2010年12月24日
ゲイとかホモとかってなぜ松田聖子とか好きなのか?
明日(正確には今日)、ひょんなことからチケットが手に入ってしまい、楽しんごのライブを見に行く予定です。イブだと言うのに…。連れの女性は引くかと思いましたが、予想外に食いついてくれたのが救いです。そういえば、楽しんごはちょっと氷○きよしと雰囲気が似ている気がしますが、あの人もそんな疑惑を聞いたことがあるような。片やズンドコ、片やドドスコ。そっか、色々共通点がありそうです。もうすぐ紅白ですが、氷川は当たり前ですが白組なんですよね。これだけ、芸能人にゲイとかオカマが増えたらならピンク組とかあってもいいのにと思います。
ゲイと言えば、自分は健康ランドとかに良く行くんですけども、ロッカーキーを足首に巻いている人は、大衆浴場業界では、「自分はゲイです、オカマです」って合図らしいですね。彼等の出会いのサインなんです。ほら、ハッテン場ってサウナとかに多いんですよ。男同士が出会って…モーホーな関係に発展すると。それがハッテン場の語源。実は自分、以前に知らずに足首に巻いていて、なぜか見知らぬオッサンにつけまわされたことがあります。サウナに移動すれば着いてくる。風呂に入ればなぜか正面にいる。コエー!そういや、ロッカーキーを足首に巻くと似ているのですが、確か右耳だけピアスしてるのもゲイやオカマのサインなんですよね。あの人達って、そういう暗号みたいな独特のセンスがあると思うのですが、あの人それっぽい…とか雰囲気で醸し出ちゃうのは、何故なんでしょうか?フェロモンってやつかな。けど、妙にカワイイものとかゴージャスな感じが好きだったりとか、必ず松田聖子が好きだとか、80年代のアイドルの親衛隊文化やヤンキーのファッションの感覚って、ゲイやオカマの感覚とも近いような気がするんですよね。それはきっと、マイノリティであることを自覚し、そんな周りと違うんです!っていう、自分のアイデンティティを表現するために、普通じゃない奇抜なファッションに身を包むということかと思われます。だからこそ、そんなオカマ達の「聖子好き」は、なんとなく分かる気がするんですよ。ゲイカルチャーが、80年代アイドルの親衛隊やヤンキー文化と親和性が高いってこともあるんですが、松田聖子って「プロの女の子」って感じがするじゃないですか。ぶりっ子とか作られた女の子キャラ、分かりやすい華やかさ、アイドル像。それが、「女の子」になりたいっと思っているオカマ等の琴線に、ビンビンと触れてきっと感情移入しやすいのでしょう。明菜もそうだけど、あの時代のアイドルには何か暗いオーラがあった。そこがストーリー性はオカマ達の自分の境遇とだぶらせて支持されるんでしょう。逆に言うと、天真爛漫で無邪気な女の子の魅力なんてのはどうあがいても、どう着飾っても、どう振舞っても、どう整形しても、超えられない性の壁があるわけで、絶対彼等には出さないフェロモンなので、彼達が安藤美姫は好きだけど、浅田真央が大嫌い。という理屈もよく理解出来たりします。
そんな、ゲイが苦手な天真爛漫な女の魅力と言うと、キラキラした感じだと思うのですよ。ちょっと先に宣言しておくと、自分、決してバ㌍タではないのですが、正直にカミングアウトすると、時々、中学生くらいの女の子の、ほとばしるキラキラしたオーラに目を奪われることがあるんです。そういう性癖ないんですがホント。それにしても、あの少女達のキラキラ感は、絶対に大人の女性には出せないと思うんですよ。なぜならば、彼女達のキラキラ感は男に見られるていることを意識していない無邪気さだから。男に媚びてないからこそ出せる美しさなんですよね。人生の一瞬一瞬がが楽しくて仕方ないようなワクワク感キラキラ感。そんな気持ち、もうとっくに忘れてかけていた自分にとって彼女達のキラキラオーラに目を奪われるのは美しいものを愛でる感じ。憧れに近いかな。そう、これは恋ではない。見てるだけでじゅうぶん満たされるこの気持ち。なんか癒される。そして残念ながら、彼女達は、男の視線を意識した時からあのキラキラ感は消失するんだろうな~とか思う次第です。アイドルっていうのは、このキラキラをいかに出せるか?だと思うんですね。ゲイは、どうあがいてもそんな純真なオーラは出せない。だから嫉妬からそういう本物のキラキラした純真さに嫌悪し、作られたドロドロなキラキラ感に憧れて、松田聖子とか好きなんでしょうね。
正直、楽しんごも10年前だったら気持ち悪かったかもしれない。けど、今の世間は許される。なぜかあれが可愛く見えてしまうのが不思議です。アイドルに憧れているゲイの典型のような。ただ、しかし遠くから見るのは好きだけど絶対近くには寄りたくない。これ重要。 自分が安全な場所にいることがお笑いの大前提であって そんな微妙な距離感が確保されないと、オカマを楽しむことが出来ません。 かつてゲイの方に本気で口説かれたことがトラウマになってる自分としては この距離感次第では、笑いが恐怖に変化してしまう!
