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畝山@Isisのブログ一覧

2013年02月03日 イイね!

もう一人の自分。

またまたお節介ながら、とある方にそれとなく意見を聞いてみたところ、ただただ腹を立てられただけに終わってしまいました(汗)。

正に、至誠にして動かざる者は、未だ之れ有らざるなりで、自分の至らなさに赤面してしまいます。


その方は、実は、かなりご自分を理解されていらっしゃったので、別に言わんでも良かったかな;;
ただ、視点を変えると、そんなに人を批判していても、本当は、自分自身と同じことで、もっと違う自分に出逢えているのではないか?と言いたかっただけでして。


我が師から、最近教わった価値観があります。


納得いかない現実にぶつかった時こそ、成長の時である。



納得いかない現実というのは、すなわち、それそのまま自分の価値観に合わないことに出逢っていることで、それを受け入れ、自分のものとすることができれば、更に成長できる機会となる、という意味ですね。

ところで、「納得いかない」というあり様によっては、価値観の捉え方は変わるんじゃないかな?と思います。



皆さん、特に毛嫌いしている人っていませんか?
ワタクシにだっていますよぉ~。何しろ人間ですから。


私たちは聖者と違い、自己の敵を愛するのは無理かもしれない。

けれども、自分自身の健康と幸福のために、少しでも敵を許し、忘れるようにしよう。

デール・カーネギー



合わない人に会わせる必要もない。
時間のムダ。
確かに、そう考えることもできます。


ところがですね。
本当は、その毛嫌いがただ単に性格のもつれとかが原因なら、よく見直してみることも必要ですね。

勿体無いからです。


この世には、完全無欠なものもなければ、全然無用の品もない。

我々の親にも友人にも欠点があれば、我々が憎しみ嫌う人にも特徴はある。

新渡戸稲造




問題は、その「特徴」の捉え方です。



もし、その毛嫌いしている人へ、批判を繰り返しているとしましょう。
その批判を見直すと、何がそこにあるんでしょう?

意見が合わない?

価値観や考え方が違う?

いえいえ、それはそれだけではないでしょう。

多分、自分自身をその中に見つけてしまう筈です。

何故なら。


自分の中の「同じもの」が、それに反応しているからです。


この事に気が付かないと、周りや対象が全て悪で、その一つも認められず、ただ否定しているだけに終わります。
そこには、何の成長も無くなってしまいます。

何で、自分の中にもある、と言えるのでしょう?



愛の正反対は、憎しみではない。

「無関心」である。


マザー・テレサ




激しく批判する、とすれば、それは、そのまま何らかの強い関心があるということ。

憎しみは、愛情の裏返しでもある。

すなわち、愛情も憎しみも敵対心も、全て対象への強い関心が自分の中にある。

だから、その批判の対象は、実は全て自分の中にもあるということなのです。


同じように、強く共感することは、全て自分の中に素質として強さを発揮できる可能性がある、ということもできます。
イチローに共感すれば、イチローのように生きたい、あのように極めようとしたいという欲求が、自分の中に強くあるという事でしょう。



逆に、全く考えたことも無い、その考え方がない場面に出くわすと、人は、一様に同じ反応をしてしまいます。

すなわち。

ぽかんとなる。

反応の仕様が無く、頭の中が真っ白になって、呆けたような反応をしてしまうのです。
「納得いかない」というあり様でも、もっとも難しいかもしれません。
本当にそんな価値観を受け入れ、自分のものにするためには、より一層、強く意識して感じなければならないからです。




人は、自分の価値観からは逃れられません。
現在持っている考え方や価値観で物事を判断します。
その事は、動かしようのない事実です。

でも、だからこそ、自分が激しく批判してやまないことは、全て自分の中にある、自分の価値観の裏返しでもあるということも気が付いていないと、自分の可能性を摘み取ってしまいますし、問題は、視点を変えて受け入れるのを超えてタガが外れしまうと、その批判の対象以上の「同じこと」を爆発的にしてしまうかもしれないのです。


武田信玄の若い頃などは、正しくそれでした。
父親へのアンチ・テーゼとして自分が父を追放しておきながら、父親と同じ道に突っ走っていた時期があります。
手痛い失敗から学びとり、自己改革してより大きな人物になって行った訳ですが、反面教師として自分のもう一つの姿と捉えない限り、同じ立場になれば、違う違うと思っていても同じことを、それ以上の大きさでしてしまう…歴史上枚挙に暇がないでしょう。



