本大震災 | 日記
2011年03月15日 イイね!

3.15

3.15 曇り時々雨 低温

水没していたママチャリレースマシン、ライトニング。これが日常の足となっていました。3.14夕方に仕入れたホーマック石巻蛇田店での開店情報。カセットコンロのボンベとラジオをゲットする為に7時半頃家を出発。

途中、毛布にくるまれた物を積んだ軽トラック2台に追い越されました。その物の中から出ていたのは、物ではなく、動かない人の腕。震災後、直に遺体を見たのがこれが初めてでした。

日頃の鍛えていた効果か、車で移動するのとさほど変わりなく、AM8:00頃ホーマック石巻蛇田店に到着。すでに結構並んでいました。すぐ後ろには、家も車も仕事も全て流されたというおじさん二人。知性を感じさせない態度でしたが、この過酷な状況下でヤケになっているようにも思えました。このうち一人は津波が来た時に自分と近い位置にいたそうです。

ところでホーマックのシステムは、一人に付き、5種類、1種類につき2品までの制限とのこと。つまり、最高で10個までの買い物となります。しかも、客一人につき1人の店員がマンツーマンで付き添うとのこと。店内が散乱して危険とのことですが、略奪が横行している中、少ないスタッフで営業するには仕方ない防衛策だったんでしょうね。電気も来ていない状況で、よく店を開けてくれたと思います。

そのすぐ隣では、ヨークベニマルが店頭販売をしていました。ここへはとんかつ君が買い物に来ていました。彼もここまで自転車で来たとのこと。ヨークベニマルは早々に営業が終了しました。しかし、スタッフ1名につき1名のホーマックではなかなか列が前に進みません。買い物が終わったとんかつ君によると、10人強のスタッフで回しているようです。

この日は気温が低く、とにかく寒い。それでも商品を手に入れる為に頑張って待ちました。待ち時間があまりに長いので、列の周囲では不思議な連帯感が生まれてきます。お互いの状況、地域の被災状況、意見を交換しながら列が進むのを待ちました。あまりに列が長くなったので、列の後方では打ち切りに合っていました。その打ち切りとなったところの人は無念でしょうね、あれだけ待ったのに…。

その途中、職場スタッフと遭遇。一名生存者確認となりました。どうやら買い物できるのかと来てみたようです。自分の所へ一緒に並ばせてもらえないか言われましたが、自分の良心が許さなかったので断りました。その代わり、欲しいのもを代わりに買ってあげることに。スタッフはトイレットペーパーと水が欲しいとのこと。自分のボンベとラジオは2品目なので、大丈夫でした。

さらに、いつの間にかこの状況下でも化粧ベッタリな見知らぬおばさんに声をかけられました。津波と無縁の地域から来たらしいんですが、車が動けず歩いてきたとのこと。なるほど、お疲れ様です。とそんな話をした後、列が進むとそのおばさんもついてきます。どうやら知り合いのフリして割り込んだようです。どんな状況下で皆並んでいたのかと思うと腹が立ったので列から出るように撃退してやりました。

待つ事6時間ほどすると、後ろのおじさん2名がついにしびれを切らして帰ってしまいました。短気は損気ですな、あれだけ待ったのだからもう少し頑張れば良かったのに…。
途中雨が降って、店員から傘の貸出があったり、待つ事7時間強のpm3:15分ごろ、ついに入店となりました。入店直前はドキドキしましたね、たかが買い物なのに…。

がしかし、ボンベは直前に売り切れ、ラジオもなし…。かすかな望みで家で生きているであろうラジカセで使える四角い電池…も売り切れでした。スタッフが欲しがっていたトイレットペーパーと水はゲット。自分が欲しい物はナシ…。仕方ないので、長靴と電池の中で唯一残っていた単4電池。おまけ程度にスナック菓子を買いました。

