今日、久々にブログupさせて頂きます。
今日は以前
主水さんのブログのコメントで少し話した大昔に私が体験したロス暴動についてお話させて頂きます。
日本は第二次世界大戦後、もう戦争はまっぴらごめん。平和が一番という理想論が現実論よりも先行してしまいほとんどの国民がアメリカが統治しやすいようにつくられた憲法に何も違和感を持たずになりました。
また日本という立場は世界から見てアメリカとの安全保障があるからほんとうに安全なのか?
ロシアとの関係や日本を仮想敵国とする中国や韓国、朝鮮との関わり合いやそれらの相手国から見た日本とはどういう立場であるのかについてはマスゴミと左よりの教育のせいで真実が隠蔽され、いわゆる9条信者の増加を促しました。
外交に対しても
‘世界のみなさ~ん、日本はいいこです。
戦争だの武装だの日本はもう二度といたしませ~ん。
だから仲良くしてくださいね。よろしく~。’
といった日本は平和ぼけのお人よし弱腰国家になってしまいました。
その結果、ド貧乏国家北朝鮮にはナメられ、
ずうずうしい韓国には竹島問題や慰安婦などで散々たかられ、
生意気なロシアには北方領土を奪われ、
あつかましいシナには沖縄を狙われ…..
つまり今日本の国民がどれだけ他国と価値観が違うのかに目覚めなければこういった国に囲まれている日本は生命、財産、土地を奪われてしまいます。現に奪われ始めています。
そこで私はあまり政治には知識はありませんが日本国憲法9条については納得がいきません。
武装するということは戦争につながるという発想よりも万が一の危険から自分の身つまり自国は自国で守らなければならないという基本法であると思っているからです。
それはこの
ロス暴動(Los Angeles riots of 1992)の体験により生身で実感しているものであり、理屈や理想で語っているものではありません。
そこで私の幼稚な日本語でつづったどなたでも読みやすい作文を書いてみました。
「私のロス暴動体験」
この暴動の発端はアフリカ系アメリカン(黒人)のロドニーキング(Rodney King)がスピード違反で捕まったところをカーチェイスで振り切り暴走するが結局、捕まってしまうことから始まる。
後にロドニーを捕まえた4人の白人警官達が容疑者のロドニーに殴る、蹴るの異常なまでの暴行を加えた。
もともと警官の支持に従わなければ人種にかかわらず拳銃で撃たれたりするケースもあるのだがこの場合、相手が黒人であるがため白人が差別として暴行を行ったかのようにメディアに伝えられ多くの黒人の反感を買う。
そしてその日、ロドニーキングによるその警官達の人種差別の告発が裁判の結果で無罪になった。
それがこの暴動のきっかけとなり黒人たちが憤慨する。
‘この国には我々黒人の安全、正義、そして自由がまだない。’ と。
そしてロスの黒人街とされるWatts, Compton で火炎瓶での街の放火がはじまり黒人やラテン系の貧困層の人々はその火事にまぎれてストアや民家(アパートメントを含む)を襲い窃盗を働く。
そして街自体をもデストロイドさせてしまういわゆる暴動が始まった。
この暴動の少し前にカンプトンでリカーストアを経営する韓国人のおばさんが14歳の黒人の少女を銃で打ってしまった。
おばさんにしてみれば店で頻繁に万引きをされる被害にあっており、ノイローゼ状態になっていたそうだ。
その日、その少女はただジュースを買うのにお金をレジで払おうとしたところをおばさんには、‘また誰か黒人がうちの店に万引きにきた。’と思ったらしくまちがえて撃ってしまったのだ。
実はこの事件が その恨みをこの際、この暴動で晴らそうとコリアタウン襲撃のきっかけになった。
私はその頃、ハリウッドからコリアタウンに引っ越したばかりのときだった。
私はうちのアパートメントからたった1ブロック先の99セントストア(日本でいう100円ショップ)にいる韓国人のマイクのところによく遊びにいっていた。
彼はその店の韓国人夫婦のオーナー、リーさんの息子で歳は多分、27~28歳位だったと思う。それ以外のことはあまり知らなかった。
今度、マリブの海岸沿いのおしゃれなレストランに私を連れて行くと言っていたのでそのときにゆっくり彼の事を知ればいいと思っていた。だから私も別に詳しいことは聞いていなかった。
