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2017年09月29日 イイね!

宇野常寛のイニシャルDの批評は間違っている

宇野常寛のイニシャルDの批評は間違っている宇野常寛はサブカルの批評家で、「楽器と武器だけが人を殺すことができる」という本の中で、イニシャルDについて書いている。要約すると大体こんな感じだ。

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イニシャルDは、「車に乗れば女にモテる」というような今は失われた「車」という物語を回復するための拓海の成長物語「ではない」。最初はそうだと思って興味を持てなかった。しかし、親父との葛藤や恋愛といった拓海の成長物語という文脈は第1編で消え失せ、プロジェクトD編以降は、延々とバトルが繰り返される。家族もいない。女もいない。仕事もどうでもいい。ただ地元で延々と反復される土日。彼らはそれで十分充実しており、それがモラトリアムですらなく、人生のメインディッシュであるという生き方をこの作品は提示している。
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しかし、これは間違っている。宇野は、拓海はプロのレーサーにはならなかった、正確にはプロジェクトD終了後の世界をあえて描かなかったことが、車という物語が崩壊し、それが不可逆であることの証左であるという。しかし、読めばわかるが、拓海はプロのレーサーになっている。外伝とはいえ「世界のフィールドで不世出の天才ドライバー」と呼ばれることが、はっきり書かれているのだ。

つまり、イニシャルDは、最初に宇野が失望したような「物語を回復するための少年のアナクロな成長物語」だったということだ。宇野はこの外伝を読んでいないか、意図的に捻じ曲げて自分の文脈に落とし込んでしまった(上げたか落としたかはともかく。)。家族・女性・仕事。こういったファクターが希薄なのは、単に作者がヘタだからだろう。

私は最初に宇野の本から読んだ。そして拓海が作中2度もプロのレーサーになりたいと口にするので戸惑っていた。最後のレースでは啓介が闘志をテーマに勝利することになるが、レーサーになるという社会的な成長物語を啓介が担い、それとは対照的な変化が(社会性を無視し、個人的な趣味に潜り込んでいくような変化が)乾信二とのレースで拓海に起こるのかと期待?していた。しかし、そんなことはなかった。最後の最後に勝敗を分けたものは勝ちたいという意思であり、ドッグファイトで培った経験であり、それはレーサーに不可欠な要素となる拓海の「成長」である。

あー車乗りたくなってきた。
Posted at 2017/09/29 01:26:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

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