批判が強ければ強い程、自分の中にもある。逆に全くないのであれば、真っ白な反応で停止する…実は、ワタクシも憎しみや真っ白になったことで、かなり痛い目に遭ったことが何度もあるのです。



批判がいけない、というのではないことですので、それは勘違いしないで頂きたいのですが…
批判や注意を他人にしている最中でも、自分の中も注視し自戒していく必要があると言いたいだけでして。
それだけ批判をしたいときは、必ず、自分の中にもそういう自分がいるのを直観している筈ですから。なのに、自分は違うって思い込んでいませんか?って事です。
ワタクシも、批判しながら、いつも一番恥ずかしいと思っている自分を感じて、言い聞かせながら言っているんですよね。自分の中に同じ人がいる、もう一人の自分が今ここにいるってね。

この前の記事の時にも、より強く感じていましたよ。ビシビシ頭によぎっていました。

この業界にいながら、より高度な仕事をして、より大きな幸せを考えて行動できているか?
他を幸せにできる人間になる事に反してはいないか?
そこに『幸せ』を生むことをしている自分になろうとしているか?
そこに『自分』はいないか?単なる利己ではないのか?
自己満足で「専門家面」していないか?
自惚れてはいないか?学び続けているか?専門分野の研究は怠っていないか?
一つ一つの仕事に、より精密さ、緻密さと忠実さ、真摯さをもってあたっているか?
面倒くささに逃げ込んでいないか?


正反対の人物は、正にもう一人の自分です。

陰と陽かな。







では、ワタクシの場合、どうやって救われたか?


これは、たった一つです。



全て出逢いのみ。




自分の力を発揮して他の人に幸せにすることができた時、自分のその時の価値にも、またより優秀で素晴らしい人間力を持った人によって、欠点を気付かせてくれるのも、より高度な仕事のレベルの高さも、新たな価値観も。

だから、自分の仕事から、他人がどう誉めて言おうと、どのように持ち上げようとも、ワタクシは、間違いなく、一生涯、自分に『超一流』という言葉を与える事は無いと思っています。
何とか「超二流」であり続けることができるかどうか、かもしれません。一流は、なった時点から既に二流の始まりかもしれません。

超一流のレベル、そして人間力を肌で知ったから。

満足や現状に甘んじれば、停滞ではなく、退化が始まることも知りました。
常に前進し、新たに挑戦しなければ、現状維持すら難しいのでしょうね。

現状を変えることは、時間的にできない、というのも、全て自分への言い訳だとも知りました。

凄い人たちは、皆さんワタクシの知らない時も、全て何も無駄にせず前進していたから。時間が無いとかしんどいなんて、単に自分への言い訳です。ワタクシは、いつも恥ずかしい思いをしています。

超一流は、時間すら自由自在に使いこなしているから。

忙しい人ほど、凄まじく濃密な時間を過ごしている。時間管理も凄まじく細やか。この真実は、ワタクシには衝撃的でした。
本当の本気になれば、少しずつは必ずやり繰りできる!
全ての時間を使いこなせ!
今のワタクシの大きな課題です。






前々回に書いた人などは、きっと出逢いが無かった。

というより、その出逢いを使う意思も無かった。

勿体無いことです。




もう一つ。
ワタクシの劣等感の中に、自分の能力の捉え方がありました。

そういえば、ある会場で直接言われたことがあり、それがワタクシを支えています。今後の課題でもあります。

これも出逢いですね。



「アンタ、自分の能力に自信が無いんでっか。

何や、そんな事かいな。

大抵の能力なんてな、幾ら差があっても、せいぜい倍かなんぼあっても3倍やで。

倍しか違わんのやから、倍働きなはれ。

倍働けば、殆どの能力の差なんか埋め合わせが付いてしまうがな。

学歴なんぞよりも、情熱とやる気があるヤツには、最終的には敵いまへんよ。

うちは、そういう人材を狙って採っとります。

アンタも、迷っとらんと倍働きや。」

日本電産株式会社
永守重信




…社長、頑張って倍働きます。

働いて、能力も人間の力もつけて、もっと価値ある人になります。





ということで。

ブログも、今後はもっと減るかもね。



クルマを買い替えていじったら、また少しずつ書くかな~。
Posted at 2013/02/03 22:18:07 | コメント(1) | トラックバック(0) | 閑話休題 | 日記
2013年02月02日 イイね!