彼はそんなストレンジャーな日本人の私を妹の様に扱ってくれた。
マイクは変わった韓国人でいつもふざけて他の韓国人の話し方や身振りを真似したり、私に‘韓国の車には乗るな。死ぬぞ。’‘韓国製品とアメリカ製品は買うな。ジャンクだ。日本人なんだからMade in Japanを買え’とか言っていた。
私はそんなおもしろいマイクのブラックジョークが聞きたくて別に用もないのにマイクの店によく立ち寄った。
その暴動の始まった朝、まだカリフォルニアの空はいつものように真っ青で私にはニュースで騒ぎはじめているワッツやカンプトン地域で起こっている暴動がまだ実感できるものではなかった。
その日も私はマイクのところに遊びに行った。さすがに鈍感な私も外に出たときになぜか街の様子が変なのはいつもより歩いている人が少ないことで感じ始めた。
私がマイクの店を入るとマイクがレジで30cmほどの銃に銃弾を詰めていた。
目を丸くしてびっくりしている私にマイクが気づき手を止めて私を叱りつけた。
‘What you doing here? ~ 何しに来たんだ!!
ここはもうすぐBuster達が襲いにくるぞ。
Go home!! ~ 早く家に帰れ!’
そしてマイクは黒い大きなトラッシュバッグの中に店にあった缶詰やシリアル、カップラーメン、ポテトチップス等をどかどかと私の為に詰め始めた。
‘重いけどこれを持っていけ。ほとんどのストアがしばらくクローズになる。その間、これでしのげ。家に飲み水はあるのか?’
マイクは私にいつもよりきつくハグするとおでこにキスして袋を持たせた。
それでもまだ私は今、いったいこの街で何が起ころうとしているのかなど実感がなかった。
そしてマイクに会うのもこれきりとは想像がつかなかった。
家に戻るとアパートメントの住人が1階のロビーに集まっていた。
私もすぐさま荷物を部屋に置きミーティングに加わった。
マネージャーがこう話した。
‘とうとう、このエリアも放火が始まってしまった。だけど残念な事にロスアンゼルス内ではこの火事件数の多発で消防車が全然足らないと市から連絡があった。つまり、もしこのビルが放火されてもいつ消防車がくるか誰にもわからない。だから、我々でこのビルをそして我々の命を守らなければならない!!’
そのマネージャーの一声にみんな一致団結した。
女性軍は交代で3時間ごとにビルの屋上から不審者の侵入や火炎瓶の投下の見張りをする事になった。
男性軍はビルの周りを陣取って銃を持っている人たちが囲んだ。その中には何人かベッテラン(veteran=兵役経験者)の年配者もいた。
‘俺はベトナム戦争ではそこそこのチーフをしていた。バッチもたくさんもらっている。 Buster達にはこのビルも住人にも指一本も触れさせないぞ。’
いつもにこにこ笑顔をしているMr. MacCarthy がきりっとした顔つきでライフルを構えた。
屋上での見張りは楽なものではなかった。火事がどんどん近づくに連れ、煙でだんだん息苦しくなり、眼も染みて痛い。
そして私はとても見たくない光景を見てしまった。
20階建てのビルの屋上からBusterの群集がマイクの店に群がり始めたのが見えた。最初は数人が店の入り口を叩き壊しているかのようだったがどうやら鉄のフェンスを壊したらしく一揆に人々が盗みに入り込んでいった。
私は全身の力が抜けてしまった。
そのときにドーンというもの凄い音がした。
目の前のアパートメントのビルに火炎瓶が投げ込まれた。
ギャーという悲鳴とNo、No、No...という叫び声、何かが壊されたドカーンという音。とにかくいろんな音が耳に入ってきた。
火はあっという間に燃え上がって目の前のビルを真っ赤に包んでしまった。
あつい。。。
生暖かかった空気の温度が上昇し顔が焼き付けられるようだった。
‘Let’s pray for GOD!’ ~みんなで神に祈りましょう。
女性郡の中のおばさんたちが手を組んで祈りを始めた。
それに続いてみんながそれぞれの思いで祈り始めた。
火の粉がバチバチと飛んでくる中、意識が朦朧としはじめた。
…….もう神頼みしかない。
そのとき………….
