この週末、昨日はすっきりと台風一過とはならなかった東京ですが、今日は朝から強い陽射しが戻って暑い一日でありました。とは言えもう真夏とは異なり少し秋を感じる風が9月を伝える陽気で、思えば今日から国技館で秋場所が始まります。
墨田区で生まれて、両国近くで子供時代を過ごした私としては国技館に沢山の幟が上がる大相撲開催中の様子はやはり良いものです。
今朝は久々に車を動かして外に出てみました。
とは言え比較的近くではありますが…

向かった先は文京区関口にある聖カテドラル大聖堂です。
ちょうど目白通りを隔てて椿山荘の向かい側にあるこの教会ですが、その荘厳さはいつもここを通ると気になっており、見学させて頂きました。
車で入って行くと左手に聳える鐘塔は61.68mの高さで、この塔のドイツから輸入された4つの鐘は日曜日の10時のミサ開始と正午に鳴り響きます。

ミサで多くの人が集まっているので内部の撮影はご遠慮させて頂きましたが、この大聖堂は意外にも1964年の東京五輪の年に竣工し、東京都庁などで有名な丹下健三氏の作品でありました。上空から見るとこの建物は十字架になっているそうです。
内部はコンクリート打ちっぱなしの空間ではありますが、不思議と無機質な印象は無く高い高い天井から零れる光は人を敬虔な気持ちに導く祈りの空間が広がっておりました。

駐車場の後ろにマリア像が見えたので近付いて見ると…

聖母マリアが出現したと言われるフランスとスペインの国境近くにあるルルドの洞窟と泉を忠実に再現された一角がありました。

ここは「奇跡の泉」と呼ばれており、どんな不治の病も治すという伝説があるそうです。
私の亡兄は洗礼を受けた訳では無いもののキリスト教を信奉していて、私が小さな頃から聖書やJ.Sバッハの宗教音楽に親しむ環境を与えてくれました。ただどちらかと言うと兄は旧教ではなく新教のプロテスタントの個々の信仰を重視する方を信奉していて、教会重視のカトリックでは無かったように思います。(分かり易く言えば、神父さんが旧教で牧師さんが新教という感じでしょうか)
そんな環境で育った私自身は仏教徒となった訳です(笑)。
それは子供の頃から数えきれない程の様々な本を読んだ結果、「汝、悔い改めよ」と様々な教えに導かれるキリスト教よりも、自らの悟りによって開眼する仏教のほうが自分自身には合っていると気が付いたのが中学生の時でした。しかし兄はそんな私の言う事も絶対否定するような事は無く、どんな形でも信仰を持つ事の大切さを教えてくれたのでした。
そして今、思うところはその信仰の対象が何であれ、何かを求めるのではなく日々の生活への感謝の心を持つ事が信仰であり、昨今言われるような信徒の生活が傾く程の多額な献金を求めるような宗教団体は、純真な信徒の祈りを踏み躙る信仰の名を騙った詐欺師であると断言出来ます。
そんな審美眼が養われたのは兄の教育が正しかったお蔭であり、それは仏教にせよキリスト教にせよ何百年もの時間を多くの人々の信仰を集める不滅のものである事に変わりは無く、そこに気付かせてくれた兄には心から感謝しています。
晩年の兄も「キミの言うように信仰の対象は何であれ、その心が大切」と穏やかな僧侶のような表情で言うようになり、没後には私達遺族の意向で菩提寺より戒名を受けてはおります。
最初は迷いましたが、その辺の経過を住職に全て相談した上で私も賛成したのでした。それは結局のところ生前に何を信仰していても還るところはひとつであり、それが現世に残る者にとっての信仰の対象となるなら宗教の枠など無関係と考えた結果でした。
「清照院温心治優居士」という素晴らしい戒名を兄はどう思っているのでしょうか。
さて、昨日は昨日で毎回憂鬱な胃の内視鏡検査の日でありました。
毎回口から入れる内視鏡で行っていた検査ですが、今回は先生が鼻からの内視鏡を強く推奨してくれた事もあり、初めて鼻から入れるタイプに変更しました。
幸いに胃も食道も綺麗でしたが、胃カメラは鼻からのほうが少しはラクかなと思える収穫がありました。
Posted at 2023/09/10 16:59:01 | |
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