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2017年07月29日

ドイツの流線形蒸気機関車 05形 06形

ドイツの流線形蒸気機関車 05形 06形 ※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用


独逸が一番!

※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用

どちらかと言えば・・・
蒸気機関車は『流線形』の方が好きである!

前回(?)、大英帝国の流線形蒸気機関車、
『マラード号』をブログ記事に採り上げたので・・・

今回は・・・

『偉大なる独逸帝国』の
流線形蒸気機関車のうちの・・・
05形 06形をピックアップしようかな・・・


と言うことで・・・

『引用という名の手抜き』で・・・(^_^;)
※Wikipediaより引用

ドイツ国鉄05形蒸気機関車

ドイツ国鉄05形蒸気機関車(DRG Baureihe 05)は、ドイツ国営鉄道(DRG:Deutsche Reichsbahn-Gesellschaft 現:ドイツ鉄道)の旅客用テンダー式蒸気機関車である。

概要
1930年代の欧米の鉄道界では、自動車や飛行機の発展などの要因により、鉄道が次第に競争にさらされるようになっていた。そこで、鉄道の競争力を付けるべく、列車の高速化のための技術開発が、各国で積極的に推進されていた。ドイツにおいては、フリーゲンダー・ハンブルガーのような気動車が製作され、1930年代前半の時点で、平均速度ベースで世界最高速度の列車となっていた。

しかし、気動車の場合、出力に対する重量の制約から、軽量化の必要があり、居住性の点で客車に比べて難があった。そこで、居住性の優れた客車で高速化を行うべく、高速蒸気機関車の開発を行うこととなった。また、1933年にアドルフ・ヒトラーによるナチス政権が成立したこともあり、当時、米英仏に並ぶ「鉄道先進国」として、ドイツ国家の威信をかけた機関車の開発が必要とされていた。

このような状況下で、ドイツ鉄道開業100周年の年である1935年に製作された蒸気機関車が、05形蒸気機関車である。

車両
ドイツ国鉄の急行旅客用蒸気機関車として増備されていた03形の154号機で1934年に行われた試験的な流線形改造とその結果を元に新規に設計、製造された急行旅客用蒸気機関車で、1935年に2両(05 001と05 002)、1937年に1両(05 003)が、いずれもボルジッヒ社で製作された。

車体形状は流線形を全面的に採用、シリンダは3気筒(3シリンダ)式、動輪直径は01形や03形での2000mmを上回る2300mmとなり、炭水車も連続運転を前提に炭水搭載量を増やしたものとなった。

最初の2両は落成後後述する高速記録達成などの試験が行われ、その後1936年春からハンブルク・アルトナ機関区に配属の上ベルリン - ハンブルク間の特急列車1往復(FD23・24列車)の専用機として運用を開始している。最高速度は175km/h、平均速度は119km/hで、気動車による列車には少し及ばなかったものの、当時としては世界最高水準の高速列車であった。

最後の1両(05 003)は流線形車体を有するが先行の2両とは異なり運転台を最前部に配置し、運転台後部にボイラと火室を設けるという、非常に特徴的な構造(キャブフォワード形)が採用され、炭水車からの給炭には車上で粉砕した石炭を蒸気で前方に送るという方式が採用されたが、不具合の多さから通常の石炭でなくより細かい微粉炭を用いるものに改造された 。

高速記録
落成直後に高速試験機として指定された05 002号機は1935年7月26日に試験用客車3両(196t)を牽引して195.6km/hを記録、翌1936年5月11日には客車4両(197t)を牽引して高速試運転が実施され、ベルリン - ハンブルク間の下り緩勾配上で200.4km/hという、蒸気機関車としては当時の世界最高速度を記録している。この記録は、史上初めて、蒸気機関車による200km/h走行が達成されたことも意味する。

この記録は1938年に、イギリスのマラード号によって破られるまでのわずか数年間のものではあったが、ドイツの鉄道技術の水準を世界に知らしめることとなった。

その後
1939年に第二次世界大戦が勃発すると、ドイツ国内の高速列車は運転を中止した。05形各機はベルリン - ハンブルク間で軍用列車や政府関係の列車を牽引することとなった。05 001号機と05 002号機は戦時中に車体下半分の流線形のカバーを撤去、05 003号機は給炭方式の不具合解消を兼ねて1944年に流線形カバーを全て撤去し通常の運転台配置に改造、車体には戦局悪化を反映した迷彩や防弾板を施した状態で運用された。