結果、自分の欲しい物は何も買えず、スタッフの為に7時間待っていた事になります。ま、何も収穫ないよりはいいですけどね。

重い足取りでpm4:00頃職場到着。しかし、スタッフ1名と取引大工さんのメモを発見。少しだけ癒されました。

流石に疲れきっていました。職場に置き去りにしていたフィットもいつ何かされるか分からない、ひどい治安状態だったので、若干の冠水道を覚悟でライトニングを積んでフィットで帰宅しました。

自転車で水の少ないルートを把握していたので、10cm~15cm程度の冠水箇所を突破して無事帰宅。



これでフィットの心配は無くなりましたが、通信は相変わらずダメ。

色んな人の安否もわからず、また長い夜を迎えました。
Posted at 2011/04/01 05:26:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | 東日本大震災 | 日記
2011年03月14日 イイね!

3.14

3.14 晴れのち曇り(風が強まる)

朝に、電気シェーバーの充電が残っている事に気付き、震災後初の髭剃りをしました。食後は母屋の片づけをしていましたが、そこでなんと、家の近くの線路からとんかつ君が声をかけてくれました。

地震直後に安否の連絡をくれたとんかつ君、しかし、津波以降は全く連絡が取れず、すごく心配してました。とんかつ君の家は津波の被害がひどい地区だったので…。自宅は全て流されなくなったとのこと。職場も壊滅的なダメージらしいですが、家族は無事。この時点でも通信がダメだったので、自分の目で見た安否以外は分からないし、逆に、自分を探してくれる人へ安否確認する手段もありませんでした。



水没していたバイク達。3.12にここを見た時は、バイクは全て横倒しで水の中に沈んでいました。壁をみると、どこまで水が浸かったかわかります。




津波で色々な物が流されてきていました。いい具合にうちの柵に引っかかっています。




家の周囲は数日水が引きませんでした。引いてきても潮位で水が上がってきたり…と陸の孤島状態。




水没していた工具箱。これは今後活躍しそうなので、海水を拭き取って乾燥させました。しかし、微妙に錆が進行してました。


若干潮が引いた隙に、水没していたセイバー(折りたたみ自転車)で出撃。まずは近くの祖母がいる施設に。前日は誰とも会わず引き返しましたが、今日は職員の人にすぐ会えたので、祖母と面会してきました。面会した後は、情報仕入れに…。




JR石巻線沿いの住宅地。まったく手のつけようのない状態。




母校、渡波中学校前の住宅地…ここも手のつけられない状態。




国道398号線、石巻信用金庫鹿妻支店前。道路じゃないです、ガレキの山…。

自宅周囲は浸水はしてましたが、家の形は残っています。ちょっとしか違わない地区でのこの惨状に絶句しました。

そして、ガレキをよけながら遠回りをして湊方面に向かおうとすると、津波警報。牧山トンネル入り口付近まで逃げました。確か、和歌山からきていた消防車両の近くで無線を聞いていました。上空のヘリは津波を確認しているとのこと。緊張が走りましたが、何故か緊急車両がゾロゾロ撤収。本部への集合命令があったようです。

そのままどうしていいかわからず、近くにいた同じくらいの年齢の男性と話をしていました。どうやら子供の安否がわからないようです。通信も取れないので、安否確認するのはかなり厳しい状況でした。


津波が来たのか来なかったのかわからないまま、しばらく時間が経ったので、自己責任で降りて自宅へ急ぎました。母が心配だったからです。しかし、自宅に母の姿はなく避難したもよう。また母探しへ出撃。近くの陸橋で、近所の同級生に会い、絶望的な状況を語り合いました。その後、前に母を発見した近くで、近所の人と避難しているのを発見。警報の信ぴょう性に疑問を持ちながら帰宅し昼食を食べました。

休憩したのち、カブで職場へ行き、先日貼りつけて来た安否メモにスタッフ数名の書き込みを確認。その後、徒歩で大街道地区へ。ここには父方の祖母が入っている施設があります。ヘドロやガレキ、車が無法状態のような光景。施設に行くと避難して近くの料理店にいるとの張り紙。その料理店に行くと、既に別な場所へ移動したが、どこかはわからないとのこと。

