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2026年06月07日 イイね!

「キャロル」は小さな高級車だった!

「キャロル」は小さな高級車だった!マツダ「キャロル」は小さな高級車だった!
軽自動車の常識を超えた新技術と装備を解説します
【国産名車グラフィティ】
投稿日:2023.04.01
TEXT: 片岡英明
PHOTO: 木村博道/日本自動車工業会/Auto Messe Web編集部
■軽自動車の常識を塗り替える新技術を小さなボディに満載
 東洋工業時代のマツダが乗用車第2弾として市場投入した軽自動車がキャロル。しかし、700ccの4ドアのコンセプトカーをベースとし、軽規格に合わせてダウンサイジングしている。そのような生い立ちから、ライバルとは一線を画すメカニズムが採用されていたのである。
■デビューから時代をリードする存在感を発揮
 オート3輪の分野で大成功を収めた東洋工業(現・マツダ)は、1950年代後半になると、そう遠くない時期に4輪車の時代が来ると予想した。だが、失敗は許されない。そこで日本の国民車とも言うべき360ccの軽自動車から4輪車市場に参入しようと考えた。
 ところが、首脳陣ははやる気持ちを抑え、慎重に歩を進めていく。1959年(昭和34年)5月、軽オート3輪トラックのマツダK360を発売し、市場の動向を見定めようとしたのである。そのK360は「けさぶろう」のニックネームで愛され、発売されるや予想を超えるヒット作となったのである。
 好調な販売に自信を持った松田恒次社長は、念願だった乗用車発売に向けて本腰を入れ、1960年4月に東洋工業初の軽4輪乗用車、マツダR360クーペを発売している。卓越したメカニズムに加え、30万円のリーズナブルな価格設定から、カップルや子育て世代のクルマ好きが販売ディーラーに押しかけた。
 1961年秋、開発陣は第8回全日本自動車ショーに乗用車の第2弾を参考出品している。それが「マツダ700」だ。驚愕だったのが、軽自動車とほとんど変わらない大きさなのに、上級クラスのように4ドア設計としていたことである。エンジンはオールアルミ製の直列4気筒OHVをリアに搭載。ルーフからリアクオーターピラーにかけてが個性的なクリフカットの3ボックスフォルムも話題を呼んでいる。
 さらに驚かされたのは、ほとんどスタイリングを変えることなく量産に移されたことだ。しかもマツダ700より小ぶりなバンパーを採用し、ボディを軽自動車の規格内に収めている。じつに上手にスケールダウンしていた。車名は、クリスマスなどで歌われる歓びを表現する祝歌である「キャロル(CAROL)」と命名。正式発売は1962年2月で、最初は2ドアモデルだけに絞って販売された。
 後席のヘッドクリアランスを確保するために、リアウインドウが後傾した特徴的なクリフ(断崖)カットのボディデザインは若干アレンジされ、さらに美しさを増している。ちなみにクリフカットとは、フォードのアングリア(映画ハリーポッターで空を飛んでいた)というクルマが最初に採用したアイディアである。
 リアに搭載するエンジンは、上級クラスと変わらない直列4気筒OHVで、軽自動車では一般的だった空冷式ではなく、水冷方式を採用していた。
 1962年5月には電動式ウォッシャーと前席サンバイザー、フェンダーミラーなどを追加したデラックスを追加。秋には登録車のキャロル600を仲間に加えた。
 言うまでもなく、これはマツダ700の量産バージョンだ。大型バンパーを採用し、軽自動車のキャロルより全長を220mm、全幅を30mm拡大している。エンジンは586ccのRA型直列4気筒OHV。2ドアだけでなく4ドアも用意した。
 1963年9月、軽自動車のキャロルにも4ドアモデルを追加。1966年秋には最初で最後の化粧直しを行い、スペアタイヤをフロントのトランクからエンジンルームに移した。軽自動車の常識を打ち破る上質なスモールカーを目指したマツダの意欲作が、愛らしいルックスのキャロルだ。
■オールアルミ製水冷エンジンは4ストローク4気筒ならではの滑らかな回転フィール
 キャロルは、軽量で高い剛性を誇るモノコック構造を採用し、ワイドボードによるフレームレスのユニットボディとしている。