終戦後、ドイツの鉄道当局は、これら3両の機関車を廃車にする予定であったが、1950年にクラウス・マッファイ社にて再生工事が行われ、1951年までに全車本線上に復帰した。しかし、工事前の001号機と002号機に残されていた流線型のカバーは全て撤去、蒸気圧力や出力を低下する改造も行われ、戦前の高速性能は失われた。

1952年のドイツ連邦鉄道発足後は3両とも同国鉄の所属となり、05形(DB Baureihe 05)として急行列車を牽引し、1958年に3両全車が営業運転を終了した。

05 002号機と05 003号機は1957年までに解体されたが、05 001号機は、ニュルンベルクの交通博物館に静態保存されている。その際流線型カバーの一部が復元されている 。

日本への影響
1939年より、日本において弾丸列車計画が始まったが、弾丸列車専用として、数種類の大型電気機関車や大型蒸気機関車を製作・投入することが予定された。

その中で、旅客列車牽引用の蒸気機関車として、「HC51形」と呼ばれる、3動軸の蒸気機関車が計画された。これはドイツの05形蒸気機関車に倣ったものとされている。弾丸列車での使用では、05形を上回る性能を目指していたとされ、もし実現すれば、文字通り世界最速の蒸気機関車となっていた。しかし、当時の日本の鉄道技術力・工業技術力・国力を勘案すると、到底実現できるものではなかったともいわれている。

第二次世界大戦が勃発したことで、弾丸列車計画は頓挫し、「HC51形」も構想で終わった。

ドイツ国鉄06形蒸気機関車

ドイツ国鉄06形蒸気機関車は、ドイツ国営鉄道(DRB)急行列車向けの蒸気機関車であり、ドイツで唯一の4-8-4車輪配置(先輪2軸、動輪4軸、従輪2軸)の蒸気機関車であった。

歴史
06形蒸気機関車は、丘陵地帯で運行される急行列車の牽引する用途として、1939年に、クルップ社によって2両製造され、ドイツ国営鉄道での最大、最重量、最強の機関車だった。性能要件として、毎時120キロメートルの速度で650トンの輸送量があり、そして1:100の勾配時でも毎時60キロを維持することができることであった。

06形蒸気機関車は、45形蒸気機関車と同じボイラーであり、多くの構成要素は41形蒸気機関車と同じであった。動輪は4軸であり、ホイールベースは6.75メートルあった。

走行試験では、その驚くべき能力と性能を示した。しかし、機関車は、待避線の急カーブで脱線する傾向があった。さらに、45形蒸気機関車のようなボイラーの割れ、チューブの漏れ、ボルトが抜ける問題が生じた。そのため、測定車両や定期列車を牽引していたのか疑わしい。

第二次世界大戦後、このサイズの機関車の必要性がなくなり、機関車の構造への改良も、増車もされなかった。1951年にフランクフルト・アム・マインにてドイツ連邦鉄道から引退し、廃棄された。


※引用終わり

ニュルンベルクの交通博物館に静態保存されている05 001号機

※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用

05 003号機は…なんと!
『流線形車体を有するが先行の2両とは異なり運転台を最前部に配置し、運転台後部にボイラと火室を設けるという、非常に特徴的な構造(キャブフォワード形)』(Wikipediaより)
・・・戦後に解体されてしまい、現存しない・・・実に惜しい!


※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用

ドイツ国鉄06形蒸気機関車
こちらは戦後に全車(と言っても、たったの2両!)解体されてしまい、現存しない・・・
・・・実に惜しい!


※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用

ドイツ国鉄05形蒸気機関車のドキュメンタリー映画

・・・テンダーに貫通路が設けて有り、乗務員が機関車~客車間を行き来出来たり、
動輪付近の流線形カバーには開閉式シャッターが設けてあったり・・・
…と、優雅なデザインとドイツらしい合理的な設計が光る!・・・
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Posted at 2017/07/30 00:01:38

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この記事へのコメント

2017年7月30日 14:24
2300㎜の動輪には凄みさえ漂いますね。
その巨大で力強い車体の割に汽笛が可愛いのはなぜ^m^
コメントへの返答
2017年7月30日 21:50
仰るとおり、2300mmの動輪は圧巻ですよね・・・。
大柄なドイツ人男性が小さく見えるほど(゜o゜;

ヨーロッパの機関車の汽笛は小型船か軽便鉄道の汽笛の様な音色ですよね・・・。

日本は野太い音色、アメリカはラッパの音色と・・・・お国柄なのかそれぞれ個性がありますよね♪(^_^)b

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