• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

半ねりのブログ一覧

2020年07月19日 イイね!

[本の小並感 127]食事と性事 この人の本を次も読むだろうか?

[本の小並感 127]食事と性事 この人の本を次も読むだろうか?本多勝一は、カナダ=エスキモーに続いて2冊目。

実はこっちは読むつもりはなかったのだが、メルカリで2冊セットだったので、まとまって買ったのだ。ずっと放置していたが、頑張って読んだ。

この本は短編で結、食事と性事というのは、そのうちの一つのタイトルに過ぎない。なので、全編が著者が体験した世界の民族の食生活・性生活が書かれている訳ではあい。

じゃあ、あとは何なのかというと、エッセイ?である。禁煙した話とか、故郷の伊那谷の生活とか、そういうのだ。はっきり言って退屈だったが、1960年代に書かれているので、現在の感覚とは大分違う見方をしていて、その辺はちょっと面白かった。

1976年に書かれたエッセイでは、ワインを「ワイン」と呼ぶことを毛嫌いしている。ぶどう酒と言わなければ気が済まないらしい。曰く「植民地的感覚、犯されたような屈辱感」らしい。今時ぶどう酒なんて言ったら、それこそ???である。個人的には名張毒ぶどう酒事件が思い浮かんで仕方がない。

人間の幸福に関するエッセイでは、公衆衛生の観点から北ベトナムと南ベトナムを比較し、「現在幸福にある者の率の高い国は、残念ながら社会主義諸国が多数を占めていることは、疑念の余地がないだろう」としている。今でこそ「失敗」の烙印が押される社会主義だが、1969年の当時、社会主義は資本主義国よりも理想郷として考えられていたのは事実なのだ。

全体的に退屈だった。朝日新聞とは、左翼っぽいアイデンティティが、この頃からあるのだと感じた。この人の本を次も読むだろうか?あるとすれば、カナダ=エスキモーのようなルポであり、エッセイではないだろう。
Posted at 2020/07/19 20:05:07 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2020年07月12日 イイね!

[本の小並感 126]他人事 「ある戦慄」ほどの恐怖も深みもない

[本の小並感 126]他人事 「ある戦慄」ほどの恐怖も深みもないあいみょんのオススメ2冊目。

突然理不尽な暴力に晒されるというモチーフで思い出すのは、「ある戦慄」という映画だ。これは町山智浩の「トラウマ映画館」という本で紹介されていた白黒映画で、一時期はこのトラウマ映画館で紹介された映画がTSUTAYAの名作コーナーに相次いで復刻されていた。

中年の男女が深夜の地下鉄で帰ろうとする。乗客は二人の他にもポツリポツリいるのだが、そこに不良が乗り込んで来て、ナイフで次々と乗客を脅していく。しかし、この映画が優れているのは、生皮を剥ぐようなヒリヒリとした暴力描写だけではない。

その行為を通して、それが普通の一般市民として描かれる乗客の「嘘」をベロりと暴いていくのだ。詳しい内容は忘れてしまったが、それぞれの乗客も本質的にはチンピラと変わらない欺瞞に満ちた生活を送っているのだ。

日常に覆い隠された生皮を剥ぐような暴力の恐怖

この本はそれに似ている。障害のある女性の家に無断で上がり込み、一方的に何の躊躇いも罪悪感もなく、遊び感覚で死に至るような暴力加える。そんな話の短編で構成されている。それはそれで評価できるが、全体的にこの本からは「理不尽な暴力の恐怖」も、「ある戦慄」のような深みも感じられなかった。

解説が冨樫義博だったのは驚いた。彼がいうように、このような本が受けいられれるのは、日常が平和であればこそだろう。ビートたけしは自身の映画の暴力性を咎められたとき、「世界には愛と平和に溢れた映画がたくさんあるが、現実はちっともそうならないじゃないか」と反論したという。これは因果関係を問われた時の回答だが、暴力的なコンテンツが広がるのは、平和の証かもしれない。
Posted at 2020/07/12 19:03:30 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2020年07月05日 イイね!

