2025年07月21日
九段下から神楽坂に向かう時、私は靖国神社脇を右折して飯田橋駅西口に抜けるルートを取ります。この道は日本でも珍しい午前と午後で一方通行の向きが入れ替わる道で、その昔目白に住んでいた田中角栄氏の通勤事情に合わせたとか…
この道の入口にある靖国神社の大きな鳥居を見ると、どこの神社にも無い敬虔な気持ちにさせられます。それは他の神社が神道に纏わる神様を祀っているのと異なり、不幸な戦争によって国に殉じた方々を祀っているからで、その中には私と血の繋がりを持つ方も何人か居られるという現実を突き付けられます。
私の父方の叔父は陸軍で出征してニューギニアで戦死し、母方の親類では伊号潜水艦の通信兵として戦死しています。潜水艦の行動は極秘中の極秘である為に何処で戦死したかも分からず、遺骨も還ることは無かったそうです。
そんな訳で両親が戦争を体験した世代だった私は親に連れられて小学生の頃からこの靖国神社の戦争資料の展示を目にする機会があったのですが、その中に今でも忘れられない一通の手紙がありました。
それは特攻隊員として出撃が決まった少年兵が幼い妹さんに宛てたもので、その中に「お兄ちゃんはお空のお星さまになるから、いつも見守っているよ」という一文です。
考えてみて欲しいのですが、自分の親兄弟が「お国の為に」という絶対服従を強いられる大義の為に死を覚悟するという心境がどれほど残酷なものであったかを思うと、子供ながらにその慟哭の念に落涙を禁じ得なかったのでした。
当時の軍部とて特攻という破滅的な攻撃による戦果を本当に予想していたとは想像しがたく、その司令官であった宇垣纏氏が終戦の玉音放送後に自ら最後の特攻機で沖縄に突入したのはそのせめてもの贖罪だったのではと想像します。本土決戦を想定して婦人会で薙刀を使う訓練も有名な話ですが、そんな状況になったら即ち敗戦どころか民族の存亡に関わる事態な訳で、私など姿形も存在しなかったでしょう。そんな意味でも日本はあの戦争に負けて良かったのだと思っています。
この理不尽極まる命令で特攻隊として出撃をした若者も「死にたくないけど死ぬしかないんだ」という心境であったと思います。軍隊というものは戦時下では集団催眠的な手段により「お国の為に!」と思い散った方も中には居たとは思いますが、その本音の部分には決して国家や大君ではなく自分の愛する親兄弟、妻や恋人がこの先も幸せに生きて欲しいという究極の自己犠牲であった事を思うと、この当時とは違った意味で今の日本が取り返しのつかないほどに歪んでしまった事に心の底から申し訳なく思うのです。
何が言いたいかと言えば、日本人ファーストを標榜する政党が大躍進をする中で、日本人ファーストには大きく頷ける部分もある反面で末期医療の打ち切りや徴兵制を謳っている部分に「本当にそれで良いのかい?」と含むところを感じたのでした。確かに日本は地政学的に危険な3つのレッドチームと隣接しているという珍しい国であります。今の与党などは特に中国による内側からの経済侵略を是としている部分が見受けられ、それは単に個々の利権の為としか思えない訳で、そうした部分に対する規制を強化するのは大賛成であります。
しかしながら過去の歴史を鑑みた時に徴兵制を軽々しく口にするのはあまりにも荒唐無稽であり見識を疑わざるを得ないのであります。
来月になると原爆投下や終戦を迎えた日がやってきます。この辺で我々は過去と未来を冷静な目で見詰め直す事が必要なのではと思う三連休の最終日でした。
Posted at 2025/07/21 21:02:41 | |
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