今年2022年は私にとって、兄が亡くなって20年、父が亡くなって15年、母が亡くなって10年という節目を迎える年であります。
思えばそれからの時間は光陰矢のごとしでありまして、今でも肉親の声音を思い出すと然程に時間が流れたとは思えない反面、最近鏡に映る自分の顔が兄や父に酷似してきた事で改めてその時間の長さを実感します。
以前にも触れた事がありましたが、私は両親が40歳の時に生まれました。あまり人前で口にした事は無かったのですが、幼稚園などで親が参加する行事を目にすると自分の親が周りよりひと回りは上の世代でありました。それに対して「若い親はいいな」とかは微塵も思いませんでしたが、周りの友達に比べると自分は親と過ごす時間が短い事は漠然と5歳くらいの頃から常に考えておりました。
その頃、父は仕事で滅多に帰らない中で母が体調を崩しており、よく救急搬送された病院の待合室で「もしかしたらお母さんが死んでしまうかも知れない」と震えていたものです。そんな訳で幼稚園くらいから人の死というものが怖くて怖くてならなかった訳ですが、それを口にしても友達や先生には理解されないし、下手をすれば気味の悪い子供で片づけられる事も理解していたので、じっと口を噤んで病院の隣の寺院から聞こえる勤行の声に手を合わせて回復を祈っていたものです。
そんな様子を両親に言わないまでも何となく気付いていたのは兄で、「読めない漢字があったら教えるよ」と大人が読む精神世界や仏教やキリスト教などの本を与えられました。その中には丹波哲郎氏の大霊界もありました。
しかし子供ながらにどの本や宗教にも納得は出来ませんでした。何故ならそれを唱える人もまた誰も死を経験した事は無い訳で、近くのお年寄りやテレビで有名人の訃報を見る度に「人は死んだらどこに行くんだろう」という事が不思議でなりませんでした。
この頃は15歳年上の兄も二十歳前くらいで、両親が居ない状況をどうしたら良いか分からないままに熱を出した私に吉野家の牛丼弁当を買ってきてくれたり一生懸命で苦労したんだろうなと想像します。
思春期に入って興味を持った音楽もクラシックとロックという一見正反対なテイストでしたが、これにはどちらもアーティストは破滅型の末路を辿っている共通項を感じて、学校の教科書に載っているモーツァルトなども「本当の話を省略してるじゃん」と実際の史実を自分で読んでおりました。
そんな気持ちは今になっても大きく変わったとは思いませんが、流石に自分自身が折り返し点を超えた年齢になると、残りの時間が何年か分からないのであれば人生楽しんだ者勝ちという考え方に変化したように思います。私はあまり宗教や精神世界に傾倒する事は好みませんが、そうした能力を否定はしません。
で、そうした能力が強い方に言わせると、私は「人を送る」という宿命が見えるそうで、それは或る意味当たっているようにも思います。送られる者よりも残った者のほうが辛いかなとは思いますが、果たしてどうなりますことやら(笑)
さて、いつになく長い長い前置きになりましたが…
先日少し年上の友人と食事中に「これを見て欲しい」とスマホを渡されました。
見ると遺骨からダイヤモンドを作る「ダイヤモンド葬」のHPでした。聞けばその方は本家では無いので墓地が無く、自分の死後にこういうのもありかと迷っていたのでした。見ると火葬後の遺骨や遺灰を400gほど必要とし、そこからダイヤモンドを作るという内容でした。その費用もピンキリであるようですが、上は200万円超くらいが設定されておりました。
まあ色々な考え方があるので賛否は判断しかねる部分もありますが、私自身ならこれはNoだろうと思いました。何故ならダイヤ化する事によって誰がそれを持つかという事になり、故人のダイヤを託すというのは肉親であっても色々な意味で重いのではと想像するからです。「千の風になって」の歌詞で『お墓には私は居ません』と言うように、物質として自身が残るのは何か違うような気がします。
ま、気の置けない方なので私の正直な感想を伝えると、今度は樹木葬のHPを出されました。これは家族のみならずペットも合祀可能で、どちらかと言えばこれのほうが良いかなと思いました。
思えば牛込にある我が家の菩提寺でも最近は樹木葬を始めていた事を思い出し、「ならば今から見学に行ってみよう」とド平日の午後ではありますがお寺に向かいました。

この菩提寺に隣接した場所には成城学園中高が隣接しており、墓地にはサッカー部の若さ漲る声が響いておりました。
後日奥さんともう一度見学される事になったようですが、私自身も現在三件のお寺さんと墓地がある訳で、いずれは整理する事が必要になってくるのだと考えております。先週は春を感じさせる暖かな日が多かったように思いますが、人の避けては通れない問題を少しだけ意識した春の一日でありました。
先日の三回目の接種の副反応ですが、発熱は数日で収まったものの頭痛は一週間続きました。これは本当に個人差があると思いますが、一週間の副反応が有り得る事を承知の上でスケジュールを組まれる事をオススメします。
Posted at 2022/03/13 20:48:58 | |
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