2024年06月16日
「無礼」という感覚の変化
すこし前に若手学者の「高齢者は集団自決、集団切腹みたいなことをすればいい」という問題視された発言がありました。
この発言の主がどんな人物かを見ると、成田悠輔というTVでも重用されていた新進気鋭の学者でありました。件の発言をどの程度本気で口にしたのかは謎ですが、もっと言葉をシンプルにすれば「生産性の無い者は消えろ」という解釈になるのだろうと理解します。
問題は意外にもこの発言を結構マジで発した事であり、これでは思想的にはナチスと何も変わらない訳で、自身が教鞭をとるイェール大学の生徒の前でも是非同様の発言を求めたいところですし、氏の老後には切腹でも焼身でもどうぞ実践下さいと考えておりました。
すると先日の日経紙上でさだまさしさんが私と全く同じ思いの記事を書かれており、その中で「無礼」という事の意味が昨今狂ってきているという内容を見て、何かとても納得したのでした。
それはテレビ番組の中でも同様で、更には社内でのビジネス会話、スーパーやコンビニのレジでの遣り取りでも相手を慮る気持ちが著しく欠如しているように思います。
そして人生経験の浅い若年層の中には、その無礼さを新しさと妙な変換をするアタマの持ち主が居る訳でして、これがマイナスの連鎖の始まりではないでしょうか。
件の学者に関しても同様に、中途半端に頭の良い人間特有の幼さというか拙さであり、これが炎上しても「なんでこんなに騒がれるんだろう?」と不思議に思っているように思います。
確かに昨今問題になっているカスハラの加害者側にはほぼ必ず老害と呼ばれる世代が関わっているのも事実です。更に言えば逆走事故の加害者もまた老害である事は間違いありません。
しかし、かと言って老後切腹せよという発言は老害世代のカスハラと同様に程度の低い発想であり、インターネットの進化に伴い前頭葉が退化した若年層が発した言葉として妙に納得出来たのでありました。
司馬遼太郎先生が晩年「今日本で一番汚い言葉を遣うのは大阪の女子高生だ」と言われたそうです。ま、私的には女性の本質を理解しているつもりなので汚い言葉に不思議は無いと思ってます。しかし司馬氏の年代の男性にとっては特に若い女性には美しい言葉を遣って欲しいという幻想をお持ちだったのだろうと思います。
ま、大阪に限らず日本全国どの場所でも若者の言葉が汚く聞こえるのは事実で、我が家でもそんな時は私の顔に出るらしく、一瞬空気が凍りつくのが分かります。
これは簡単な事で、常に相手側の立場を慮る心が持てるか否かで出て来る言葉も自ずと変化するものです。私はどちらかと言えば件の学者とは真逆の古い人間でありますが、その古さは自分のフィールドの外には持ち出さない事は心掛けており、これから先の世の中でも義理と人情に生きたいと考える古い渡世人な訳でございます…
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Posted at
2024/06/16 13:36:45
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