『ナローポルシェの憂鬱』
双葉社 1,800円 2003年5月1日発売
36歳にして初めて買った外車が1973年のナロー・ポルシェ。クルマの専門家でもない著者が、古いポルシェと共にすごした12年間の、楽しくもあり、ちょっと恥かしいクルマ・エッセイ。『Tipo』に1991年から2002年にわたり連載された原稿をもとにまとめる。
車庫でほこりまみれになってしまっていましたが、久々に読み返してみました。
発売が2003年5月なので私が912を買った年です。
もう20年も経つんですね。
エンストから始まった
「じゃあ、その先の道路が平らになったところでかわりましょう」
彼はそう言って1973年に製造されたポルシェ911Eを路肩に寄せた・・・・
1991年、横浜の青葉区のパラノイアで店に並んでいたナローポルシェを一目見て購入を決めて2ケ月後の納車時、初めてシミズさんに会って助手席でいきなり運転を、1速に入れようとしたらギャーと嫌な音が・・・
「ああ、1速に入れるときにはちょっと2速をなめさせてからにしてください。アルファと同じですね」
さあ、スタートだ。アイドリングに、ちょっとアクセルペダルを・・・あっ、エンスト。
ショップの廻りを練習して自宅に夜中戻ったようですが深夜の住宅街、爆音を轟かせ自宅車庫に戻ったよう。でこの日から本のタイトルにある「憂鬱」という言葉が体にすみついたようです。
クラッチのつなぎは慣れないとエンストはよくあるあるで仕方ないですが、
この出だし読んでて、ポルシェ911Eのエンジン音はこんなにすごいのか、また発進もこんなに大変なのかと・・・・
改めて自分の912と比較するとホントに月とすっぽん状態、
912はオートマ車かっていうくらい違います。
ナローポルシェのデザインが気に入って知らずに4気筒の912を購入していたら、ひょっとしてこの本は生まれなかったかもしれません(笑)。
まあ、この頃は4気筒の912なんて全くポルシェではないという認識の時代なので912を選ぶということはなかったでしょうけど。
ここで出てくるショップのパラノイア、
今どうなってるのか全く情報もなくてわからないです。
この本の書かれた90年ごろ、週末にはパラノイアに皆集まってきてポルシェ談義、筆者も皆さんから
「初めてポルシェに乗るのにナローから入るのはすごい」
とやたら感心されて照れ笑い、
「劇的にポルシェは壊れる」
と聞いて、
ちょっとの段差でクラクションは鳴りっぱなしになるはシフトノブはすっぽ抜けるはとホンマかいやってという感じで出だしで読み進めました。
すぐに次のトラブルが、、、、
1冊の本になるくらいなのでこれでもかっていうぐらい続きます
首都高三宅坂トンネル走行中に後方から「バシンっ」ていう炸裂音がして車内に響いた。なんとか246号の接続の下り坂でエンジン完全に停止。ファンベルトが切れたようです。
焼き付いたエンジンをオーバーホール
ここから「ポルシェの神様」登場
それは川崎市の丘陵地に秘密基地ならぬ秘密工場が・・・・
神様とベテランメカニックが黙々と仕事を遂行、道具や部品が秩然と並んでいる
秘密工場とはカトーオートテクノロジーで神様は加藤等さんですね。
オーバーホールがどれくらい期間がかかったのかわかりませんが、出来上がったエンジンは静かでスムーズ、排気音もやかましくないなく、アイドリングに聞き入る人、マフラーに手をかざし廃棄の勢いを図っている人、皆が仕上がりを絶賛してくれたそう。(納車時のエンジン音はなんだったんでしょう?)
