2017年07月05日
私の青春アルバイト日記・大学生時代後編
「抜身の刀みたいな人だな…」
東銀座の古い雑居ビルの一角にある不動産会社の面接に出てきた男性を見た感想です。
極太のペンシルストライプのスーツ、ベルサーチのネクタイ、金無垢のロレックス…それはリアルナニワ金融道という感じで、相手を無言のうちに圧倒する迫力満点のその人こそがそこの社長でした。目はギラギラと輝いて、その口から出る慇懃な言葉が逆に畏怖の念を抱くに充分な容姿でした。ところが時折見せる破顔した時の表情の無邪気さだけは唯一人に安心感を与えるものでした。
「じゃ、何時から来れる?ここでの仕事は事務作業が中心で、分からない事は教えるから」
当時としては破格の時給が提示され、一応入口の東京都免許の提示を確認してバイトを受ける事にしました。普通の男の子なら逃げ出しそうなシチュエーションでしたが、何となく魅力的に感じたのでした。
そして学校とバイトという忙しい日々がスタートし、クヨクヨ悩む時間が無い程に動いていました。不動産の仕事は事務が中心でしたが、法務局に謄本を取りに行ったりする仕事もあったりと変化に富んだ仕事でした。で、その社長の車がセルシオで法務局に向かう時に「乗ってっていいよ」と気前よく貸してくれました。自分のボロいローレルとは段違いの滑らかな走りに、外へ出るのが楽しみになっていました。やって来るお客さんも560SELやらベントレーもいましたが、どれも薄汚れていて並行輸入車だった所が胡散臭く感じました。
今になって考えると、取引に際して「コレ本当に合法だよね…」と不安になるケースもありましたが、一応どれもギリギリ合法なので問題はありませんでした。この仕事のお蔭で収入が多くなり、親の健康保険の扶養から外れる事になったりと様々な経験をしたものです。
ある時、その社長が神田の鰻屋に連れて行ってくれた時に「学校を卒業したら先ずは堅い勤め人を経験する事。そして何年か経験を積んだら起業する事。人を使う側に立たないと駄目だよ」という事を言ってくれました。その時はあまりピンと来なかったのですが、就職して社会人になってからはこの言葉をいつも心の中に守り刀のように仕舞っていたように思います。
そして無事に新聞社への就職が決まりましたが、何故かこの不動産会社の居心地が良くて学校を卒業する直前までバイトを続けたのでした。バイトを辞める時に社長から餞別として50万円を頂戴したのですが、この時の封筒は今でも保管してあります。
それから何年かしてその不動産会社を訪ねると既に無く、社長も音信不通となっていました。いつも「いずれ京都に帰るんだ」と言っていたので故郷に帰ったのなら良いのですが、まさか東京湾に沈んだりしてないよね…と一抹の不安も残るところでした。
で、その時に稼いだお金の中から200万円を頭金にして、残りを60回払いローンで初めての新車を買ったのですが、この時セドリックブロアムが手元に来た時の感無量というか充実感は二度と味わう事が出来ないだろうと自分でも思っています。
とにかく私は10代、20代、30代と波乱万丈な時代を過ごし、沢山の悲しい事と嬉しい事を経験して現在に至ります。そして何事も「とりあえずやってみる」ことの大切さを学んできました。若いうちの失敗などはどうとでも帳尻を合わせる事が出来るので、若い方には失敗を恐れずに突き進んで欲しいと思います。
そして今40代の後半に入って、ようやく平穏な日々に恵まれたのは全て周りの人達のお蔭に他なりません。どんなに頑張っても人間はひとりでは生きられない訳で、ここに登場した人、そして最後までこの乱筆乱文にお付き合い下さったすべての方に声を大にして申し上げます。
ありがとうございました。
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Posted at
2017/07/05 18:19:29
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