
6月4日、5日の2日間にかけて行われた、”東日本サーキット応援エキシビションマッチ in 菅生”に参加して参りました。このレースは、震災を乗り越え営業を再開した東日本のサーキットを応援しようということで、株式会社ビースポーツが主催したものです。筑波をホームとするParty Recer達にとっては、遠方での開催となったにもかかわらず、大会の趣旨に賛同する ドライバ とParty Race車両が 約15台 も集結しました。
ほとんどのドライバーが初めて走るコースであったため、慣熟するまでに時間を要した方も多く、私はタナボタで予選クラス3位、そのまま表彰台を頂きました。久々に触れる赤いBSの帽子が涙が出るほど懐かしい(笑)。
尚、今回はシャンパンの代わりに地元の地酒が渡されましたので、こういった時節柄、シャンパンファイトはありませんでした。(年末にせっかく学習したのですが...)一方、同じクラスの 2位 とはラップで3秒も差を付けらてしまうなど、課題の残ったレースでもありました。
8周の中でも何度も順位の入れ替えがあり、Party Race ならではのクリーンなファイトが繰り広げられました。先頭集団の神がかった走りだけではなく、第2集団、それ以降の熱いバトルも見ごたえがあったものと思います。
高速サーキットならではの、ホームストレートにおけるスリップからの1コーナブレーキング勝負もレースを盛り上げてくれました。
先頭集団のレースレポートをしたかったのですが2周ほどで見えなくなりました(笑)。
第2集団は、私が頭を押さえ、後ろの団子の中で若干グダグダな展開となりました。
念のために言っておきますが、狙って押さえたのではなく、本気で走ってあのタイムでした(泣)。
以下は、
第2集団のレース展開です。(一部、私の勝手な解釈があります)
予選順位(1~4位省略、敬称略)
5番グリッド:44号車(私)
6番グリッド:36号車
7番グリッド: 空き
8番グリッド:5号車
9番グリッド:22号車
10番グリッド:54号車
コースイン~パレードラン
私が5番グリッドに車を止める。6番グリッドのハズの36号車さん、私の前の4番グリッドに車を止める。慌てて車を飛び降り、36号車を6番グリッドまで押し戻す私(笑)。この人に先にいかれては勝負になりません。
黙とう
コースグリッド上、車の脇に立ち、東日本大震災で犠牲となった方々に黙とうをささげます。厳粛な気持ちになります。
記念撮影
コース上で記念撮影します。
フォーメーションラップ
この日、後に180分耐久レースが控えており時間が押してます。3分の表示を出すメインポスト。これが2分に変わってから、サインボードは3分の表示。予算の限られているレースです。本戦のようにきれいなおねえさんは呼べるはずもなく、受付もやっておられたおにいさんがボードを持ちます。オフィシャルが足りてません。ボードに気付かずに車両脇に残るピットクルー達。退出を叫びますが届きません。1分前のサインボード。前の方はエンジンを始動する。後方もようやく気付いてエンジン始動。慌てて退出するピットクルーたち。
グリーンフラッグ、フォーメーションラップ開始。先頭の12号車が異様に飛ばします。なぜそこまで、いや、別にこれには他意は無く時間が押している競技進行を考慮して、主催者殿へ配慮してのペースなのでしょう。その辺の事情を感じてか、ハイペースでついてゆく後続車両。予定時間を若干遅れているのは判っている。停止状態から2分30秒で周回してグリッドに戻る。完全停止からのスタートを考慮すると雨の日のラップとほどんど変わらない。ところが、私の後ろの36号車さんはマイペース。私がグリッドで停止してサイド引いてから、なんと40秒後に戻って停止です。多分、本人はここまで皆が待っていたとは気付いていない(笑)。
スタート(44→36→5→22→54)
36号車がスタートを決める。イン側に完全に並ばれるが、前方の45号車が若干失敗気味。36号車は前と側面を塞がれてスタートの成功を活かしきれない。その後ろの5号車、まずまずのスタートであるが、いつもよりは精彩を欠く感じ。
LAP1(44→36→5→22→54)
スタート直後の1コーナで36号車若干失速。続く5号車も影響を受けて若干失速。アウトのラインを取った続く22号車、速度を殺さずに3コーナでクロスライン、5号車のインへ並走で4コーナへ。22号車、5号車並走でS字に入るが、出口で5号車が競り勝つ。コースを1周して、36号車最終で追い上げ、ホームで私の後ろへ付ける。私は最終が明らかに遅い。
LAP2(44→36←→5→22→54)