もうすぐか…

※気持ち悪いので、一部削除!






ひっっっっっっっさしぶりに、土日が休み。



それにしても。
準備していた事件というのが、予想以上に相手方が裁判官を怒らせ、オモロイ事になっているので、依頼人共々注視しているところです。
相手方弁護人は、このままいくと、こちらが訴え出たら、弁護士会からまさかの懲戒処分を食らう羽目になるかもしれない状況に陥っていたことが分かったからで(汗)。

この事件は、他の弁護士さんたちに聞いても「教科書の中でしか議論していない事件だよね??」と言われるようなメジャーな論点でいながら、判例になっていない感じの事件でして。

…うちの事件って、こういう最高裁の判決にまでなったけど、あまり「うちもやったわ」とは聞いたことが無い事件が多い。

実は、こういう事件は、ある意味では楽なんですよね。
というのも、こういう事件は、最高裁の判決がそのまま当てはまることが分かれば、それで終わってしまうから。
だから、↑この手の人物が後ろについても(…何故かこの手の人物が付くことが多い(汗))、裁判官は相手にしないんだな。

ただ、当てはまる事案が少ないんだよなぁ。
今回の場合、そのものズバリの判例が見つからなかった。
でもまあ、小さい論点では最高裁判例があり、一つ一つ積み上げている状態。

でも、この手の事案は、勉強会で事案の勉強に出すと、皆さん食い入るように見るもんね。で、言われる。「こんなん、よう引き受けたね」(笑)。
しかし、その訴えの趣旨などの書き方や主張の中身は、皆さんやはりプロなので、すぐに理解されて、そのまま吸収していく。


今回は、依頼人も凄く勉強されていて、裁判官は、こちら側にしか話をしないようになっている状態です。

さて、判決で勝てるか…



仕事の面では、ついに日本M&Aセンターさんで売上1億円以下のM&A市場が開かれ、うちも参入していて、この世界でもFAとして活動開始しました。

既に買いニーズを頂いているので、売りニーズでも依頼を受けたい。

なのに、じい様(父)が急遽入院したり、インフルエンザでワタクシが倒れたりで、サイトなどが全く進まず(大涙)。

今日だけは仕事しないとなあ。






それと。

彼女が、三月に仕事を辞めます。
同居は四月からかな?


で。

多分、シルビアを降ります。




よく、「結婚したらクルマを降りるヤツの気が知れん!」とか言われるじゃないですか?

昔だったら、ワタクシもそう思っていたのよね。

でも、ワタクシの歳になってくると、残された時間と、すべき事、しておきたい事、なって(やって)おかなければ困る事を引き比べて考えるようになります。

↑だから、今回のような手合いも相手にしないのは、時間が勿体無いからなんですよ。

ワタクシの時間は、流れている長さは同じでも、有益な事に使わなければ勿体無いとつくづく感じているんですわ。

前にも書きましたが、価値ある人間にならないといかん。

この場合、価値とは、自分以外の人を『幸せ』にできる人のこと。


考えてみれば、人間社会の仕事って、殆どが不要不急なんですよね。

だから、より価値のある人というのは、より多くの『幸せ』を与えられる人間ですわ。

収入と言うのは、その価値に対する経済的価格が反映されたもの、と考えるようになってきました。



だったら、本当に様々な『学び』も、専門的な事も、ありとあらゆる勉強をし、かつ実践していくことを考えるようになりました。


とすれば、時間が無い。

彼女も言いましたよね。

子供が二十歳の時、ワタクシは幾つなのか?

それほど長生きできるとは考えていないので、20年を目標に頑張らんと。


クルマも、最優先ではなくなってしまいました。



ショップの社長は、いつでもOKやでぇ~♪てな感じで←デフ組んで即日『山』だそうです(笑)。


どなたかが必要とあれば、その方にお譲りすることも考えています。




また、彼女と必要なクルマも考えんと…堅実なあの人からは、「アタシがぶつけるから新車はダメ!」とのご命令でして。
それに、最近のクルマに乗ったら、あまりにも出来がおよろしくて、もう乗るクルマは無いなんて思っとったけど、まだまだ楽しいカーライフは送れそう。

さてさて?ワタクシは一体、何に乗るのでしょうか?