[本の小並感 125]木になった亜沙 あいみょんはこの本の何を評価したのか

[本の小並感 125]木になった亜沙 あいみょんはこの本の何を評価したのか125. 木になった亜沙 2点

在宅勤務のBGMは最初はあいみょんで、その後90年代J-POPになり、FF7やSAGA2などのゲーム音楽になり、猫のゴロゴロ音になり、とうとう無音になった。そのあいみょんが王様のブランチで紹介していたので買った。

短編が3遍の収められており、表題作は自分の手に触れたものを誰も食べてくれないことに悩む女の子の話だ。それは男の子にクッキーを作っても食べてくれないとか、給食で自分がよそったポテトサラダを食べてくれないといったレベルではなく、ペットの魚も主人公があげると食べてくれない。

あいみょんは、そういった発想は絶対に自分には出てこないとしてこの本を紹介していた。

まぁそうかもしれない。しかし、「だから何?」という疑問に答えられるだろうか?数年前から文学作品がつまらないと疑問を抱き何冊か読んできた。そして、まあまあな物(乳と卵火花など)もあった訳だが、この本はそうでもなかった。

ネタバレ覚悟で書いておくと、主人公はスノボの事故で死に、杉に生まれ変わる。本当は果実をつける木になれたらよかったのだが、木材として伐採されコンビニの箸に生まれ変わる。そこで初めて自分を使って食事をしてくれる喜びに震える。

無理に意味を見出そうとすれば、創造する喜び、他人のために役に立つ喜びを描いているとでも言えば良いのか。メッセージ自身に価値がないとは思わないが、それに説得力を持って読者を魅了できるかと言えば難しいと思う。

発想は確かに面白いかもしれない。しかし企画倒れと言えば良いのか。あの歌詞を書くあいみょんがこの本のどこを評価したのかいまいち理解に苦しむ。躊躇わず売る。
Posted at 2020/07/05 19:13:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2020年07月04日 イイね!

シティハンター 一人では解けないパズルの解き方

小学校から帰ると共働きの両親が家にいないことをいいことに、ずっとテレビの前に齧り付いていたが、見ていたアニメの一つがシティーハンターだった。

当時は冴羽獠が「もっこり〜!!!」と叫んで女性キャラに飛びつくようなシーンにイケナイキブンになっていた気がする。

基本的にコミカルだが、親友を麻薬組織に殺されており、意外にシリアスだったのは覚えているが、ちゃんと読んだことはなかったので全巻一気読みした。


青いジャケットと赤いインナー、懐かしい!!!

作中、香に側にいて欲しい冴羽はパートナーとして共に仕事に当たるが、香の銃に細工をして当たらないようにし、なるべく危険から遠ざけ、陰に日向に彼女を守ろうとする。

しかし、全てを守り切ることはできない。どっちつかずな態度が結果的に香を危険に晒すしている、という指摘に冴羽は答えられない。卑怯者でなければ、この世界では生きていけないのさと開き直るのだ。

覚悟がないならパートナーを解消すべきだと詰め寄られ、冴羽は答えられない


一人では解けない愛のパズルを抱いて
この街で優しさに甘えていたくはない

とは、この冴羽の曖昧な態度と、それが甘えであり、そうであってはならないことを示している。そして、この「一人では解けないパズル」の解き方は

誰かのために生きられるなら
何も怖くはない、だ。

ラストは書かないが、結論はGet wildの中で既に歌われている。

正直、漫画18巻は読むのが疲れた。しかし、この世界では今日も新宿の伝言板にXYZの書き込みがあり、ファルコンはコーヒーを入れ、冴羽獠は女性の尻を追いかけ、冴子は色目を使い、香はハンマーを振り回すだろう。それは読者の心に生き続けるのだ。皆さんには、そういう人いますか?

Posted at 2020/07/04 17:23:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「ビート、手放しました。13年ありがとう! http://cvw.jp/b/410066/45136597/
何シテル?   05/23 22:55
「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2020/7 >>

   123 4
567891011
12131415161718
1920212223 2425
26 2728 293031 

愛車一覧

ホンダ ビート ホンダ ビート
2008年8月13日に納車しました。私にとってはこれが始めての車の購入でした。当時の私は ...
その他 その他 その他 その他
2月7日に納車のBasso Viper。本体120,000。ペダルと空気入れで総額130 ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation