2017年10月09日
見ようと思わなければ
見ていないのと同じ
どんな人や景色も見えてない
誰かの心もきっとそうだ
今日は、昨日の地域の運動会の影響で体がボロボロ(涙)昼前から主治医のところに予約を取っていたので、体のメンテナンス。良い仕上がりだと褒めてもらいました(笑)帰ってきて、昼ご飯食べて、一眠り…起きたら16時前だったかな?最近インスタも上げてないし、ちょっと写真でも撮りに行こうかな…と、地元の山坂道に。
途中、脇道をそれて自販機で珈琲でも買おうかと。そうすると、1台バイクが入ってきた。缶珈琲を買い終わると
「かっこいい車ですね」
と。ちなみに、私は大の人見知り…でも、褒めてもらって悪い気はしないでしょ?(笑)
車のことやバイクのこと…初対面にもかかわらず、仕事の話までしてしまった。お互い次の予定があるので「またここで!」と別れました。
何年もずっと一緒にコミュニケーションを交わしていても「出会わなかった」人もいるし、一度会っただけで「出会った」人もいる。ウマが合うとかそういうレベルかな?いや、一番最初に挙げた(歌の歌詞)みたいに、見ようと思ったり思ったりしてくれなかったら結局「出会わなかった」になるのだと思う。
私の厄介なところは、人見知りなくせに「出会ってしまった」ら「これでもか!」というぐらい心を許して喋ってしまうところ。同じような人と「出会ってしまった」ら何時間でも話ができてしまう。また、「ふんふん…」と話を聞いてくれる人には誠に申し訳ない話だ…。
心の奥底に「考え」を持っているくせに、うまく表現することがへたくそなんだと最近はちゃんと理解できるようになった。だから「どうやったら伝わるか」をよく考えるようになった。「ええオッサンになって、だいぶと成長してきたやん」と自分でも思う(笑)
ええオッサンになってくると、発言に影響力を持ってくる。だから、ええオッサンはええオッサンなりに考えて話をしないと、周囲がとん挫する可能性が出てくる。また、ええオッサンになると「いらん」ことを「いらん」と言えるようになる。逆に「やりたいこと」を「やりたい」と言えるようになる。要は「選べる」ようになる。若手なら選べずに「やるべきこと」を「やる」になるし、ベテランになると「おこがましくて頼めない」になる。ええオッサンがなんでも「やりたくない」と言うと、若手が困るしベテランは腹を立てる。だから、ええオッサンは若手とベテランに「やりまっせ!やったりまっせ!」と笑顔で頑張る(時には顔も歪むが)。
だんだんとのめりこむうちに、視野が狭くなっていることに気付く。凝り固まった人間関係の中じゃ、いつもマンネリの結果しか望めないこともしばしば。それを「ルーティーン」ととることもできるが…。今まで会ったこともない人と「出会った」瞬間、急に世界が広がることもある。その戸惑いと嬉しさを自分に還元しなきゃ、もったいないこと極まりない。
自分と住む世界の違う人は、ものの見え方も違う。それを拒否することは簡単だが、肯定することの「大切さ」を自分に伝えたい。
見ようと思わなければ
見ていないのと同じ
どんな人や景色も見えてない
誰かの心もきっとそうだ
なんてことない農道の、なんてことない脇道の自販機。ちょっと車を停めて、珈琲飲んで眺める世界は、車で走り始めたころには全然気づかなかった綺麗な山々が見えていた。
もしかしたら、バイクの彼とは二度と出会わないかもしれない。もしかしたら、また出会うかもしれない。でも、とても楽しくて有意義な時間だった。
さぁ!明日からも頑張ろう!!
Posted at 2017/10/09 20:54:36 | |
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