どんな事でもスーバーボール並のエンターティンメントに仕立ててしまうアメリカらしく、それこそ大騒ぎの末にトランプ氏が次期大統領に収まりました。私のような外野にいる日本人から見ても、トランプ氏の破天荒な言動には賛成しかねる部分も多々ありましたが、冷静にその足跡や言動を見ている限りその根底に一貫しているのは「強かったアメリカの復活」だったと思います。私的にはトランプ氏の華があって強かった時代のアメリカ人そのもののビジュアルは結構好きだったりします。
そんな目で見ると、色々疲れていたアメリカの人たちが今までとは異なる何かに期待してトランプ氏に票を投じたのも何となく理解出来るような気がするのです。果たしてトランプ氏がどうような舵取りを行うかは未知数ではありますが、そのとてつもなく大きな期待に是非応えて頂きたいものです。
さて、弱くなってしまったのはアメリカのみならず日本も同様であり、大人の成熟を迎えたと言えば聞こえは悪くないものの、ここ何年も横這いの世の中に辟易している人も多いような気がします。
で、そんな事を考えながら昼休みの京橋を歩いていたら、一台の車とすれ違いました。
その車は平成初期の頃のクラウンでした。「品川33」のナンバーなので、恐らくワンオーナーで新車から乗られている個体かと思われます。
揺り篭から墓場まで、日本に生まれていればクラウンに触れない生活をしている人は居ないと思います。そんな長い長い歴史の中でも私的にベストクラウンはマジェスタでもアスリートでもなくこのV8クラウンであります。
このV8クラウンが登場した背景には日産セドリック/グロリアシーマの存在が無かったとは考えにくいのですが、何せセルシオのエンジンを先行して搭載してしまう程クラウンは重要な車種だった事がよく分かります。車そのものの出来はセルシオとは比べものになりませんが、当時納車まで一年待ちだったセルシオのつなぎにこの車を買って、一年後にセルシオが納車される際は有利な条件で下取りした話は有名です。今になって思えば内装もこれだけ豪華なファブリックは現代の車でセンチュリーくらいしか存在せず、国産車のCMコピーの出来No1だと思う「いつかはクラウン」がものすごく説得力を感じます。
その存在感は流石で、シーマが仏像からインスパイアされたデザインだとすればこちらは日光東照宮の美学という華やかな趣を感じます。もっとわかりやすく言えば大晦日の紅白歌合戦でトリを取る演歌の大御所的なキャラを持っています。
流石に今クラウンを買う世代が親しんだであろう音楽も演歌ではなくオフコースやチューリップに変わって来ているのと同じで、今のクラウンが時代に合わせた姿に変化しているのも理解出来ます。
しかしこのクラウンが新車で売れていた頃の時代は「日本が強かった時代」で、そうした時代へのノスタルジーも含めて通り過ぎたV8クラウンがものすごく懐かしくも誇らしく見えました。

ウチに居るクラウンエステートもV8クラウン同様ツートンカラーですが、このツートンはどちらかと言えば昭和の価値観だと思います。でもそんな日本が強かった頃の残り香を感じる車が手元にあると、たまにものすごく愛おしく感じたりするのです。
さて、トランプ氏ですが、今後は日本に対しても米軍の駐留費用等の問題で色々と波風が立つことがあるかも知れません。しかしポジティブに考えれば、戦後ずっと続いていたアメリカの庇護を離れて本気で独り立ちを考えなくてはならない良い機会の訪れかも知れません。
Posted at 2016/11/10 21:34:28 | |
トラックバック(0) | 日記