 エンジンも軽自動車の域を超える凝ったものだった。R360クーペは空冷のV型2気筒をリアに積んでいたが、キャロルは上級のファミリーカーと同じ贅沢な水冷4サイクル直列4気筒OHVを搭載し、後輪を駆動する。
 メカニズムも凝りに凝っており、しかも進歩的だった。エンジンは、ヘッドからシリンダーブロック、クランクケース、クラッチハウジングなど、すべてが軽量で放熱性に優れたアルミ合金製。「白いエンジン」というニックネームを与えられていた。OHVゆえプッシュロッドはあるものの、ハイカムシャフトとして高回転までストレスなく回るようにしている。また、上級モデルでも例が少ない5点支持のクランクシャフトや電磁式のフューエルポンプも採用したため、スムーズさと静粛性が際立っていた。
 DA型と名付けられたこの4気筒OHVエンジンは、ボア46.0mm、ストローク54.0mmで、総排気量は358cc。点火プラグは燃焼室の中央付近にセットされ、吸・排気系がシリンダーヘッドの左右にあるクロスフロー・レイアウトを採用する。ちなみにオイル潤滑は、R360クーペがドライサンプだったのに対し、キャロルは一般的なウエットサンプだった。
 圧縮比は驚異的な10.0で、最高出力18ps/6800rpm、最大トルク2.1kgm/5000rpmを発生した。当時のエンジンとしては驚くほど高回転まで回り、4気筒ならではの滑らかさも群を抜いている。しかもレギュラーガソリン仕様だ。ただし、車両重量は525kgと重く、絶対的なトルクも細いから、パンチ不足は否めなかった。
 トランスミッションは2速ギア以上にシンクロメッシュを備えた4速マニュアルを採用する。最高速度はR360クーペと同じ90km/hだ。最終モデルではフルシンクロのミッションへと進化し、シフトパターンも変更されている。ついでに書けば、最小回転半径も4.3mから4mに減少し、取り回し性能も向上した。
 ユーザーからパワー不足を指摘されたため、キャロル600を投入し、4ドアを設定したときにアルミ合金製のDA型358ccエンジンもパワーアップ。20ps/2.4kgmに性能を向上し、最大トルクの発生回転数も2000rpm引き下げたから格段に扱いやすくなった。
 サスペンションは、R360クーペと基本的には同じだ。前後ともトレーリングアームにトーションラバーを組み合わせた異色のレイアウトで、ラバースプリングのスプラインを組み替えることによって車高を変えることができた。ブレーキはフロントが2リーディング、リアがリーディングトレーリングのアルフィン油圧ドラムだ。路面や天候にかかわらず、安定した制動フィーリングが自慢だった。
 1964年5月、マツダはキャロルで第2回日本グランプリにワークス体制で参戦。ドライバーは2輪の世界で活躍した片山義美や社員ドライバーの片倉正美など。キャロルはT-Iクラスで、片山義美が予選3位を奪ったものの決勝レースでは4位になり、表彰台を逃した。また、キャロル600はT-IIクラスに出場し、パブリカ勢に続く4位。車両重量が重く不利な条件にもかかわらず奮闘した。
 今につながる軽自動車の基礎を築いた名作が、初代キャロルだ。商用車を含め、軽自動車すべてに安全性の高い合わせガラスを採用した。これも絶賛すべき快挙と言えるだろう。
■時代を先取りしたセンスと安全装備を採用した小さな高級車と呼ぶに相応しいクルマ
 エクステリアはクロームメッキのモールを多用するなど、上級クラスと遜色ない見栄えのよさだった。これに対しインテリアは、シンプルな装いだ。ドライバーの前に半円形のメーターを置き、ダッシュボードの上には灰皿、その下にはラジオのスペースを設けている。だが、ホーンリングを備えた2本スポークのステアリングは上品なデザインで、他の軽自動車よりエレガントだ。
 120km/hまで目盛りを刻んだスピードメーターに、燃料計だけでなく水温計が組み込まれている。これが空冷エンジンを搭載するほかの軽自動車と違うところで、優越感を味わえた装備だ。
 発売から3カ月で加わったデラックスは、ウインドウウォッシャー噴射が手動式から電動式に。ライバルと比べても装備は充実し、あらゆるところが1クラス上をいっていたのである。
 キャロルはルーフを違う色にしたツートーンがあるが、それとコーディネートするようにシートも粋なコンビシートを用意している。ホワイトにレッドやブルーなど、2色に塗り分けているからオシャレだ。2ドアは後席の乗り降りのため、フロントシートが前に倒れる。また、運転席の裏には、途中から小物を入れるシートバックポケットが加わった。
 助手席はバックレストを折りたたんで座面と合わせると、小物が置けるスペースが生まれる。現代のクルマのようなアイディアをキャロルは60年近く前に採用していたわけだ。もうひとつ見逃せないのが安全対策の徹底だ。法制化されるはるか前でありながらも、フロントガラスは合わせガラスを採用。破損したときに細かく砕け散ることがなく、視界を妨げない。
 1970年夏に生産を終えた初代だが、累計販売台数は25万台超。2代目はシングルローターのロータリーエンジンを積むと噂されたが、これは幻に終わってしまった。だが、世界に類を見ない「小さな高級車」と呼ぶに相応しいクルマ、それがマツダが送り出したキャロルといっても過言ではないだろう。
 キャロル(KPDA)
●年式:1969
●全長×全幅×全高:2990mm×1295mm×1320mm
●ホイールベース:1930 mm
●トレッド(F/R):1050/1100mm
●車両重量:540kg
●エンジン:DA型水冷直4OHV
●総排気量:356cc
●最高出力:20ps/7000rpm
●最大トルク:2.4kgm(235Nm)/3000rpm
●変速機:4速MT
●駆動方式:RR
●サスペンション(前/後):トレーリングアーム
●ブレーキ(前/後):2リーディング/リーディングトレーリング
●タイヤ:5.20-10-4PR

≪くだめぎ?≫
第8回全日本自動車ショー(1961年秋)参考出品「マツダ700」、
軽自動車とほとんど変わらない大きさ、4ドア設計だった。
ほとんどスタイリングを変えることなく量産に移され、
ボディを軽自動車の規格内に収めて、
「キャロル(CAROL)」と命名。
正式発売は1962年2月で、
最初は2ドアモデルだけに絞って販売された。
参考出品「マツダ700」は軽自動車にも出来る
"高級車"として開発された様なモノ。
 「マツダ700」は、
初代『キャロル』として日の目を見て、
後に『キャロル600』4ドアとして投入された。
Posted at 2026/06/07 14:27:51 | コメント(0) | トラックバック(0) | マツダ | クルマ
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第1章:ファミリア誕生前史

第1章:ファミリア誕生前史・1959年
マツダが乗用車を発売する1 年前の1959 年に採用。マツダの頭文字「m」を図案化したもので、従来の「翼印のマーク」を改め、製品全般に使用した。
■第1章:ファミリア誕生前史
 1960年代(昭和30年代後半)の日本経済は、第2次世界大戦後の復興と、保護育成の時代を経て、ようやく開放体制へ移行しようとしていた。昭和35年に内閣総理大臣に就任した池田勇人は、その年の暮れの第2次池田内閣で「所得倍増計画」を打ち出した。これを契機に、日本は高度成長の発展を遂げることになる。
 日本の自動車生産と販売も、こうした社会情勢を背景に急成長し、1960年には16万5,000台であった乗用車生産が、70年にはその19倍の317万8,000台を超える規模となる。これは、次の10年の倍増と比べても破格の成長といえた。この間、乗用車といえども個人所有の比率は61年に12%にすぎなかったものが、3年後の64年には22%に延び、人々のクルマ所有の欲求は日ごとに高まっていた。
 1920年(大正9年)1月に東洋コルク工業として創業したマツダ(84年5月に、東洋工業から社名変更)は、27年(昭和2年)に東洋工業と社名変更後、29年から工作機械の製作に乗り出し、31年には3輪トラックの生産を開始した。戦後の1958年(昭和33年)には小型4輪トラック、60年に軽乗用車「R360クーペ」を発売、61年にはドイツのNSU社およびバンケル社と、ロータリーエンジンに関する技術提携を結ぶなど、次々に事業展開し、自動車市場への進出をはかっていった。マツダは、総合自動車メーカーの体制を目指していた。
