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2012年08月23日 イイね!

【続】虹の橋・・・ちゃんと文明論も書きますって!!

【続】虹の橋・・・ちゃんと文明論も書きますって!!前のお話しで、ぬこ好きなお友達から以下のコメントを頂きました。

『家族にならなくとも、会えなくなった猫たちがいます。
不幸な死にかたをしてももしほんとにそんな場所で元気にしていてくれたら
とても救われます。』

今回は、そんなぬこやわんこ、いえいえ、鳥も、馬も、牛も・・・ライオンや象たちも“幸せになる”、“虹の橋”のお話。












ソースは前回と同じ ソースは、http://www.novareinna.com/bridge/です。

AT THE RAINBOW BRIDGE



There is a bridge connecting Heaven and Earth.

It is called the Rainbow Bridge because of its many colors.

Just this side of the Rainbow Bridge,

there is a land of meadows, hills and valleys with lush green grass.

When a beloved pet dies, the pet goes to this place.

There is always food and water and warm Spring weather.

Those old and frail animals are young again.

Those who have been maimed are made whole again.

They play all day with each other.



Some of them here by the Bridge are different.

These pets were beaten, starved, tortured, and unloved.

They watch wistfully as their friends leave one by one,

to cross the bridge with their special person.

For them there is no one, no special one.

Their time on earth did not give them one.



But one day, as they run and play,

they notice someone standing by the road to the bridge.

This person wistfully watches the reunions of friends,

for during life, this person had no pet.

This person was beaten, starved, tortured, and unloved.



Standing there alone, one of the unloved pets
approaches,

curious as to why this one is alone.

And as the unloved pet and the unloved person get nearer to each other,

a miracle occurs,

for these are the ones who were meant to be together,

the special person and the beloved pet

who never had the chance to meet while on Earth.

Finally, now, at the edge of the Rainbow Bridge,

their souls meet, the pain and the sorrow disappears,

and two friends are together.



They cross the Rainbow Bridge together, never
again to be separated.



--- Anonymous ---



で、訳ね。

虹の橋のたもとで ~詠み人知らず~

私達が暮らすこの大地と天国は、ひとつの架け橋でつながっている。
美しい彩りで飾られたその橋の名は、“虹の橋”。

橋のたもとはそのまま緩やかな丘陵と峡谷に連なり、そこは風にたなびく果てのない草原に覆われている。
あなたの大切な家族だった彼(女)等は死んだ後、いつしかこの地に辿りつく。

“虹の橋”・・・そこに飢えはなく、乾きもなく、優しい陽光に包まれ、彼等は温かな微風に迎え入れられる。
老いたもの、弱り果てたものは若き日の生気を甦らせ、大きな傷を抱えたものでさえ、ここでは元気な姿を取り戻す。
彼等は日がな一日中遊び回り、互いに笑顔で駆け回る。

でも一方、橋のたもとで彼等に交じることなく、じっと動かない者たちがいる。
彼等は、はしゃいでいた同胞達が一匹、また一匹と大切な“家族”と共に橋を渡っていくのを見送っている。
ただ寂しい瞳で、彼等は同胞に別れを告げる。

彼等は皆、生きることに疲れ果て、飢え、苦しみ続け、そして愛されることなく死んでいった者たち。
彼等には誰もいない。
大切な人も、愛する家族も、彼等には誰もいない。
彼等は生きていた頃、誰からも抱きしめられたことがなかったのだ。

そんなある日、いつものように駆け回っていると、彼等は橋の端にぽつりと佇む人影に気づいた。
その人は、大切な家族と再会し、互いに笑顔を交わしながら橋を渡りゆく人たちを、羨ましげに見つめていた。
そう、その人は生前、動物たちと心を交わす時間を持つことができなかったのだ。
その人は生きることに疲れ果て、飢え、苦しみ続け、そして愛されることなく、この地へ辿りついたのだ。

愛されたことのない一匹は、いつまでもたったひとりで佇むその人のもとへ静かに近づいた。
“なんであなたはひとりぼっちなの?”
不思議そうな思いを瞳を浮かべて。

愛されたことのない動物。
愛されたことのない人間。
彼等が向かい合った、その時・・・!

奇跡がおきた。

彼等はもともと共にあるべき者だったのだ。
特別な人、特別な“家族”として。
生きているときは巡りあえなかったけれど、やっと出会うことができたのだ。
この“虹の橋のたもと”で!

