2016年11月01日
中学、高校、大学と今でも個人的に繋がりのある人は何人か居ても、同窓会というものに顔を出す機会が無くなったように思います。
これが私の親の世代などは、よく「明日は同窓会だから…」とか言っていたのを覚えていますが、少しずつその辺の感覚も変わって来てるのかなと思ったりもします。
もともと学生時代から人付き合いが悪く、今現在人様が何をしているかの関心度が極めて希薄な事もありますが、少し昔を振り返ってみると…
私は子供時代からピアノを習っており、歳の離れた兄から何を間違えたのか「こいつはもしかしたらモノになるかも」と言われたが為に、かなり本気で個人レッスンに通っておりました。そんな生活では指は絶対に怪我出来ないので、体育の授業は半分近くが見学となっていました。
結果的に兄の眼はあてにならずにモノにはならなかった訳ですが、それでも小学校高学年になると一応一通りの曲は弾きこなせるようになっていました。で、これもどこか毛色が変わって悪目立ちしていたようで、文化系であるにも関わらずかなりモテる生徒にはなれました。が、その結果運動部からのやっかみが凄かったのを今でもよく覚えています。
今はどうか知りませんが、当時の学校は「スポーツさえやっていれば健全」みたいな考え方が全盛で、スポーツを見るのもするのも関心が無い私には居心地の悪い環境だったように思います。スポーツは一部を除いては「集団」であり、ピアノは例外はありますが「個」であります。この日本では今でも「個」というものが海外に比べると尊重されない社会ではありますが、これは大人の社会とは言い難い悪習のように感じます。
従ってこの頃の同窓会ですよと言われても、これにホイホイ出席する気にもならずにますます疎遠になる訳です。
ウチの両親は礼儀作法に関しては口うるさく、その他に関しては次男という事もあってか極めて甘かったように思います。その結果「三つ子のたましい百までも」というように、子供時代から今に至るまで決して集団に交わらずに「個」を貫いてしまった訳ですが、今思えばそれは決して間違っていなかったという自負もあったりします。
加えて嫌なのが、下手に同窓会などに出ると当時親しくもなかった顔も知らない人が、本当にただの興味本位で寄ってくる事です。そんな人から「こいつは俺たち庶民とは違うから…」みたいな事を言われると、庶民じゃなかったら一体何なんだ?と自分で考えてしまいます。
なので今後も同窓会関係は一切出席しません。あしからず(笑)
Posted at 2016/11/01 10:59:10 | |
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