よくブログで「おいしいお店に行って来ました」的な内容を見掛けます。
私自身もたまに書きますし、他の方の情報を参考に足を運ぶ事もあったりします。
が、ハッキリ申し上げてそうした記事が面白いか否かを考えると、私自身はあまり面白いとは思えません。むしろこうした場合は失敗談のほうが話のネタになるので、以前から美味しいものだけでなく不味いものに関しても積極的に取り上げて参りました。人が行かないようなお店に足を踏み入れる時のドキドキ感と言ったら、昔テレビで観た「川口浩の探検シリーズ」に似ています。

この本は池波正太郎氏の「散歩のとき何か食べたくなって」という食に関するエッセイで、食通であった池波氏の食への想いが余すところなく綴られた一冊です。初版が昭和56年ですが、私はこの本を高校生くらいの時から愛読し、こんな旦那になりたいものだと空想していました。
池波正太郎氏を初めて意識したのは、テレビの「鬼平犯科帳」でした。それまでの時代劇といえば歴史上に実在した武将ものと、水戸黄門や暴れん坊将軍的な勧善懲悪的なものしかありませんでした。そんな中で鬼平犯科帳の時としては罪人の心の奥まで描いた作品はものすごく新鮮で、毎週楽しみにしていた思い出があります。
そのエッセイの中に「浅草の店」の記述があります。
『仲見世を歩いて、ひょいと入ったのが金鮨だった。金鮨の老女は「うちのお酒を飲みにわざわざ山の手から来るお客さんもいます」と自慢している。鮨をにぎる職人は一人。しかも女である。』
『先ず入って「今日の一番うまいものを出してくれ」というと、たとえば鮑なんかブツブツと切ってくれる。そのうまいこと、安いこと、うれしくてたまらなくなってくるのだ』
そのお店「金寿司」ですが、存在は以前から知っておりました。しかしその店の佇まいは普通の客を拒絶するかのような古さで、その扉を開けるには秘境に足を踏み入れるような種の勇気が必要です。(右側の金太楼寿司とは関係ありません)

そこを今日は勇気をもって開いて、わざとらしい程に何気ない顔を作って「食事出来ますか?」と行って来ました。
ここから先の写真はカットします。その理由は私の知る飲食店の中では一番荒れた状態で、店内には古くから染みついた魚臭がくさやの干物のような臭いを放っており、大きな蠅が飛び交っていました。恐らく普通の人ならこの段階で引き返すのが賢明です。が、この程度では負けません。このくらいはその昔中国の食堂で経験済みです。
1000円、1500円、2000円と三段階のメニューがあるので、真ん中を注文します。池波氏が訪れた頃からつけ場に立っている高齢の女主人は愛想良く「あがりでいい?」と聞いて来ます。お茶をあがりと呼ぶ店は久々です。で、私自身浅草界隈で育った事を伝えると「この辺も変わったでしょ?」と饒舌になり、魚の旬や築地移転の話題で色々教えてくれました。私も昔あったお店の話を聞くと「お兄さんかなり古い浅草の人だね」と煮蛤、水蛸、鮪をオマケしてくれました。
さて、そのネタは全てに江戸前の仕事がしてあり、店の衛生状態とは裏腹に素晴らしいものがありました。ただし鮨として完成品になるとシャリが重くて残念なのですが、恐らく1500円でこれほどのネタを提供する店は浅草はおろか東京23区には存在しないかも知れません。
そんな訳で普通に考えたらとんでもない店ではありますが、出される魚の質と浅草の昔話で40分の滞在時間を楽しく過ごすことが出来ました。この店舗さえ何とかなればイイ線行くとは思いますが、恐らくこの女主人の年齢を考えると難しいのだろうと思います。
きっと池波氏の頃はもう少しマシな状態だったのでしょうが、今日はある意味貴重な体験が出来ました。注意点はもしこれを見て興味を持ってしまった変人の方が居たら、絶対に一人で行くべきです。間違えても女性や家族を連れて行くべきではないと思われます。
どうでしょうか?文字通り体を張った食レポとはこういうものだと思うのですが。
良い子はマネしないでね!?
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2016/10/07 20:31:29