こっから先は、昨日の「あの」レンズに関する独り言です。
つまらぬ独り言の羅列なんですが、まあ個人メモのようなものです。
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実際のところ。
MAL70200Gを導入したのは「これからもバンバン買ってガンガン出掛けてバリバリに撮りまくるぞー」という拡大路線ではなく
「ここでこの趣味における最大の悔恨の鎖を断ち切り、撮り鉄人生のひとつの区切りとする」意味合いのが強いかもしれない。
おそらくこれからも、カメラ自体は世代交代を余儀なくされることはあるだろう。
いまのA580がリタイアしたら、交代はNex系か、A77辺りの2400万画素機しか思い当たらない。
けど、これまでにない波乱の幕開けとなった今年は「終わりの始まり」と認識している。
何故そんなことを思うことになったか。
母が年末に脳溢血を発症し、生活に軽度の支障を来した。
緩やかに回復に向かっているとはいうものの、たとえ長い期間を掛けて快癒したとて、どっちみち先が長いとはいえないのが現実。
現在の住処を追われる日は、遅かれ早かれ来るのだ。親子3人の資金を束ねて、やっと暮らしているのだから。
ならば日々の生活サポートだけでなく、物理的な備えをしてゆかねばならない。
このまま漫然と散財を続けるわけにもいかんのだ。
そういう意味で、基本的に「この趣味で、これ持っておけば後悔しない」の、自分の知り得る範囲で、現状で最たるものを設えたということだ。
幸いあまり深刻な治療を要せず入院はなかったから、最悪入院を含む大規模医療となるという前提で、
じつは発症直前に買っていた同じレンズ(そう、全く同じAF70-200/2.8Gだ)を含めた大量の物売りをして用意した資金が空振りとなり、
資金的には今後の医療費をはじめとする臨時支出を支えた上でも一時的には潤沢であるため、即手放してそのままとなることは辛くも避けられたのだった。
そう。この短期間で、一度これを買い、そして即手放し、またまた買いなおしたのだ。
ただ、入院の要はなかったが、意欲や興味、感情…いわゆる「人間味」を司る右脳側(劣位半球)へのダメージがやや強く、
発症の時、大好きだった花にもネコにも音楽にも、素っ気ない反応しかしなくなった。(それで気付くことができた。親父はなにひとつ気付いてすらいなかった)
ある日突然、予告なく近しい人間の昨日までの人格が霧散する。それは悲しいものだ。緩やかな劣化でない分、こちらの態勢が整わない。
それは親であろうと友人であろうと、変わるところではない。ましてや毎日のように雑談を交わす相手ではないか。
もうすこし大規模の出血であったら、最悪そのまま目覚めない可能性もあったらしい。「脳梗塞が原因で末端が出血に至り、たまたま別の血栓がすぐに穴を塞ぐ形になった」らしい。背筋の寒い話だ。
こうして医学的には奇跡的軽症で後遺症の心配ほぼなしという所見だったわけだが、油断するとこれが引き金になって真の意味での痴呆へ転落する危険がいまも非常に高い。
なにしろ優位半球(左脳)への障害なら、それをカバーしてゆこうという「強い意欲」に支えられ、自力で治ってゆくことが多い。
これに対し、実はもっと厄介な「物理的な日常の生活行動への障害」が顕著でない「精神的クオリティーへの障害」を患っているのが今回の件なのだが、生活行動をほぼ支障していないため、とかく医療的視点では軽視されがちなんである。
現場も暇ではない、たちまちその場で手が動かんとか脚が動かんとかいうレベルを真っ先に相手しなければならないから。
いわゆる「QOL(クオリティ・オブ・ライフ)低下」というやつだが、
QOLってのは贅沢の項目という認識が相変わらず根強いようで、やはりそこはかとなく後回しにトリアージされる。
なので、支えるのは理学療法士でもケアマネでもない。四六時中を共にし、この状況を理解可能な家族たる私にしかできない。頼る親戚も近所にはないのだ。そして親父では人格的に不可能だ。実質、会社で言うところのクビと言ってもいい。(伊達にここ10年で4回も仕事をクビになってはいないよねぇ。)
幸い、一番酷かった発症当時を思えば、随分応答がよい時が増えてきている。
ここから半年~2年辺りが回復の勝負となる。油断なく母の心を鼓舞し、テンションを保ち、支え続けねばならない。
だからここで私が脱落し退くわけにはいかないのだ。
孤立無援。これは私の精神力の限界への勝負でもある。
一方、趣味の観点へ立ち戻ってみれば、撮りたいものも、時間も、年々少なくなってゆく。
国鉄特急色の姿もなく、ヒロシマの黄色い103系も既になく、もうじき大阪環状線もオレンジではなくなる。
自分の中に在る「想い出」の方を向いた活動に終始している以上、既に需要は半分近く尽きたようなものだ。
実質、ほぼ間に合わなかったと言い切っていい。
特に直近でいうと、北近畿381系に間に合わせられなかったのは、致命的だった。
まるで最末期の帝国海軍航空機のようである。
世界に通用する優秀さを誇りながら、登場がまるっきり遅かった紫電二一型、流星、烈風、そして震電…そう、そんな感じだ。
国鉄装束の気動車、阪和線や大和路線・奈良線などの103系などが
これからの最後の勝負どころになりそうな気がする。
でも目の前の対岸へひょいと渡る余地すら、最近は殆どないんだよねぇ…。
11月12月今月と、14~20連勤以上とかゴロゴロあったし。休みも作業せんと追い付かんことが増えてるから休むの恐いし。
何処まで、活かせるだろうか。
依然、その見通しは明るいとは言い難い。
それでも、止めてしまえば、この人生には殆どなにも残らない。
こいつらと一緒に、まだまだ足掻いていくしかない。
これを持っていて本当によかった…と思える場面を夢見ながら。
その場面を、確実にモノにするために。
いまはひたすら、練度の維持に勤しむ也。
MAL70200G 200mm f2.8 ISO1600
まだだ。まだ終わらんよ。
Posted at 2016/01/18 22:41:33 | |
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