四十路は、青春ではなく、盛夏(朱夏)
熱い時代に入ったのかも…







…まあ、結婚が上手くいけばの話やから。

嫁さんにちゃんと来てや~(大汗)。
Posted at 2013/02/02 11:50:04 | コメント(3) | トラックバック(0) | 閑話休題 | 日記
2013年01月24日 イイね!

おやおや(←右京風)。

オージ★さんという方の「J'sレーシングの社長に無罪判決!!」という記事を拝見しました。

いやいや、中々の反響ですね。

ところが、色々と反論されている方々(挙げないのも不公平なので、ホリスペさん…しか分からんかったです;;)がおられるらしく、それに対する何というか滝のような反論もあるんですけど…





ワタクシは、ですね。

今回の事件と、皆さんのご意見反論は、特に刑法上の基本的論点の多数と、感情論、個人的道徳論・価値観がごっっっっっっっっっっっっちゃまぜになっている状態にしか見えなかったんですよ(汗)。

そりゃ~話し合いや議論にもならんわな;;お互い、知識も立場も価値観(物差し)も違うんだから。

不快に思った、という人もいたらしいけど、それも上に挙げたごっっっっっっっっっっっちゃまぜに自身を置いていらっしゃる、ということは分かっておられない。当然だなぁ。



ただ一つ最初に引っかかったのは、あの記事のご当人が、「裁判や示談交渉で全戦全勝を誇る、事件・事故の法的解決のエキスパート」と書いておられる事。



…それにしては…
随分議論が感情的だし、全員、ご当人も、あまりにも法的論理が無さすぎるような気がする…


第一、反論についても、どちらかというと素人の行政書士さんがよくやる感じだったので、的がもう一つぼんやりしている部分も多かった(←かゆいところ(述べるべき論点)がスパッ!と<うちのオババにすら明確なほど明らかになっている感じの文章ではない)から、ワタクシにはちょっとストレスがありました。

嬉しかったにせよ、もうちょっと落ち着いて書かないと、確かに人によっては死んだ人に「ざまーみろ!!」と言いたがっていると取られかねないかもしれない。



↑ちなみに、ワタクシは本当の意味での生き死ににかかったという場面はないので、平気で「負け犬の遠吠え(笑)」と、セセラ笑うのは忘れないが、何か?




実は。

これを拝見して、刑法上の論点や勘違いを全て箇条書きにして、連続して一気に数回に分けて書く、と計画したんですけど…





今抱えている訴訟の準備書面が思ったよりもややこしくて頭が一杯になり、ほぼ断念(汗)。





ただ、感情論や誤解などは、かなり明らかにできたかもしれないなあ。






そうね。

あそこにいらっしゃった無罪バンザイ派と、おいおい人でなし!波に、それぞれ一つだけ書いてみようかな。




まず、前者。

とにかく、無罪おめでとうございます。

何しろ正当防衛がすんなり認められる証拠が固められたのだから、大したものじゃないかなぁ?と思います。「無罪」って迷いなく出せる証拠を出してもらうと、裁判官は勿論、裁判員も社会常識に則って、多分、割とすぐに満場一致で無罪判決を出せたでしょうから。



ただですね。

裁判所の釈明権で、最初から訴因変更(訴因事実が加えられている)がなされているから、傷害致死は、実は最初から元々かなり難しかったんじゃないかな?と感じました。

刑事事件で訴因変更が釈明権行使で初っ端から促されるというのは、殆どの検事なら最初から「あ、やべぇ!」とは感じていた筈。訴えた直後だからね。それでも強行したという検事に大変怒りを感じる。

※けど、ただ単に検事のどうこうというだけではなく、クルマ関係者は、クルマ関係での犯罪が絡むと、警察は目の敵にして立件したがるという現実を知っていると、ままこういう事が起きると戦慄してしまう(涙)。ワタクシも関わったことがあるのだ。

だから、メンツで凝り固まった、長々と勾留された人の迷惑も顧みずごねる検察に弁護側と被告人が大変苦労した、というのが本当のところであって、確かに一部で指摘されていたけど、弁護人なら格別、その周りの人が「自分のお蔭」と言わんばかりにそれほど舞い上がるのもどうか?と感じる部分も無くはない。