「だーめ」
次の課題は慣らし運転
①400kmまでは平たんな道路をレヴリミット(エンジン回転数の限界)の約6割(私の911Eの場合、約4,000回転)を限界としてゆっくりと一定の速度で走り続ける
②400~1,000kmは同じ限界に対して、アクセルをゆっくり開いたり早く開いたりするように、ペダルの踏み方にバリエーションををつける。エンジンに負荷をかけてやるために、長い上り坂などを意識的に走るようにする。
③1,000~1,500kmは限界回転数を約8割(911Eで約5,600回転)に広げ、一定の速度で走ったり、アクセルの踏み方に変化をつけたりする。
④1,500から3,000kmでは、街乗りを中心にするのか、サーキット走行を重視するのかなど、これから自分の目指すエンジンの仕上がりに向けて、その常用回転数をこまめに使用して鍛え上げていく。
筆者はこう教えられたようですが、なかなか①~④までフ~っていう感じです。
なんとか3,000km走って、オイル交換のため再度神様のところに行って「大分調子よくなったと思うのですが」といったら
「だーめ」
と言われて愕然と・・・
もうどれくらい乗られてますか?
1年くらいです
うーん、1年か、じゃ今度土曜日、夕方寄ってくださいということで神様が運転を教えてくれることになった筆者
神様が運転するとエンジンオイルが焼けた甘い匂いが・・・
「オイルを焼くように乗ってやらないとね」
「それは空気をたくさん送ってやることですね」
神様の運転はエンジン音の変わり方がきびきびしている。
2速でレッドゾーン近くまで回転をあげて、3速につないで、また回転が上がっていく。どんどんスピードが上がっていく。
最終的には時速70kmくらいだったが加速感がある。
秘訣を神様に聞いても禅問答のよう
わかったのは、ガソリンよりも空気をたくさん送ること。そのためにはアクセルペダルの操作が重要となる。坂道上がるようにエンジンに負荷をかけてやることも大事
せっかくオーバーホールして絶好調となった911Eですが、急にエンジンの元気がなくなりました。
神様は即座に6気筒の6つあるシリンダーのうち5番シリンダー内のコンプレッションリングが割れていると指摘、なんでそうなったかというと、
・・・2速からシフトトダウンで行ってしまった。やったのはそんなときだろうね。
「あなたにはEは無理かもしれないなぁ、Tに乗り換えた方がいいなぁ」
と嘆かれた
「Tに乗り換えた方がいい」と言われたショックは晴れることはなかった。
Tの方がいいと言われながらなぜかオーバーホールはTの鋳鉄製のシリンダーではなく、なんと工場にあった、Sのシリンダーとピストンが取り付けられる。
オーバーホール後、パラノイア主催のツーリング
ポルシェは並んでいたシビックの左前に接触して電柱に激突
この筆者、本当に運転が下手なのか、”またかよっ”て感じです。呆れます。
でも、ここまででこの本のまだ半分。
トラブルはもっと発生しないとこの後のページが埋まりません。
まだまだ続きます・・・・
今回は板金塗装が必要なのでここから、板金・塗装の神様が登場します
神様は横浜市都筑区にある早川板金の早川敏典氏
始めは国産車の板金塗装をしていたが、その時入ってきたビートルやメルセデスは、板金していて鉄が違うと感じた。
スウェーデン鋼の製鉄を使っていて、鉄がいうことを聞いていくれたのだ。それと比べると、国産のものはペラペラで苦労することに気が付いた。29才で独立してポルシェ社からマイスターの資格を得る。
「911の美しさは3次曲面によって構成されている」
「人間の労働力が感じられるのは同じ911でもナローまでですね」
ポルシェショップで見た塗装の神様の手になる再塗装された車には目を見張った。それはポルシェ独特の「柚子肌」と呼ばれる滲むような反射を見せる塗装
本の後半は筆者が雪道やらレースに参戦するストーリー、
順風満帆なのですが、こんなことでは本の執筆連載は続きません。
当然トラブルが起きます。
今度は中央自動車道甲府過ぎたあたりでアクセルペダル踏み込んだとたん「バキバキバキ!」という激しい音が後方から。
路肩に止まり、エンジン再始動すると「バッタンバッタン」という音
今回は6本のうちの1本の燃焼室の内部でエクゾーストバルブが壊れてピストンにぶち当たってピストンヘッドのど真ん中に突き刺さる・・・・
また修理。
まだまだ、次はタクシーに左後ろフェンダー付近におかま
当然タクシー会社の保険はビッグモータースの損保ジャパンのようにジャンジャン使えません。厄介です。
途中、神様との対話
Q.ナローポルシェは運転が難しいと言われてますがなぜでしょう?