予定調和のお笑いは、まぁクスっ程度の笑いなんですけど、それはそれでいいと思うのですが、 やはり腹を抱えて笑うお笑いってのは「意外性」だと思うんですよ。 良く聞く言葉に「笑いと恐怖は紙一重」って言葉があるんですけど 「どちらも意外性が基になってるいるから作成プロセスも似ている」 (@中島らも)とのことなんですが、まさしくコレ! オカマが同じ空間にいたら、単なる「恐怖」だけどどう考えてもオッサンが女装をしてオネエ言葉を使ってたら 意外性による「お笑い」が成立するわけでなんですよ。マツコなんかはまさしくそこですよね。 デブなのに女装。これは恐怖であり笑いですね。逆に言えば、自分的には、意地でも女になろうとしているニューハーフ、お笑いの境界線を越えて恐怖側の存在です。 芸術志向のゲイの皆さんもいらっしゃいますが、「美」を語ろうとも、中身はみんなオッサンですから! やっぱ怖いものみたさというか、オカマの本質は、存在自体がお笑いだと思うんですよね。それが芸というものです。シリアスなゲイとか笑えないよ。怖すぎる。 これは卑下しているとかそういう発言じゃなくて 社会進出するためには、自分達の資質を知った上で アピールしていくことも必要だと思うんですよ! ただ、これだけ予想外に社会に受け入れられてしまうと飽きられるのも早いだろうし、楽しんごなんか来年はブレークするだろうけど翌年以降はどうかな?ま、本業の整体のほうがあるからいいんでしょうけど。ゲイであることは、芸能の世界では有利だと思いますが、芸の部分をどうするか?でしょうね。
そういえば、ちょうど10年数年前 藤井隆が関東に進出してきた時に、彼ってオカマキャラが売りだったんですよね。 実際の本人は、そんな性嗜好はないようであのキャラはすっかり封印。 今思えば、あれはあくまで売れるためのキャラだったわけですが、あの頃はまだ、オカマであることは異端視される時代だったし 真剣にこの人、「気持ち悪い」って思ったなー。 それが、今じゃオカマがテレビに出まくってもなんとも思わないもん。 むしろあの辺のおネエ系キャラってみんな好感度ありまくじゃないか! やっぱここ10年で、社会に認められたのか受け入れられたのか知らないけど、確実に時代の価値観が変化したなーとか思う次第です。ただ、今はデブタレとかと同じように、オカマ枠がある。こんな普通じゃない人をテレビに写していいのか?とも思いましたが、芸能の世界なんてのは、普通じゃない人ばかりの世界ですからね。所詮見世物ですもんね。デブタレとか同じようにキワモノであってこそゲイだと思うんですよね。 視聴者としたらデブタレもゲイも、異質な世界人=芸能人ということで安心して見る事が出来るんですよね。いくら毒を吐こうと、キワモノだからこそ分かりやすいんですよね。だからこそマツコには、文化人枠には行ってもらいたくない。いつまでもキワモノ、色モノでいてもらいです。見世物だと思えば、オカマキャラはなんとなく許容出きる様な気がします。絶対に近くには寄りたくはないですが、遠くから見ていたい。それが芸能の本質。気持ち悪いは、面白いと紙一重。以前、大川興業のライブを見に行った時に出ていた、ラジークイーンというお笑いの動画貼っておきます。
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Posted at
2010/12/24 00:03:40
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