それから道徳論として。
あくまで社会人なら、やっぱりどんだけクズよ?!と思っても、口に出したらアカンで。


それくらいかな。





では、反対に後者。


そうやね、亡くなった人にざまーみろとは言わないですけどね。今回は、刑法上、自分の死の責任は、亡くなった人(とその仲間)が負わねばならないのも確か。

ご冥福の前に、亡くなった人には申し訳ないが、アンタ反省しろ、と言われなければならない。人殺しのように言う検察なども腹が立つが、そういう謂れのない人に事件の当事者とならせて、被告人という十字架を与えた罪というのもあるのではないか。


違法性が阻却される正当防衛の要件や、構成要件該当性判断の時期と基準を知っていたら、あんなことは書けない。

自分ならこうするなどということは、絶対言っちゃいかん。

「こうすることもできたんだから、無罪はおかしい」などというおバカな反論もやめときなさい。

何故なら、これは完全に刑法知らず且つ自分勝手な解釈論で、自分の無知の無知を晒しているようなモノ。えらいことになるよ、自分がその立場やったら。

また、感情論や道徳面では、自分ならこうやってできる(からアイツはバカ)というのは、あなたの勝手な自己陶酔。その場にならないと、どうなるか分からんよ。

なってみたら、言い訳のオンパレードになるのが目に見えている。


こんなもんかな。




どちらにせよ、ワタクシとしては、刑事事件になる訳にいかんなあ。仕事の事もあるし、後々多大な迷惑がかかる。

波動の法則を考えたら、自分で引き寄せる事に集約できるから、周りの幸せを最大に考えて生きていたい。







あ。
…どなたか、ワタクシやったら、相手をもっとジゴクに叩き落としているとか一瞬思わんかった?(汗)
Posted at 2013/01/24 21:42:36 | コメント(1) | トラックバック(0) | 閑話休題 | 日記
2013年01月22日 イイね!

「ドラマ化」の感想は面白い

土曜日からインフルエンザ(A型)に苦しめられております;;

明日までタミフルでウイルスを叩いていきます。

今は、かなり楽になりましたわ。



さて。
昨日、ビブリア古書堂の事件手帖の第2話が放送されていましたね。

で。
このドラマ、いわゆるライトノベルの実写化な訳ですが、感想が二極化していますね。
その点、中途半端さが無いのが特徴かもしれない。

つまり。

原作を壊し過ぎている。

これはこれでええのではないか?

…って二つ。

原作の実写化には、大体この手の二つの議論がなされますね。



今回の場合、原作の主人公は、黒髪のロング・ヘアに巨乳…らしい。

ウーム…

原作者はワタクシと同年代らしいですが、買い手、ないし男性の理想を書いている訳ですね。
もっと言えば、原作者の理想を描いているのかもしれない。メーテルがそうであったように。

ただですね。
感想の中には、まあ信じられない事に、この黒髪&巨乳こそ作品の『中核』と捉えている人が多い事多い事(汗)。
黒髪と巨乳が作品のキモと考えているのは、殆どがモテない男の祈りにも似た願望なのではないか??(汗)。
そういう事を声高に書くと、それだけで「アタクシ、モテないの♪」と告白しているようなものです。




ワタクシにとって、この手の感想は、どれもこれも面白いです。
中身に関わらずです。
中には、丸で一流の評論家のごとく書いているモノですら、研究対象には持って来いです。


やっぱり思う事は。




この世の事象は、『心象風景』。



この世の物事には、良し悪しなど付いておらず、結局人の心で勝手に決まっているということ。

哲学的にはこれを主観的価値判断と言います。

※これとは正反対に同じ条件でだれがやっても同じ結果が現れるもので感情に左右されないものを総体的に『科学』『事実』と呼んで区別することが多い。



「良し悪し」には「違う」「間違い」などは、最初からあり得ない。間違いということはこの世で唯一無二の『正解』があるという意味で、それはもはや科学の話。
それに対して、何故か皆さん間違っていると言ってバッテンを付けたりする。

それはどうかな?と思う訳です。

好きか嫌いか?とか、自分のイメージはこうですというなら格別、そうでなくて合わないからこれは間違っているなどというのは、少なくとも原作を読めばみんな同じ答えになると科学と同じように勘違いしているのではないでしょうか?