A.乗る側がノーマルではないからです。その人間の経験がそうさせているのです。
Q.ポルシェのバランスについて
A.クランクシャフトは右回転してますよね。このことに対してポルシェはエンジンをわずかに右に寄せてレイアウトしているのです。左右のドライブシャフトの長さは同じですから、左右のフェンダーの幅をわずかに違えてます。アクセルペダルを踏むこと、戻すことによって車が左右にぶれないようにするため、そういう発想をしているのだと思います。
Q.メカニックはポルシェ問い車に対してどのような仕事をしていくと思えばいいですか?
A.マニュアル通りにエンジン組んでもオーナーの性格を知らないと車を合わせられません。長い間、ポルシェとかかわってきてわかったことは、人間の全体がわからないと車は直せないということ。
30年やっていてもまだオイルの量がわかりません。
オイルはオーナーによって入れる量が違います。ポルシェはドライサンプなのでオイルが10~11ℓ入るとして最後の500cc~1ℓ以内のところの量の調整が難しい。
まだ、ページは残っていますので、次のトラブルはガソリンもれ
給油後、駅前広場の段差に乗り上げたからと言ってガソリン漏れますか?
漏れるんです。
その後、ポルシェで登山にいくことしばし
高速道路で47kmオーバーのスピード違反で一発免停
しかし、残りページもあとわずか・・・
911の会の東北ツーリングの帰り、雨の東北自動車道で・・・・・・・・・・・・
なんだかなぁっていう結末でした。
この本に登場するのはパラノイアの清水さんと神様はカトーオートテクノロジーの加藤さん、早川板金の早川さん
カトーオートテクノロジーで検索すると筆者の吉村氏がこの本に書いている通り、神様のエピソードは脚色なく、ほんとにそうだったんですね。
外車王SOKENの記事(更新2022.03.26)
「ポルシェの神様」と呼ばれた方に、1965年式ポルシェ911の面倒を診てもらったときのこと

1995年にカナダから個人輸入で65年911を12600ドル当時80万円で輸入、カトーオートテクノロジーで面倒見てもらったエッセイ
個人輸入エピソードはこちら
「今から20年前。カナダから1965年式のポルシェ911を個人輸入した時のことを思い出してみる」
後半
・・・・その人が「ポルシェの神様」といわれている人だということを知ったのだが、初対面のときは「旧いポルシェの整備をしてくれる整備士のおじさん」でしかなかった。
「4番がね、起きてこないんですよ」どうやら6発あるピストンのうち、4番の燃焼状態が悪いということのようだった。加藤さん曰く「それ以外は大きな修理はしなくても車検は通りそうです。ただね、あちこち錆びてるねえ(笑)」とのことだった。
神の手による・・・・
加藤さんの手が止まり、ポケットからタバコを取り出し、火をつけて、ゆっくりとしたいつもの口調で話しはじめた。
「新しい年式の脚周りに交換して、すこーしトレッドが拡がったんだよ。トーインも調整したし、ちょうどかわして大丈夫かと思ったけど、ほら、こっち側(左リア)だけ、フェンダーの内側にちょっとだけタイヤが擦っちゃうんだね」
あー、なるほど、フェンダーの内側に黒いゴムの跡がついてますね。
・・・・・まさに神の手によるワザ・・・。ちなみに、このときの脚周り交換時の費用は車検と合わせて二桁万円の真ん中らへんだった。逆に安過ぎてびっくりしたほどだった(時効)。
神様とは・・・
気難しかったとかおっかなかったとかいわれがちな人だったようだが、筆者はそういう印象はまったく持てなかった。いつも話をしつつクルマを持ち込んだお客さんの希望について手の届く範囲で最高の提案をしてくれる人だったと思った。
以前からも書いている通り、整備工場に「いい」「悪い」があるわけでななく、「合う」「合わない」があるだけだ。