そして今、彼等は共に“虹の橋”を渡る。
ひとりぼっちの痛みは消え、悲しみは喜びに変わり、ひとりと一匹は決して離れることはない。

“これからはずっと一緒だよ”
ひとりと一匹は、天国へ旅立つ。
“虹の橋”を渡って。



----------------------------------------------------------------------
でも・・・ねえ、いくら“虹の橋”に行けば幸せになれるからといって、それで過去↓が正当化されるわけじゃないんだよ(怒)。


(動画)ペット激安戦争の裏側 その1
(動画)ペット激安戦争の裏側 その2
(動画)ペット激安戦争の裏側 その3


ちょっと前の日本には、“商売道徳”っていうものがあって、私達はコンプライアンスなんて成文化なんぞ謳わなくても、私達日本人自身が“自らを律して”、超えちゃいけない領域に入るのを自制していた。

そう、お天道様に恥ずかしくない生き方をしよう、と。

それがいつの間にか、“伝統や過去を破壊すること”を美徳のようにメディアが喧伝し、“守らなきゃいけないもの”まで破壊し始めてる。
メーカー海外移転、原発反対、金融経済、パチ屋、出会い系、韓流謳歌、価格破壊、バブル、町金融・・・アングラビジネスでさえ恥じることなく、街で我が物顔。

そして消費者が情報に踊らされ、何でもかんでも安ければいい、流行を追っかければいい、とやってきた結果が、上の動画であり、↑である。

このノリ、根本的には民主への投票とか、自虐史観とか、国防アレルギーと一緒だよね。

いつも言ってることを繰り返すけど、自由主義経済、私有財産制、議会制民主主義政治のいずれもが、その体制維持や秩序、いやさ社会維持にさえ最終責任は私達“市民”にあるんですよ。

私は“緑の党”のまわし者ではないが、こんなままの“ノリ”を続けていたら、次の犠牲者は“ぬこ”や“わんこ”ではなく、“私達自身”になるということ、そろそろ気がついてくれよ。。。。

まずは、“知る努力”から始めるべきです。
終始受け身を強いる“テレビ”なんぞ捨ててしまいなさい。
そして、色々な本を読もう!


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家ではなかなか文明論書類の整理が進まないし、お盆も出かけることもなかったから、週末は読書と静養を兼ねて福井のもんじゅ近辺へ一人お泊まり旅行します。
勿論魚釣りにもしたいです。
Posted at 2012/08/23 12:05:06 | コメント(1) | トラックバック(0) | ペット | ペット
2012年08月22日 イイね!

脱線~いつか去ってゆく君へ~

脱線~いつか去ってゆく君へ~いや~、文明論については勿論書くつもりなのですが、何分平成5年くらいから読んできた本をいちいち紐解きつつ、当時のチェックライン引いたところなんかを再読したりしてるので、なかなか資料がまとまらないのですよ。
で・・・本論を書きつけるまでのお目汚しに、全く別の随筆だけど、ちょっと書いてきます。








私は嫁と出会うまで、全くの天涯孤独の身の上でした・・・知ってる人は知ってるかもしれないけど。
で、私が最後の(人間の)家族を失い、その先の未来について途方に暮れていたとき、私に“生きる責任”を与えてくれたのが、ウチのぬこであり、しばわんこでした。
他力本願、依存心過多、バカ、我が儘・・・彼女達のことを言葉であげつらえば、こんな言葉しか出てこないのだけど、確かにあの日、彼女達がいなかったら私は今こうしてアホなブログなんて書いてないでしょうし、それどころか此処にいないかもしれません。
その意味では、今の私にとって、彼女達は“恩人”そのものなのです。

・・・今日はそんな“人外の家族”を思いつつ、(私も含め)彼等と永遠の別離に立ち会われた過去をお持ちの皆様に向け、綴らせていただきます。
このブログが目にとまり、そして読んだ後、少しでも微笑んでくださるような、そんなお心持になってくださったら、そしてもしもあなたの身近の方で“大切な家族”を失われ、悲しんでおられる方がいらっしゃったら、このお話、伝えてあげてくださいな。

本題。

皆さん、“虹の橋”って詩をご存じですか?
原文をネットから直接コピペしたものを、私なりに意訳してみたけど・・・景気、外交、社会不安が続くこの日本の国のなかで、これを読んで皆さんがちびっとでも懐かしく、優しい心持ちになってくださったら嬉しいなあ。



んじゃ、まずコピペから、ね。
ソースは、http://www.novareinna.com/bridge/ね。

Rainbow Bridge

Just this side of Heaven is a place called Rainbow Bridge.
When an animal dies that has been especially close to someone here,
that pet goes to Rainbow Bridge.
There are meadows and hills for all of our special friends
so they can run and play together.
There is plenty of food, water and sunshine and
our friends are warm and comfortable.
All the animals who had been ill and old are restored to health and vigor;
those who were hurt or maimed are made whole and strong again,
just as we remember them in our dreams of days and times gone by.
The animals are happy and content, except for one small thing:
they each miss someone very special, someone who was left behind.
They all run and play together,
but the day comes when one suddenly stops and looks into the distance.
His bright eyes are intent; his eager body begins to quiver.
Suddenly, he breaks from the group, flying over the green grass, faster and faster.
You have been spotted, and when you and your special friend finally meet,
you cling together in joyous reunion, never to be parted again.
The happy kisses rain upon your face; your hands again caress the beloved head,
and you look once more into those trusting eyes,
so long gone from your life, but never absent from your heart.
Then you cross the Rainbow Bridge together...
*Author Unknown*




