![40NEN MONO!!! 40NEN MONO!!!](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/blog/000/022/323/966/22323966/p1m.jpg?ct=ce21be1eb3a3)
世の中は「子供の日」と騒いでいる本日、いかがお過ごしでしょうか?
ゴールデンウィークなんて全然関係ない、榊B亮です。
大きな事を言うようですが、今や榊B亮と言えば、我が国では・・・・・わたし一人でございます。
さて、本日「端午の節句」ですが、その由来は遡りますこと、1580年・・・・・
アレッサンドロ・ヴァリニャーノが来日し安土城で織田信長に拝謁した際、通訳として視察に同行したルイス・フロイスが、酒宴の席で信長に「なにか一興・・・」と言われ、皆の柏手に合わせ踊りを興じた。
その踊りに感銘を受けた信長は大いに喜び「その舞いはなんといふ?」と問うた。
ルイスは「タンゴと申します」と答え、それに対して信長は「端午とな・・・午の端め(初め)とは縁起の良い舞いじゃ」と更に気に入り、読みを勘違いした信長にルイスは何も言えなかったという。
翌1581年、「端午」と言う言葉を気に入った信長は京都内裏東にて京都御馬揃えを行った。
その中で信長は「世の節目じゃ」「始まりじゃ」と叫びながら馬を走らせたという。
その裏には周辺大名を牽制し、力を誇示するためと考えられているが定かではない。
その日の酒宴で信長は皆の柏手に合わせタンゴ(らしき踊り)を踊ったという。
その後毎年同日に、柏手で踊るという「端午の節目」という行事が行われたが、信長の死後、信長を慕う家来達が信長の甲冑を前に宴会をし踊るのみとなってしまい、その家来も少なくなっていくと、手を表す柏葉に人を表す餅を挟み、甲冑前にお供えし、信長が永遠に踊れる様にと願いを込めたという。
また、この行事の際は跡取り(嫡男)の成長を信長に見せる日でもあり、子孫繁栄の意味も込められた。
その柏葉に包んだ餅=「柏餅」と信長の甲冑=「鎧兜」と跡取り=「男児」を祝うところが残り、この「端午の節目」の日を新暦に直すと「5月5日」、そこに中国から伝わった「節句」という言葉が重なり「端午の節句」となったわけです。
ふ~~~~~
ホラ話を作るのにかなり苦労してしまった・・・・・。
よし、いい出来だ(笑)
あ、みなさんわかってると思いますが嘘ですよ。
後から文句言わないでくださいね。
作り話ですから。
よくできてるでしょう(笑)
そうそう、作話考えてて忘れてましたがタイトルになっているもの・・・・・
写真の鯉のぼりです。
吹き流しと、お父さんとお母さんと息子がおいらより年上です。
右の小さな2匹は最近生まれたモノです。
40年はいってませんがアラフォーなのは間違いない。
制作会社は「テイジン」です。
今でもしっかりしてるのが素晴らしい。
Posted at 2011/05/05 21:31:57 | |
トラックバック(0) |
家族 | 日記