日本には茶室の文化というものがあります。
茶道にも様々な流儀がありますが、千利休の侘び茶に代表されるものがその様式を完成させたものと言われています。高校の時に何故か上級生のお姉様方から強くお誘いを受けて男子一人茶道部に入る事となり、初めて茶室の文化に触れた時、人を持成す空間でありながらその狭さと質素さに大いなるギャップを感じたものですが、実際にそこに身を置く事で落ち着いた気持ちになる事に気が付いて、初めて侘び茶の精神をほんの少し理解出来たような気がします。
千利休が豊臣秀吉に切腹を迫られたエピソードには諸説あるようで真偽は謎ですが、秀吉の金の茶室と千利休の侘び茶の精神には相反するものがあり、その辺りを考えると仲違いも納得出来るような気がするのですが、如何でしょうか。
で、いつもながら茶道とは何の関係も無いお話に変わりますが…

ウチのジャガーに乗ると、何故か何の脈絡も無い筈の茶室との相似形を感じます。この時代までのジャガーの目指すところは少し旧いヴィクトリア時代を思わせる雰囲気であり、勿論それが日本の安土桃山時代とは何の関係無いのですが、そこに身を置いた時に感じる気持ちは茶室のそれに近いものを感じるのです。
ハッキリ言えばジャガーは各部のディテールに関して「ここはもっとコスト掛けようよ」と思うチャチな部分もありますが、その適度な狭さや車の動き、音質などが心地良くて静謐な茶室の雰囲気によく似ています。それはクタクタに頭を使った仕事の後などには良い精神状態をもたらす最良のアイテムであります。そうなると件のチャチな部分などは帳消しになって気になりません。
これが逆にスポーツモデルのFタイプやアストンマーチンになると、マシンとしての精度の高さをドライバーに寡黙に伝えるドイツ車とは違って、もっと人間の持つエモーショナルな部分に熱い何かをストレートに伝える面白さを持っています。そこは元々海賊の血を引く人々が多い国なので、良い意味での野蛮さを決して忘れていないのでしょう。
20年くらい前でしょうか。今は亡き徳大寺有恒氏が「イギリスの車はただ高級なだけではなく、この高級さの中に質素という部分が必要だ」と仰っておりました。この高級と質素とは相反する要素で、当時は何の事だかよく分からない部分でもありました。しかしそれを手に入れて使ってみると、その無駄の無い質素な部分にも気が付くものです。その根底には英国車は「所詮はクルマだから」という肩の力が抜けた部分があり、血眼になってハンドリングの限界やタイムを縮める努力をしなくても車を楽しむ術を知っていたのだろうと想像します。

最近フルモデルチェンジしたロールスロイスのゴーストが登場した時、ポスト・オピュレンス(脱・贅沢)というコンセプトを標榜していましたが、これも普通に考えれば5000万円前後の車が何故贅沢から離れるのか不可解という人も沢山居たと思います。個人的にはこの顔つきはもう少し柔らかく出来ないかなと思いますが、確かにその雰囲気は高級なだけでなくシンプルな質感の高さを感じるものでした。
知り合いの83歳になる大社長から私に「君は英国の貴族がその家系を高める要素は何だと思う?」と質問されました。「それは財力や領地の広さでも無く、その家から国に殉じた人が何人いるかで決まる」という答えでありましたが、確かにノブレス・オブリージュの精神を重んじる英国では有事の際には国民より貴族が先に戦地に赴く不文律があります。ここが快楽主義のイタリア貴族と違うところで、日独伊三国同盟の時にも一番最初に抜けたイタリアとは違う国民性を持っているのでしょう。
その文化の違いは靴を見ても分かり易く、イギリスのジョン・ロブとイタリアのベルルッティでは考え方がまるで違うところにも現れているように思います。ジョン・ロブは少し重めで底を張り替えれば一生モノですが、軽い履き心地で革の質感も薄くて柔らかいベルルッティは一生モノとしては難しいのではと思います。30代の頃に調子に乗ってどちらも購入しましたが、ジョン・ロブは多少の雨でも気にせず履けますが、ベルルッティは朝の天気予報とにらめっこしてから履きます。
話を車に戻すと、最近は良い意味でナショナルカラーを感じるものが少なく、どちらかと言えば無国籍なキャラクターの車が増えた感があります。元々個性の強いイタリア車や英国車、仏車は別にして、ドイツならポルシェのクーペとBMWのSUV以外、アウディのセダン系統、日本車なら日産GT-Rからは好ましいものを感じます。
さて、今日は曇天でありました。

英国車にはピーカンの晴天よりも曇天のほうが似合うように思うのですが、このポーセリンのカラーも同様で本来のカラーが見れます。
今日はいつものように猫用品の買い出しに出掛けましたが、不思議なもので人間の生活用品の買い出しよりもこちらのほうが楽しかったりします。

最近は休日に乗る時はリアのサンシェードは全て開けて乗っています。そのほうが中のインテリアが見えてカッコいいかなと思っております。

「ほぅ。自分のものを買って来たか」という顔で飼い主を迎えるむぎさんですが、今年の5月には7歳の誕生日を迎えます。本当にあっという間の7歳で、無邪気に遊ぶ子猫の頃が昨日のように感じます。寝ている時間は増えましたが、まだまだ運動会モードには大暴れで元気に過ごしておりますが、少しずつ食べ物や生活環境を考えてあげる事が必要になってくるのかも知れません。

この何かを狙う時の表情を見ると、原産がイギリスである「良い意味での野蛮さ」を猫からも感じるのは気のせいでしょうか。
Posted at 2022/02/20 20:00:21 | |
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