 マツダの積極的な姿勢を世に示すため、61年(昭和36年)の第8回東京モーターショーでは、「マツダ700」という小型車のコンセプトカーを出展した。しかし小型車は時期尚早ということで、軽乗用車の「キャロル」を翌62年に発売する。
 当時の日本のモータリゼーションは、63年5月には鈴鹿サーキットで第1回日本グランプリが開催され、同年7月には名神高速道路が尼崎~栗東間の71kmが開通、翌64年には東京オリンピックが開かれることもあり、首都圏の道路整備は急ピッチで進められていた。マツダ より

≪くだめぎ?≫
 「M」マーク、軽乗用車の「キャロル」にも、小さいがエンブレムが貼り付けられている。'31年から3輪トラックの生産を開始しており、1958年(昭和33年)~小型4輪トラックも始まる。'61年(昭和36年)の第8回東京モーターショーでは、
「マツダ700」という小型車のコンセプトカーを出展、
乗用車メーカーを宣言した。
Posted at 2026/06/07 08:07:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | マツダ | クルマ
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キャブオーバー型トラック『ポーター キャブ』

キャブオーバー型トラック『ポーター キャブ』ポーター(PORTER)は、東洋工業(マツダ)が1968年から製造・販売した軽商用車である。
(上)360cc(水冷・1975年改良型)
(1975年1月-1977年7月)
(下)ニューポーターキャブ(1977年改良型)
(1977年8月-1979年6月)
 マツダ・ポーターキャブ
  概要
 販売期間
360cc:1969年3月-1977年7月
550cc:1977年8月-1989年6月
 ボディ
乗車定員 2名
ボディタイプ 2ドア軽キャブオーバートラック
駆動方式 FR
  パワートレイン
 エンジン
・360cc:
CC型直2 空冷2ストローク
AA型直2 水冷2ストローク
・550cc:
2G23型 直2 水冷4ストロークSOHC
G23B型 直2 水冷4ストロークSOHC
変速機 4速MT
 サスペンション
前 ダブルウィッシュボーン式独立懸架
後 リーフ式リジット
  車両寸法
 全長
2,990-2,995mm(360cc)
3,195mm(550cc)
 全幅
1,290-1,295mm(360cc)
1,395mm(550cc)
 系譜
先代 ポーター
後継 スクラムトラック
1.概要
 シリーズにはボンネット型トラック / バンのポーターと、1969年に追加されたキャブオーバー型トラックのポーター キャブ(PORTER CAB)があったが、ポーターがそれ以前からのボンネット型軽トラック「マツダ・B360」のモデルチェンジ的な性格であるのに対し、ポーターキャブはキャブオーバーに徹した完全な新設計で、当初はエンジンも異なっていた。
 ポーターは1976年で製造終了し、ポーターキャブのみが在来型の拡大設計で存続。マツダは軽乗用車のシャンテも1976年で生産中止しており、以降ポーターキャブは、マツダがラインナップする唯一の軽自動車となっていた。
 ポーターキャブは1969年から1988年まで(販売は1989年まで)約20年に渡り大小のマイナーチェンジのみ受けて生産され続けた。これは日本国内の軽トラックにおけるモデルチェンジなしでの最長生産記録である。1980年代に入って軽トラックメーカー各社が4WDの軽トラックを投入したが、ポーターキャブだけは最後まで4WD仕様の投入はなかった。
2.歴史
2-2.ポーターキャブ(1969年-1989年)
・1969年3月
新発売。エンジンは空冷直列2気筒2ストローク360cc。このエンジンは、オートバイ業界から1960年代中期に撤退したブリヂストンサイクル出身のエンジン技術者によって開発されたもので、4ストロークエンジンが主流を占めた歴代マツダ製レシプロエンジン中でも、数少ない2ストロークエンジンである。
・1970年2月
マイナーチェンジ。ドアウィンドウを引き違い式から巻上げ式に変更し、フロントベンチレーターを追加。外装色を白から黄色に変更。
・1973年2月
