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125. 木になった亜沙 2点
在宅勤務のBGMは最初はあいみょんで、その後90年代J-POPになり、FF7やSAGA2などのゲーム音楽になり、猫のゴロゴロ音になり、とうとう無音になった。そのあいみょんが王様のブランチで紹介していたので買った。
短編が3遍の収められており、表題作は自分の手に触れたものを誰も食べてくれないことに悩む女の子の話だ。それは男の子にクッキーを作っても食べてくれないとか、給食で自分がよそったポテトサラダを食べてくれないといったレベルではなく、ペットの魚も主人公があげると食べてくれない。
あいみょんは、そういった発想は絶対に自分には出てこないとしてこの本を紹介していた。
まぁそうかもしれない。しかし、「だから何?」という疑問に答えられるだろうか?数年前から文学作品がつまらないと疑問を抱き何冊か読んできた。そして、まあまあな物(
乳と卵や
火花など)もあった訳だが、この本はそうでもなかった。
ネタバレ覚悟で書いておくと、主人公はスノボの事故で死に、杉に生まれ変わる。本当は果実をつける木になれたらよかったのだが、木材として伐採されコンビニの箸に生まれ変わる。そこで初めて自分を使って食事をしてくれる喜びに震える。
無理に意味を見出そうとすれば、創造する喜び、他人のために役に立つ喜びを描いているとでも言えば良いのか。メッセージ自身に価値がないとは思わないが、それに説得力を持って読者を魅了できるかと言えば難しいと思う。
発想は確かに面白いかもしれない。しかし企画倒れと言えば良いのか。あの歌詞を書くあいみょんがこの本のどこを評価したのかいまいち理解に苦しむ。躊躇わず売る。
Posted at 2020/07/05 19:13:14 | |
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