2012年12月24日
こんな事を書くと、
「心の狭い人ダネ」
と言われそうですが、元来猫の額ほどの心の広さしか持ち合わせていない私にとっては痛くも痒くも無いので書いてみたくなった出来事がありました。
昨日、外出帰りに家族で食事に立ち寄った際の事、私たちより少し遅れて夫婦と小さな男の子の2人連れが向かい側のテーブルに着きました。店内に入って来た時から随分と賑やかな一団が来たな程度には感じたのですが、問題はそこから先であります。
子供連れの親子4人となれば、ベビーカーやら防寒具やらでちょっとした引越しに近い荷物がありますが、その荷物を空いていた隣のテーブルに置きました。
その母親、店内が混んで来て、その荷物が置かれたテーブルにお客が来ても知らん振りしています。後から来たお客が「あれ?この荷物は…」と言い掛けた途端、明らかに嫌のある表情で「これは私のです!」と引っ手繰るように荷物を片付け、その後にはスミマセンの一言もありませんでした。ここまで書けば私が何を言いたいかはお察しのところだと思いますが、この夫婦、その後も騒ぐ子供を窘めるでもなくぞんざいに会計を済ませて去って行きました。
この厚顔無恥な夫婦がどのような育ち方をして、どのような躾を受けて来たか等は知る由も知りたくもありませんが、このケースに限らず「子供がいるんだからしょうがないでしょ」的な開き直りにも見える言動の若い夫婦が急増しているような気がします。空いたテーブルに荷物を置くところは百歩譲って良しとしますが、その後の対応には常識の欠片すら感じませんでした。
以前、友人の車で出掛けた際、駐車場で隣の車のドアを子供が開けてドアパンチを食らいました。その時も母親からは開口一番「子供がやったんだから仕方無いでしょ」でした。友人は唖然としてしまいましたが、私は「確かに子供のした事は仕方無いかも知れませんが、これは本来であれば親がドアを開けるべきところを怠ったあなたの怠慢に責任があります。保険にしますか?自費にしますか?これBMWだから高いですよ」と言った記憶がありますが、どうも昨今の日本に於いては子供に甘すぎる文化が根付いてしまった感があります。周囲が子供を甘やかす、すると馬鹿な親が子供を錦の御旗の如く非常識な振る舞いをする、ややもすればそれを窘める大人のほうが悪いような錯覚すら起こさせるのは完全に間違っていると言いたいのであります。
「躾」って何だろうと考えた時、やはり我慢を覚えさせるという事に意味があるように思います。少なくとも公共的な場や乗り物に乗っている時に大人しくするのは親の役割であり、その役割すら満足に出来ない親の多さにはただただ閉口します。
例えば背広という服は、動きをある程度制限する事でスタイルを保っている部分があります。こうした「少しの我慢」という事は、ある程度小さいうちから身に着けないと一朝一夕には無理なのであります。私自身ミニバンには乗らないという生き方(人が亡くなっても搬送にはキャデラックかリンカーンと決めてますが)も、その辺りにあると言えます。子供中心の文化と言えば、最近のテレビに子役タレントが露出する機会が増えているように思います。それ自体は決して可愛くないとは申しませんが、どことなく邪念のある可愛さを感じるのは私だけでしょうか?
私の恩師曰く「子供は真っ白なキャンバスです。それにどんな絵を描くのは親の仕事です」という言葉があります。そうならば、どこに出しても恥ずかしくない程の絵を描きたいと思うのは親として当然でしょうが、最近は「恥」という観念が歪曲気味の世の中なのでしょうか…
件の家族連れの旦那、終始無言で注文した料理を詰め込んでいました。失礼ながらこの厚顔無恥で不細工な女房に飼いならされている甲斐性無しに見えました。
それともそうした事を不快に感じる人間は、高い対価を支払ってそれなりのお店に行かなくてはいけない世の中なのでしょうか…
Posted at 2012/12/24 10:04:12 | |
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