人気作品には大抵挿絵というものがあり、これが綺麗だとかカッコいいだとかでイメージが決まってしまうものもある。

銀河英雄伝説という、実に長いアニメがあります。
これが開始されたのが88年。最初に外伝1巻から「わが征くは星の大海」という作品から作られて、全てアニメ化されました(原作にないお話しも加えられましたけど)。
今では信じてもらえないかもしれませんが。

この作品ですら、イメージに合わないという批判が、かなり巻き起こったのをご存知でしょうか??

挿絵の影響からか、ラインハルトの美しさが足りないとか?
今となっては、殆どの人は覚えていない、そもそも知らない、というのが本当のところかな。
作品が大きくなり、逆に銀英伝と言えばアニメを意味するようになってしまったのかもしれませんね。



これに対して。
今までで、実写化の中でも、原作=映像化したと言われるくらい、凄まじい程、世界的に評価されている作品があります。

というか、ワタクシが覚えている限り、この作品しか知りません。

原作、せめてその名前くらい知らない人はいません。その意味では世界的作品です。



シャーロック・ホームズの冒険(邦題)



グラナダTV製作のドラマで、原作60篇のうち41篇まで作られました。全篇作られなかったのは、主演のジェレミー・ブレッドが惜しくも亡くなったからです。

日本では、NHKで放映されていたものです。露口茂さんがシャーロックの吹き替えをなさっており、このお声こそが、その後シャーロックの声となっていったのです。

その後、シャーロック=ジェレミー・ブレッドという評価がある程度定着したくらいですから、この作品の実写化は、凄まじい影響を英国内外に与えた訳ですね。

この作品では、初版本のシドニー・バジェットのイラストを「正本」として根本に据え、時代考証などと合わせて、ヴィクトリア王朝時代のロンドンを再現しています。

※ただし、鹿撃坊、インバネスコートなど、シドニーが打ち立てたホームズ像は、原作の中であり得ないと考えられてほぼ否定されていることから採用されていない。シャーロックは、当時の英国王朝では、間違いなく身分社会の上位に位置する人物に属するから、シルクハットを使うだろうというのが一般的な見方だったからだ(イギリスでは、そういう身だしなみが出来ていない人を嫌う風潮が今ですらある)。そういったところまで、細部の細部も煮詰めて作っている。

この原作には、当時表現できなかったもの(タブー視されている表現内容)を別の暗喩で表していたりしますが、このドラマでは割と淡々と描かれていたりする。

最近、またまたブルーレイになったので、今月の支払いを終えたら買おうかな?…というより買うと思っている作品です(涙)。




銀英伝のように、最後までアニメで映像化してしまった作品はともかく、実写化して反対が出なかったシャーロック・ホームズの冒険は、その原因は何なんでしょうね?


シャーロック・ホームズの冒険に関しては、それがシャーロック・ホームズゆえということができるかもしれません。

つまりは、研究者が世界中にいるくらいの人気作品だから

シャーロキアンは、ちょっと変わったことばかり提唱する人たちとも言えますが、基本的に原作をとても大切にしている人たちです。
だから、当時の時代背景や事件などについて、丁寧に検証しています。
そういった下地があるので、イメージが共有しやすい土壌があるといえますね。

例えば、イメージの挿絵。シドニー・バジェットのイメージの入った本をワタクシも持っていますが、その後の挿絵も、殆どがシドニー・バジェットのイメージを踏襲した物ばかり。つまり、あまりにも鮮烈過ぎて他のものが認められないという状態になってしまったんですよね~(汗)。

ここまで共有できるイメージがあれば、実写化のハードルも、かなり低くなるといえるのかもしれませんね。




…ワタクシの場合、裏を返せば、それだけ文句や批判できるヤツなら、自分で作れよ?当然作れるよな?万人が満足する作品をよ?作って見せろよ?原作者と交渉して契約し、バジェット取ってきて、キャスティング、本、スタップ揃えて、リスク背負って作ってみろよ?それだけの実行力と達成力があんのか?という冷た~い感情があるからなのですが(汗)。


今回のビブリア古書堂の事件手帖も、楽しく拝見しておりますよ。

あ。

勿論、NHKで最近立て続けに放映された、シャーロック当然拝見しております(笑)。



他にも毎週拝見している作品がありますので、結構毎日シアワセです♪
Posted at 2013/01/22 21:16:39 | コメント(1) | トラックバック(0) | エンタメ | 日記
2013年01月18日 イイね!