そのまま最終立ち上がりからホームストレートで私は36号車にベタ付けにされる。ところが、36号車はダンロップ下で早くも車を私の車の1車身イン側へ入れてしまったのでスリップの効果が得られない。36号車は思ったよりも車速が伸びない。1コーナの1コーナブレーキ勝負、届かない。なんとか凌ぐ。ピンチは続き、4コーナ立ち上がりでインに入られる、シケイン並走、出口で36号車がクロスラインを狙うがハイポイントで差し切れずにレインボー若干失速、裏ストレートで、どうやら3→4速のシフトミスをすると、それを見逃さずに5号車が並走、馬の背ブレーキングで36号車の前にでる。さらにその後ろの22号車が36号車を狙うが、これは届かず。
LPA3 (44→5→36→22→54)
前の周で36号車と5号車が入れ替わったが、全体的にバラケタ感じで始まるLAP。私は5号車に、3コーナで縮められ、4コーナを抜けたところで詰められるが、シケインでしのぐ。5号車は、裏ストレートで私に対してライト・オン。いや、しかし、まだちょっと距離ある(笑)。弱点の最終コーナで詰められ、5号車はホームストレートで私のスリップに入る。
LAP4 (44→5→36←→22→54)
5号車スリップからインへ車を写し、1コーナで私とブレーキ勝負、微妙な間合いを残して届かず。2コーナを抜けたところで、その後ろは36号車がレコードライン、22号車が速度を保ったまま3コーナで36号車のインへ飛びこむ。 並走のまま4コーナのイン、36号車の前に出る。このあたりから 5号車は力は使い果たしたらしく距離が離れる。連なった5台、54号車まで0.3~0.4秒間隔の等距離となる。
LAP5 (44→5→22→36→54)
22号車、1コーナから4コーナまでのライン取りが上手い、一気に5号車に詰める。5号車に煽られていた私としては、「行け!22号車、頑張れ!」という気持ち(笑)。その後ろでは54号車が36号車を射程圏に。馬の背付近では22号車が5号車にベタベタに付け、車体を左右に振ってスキをうかがう。最終をテール・ツー・ノーズで立ち上がりスリップ。
LAP6 (44→5→22→36→54)
5号車のスリップに入り、1コーナブレーキング直前までためた22号車、満を持して5号車の横へ飛びこむ。本レースの中で最大の見せ場のひとつか。しかし、なぜかインではなくアウトに飛び込んだ。止まり切れずにまっすぐ行くとグラベルにタイヤ1本落としてコース復帰。その後ろに36号車が詰め、その後ろに54号車。54号車、予選ではペースが上がりませんでしたが、本戦で調子を上げてきています。3台の距離が近い。22号車の脅威が去り、息を吹き返した5号車。ライトはオンのまま。再び私が狙われる。
LAP7(44→5→22→36→54)
私、やや安泰。36号車、弱りつつあったが、目の前の22号車を見つけて元気を取り戻す。
LPA8(44→5→22→36→54)
36号車、1コーナで 22号車に詰めるが、その後の区間、4コーナまで 22号車が速い。レインボーを抜ける頃には 22号車が5号車の後ろに付ける。最終ラップ、最終コーナの勝負、入り口アウトから22号車が5号車を狙う。5号車若干アウトを残す。22号車飛びこめない。すかざす後ろの36号車が詰める。3台団子でチェッカー。決勝で順位を上げ、接戦を競り勝った5号車 優勝車のようにパッシングを連発。4位入賞で副賞は大好きな日本酒でした。
7月24日に、特別戦③ が エビス東サーキットで予定されております。私はこちらも参加しようと思っています。慣れないサーキットで自信が無いと不安な方もおられるのではないかと思いますが、大丈夫だと思います。今回の菅生でも、ほとんどのParty Racer がそうでしたが、限られた時間のなかでそれなりに仕上げて素晴らしいレースを演出できるまでなりました。普段一緒に走っているだけ、その辺の草レースよりもよっぽど安心できると感じました。迷っている方がいたら、是非参加して頂きたいと思います。何よりも、普段走っているメンバーで初めてのサーキットでレースをやるということが楽しかった。
また、参加することで ちょっと出費がかさみます。私はこのように考えました。1000年に一度と言われる大災害が日本を襲いました。「この国難に際して君は一体何をしたのか」 と問われたときに、普通に義援金を払ったりする以外に「私は復興支援のために走りました」 と答えられるなら、10年以上も続けてきた「走る」という趣味が少し誇らしげに語れるのではないかなと思います。
Posted at 2011/06/06 00:39:19 | |
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