この大街道地区を歩いていると、義兄夫妻、幼馴染に会う。二人ともこの地区に家、アパートがあり、家は散々な状態、アパートは姿もなくなっているとのことだった…。

職場に戻りカブで帰宅しながら、津波の被害がほとんどない蛇田の発展地区を通る。ホーマックはなんと営業していたが、もう営業終了とのこと。明日も営業するとのことだったので、明日来てみる事に。そして、近くの前の職場の支店に寄ると、職員が集結していました。行方がわかっていない人も数名いるとのこと。お互いの状況を語り合い帰ってきました。




晩御飯は冷凍庫にあった食材を適当にいれた鍋。温かい料理はすごくありがたいが、カセットガスコンロのカセットが有限なので、この先が不安になりました。明日、ホーマックでボンベを買おう…。
Posted at 2011/04/01 05:28:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | 東日本大震災 | 日記
2011年03月13日 イイね!

3.13

3.13 晴れのち曇り

自宅周辺の水は少しは引けてきましたが、まだ陸の孤島状態。

朝に、水没したフリーダム(CBR)からガソリンをプラスチック容器に抜きました。そのガソリンを持って、放置したカブを目指して歩いて行きました。



濡れた長靴で長距離を歩くのは快適ではありませんが、贅沢を言える状況ではありません。途中、田んぼには白鳥が…。

歩いた場所は津波の影響が少ない所ですが、田んぼは水浸し。街の方からは火事と思われる煙が上がっています。3.11の夜は街の方角は真っ赤でした。遠くまでも爆発音が聞こえてきます。




2時間ほど歩き、カブと再開しました。良かった、盗まれていなかった…。フリーダムの魂を注いで再始動。そのまま職場へ向かいました。その途中、津波が来た時、自分がいた所の対岸に住んでいる友達に会いました。よくぞ無事で…。


職場について戸締りをし(震災当日慌てて逃げたので戸締りが不十分でした)、スタッフ安否を確認できるメモを玄関に貼りつけていきました。みんな無事でいてくれ…。

そして、職場に放置していたフィットの安全も確認。家の周りの冠水が収まるまでは戻れそうもないので、そのままにしました。そして非常時には必要のない、青のレーシングシューズを持ち帰りました。これは、自分の気持ちの支えになりそうな気がしたので…。

携帯も電話も通じず、安否の確認が取れない状態が続きます。震災当日、地震直後にとんかつ君からメールが来ましたがそれ以降は全くなし。兄からもメールが来ていましたが、返信する余裕を失っているうちに不通になりました。

職場の片づけもせずにすぐにカブで帰宅。昼食後は水没していたママチャリ、ライトニングで自宅周辺の状況確認をしに行きました。まずは祖母が暮らしている施設…ここは嘘のように津波の影響がなく、建物がしっかり残っていました。祖母の部屋には誰もいませんでしたが、おそらくどこかの部屋へ移動しているんでしょう。職員の人も見当たらなかったので、一旦引き上げました。

そして、渡波駅方面へ向かいましたが、その惨状ぶりに言葉も出ませんでした。渡波駅は車が山のように重なり合い、それ以上先の国道もガレキの山。妻の住んでいる近くまで行きましたが、ガレキで進めず、その日は撤収しました。

夕方、近所の人達と共同で炊き出しをしました。豚汁風の鳥汁を作りましたが、大量に作るとなると、燃料効率が悪いことを知りました。街の壊滅ぶりを見てしまうと、長期戦になる感じがしたので、共同炊き出しはそれ以降しませんでした。



誰とも連絡が取れず、ヤケ気味になり少し飲みすぎました。そしてそのまま、午後9時頃就寝。
Posted at 2011/04/01 05:30:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | 東日本大震災 | 日記

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震災で多くの犠牲もありましたが、多くの人達に助けられて生き延びる事ができました。 たくさん方々の支援に感謝しつつ、頑張って生きていくことで恩返しをしたい…...
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