ご自分を無駄飯食いとおっしゃる方へ-

前回の書き込みへのご質問に対して、ワタクシが学び、そして思うことを書き述べます。

これを読む方によっては、お題目と思われる方々も多くいらっしゃることでしょう。

でも、少しでも引っかかりが心にあったら-

そのために、思うことを書いておきます。

あまりこういう事は話しませんし、書きません。

しかし、これらは、ワタクシが少しずつ実践し、ワタクシが智ったものでもあります。



「知恵」(智慧・智恵)とは、物事の本質・真理を明らかにする力です。

そして、知恵は、過去に対しては問題解決する力となり、未来に対しては「価値」を創造することができる力となります。

知恵は、より深く物事を考え、その中から答えを自ら見つける事が出来る力です。これが大きくなれば、「叡智」と呼ばれるのかもしれません。大事な事は、だから知識のあるなしではなく、物事を図る価値基準(物差し、考え方、原理原則)の長さが、それらの力を大きくするという事です。

その物差しを「価値観」と言います。

長い価値観を持つ人は、小さな価値観の人の事は理解できます。しかし、小さな価値観の人は、大きな価値観の人の事を理解できない。日本語に「己の了見」という言葉があるのは、まさしくこの事です。他人の大きな「了見」を見たら、それを貰って真似してみる-正に学びですね。日本人は、昔からこの真理をよく知っている民族だと、ワタクシは思います。



「人間力」とは、知恵を実際に使い、それによって問題を解決し、新たな「価値」に換えて創造し、そのために自ら大きな福音を得る人に備わる力の事だと思います。

では、「価値」とは何でしょう?

これは、ご自分で考えて頂きたい。「価値ある人」と思われている人は、何故、「価値」があるのでしょうか?あなたの基準で言えば、お金をドカドカ稼いでいる人ですか?

確かに、お金も尺度にはなるのです。問題は、何故、その人が「求められた」結果、経済的に豊かになっているのか?その人の「価値」が、経済的「価格」になって表れている、と最近思います。

ただ一つ。「価値ある人」は、必ず「利他」から始まります。ただ「利己」の人は、ただただ自分を守ることだけに汲々とし、孤立します。だからそういう人の言う事は、周囲や社会に対しての攻撃、批難ばかりです。何一つ、建設的に「自分たちがこうしよう」などというものはありません。



「学び」とは、このような価値観や原理原則、知恵などを知り、自分に染み込ませ、それを実行できる力、すなわち人間力を備えるためのもの全てです。

ワタクシたち社会人ならば、何と言っても仕事です。ですが、それだけではありません。

学びは、まず価値観や考え方・原理原則などを知識として知り、本当に実践している人に出逢い、自らの行動に少しでも結び付け、自分が新たに「価値」を生んでいくことです。だから知っただけでは足りず、それを身に着けるためのトレーニングとしての「場」、そして出逢いがあります。その中でも、どんなものでも「試練」が最も適しているのです。出逢いや試練は、必ず成長の過程で必要な時に来るように人生はできていますから、まさしくテストのようなものです。

ですから、摩擦を恐れず、逃げずに挑戦した人には、たとえ失敗しても「明らめる」ことができるから、色んなことが学べるのです。どんな人でも、この事に本能的に、本来的に「知って」います。誰もが「知恵」を潜在意識に持っているのですから。

あの高校生たちなどは、実に勿体ない。

確かに試練は苦しいから逃げ出したい。でも、この世であの時だけ、最高の舞台で、最高の敵を相手に、そのトレーニングができたのに、色々な理屈を言って逃げてしまった。指導者は、その逃げ道を簡単に与えてしまった。これは本当の知恵ではありません。「悪知恵」すなわち言い訳です。

いかにも智そうに「作戦」などというのは、正に自分自身にウソをついた詭弁です。それは、高くつくのです。後で大きなマイナスとなって返ってきます。それは、試練と言う試練を避けて通ろうとするからです。そうすれば、最後にどうしようもない、避けようもない試練がくるようにできている…



わが師は、これらをいつも、今でもワタクシたちに身を持って教えて下さいます。そして、ワタクシの父は、この理をワタクシに見せつけ、父が逃げ回って撒き散らし、大きくした問題全てが、ワタクシの人生にとっては、正に「課題」「試練」そのものでした。



