今や、コンビニが無かったら日常の生活が成り立たないという人も多いかと思います。
そんなコンビニの嚆矢とも言えるセブンイレブンの日本一号店が出来たのが江東区の豊洲でありました。

私が小学2年生の頃の我が家はこの近くに住んでおりました。父が事業に失敗して自宅を手放して引っ越した先が豊洲でありました。その頃の豊洲は現在と比べるべくも無いほどに何も無い場所で、空地と工場とマンションが点在する不思議な空間でありました。
そんな場所なので当時は伝説の刑事ドラマ「西部警察」のロケが多く行われた場所で、実際に石原裕次郎さんや渡哲也さんをお見掛けした事も度々ありました。
その当時の交通機関は都営バスしか無く、最寄駅の東西線の駅のある門前仲町や木場までバスで15分くらいという不便な場所でありました。そんな状況が激変したのは昭和63年に地下鉄有楽町線が新木場まで開業し、一気に有楽町まで10分程度で行けるようになってからだと思います。
しかし今になって思えば、子供ながらに都落ち感を味わったものの、引っ越し先が新築であった事を考えると事業の失敗による損害が少なかったのだろうと思います。何にせよ引き際がいかに大切かを痛感するのです。
そんな豊洲も今はタワーマンションが林立する場所となり、車のナンバーも足立から江東に変わり、有楽町線もここから分岐する新線の延伸が決定するなど、大門軍団が覆面パトカーを横転爆破していた頃には想像も付かない発展を遂げたのでありました。
前置きが長くなりましたが、先週は久々に妻のリクエストで豊洲に参りました。

夕方、早くも慣れた大手町の新オフィスを出発して15分程度で豊洲です。
ここに向かう途中の佃大橋では20年前にスピード違反で検挙された苦い記憶がありますので要注意です。

目的はららぽーとでしたが、ここも最近リニューアルされたそうです。
もはや昔の豊洲の面影はどこにもありませんが、初めて訪れる街というのはワクワクするもので、そんなワクワク感と記憶の中に残る空地だらけの豊洲を思い出して楽しい外出となりました。ここを歩いている年代も若い方が多く、自分が住んでいた頃は何とも思わなかった足立ナンバーですが、実際に街を歩いてみたら足立ナンバーには申し訳ないですが「これじゃ江東ナンバーを熱望するわな」という理由がよく理解出来ました。
余談ですが、ここに引っ越してからも小学校は転校せずに墨田区の業平までバス通学をしておりました。その頃使っていた新橋~業平橋駅を走る都バスも、業平橋駅ではなく東京スカイツリー駅になりましたが健在でありました。
個人的には百人一首にも登場する平安貴族の在原業平に因んだ由緒正しき駅名を変更した事には含むところがありますが、この路線の始発から終点まで乗ると「東京ってこんな色々な表情があるんだ…」と下手な観光バス以上に東京を楽しめる路線です。新橋を出て銀座から築地を抜け、海が見える晴海から高層ビル群の豊洲を通って深川木場の下町から浅草近くのスカイツリーという経路を見ると、改めて自分が育った環境って本当に素敵だなと感じます。
Posted at 2023/05/21 20:02:57 | |
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