マイナーチェンジ。エンジンをシャンテに搭載していた水冷直列2気筒2ストローク(元はポーターキャブ用空冷エンジンをベースに水冷化したもの)に換装。外装色が黄色からライトグリーンになり、また丸型リアランプの形式がブレーキ・ウインカー兼用の赤一色から赤・橙の上下分割コンビネーションテールに変更され、以降、この形式が最終モデルまで採用された。このモデルから3方開きが追加される。
・1975年1月
現行の黄色ナンバーに対応した改良を実施。これに伴い合わせホイールの標準装着も廃止された。
・1976年4月
マイナーチェンジ。外装色がライトグリーンから再び白色に変更、内装カラーもゴールドかかった茶系に変更。ライトベゼル色も変更。
・1977年8月
大幅なマイナーチェンジ。車名も「ニューポーターキャブ」となる。エンジンが550ccになり、基本設計やスタイリングを踏襲しつつ、ボディが軽自動車の新規格に合わせ一回り拡大される。ヘッドライトベゼルも丸型から角丸四角形状に変更、前面エンブレムはマツダのCIロゴが採用された。このモデルから一方開きが廃止され、三方開きのみの販売となる。エンジンは量産規模の制約からマツダ自社製エンジン開発が断念され、社外の三菱自工製2G23型4ストローク2気筒SOHC「バルカンS」エンジンが搭載された。
・1979年7月
マイナーチェンジ。内装色、黒から明るいベージュに。月販販売目標4,500台
・1983年8月
マイナーチェンジ。外装色が青から白に、シートのプリント柄変更。エンジンが三菱製のG23B型4ストローク2気筒SOHCバルカンIIエンジンに変更。
・1985年8月
マイナーチェンジ。フロントベンチレーター上部に黒色のガーニッシュ装着、シート色を茶色からグレーに変更。同時にエンジンにも仕様変更があり、エンジンの型式は変わらないが、エンジン内部のカムシャフトを駆動させるローラーチェーンが、タイミングベルトに変更された。
・1987年8月
エンジンを共有していた三菱・ミニキャブが直列3気筒の新しいサイクロンエンジン(3G81)に変更されたが、ポーターキャブは引き続き在来の2気筒が搭載される。エアコンをオプション設定、グローブボックスを利用してエアコン一体ユニットを取り付けたため、オプションを選択の際はグローブボックスが無くなった。
・1988年12月
製造終了。それ以後は在庫のみの販売となる。
・1989年6月
販売終了。後継はスズキ・キャリイのOEMを受けたスクラムとなる[注釈 2]。550cc化のビッグマイナーチェンジを挟んだものの、約20年にわたってモデルチェンジされることなく生産されたモデルとなった。
最終更新 2026年5月8日 (金) 11:56 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。

≪くだめぎ?≫
・360cc「ポーターキャブ」空冷直列2気筒2ストロークエンジン
1969年3月-1977年7月
・550cc「ニューポーターキャブ」
三菱自工製2G23型4ストローク2気筒SOHC「バルカンS」エンジン
1977年8月-1989年6月
 軽乗用車『シャンテ』が1975年暮れに生産終了
 『ポーター(ボンネット型)』(トラック・バン) も1976年4月生産中止
以後、「ポーターキャブ」トラック(~1977年7月)だけが、マツダ軽自動車車種となる。
 1977年8月~三菱自工製エンジンで"550cc"化、
「ニューポーターキャブ」トラック(~1988年12月製造終了)
となり、マツダは軽自動車エンジンを製造していない。
「オートザム店」(1989年(平成元年)10月~)開業まで、
軽トラ一種・4WD無しで乗り切る。
Posted at 2026/06/07 06:48:30 | コメント(0) | トラックバック(0) | マツダ | クルマ

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「「Yamato」体重計 ♫〜」
何シテル?   04/02 16:02
 「昔々、有ったとさ、 『トヨタディーゼル店』、『トヨタパブリカ店』、『トヨタオート店』、『トヨタビスタ店』・・・」。      身長165cm・体重6...
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