ワタクシは、あなたに「存在意義が皆無」と言っているのではありません。ただそれに気が付いていないだけだと思います。

逆にお聞きしたい。

ワタクシの言うような言葉や考えをどこか「お題目」と考え、バカにしていませんか?例えば、このようなことを経営者が言っていたら、自分達を支配するための道具で綺麗事だとか言って蔑んではいませんか?あなたには、そういう「気」が見えるのです。

ご自分で気が付き、それをもって「価値」を生み続けることは必ずできるのに、自分が否定されたと感じたら、どこまでも相手を否定し、何も相手から学ばない。

しかし、あなたがバカにしたり憎んだりしている社会の、例えば経営者の方々は、あなたが思っているよりも遥かに優れた人間力をお持ちの方が沢山いらっしゃるのです。



ただ単に、あなたが出会っていないだけです。



人間は、思ったようにしか生きません。今の状況は、それぞれの人が引き寄せるものです。人の波動は、同じ波動のものを引き寄せるように、この世はできているからです。

あなたは言いましたね。

「大選手はあの高校は選ばないのか?」

その通りです。大きな志を持つものは、小才など目に入りませんし、近づけません。だから、あの高校には行きません。選択肢にすら挙がっていなかった筈です。

「あの高校は、何故あの監督を選び続けているのか?それだけの価値があるからだろう」

一面、その通りです。ただ、校長など選ぶ人と監督など、それなりの価値観の人同士が呼び合っているだけです。それだけの事です。そして、名前につられてよく知らない人が入って知らずに自分で招いた迷惑を受けているだけです。





あなたがワタクシの言葉に腹を立て、ご自分でご自分を貶め、存在意義がないとか、無駄飯食いとか、それは、もしも本当にお思いなら勿論、そうでなくても、心に少しでも浮かべて外に使えば、潜在意識に溶け込み、人の可能性を摘んでしまい、勝手にそういうことになっていきます。潜在意識の中に隠されている知恵も、封印されたままになります。そして、学びの場も寄せ付けず、要らない事ばかり身に寄せ付けますよ。

あなたがそうお思いになりたいのであれば、ワタクシは止めません。しかし、まだそこまでのことをワタクシが考えている訳でもないのに、ワタクシの言葉に勝手に反応して、言葉としてだけ選択したものでも、そのような評価をしてしまう事には、大きなヒントがあります。

なぜ、あなたにとっては売り言葉に買い言葉のようなものとはいえ、「無駄飯食い」などとご自分に使ったのですか?

あなたは、ワタクシの言葉を「鏡」にして、ご自分を振り返っているのではないでしょうか?





どうしてあの高校生と監督が、あれほど非難されたとお思いですか?

あなたは、ただ苛めとかいう言葉で片付けています。でも本当はもっと深いところで繋がっています。ワタクシも、あなたもです。

全部同じ問題です。

本当は、皆、「成長したがっている」から。そして、その「成長」には、苦難や問題が立ちはだかるようになっていることを本能的に知っているからです。

だから、モヤモヤと理屈にならずに怒る人がいるのも仕方ありません。逆に、あれは作戦だという人は、摩擦を常に恐れ、失敗や結果としての負けという言葉に極度に恐れ、それを避けることが「知恵」だと必死に思い込もうとしている自分に気が付かないフリをして、自分を守ろうとしているにすぎません。





ワタクシも問題から逃げ出し、自分の可能性を摘み取ってしまった経験があります。逃げたら、後悔が残るのです。「明らめる」ことができなかったのですから、何もかもに納得がいかないからです。

ワタクシは、別に命を取られる訳でもない時に逃げたら、どうなるかも知っているのです。その後には、本当に伸るか反るかの試練が来ます。そこから逃げなかったから、今のワタクシがあります。

ワタクシも、この過去を呪うこともありました。しかし、全てが善。全て順調。ワタクシには必要なことでした。


今のワタクシたちの国や社会は、ワタクシたちの可能性を試す、最大のトレーニング場なのではないか、と思います。志、ビジョンを高く持ち、そこからミッション(使命)を自らに課し、自分なりの存在意義を認識して、より良き生き方をしたいと、この一年、原点に返って強く思うようになりました。




どうせ生きるなら、お互い、自分の可能性を追求して見たくはありませんか?
Posted at 2013/01/18 22:04:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

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