先日、我が家の町会でお祭りがありました。
長年の住人である義母は町会役員である為に朝から屋台の準備で大忙しでありました。お祭りが始まって様子を見に行くと、義母は鉄板の上でフランクフルトと格闘の最中であり、子供達が首を長くして焼けるのを待っていたのでそのまま他の屋台を見回りに行きました。
私自身色々と考えるところがあり、都心のマンションから妻の実家から50mの場所に居を移して2年以上が経ちました。この地区は古くから住まわれている高齢者の方が大半で、東京としては珍しく地域の枠組みが地方に近いように感じます。都心のタワーマンションでは隣人の顔すら知らない事が当たり前ですが、件のお祭りで焼そばの屋台のおばさんから「あ、あそこの外車乗ってるお兄さんでしょ!」と声を掛けられます。人によってはそうした近所のお付き合いを鬱陶しく感じる方も居るのでしょうが、元々下町で育った私には結構心地よい空気感だったりします。
家族は「そりゃあれだけ車を洗っていたら顔も覚えられるでしょ」と笑っていますが、今日も洗車です。

昨日の雨の中走ったエステートを朝から洗っていると、やはり見ず知らずの70歳代と思しき男性の方が自転車を停めて「やっぱりクラウンはいいねぇ」とにこやかに話しかけて来られました。
「僕らが若い頃のクラウンはとにかく憧れだったなぁ…だってこれより上の車は無かったんだから」と感慨深げに口にされた言葉を聞いて、やはり昭和を生きてきたお父さん世代にとってのクラウンとは特別な存在なんだと改めて感じました。この世代の人たちは本当に貧しかった時代から一生懸命勤勉に豊かさを求めて働いて来た方が多く、その先にあったものはメルセデスでもなくジャガーでもなくクラウンだったのだろうと思います。事実この方に限らずこの町ではジャガーよりもクラウンに関しての質問が多いのです。この辺に関しては輸入車党の私も認めざるを得ません。
トヨタでは以前にクラウンの幅を広くするか否かを検討した際、無作為で地方のユーザーを一軒一軒訪ねてガレージや近隣道路の広さを計ったりしたそうです。恐らくこんな作り方をしている車は他に無いのではと思うのです。今やどのメーカーもフロントグリルのCIマークを統一する中で、クラウンだけは今でも王冠のエンブレムを付けている事の意味はこうした所にあるのだろうと思いますが、それは後にセルシオやレクサスが登場しても不変だった事をトヨタには忘れないで頂きたいものです。
よく事情をご存じ無い方からは「そんな古いの乗らなくても…」と言われます。が、自分の親世代の人達にとって特別な存在であった車は、セルシオやレクサス、ジャガーやベントレーに乗った今でも何となく自分の手元に置いておきたいんですな、これが。
件の男性とのお話で18年目に突入した事を告げると「それじゃ30年目を目指して乗ってあげて下さいよ」と言われました。少し前なら30年という時間が途方もなく長く感じましたが、平成も29年である事を考えると30年目まではさほど長い時間に感じない自分が居りました。正直あと一台ポルシェ911は欲しいと思いますが、あとはもう車を買わなくていいかなと考えております。
「いつかはクラウンに」
これは恐らく日本の自動車広告史上で最高のコピーだと思います。「今すぐ」ではなく「いつかは」という気持ちは当時の真面目に働くお父さんたちの心を鷲掴みにした名文句でありましょう。今の若い人が自動車離れしている事を考えると、今後もこれ以上の心に響くコピーは出て来ないのかも知れません。
ブログ一覧 | 日記
Posted at
2017/09/18 14:52:04