2016年12月25日
まあ、ブログってのは突き詰めれば日記なのでw
こういうことがあった、という記念を書き留めておくために
ちょっとチラシの裏にしてみたって、いいじゃない。
取るに足らない、戯言ですwww
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こんなもん、誰に話すって話題でもないんだけど。
22日の同僚の結婚式、やりきれなさだけを残して終了したなぁ。
あの二人を結ぶきっかけになったもの?
…私だよ。
Aちゃんと呼ぼうか。彼女とは、十年ほども前、彼女が弊社を退職した後も、細々と交流があった。
一時は、会うたびに病んでいく私を見かねて、彼女が持っている方の仕事へスカウトしてくれたりもした。
その方が、時間も、金銭待遇も、まるで別次元のように改善するよ…と。
そしてなにより、そこまで私の、とりわけ披露宴業務に向かう姿勢を買ってくれていたということだ。
その信頼は、私を決心させるに充分だった。
この時点で話が纏まっていれば、いまごろ私はもう弊社の人間ではない。
私は言った。
そこまで私を買って誘いを掛けてくれるというのなら、こちらの心境と行動原理も白状せねばなるまい。
回答に期待はしない。結果は重々予想できているし、そこまで自分を見失うつもりはない。
ただ
私は君が好きだ。
その気持ちを以て、その依頼の話を受けようと思う。
だからこそ、下心のように包み隠すのだけは嫌だ、と。
お前が手伝ってほしいというなら、この私の気持ちを、どのように利用してくれてもいい、見返りなど微塵も要求しない、と。
まあ、私の気持ちはあいつも薄々解ってはいたようだし。特に動揺もなく、色よい回答に至るわけもなく
それが叶わない理由など自分で解ってしまっているだけに、実にあっさりとしたものだった。
ただ、互いに禍根だけは残さずに済んだといえる。
…だが、その仕事の話は
その勤務先の突然の体制改革によって、逆に彼女の仕事が細ることになったという、最悪の結果となってしまった。
弊社を去る決意をし、それをアクションに移そうという直前のことだった。
だから、2年ほどたったある時、改めて訊いてみた。
いまもそっちの仕事は、細いままなのか?と。
働き口は複数あるため、収入に困るほどではないが、「遊び呆ける」ほどの金回りはないレベルになったという。
なら、今度はこっちが助け舟を出す番だ。
私は彼女を、弊社の、というより私の仕事を手伝ってもらえないかと誘ってみた。
むろん、きちんと上長を通して、結婚式仕事の正規の外注要員としてである、と。
実は彼女は元同僚でもあり、弊社を喧嘩別れで辞めている。
いわゆる「SR」…私の部署のような「ホールや設備」の業務でない、正規の音響部門の業務姿勢が、彼女を抑鬱にまで追い込んでしまったのだ。
弊社は三部門に分かれているが、音響部門…正確に言うなら、そこの2名の上長…は、会社と犬猿の仲であるという事情がある。
彼女も私も、その部門とは「顔も見たくない」という関係である。それを解ったうえで、それとは関係なく、私の部門、それも彼女が主たる仕事としていた披露宴オペの業務限定で…
ウチはもうまるで人が足りない、披露宴音響オペを出来る人間なら一人でも欲しいのだと、彼女を説得した。
そして、私の所属する部署の上長「K君」と、その部下で私の後輩である披露宴業務の人割り担当、そして私と、彼女、この4人で
あまり堅苦しいことにせず、まあ呑みながらでも話そうじゃないかという事になった。
K君と彼女と私というのはかつての同僚ということでもあるから、そもそも「同じ釜の飯を食った」と表現できるよしみもあるし、積もる話でもしようじゃないか、と。
の~~んびりと会話の進む、すこしダルめ程度の穏やかなダベりの時間を過ごし
彼女は、手伝ってくれることになった。
音響部門と一切ご縁切れでなら、手伝うのはやぶさかではない…と。
けど、弊社の受けている県内大手ブライダル産業会社は、いろいろと現場の姿勢もいい加減で、
そもそも仕事が丁寧で几帳面かつ気の強い彼女は、そこに反りが合わないと感じ、
その問題を色々と、K君と論じるようになっていたという。
そして彼女は、もう片方の本業の多忙化もあって、弊社の業務からは退いていった。
その頃からだったというのだ。
10年も前、会社在籍時は互いに意識することもなにもなかったAちゃんK君の二人が
個人の関係として急激に接近することになっていったのは。
披露宴会場ではナレソメも紹介される。
そこでもっと驚いたのは、交際を申し込んだのはK君の方からだった…ということだ。
彼女が弊社業務の手伝いを退いたのっていつだっけ? えーと、7月だね。
彼女の車を(勤務地至近の)K君宅の近所でしばしば見かけるようになったのは? …それも、7月だね。
もうひとついいかな。
入籍したのって、何月だ?!