筆者はたまたま加藤さんの工場は「合った」だけで中には合わなかった人もいただけなんだろうと思ったりした。
加藤さんはポルシェに詳しいだけでなく、きっと人間にも詳しかったからこそ「ポルシェの神様」と呼ばれたんだと思う。
2020年4月 GQの稲垣邦康氏のエッセイ
2桁ナンバー物語 Vol.7 横浜34のポルシェ 911 (前編)
1回の車検費用は25万〜30万円ほど。車検整備以外は定期的なオイル交換のみ。ただし、エンジンは1999年に1度オーバーホールを実施。そのときは約120万円要したという。
「今、普段の整備はアウトバーンモーター(神奈川県川崎)に依頼しています。以前は、古いポルシェを得意とする老舗のカトーオートテクノロジーに依頼していました」
信頼出来るプロショップとの出会いも、長く911カレラを維持出来ている秘訣という。また、小さなトラブルであれば石田さん自身で修理してしまうという。
2桁ナンバー物語 Vol.7 横浜34のポルシェ 911 (後編)
本の中でぶつけたポルシェを板金修理されたのはここ!
カーセンサーEDGE2019/04/11の記事
空冷ポルシェ専門のボディワークショップ『クルマの達人 早川敏典』
・・・・独立を決意した頃、俺はポルシェのメカニックになるんだという夢を一足先に叶えて飯倉の三和自動車で働いていた仲間を訪ねたことがあった。
その彼が働く傍らで丸一日をかけて工場見学をしたことがきっかけで、早川さんはポルシェの鈑金塗装をやろうと心に決めた。
やがて独立が決まったとき、間借りさせてもらった初めての仕事場を見つけてくれたのも彼だった。
早川さんは早川鈑金という看板を上げ、しばらくして彼もカトーオートテクノロジーという看板を上げ、2人は日本のポルシェの整備の一時代を築いていった。
あの人もこの人も、他にも次々と登場する仲間と築いたあの時代の話に、わたしは古い時代という過去調を覚えない。
・・・・日本におけるポルシェの伝説は、そのような時代を朗々と生きた彼らが築いた。
「世話を焼いて焼かれて、そういう仲間がいたんです。加藤さんが目の前で911をウマの上に上げてくれてね、ドアを開けてごらんっていうわけ。
おそるおそるドアハンドルを引くと、パチンって音がしてスッとドアが開いた。今度は閉めてみると、ピキーンって例のあの音でドアが閉まった。
当時の日本車では、ウマの上に車を上げちゃったらボディとドアが擦れちゃって開け閉めができないのが普通だったから、もうそれだけで大興奮ですよ。
なんてすごいボディなんだ、これがポルシェっていう世界のスポーツカーなんだって思ってね。この車がいつも身近にあるような仕事ができる人になろうって」
都心に霞が関ビルと東京タワーくらいしか高い建物がない頃、そこへ沈む夕日を見ながら、大好きな車にかじりついた職人たちから、今こそ学ぶべきだと思うのだ。
しばらくぶりに訪ねた早川さんの工房には、空冷エンジンを搭載した数台のポルシェがいて作業を受けていた。
「もう10年近く前になるかな。空冷のポルシェを専業にするボディショップにしようって決めたんです。仕事ですからね、つべこべいってる場合じゃないという事情がゼロではないんですよ。
でもね、自分が本当にいいと思える車だけに絞った仕事がしたくなったんだよね。・・・・・
というかとオートテクノロジーの加藤さんは今から17年前に作業中にお亡くなりになりました。
ポルシェターボ乗っておられたにのさんの「中古車屋さんのお遊びブログ」から
「ポルシェの神様」逝く(2006年12月03日)
ありえない。。。
もう。。ポルシェに乗れない。。
11月22日に整備中にカトーオートテクノロジーの代表である、加藤仁さんが
事故で亡くなられたと報じました。