ガッ、ガッ、ガッ、ガッ、ガッ、ガッ、ガッ、ガッ、….
とミリタリの戦車が二台、あのBuster達を蹴散らすかのように目の前のストリートを通過した。
するとまるで魔法をかけられたようにピターっっっと騒ぎがおさまった。
‘GOD SAVED US !’ ~ 神のご加護があった。
‘THANKS GOD !’
‘THANKS AMERICA !’
みんながいっせいに叫んだ。
ベッテランのおじさん達が戦車に向かって敬礼していた。
戦車はその中を同じスピードでゆっくりと次のストリートに向かっていった。
待ち焦がれていた消防車もやっとたどりつき、火事はなんとかおさまった。
それから2,3日してもロスの空はまるで墨を流したように火事の煙で真っ黒だった。
暴動の余韻を警戒して外出もままならず、マイクが言ったとおり近所のマーケットも小さな店もみんなしばらく閉店していた。
マイクにもらった食料は近所の人にも分けたので残り少なくなっていた。
そこでアパートメントの住人の何人かの男性が代表で安全なエリアにいって食料を調達してくれるようになった。
それから一ヵ月後、私はマイクの店に行ってみた。看板を見上げると何発か撃ち込まれた銃弾の跡が痛々しかった。
マイクの店は改装中でマイクはいなかった。
そこにいたメキシカンのworkerに尋ねるとマイクの身は大丈夫だったらしくどうやらマイクのファミリーはその店を売ったらしい。
それ以外の情報は何も掴めなかった。
私は半年程、マイクを探した。どうしても お礼が言いたかった。
でもMike • Lee という名前はカリフォルニアには腐るほどいた。
もしマイクに怒られなければ私はあのままふらふらして襲われていたかもわからない。カリフォルニアの青い空と海が大好きな彼はきっと海岸沿いのどこかの街で暮らしているだろう。
ほんとうにありがとうマイク。
そしてなによりもあの危機を救ってくれたUS military にも
ほんとうにありがとう!
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この経験はもう十数年も前のものだが今でもあのときの音、におい、色をすべて昨日のことのように覚えている。
九条信者さんはこれを読んでどう思われるでしょうか。
私、思うんですけど、九条信者さん達の中には太田光さんをはじめ、さまざまな著名人、有名人がいらっしゃいます。
そこでその九条信心の平和というお題目を世界各国に広宣流布なさっては。wwだってお金は信者さんの中でたんまり持ってらしゃる方がいるわけですし、基金を設立なさってもいいですし。
それで
‘南無 平和、平和、平和、平和、、、、、’お題目の布教活動をするんです。
もちろんイラク、アフガニスタン、スリランカやソマリアとかにも武器ひとつ持たずに行ってください。たとえ捕虜になっても自己責任で日本の血税はいっさい使わないでくださいね。
そして命が狙われたら
‘みなさ~ん。武器を捨ててくださ~い。 今から仲良く話し合いますよぉ。’
と必殺話し合いビームをかましてください。
是非、一天四海回帰--- 日本国憲法九条擁護平和教が成就されますよう世界にはばたいてください。
そしてこの地球の99.9999%の人類が九条信者になったなら私も潔く九条の信者にならさていただきます。
以上、長文、駄文失礼致しました。