電撃もいいところだ。
7月には既に入籍し、新生活は始まっていたというのだ。
それを知ったのは、勤務地の主任かつ私やK君を取りまとめる上司の雑談からだった。それも、10月末。
「K君結婚するんだってね」「おお、それはよかった!相手は誰なんです?」「(笑)Aさんなんやって」
私は、その人物相関を理解するのに数秒掛かった。口だけが反射的に、うおおマジっすか!とおちゃらけてみせていた。
…そう。主任も知っていたのだ。私の好意が彼女に向いていたであろうことを。だから笑いながら言ってきたのだ。
本当は、出席する気など毛頭なかった。
が、K君には本当に面倒掛けっぱなし、頭が上がらない、そして今現在業務で組んで一番恐怖を感じる、凄みのある相手。
決して彼は傲慢なのではない。仕事に、社会人としての身のこなしに、隙の無い厳しさがあるというだけだ。
仕事の場では、くだらぬ不手際があれば、たとえ目上や年かさの者であっても容赦なく叱りつける。
そう、そんな彼の凄みに無能な年上である私が付いていけてないだけのことなのだ。
舞台人を離れたオフの彼は、すこしレイジーなぐらいの、とても気のいい親切な青年なのだ。
それに
Aちゃんが、ぜひ来て欲しいと言ってるんで、僕としてもぜひ来てほしい、スケジュールはきちんと調整します…とまで言われては。
それこそ入院沙汰でもないかぎり、断ることなど出来ない。
そんな相手が筋を通しての招待、理由もなく断ることは…正直、後々、人間関係に刺を残すだろう。
もはや、選択肢は、無かった。
挙式。
披露宴。
二人が考えた色々な企画がみんなを沸かせる。
その中で
私は
能面のような「現場の表情」を崩すこともできず
まるで仕事場にいるような気分のまま
何の感慨もなく
大好きった、私を何度も救った彼女が、まさかの上長の嫁になるということの辛さもなく
ただ、拍手のしどころだけは心得たもので、なんとなくどうしていいか判らず躊躇う列席者の拍手を思いっきり煽り立て
それは「100件のうちの、取るに足らない1件の披露宴」としてしか、認識することが出来なかった。
新郎新婦が何者であるかすら、気に掛けることも殆どなかった。
なんの感動もなかった。
悔しささえもなかった。
それどころか、上長のK君は、信頼に足る「漢」。どう考えても、よくぞよくぞの縁談だった。
Aちゃんの親は喜んでいた。新しい呑み仲間が出来たと満面の笑みで言っていた。
そうだ。本人同士だけではない。
きわめて健常な家庭同士が、とてもよい関係を築いたのだ。
理想の「結婚」だった。
私と、私の親では、このような親戚関係を結ぶことは出来ない。出来なかった結果こそが、いまの孤立状態なのだ。
弟の家族からの働きかけも一切ない。
相手にとって、付き合うに値しないからだ。
父の人間性という問題は深刻だが、母もまた、理不尽な人生のなかで、他人に気を許すことをしなくなってしまった。
ある意味、弟はこの閉塞した家族を見限ったともいえる。そして向こうではうまくいっているようである。
弟は、正しい独り立ちをしたのだ。
御開きになっても何となく動き出さない列席者の先陣を切り、送賓の列への流れを作り
お見送りの列に、ほぼ一番乗りで乗り込み
お見送りの挨拶もそこそこに、列席した同僚や社長が何となく会場内で立ち話になったりしながら、ゆるゆると出てこないのを放り出し
私は、次の仕事へ急行した。
婚礼の出席後、そのまま今度は「自分が担当者として関わるほうの」披露宴会場の音源整理、編集。
土曜、日曜、合計4件分。いまは16時過ぎ、作業時間見積もり5時間。土日のオペレータに、完成品として引き渡せるように、完璧にしなければならない。
それが終わったら、23時から、…私が初めて披露宴会場オペレータとして配属され、彼女とも長いこと常勤していた… 某ホテルの宴会場へ向かう。
外注業者としてダンスパーティの音響に入る、その設営工事のためだ。翌日のリハ開始は、朝7時。
恨みごとを言うところではない、これが、ギリギリのスケジュール調整だったのだ。
私には何が残っただろう。
嵐のような2日間を凌ぎ切り
車検費用は準備額を超え、頼みの臨時収入はなく
年末年始の旅費のすべてを祝儀に充て
なにも出来ない無為無策の時間だけが残された。
…もはや、休んでも無駄だ。
私は年末年始の休暇を返上することにした。
私が現場入りすることで、本年度の間中もっともっときつい日程に喘ぎながら年末年始の休みすらない某職場の同室メンバーに、せめてもの年末年始の休暇を取って戴くことができる。
それに、いずれにせよ自分も前倒しで日数だけなら休める、だから問題はない。日程にも日数にも拘る理由がなくなっただけだ。
年末年始の仕事は、ただの番人である。何も起こらない展示会の開催時間中、12時間ほど独りで詰めていなければならないだけの、しょうもない仕事だ。
それなら、むしろ私に打ってつけではないか。
PCに向かっている場所が、自室か、詰所かの違いでしかない。
それに、仕事場にいるぐらいのほうが、むしろ気分はしゃんとする。部屋から外へ出るというだけでも。
そしてこれは、年始から15連勤へ向けての、足慣らし…助走のようなものだ。むしろ気を緩めすぎず、ペースを保てるではないか。
蒼く凍みわたる、まるで底のないような晴天と、冬枯れの雑木林
私の心の風景、関東の冬を往く、老い先短い電車たち
…今年も見られなかったな。
これを楽しみに、耐えてきたつもりなんだがな…。
すべては一期一会。
今年、行動できなかったことが
のちのち人生の想い出に禍根を残さなければよいのだが。
Posted at 2016/12/25 16:07:02 | |
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