以前から僕の911は加藤さんに見てもらっていました。
ずっと昔。。。僕の911を車検に出した時、
「お前ブレーキ踏みすぎだ!!」
「これはレーシングカーじゃない!」
と。。一喝されて。。
「でも、もうガンガン踏んでいいよw」 と。。
僕の車のブレーキを見ると。
ポルシェ純正のレースカーに使われている物凄いブレーキが付いていました。
当時は(今も?)お金が無くて、15万での車検でした。
恐らく部品代だけでも、そのはるか上だったのでは?と思います。
また、僕が「エンジンがのびない。。」と質問すると
エンジン音を聞きながら。。。
おもむろにハサミを持ってきて。。
エアコンのベルトをチョンッと切って。。
「ハイこれで大丈夫!w」
「。。。。。。」
なんてこともありました。
すごく信頼できて、厳しくもやさしい方でした。
心からご冥福をお祈りいたします。
ありがとうございました。
当時の記事・・・
ドイツのスポーツカー、ポルシェの卓越したメカニックとして知られた川崎市高津区の自動車整備士、加藤等さん(59)が11月22日亡くなった。市内の自社工場でポルシェを整備中、何らかの原因でジャッキが下りて車体の下敷きになり、帰らぬ人となった。超一流の技術力から客やレーススタッフは加藤さんを「ポルシェの神様」と呼び信頼した。ポルシェを愛し、生涯をささげた男の突然の、そして壮絶な最期だった。【池田知広】
山梨県出身の加藤さんは、中学の時から自動車整備を始めた。「世界一の車に携わりたい」と卒業後に上京し、ポルシェの販売会社に入社。73年に独立してポルシェ専門の整備会社を設立し、ル・マンや日本グランプリなどのレースで走るポルシェを支え続けた。
妻とよ子さん(58)によると、目立つことが嫌いで、会社の宣伝もせず、取材の要請もめったに受けなかった。整備工場も外観は廃材置き場のようで、看板もない。電話帳にも載っていない。そして口癖のように言う。
「乗り手を理解しないで整備すると、その人を殺してしまう」
職人かたぎは客には頑固さとしても映った。32年のつき合いという東京都板橋区の医師、郡谷(ぐんや)正夫さん(55)は苦笑する。「『ちょっとみてください』と言って初めて来る人にちらりと車を見て『みました』とやる。私も話しかけてもらうのに3年かかりました」
エピソードがある。十数年前の鈴鹿サーキット(三重県鈴鹿市)でのレース中だった。ポルシェの現地メカニックから電話が入った。予選で成績が振るわないという。
「2周してみて」。加藤さんはドライバーに指示すると受話器に集中した。走行音を聴きアドバイスした。「左前の車高を4ミリ上げ、右後ろの車高を2ミリ下げて。0.4秒縮まるよ」。しばらくし「0.5秒縮まった」と連絡があった。
突然の事故は、翌日のレースに出場するポルシェの整備中に起きた。
下敷きになった加藤さんを見つけた長男順一(33)さんは「最後までやり切るのがおやじの信条」と父の工具を使い整備を終わらせた。「もういいよ」と客は泣いた。加藤さんが整備した1台は翌日、茨城県内のレースで総合優勝した。
11月28日の通夜では参列者で会場周辺の道が渋滞した。工場はいまもお悔やみの電話が鳴る。「男の人たちが主人のそばで号泣するんです。男に泣かれる男って私には計り知れません」。とよ子さんは少し誇らしげに言った。
最後はちょっとしんみりしましたね。
最後は
PORSHE911E
なんと、ちょうどアイリハルミチャンネルでヴィンテージ湘南のPORSCHE911E Sportmaticの運転動画が上がってました。
作者も911Eのスポルトマチックを購入していたら『憂鬱』はなかったかもしれません。そしたらこの本も執筆することもなかった???
【空冷ポルシェ】1971年式 Porsche 911E SPORTMATIC