で、訳。所詮私の英語は受験英語だから、ヘタクソだけど文句いわないで。
こんな事が書いてある、程度には伝わると・・・いいなあ。

虹の橋 ~詠み人知らず~

天国の入り口間際に、“虹の橋”と呼ばれる場所がある。
沢山の愛情を注がれ、そして去っていった動物たち・・・死して後、彼等(或いは彼女達)の魂は、この“虹の橋”に辿りつく。
その橋のたもとからは緩やかな丘陵が続き、風にたなびく果てのない草原を彼等は駆け回り、じゃれ合い、楽しげに遊び回る。

飢えもなく、乾きもなく、優しい日差しのもと、心地よい風に包まれ、温もりに包まれるその地の名は、“虹の橋”。
ここでは病に倒れた者、或いは老いて去った者はすべて若き生気を取り戻し、傷つき、四肢の自由さえ失った者でさえ、いつしかその傷は癒やされ、もとの身体を取り戻す。
その逝き方を問わず、この地に辿りついた彼等は、私達と過ごしたあの夢のような日々の姿を取り戻すのだ。

しかし幸福に包まれ、充ち満ちた日々を過ごす彼等にも、ちょっとした気がかりがある。
そう、たったひとつの気がかり・・・それは、彼等が残してきてしまった、特別なひとたちに向けた寂しさ・・・それでも彼等は今日も駆けまわり、遊び回る。
残してきてしまった寂しさを引きずりながら・・・。

そんなある日のこと、彼等のなかの一匹が突然立ち止まり、遠くの一点に釘付けになった。
見つめる間にも彼の瞳はみるみるうちに輝きを増し、震える四肢は歓喜に満ちあふれ、そしてわななきはじめた。
彼は群れを離れた。そして、駆けた。
駆けて、駆けて、駆けて・・・緑の草原を、一直線に・・・

そう、瞳に捉えたあなたのもとへ・・・!

再会・・・キス、キス、キス!幸せのキスの雨。
彼はあなたの胸に飛び込み、涙のうちに誓う。
あなたは彼を抱き、優しく撫で、涙のうちに誓う。

“もう二度と離さない!”と。

あなたは、一点の曇り無く信頼を寄せる彼の瞳をのぞき込む。
もう随分長い時間が過ぎたにもかかわらず、一日も忘れえなかった、その瞳を。

・・・そしてあなたは、“虹の橋”を渡り、天国へ歩みゆく。
あの頃のように、傍らに“家族”を伴って・・・。

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(リンク:↑名曲です

おしまい
Posted at 2012/08/22 19:16:53 | コメント(3) | トラックバック(0) | ペット | 暮らし/家族
2010年09月09日 イイね!

ウチの娘達のこと

ウチの娘達のこと












この記事は、ともぬこ様の命を教えてくれたヌコ様について書いています。

先ほど、まだみん友さんにさえなっていただいていない方のブログなのですが・・・あまりに切ないお話だったので、ちょっと思うところがあってトラックバックさせていただきました。


ご存じの方もおられるかと思いますが・・・ウチにはしばわんこが一匹、みゃーうーが一匹います。
しばわんこは、今は亡き父が生前娘のように可愛がっていましたが、父の逝去後は、子無し、共働き(昔はDINCSなんて言いましたね)の我が家を日中ずっとひとりで守ってくれています。
それが寂しいのか、ちょっとお勝手口の引き戸鍵をかけ忘れていると、自分で扉を開いて、必ず仏壇の前で寛いでます。まるで父がそこにいるかのように、安心して。

みゃーうーは、11年前、まだ仔猫の頃に私がクルマで轢いてしまって、それで引き取って連れてきました。親とはぐれた野良だったので、餌を捕る術さえ知らず、雨水をすすり、田んぼのタニシなんかを食べながら、独りで生きてたみたいです。
本当に私に心を開いてくれるまでに半年かかりましたが、今では私を親とでも思ってるんでしょうか?
もう年がら年中べったりで、時にハマーン様が嫉妬してしまうほど。

で、先の父の話に続きますが、私は父を失う直前に母も亡くしており、兄弟も親類縁者もいない身の上で、嫁をもらうまで文字通り本当に天涯孤独でした。生きるよすがなぞ仕事だけ、その上いろいろな裏切りにあったり、その他信じられないような悪いことばかり立て続けに続いて、正直何度生きることに絶望したことでしょう。
生きて生活している限り、右を向いても左を向いても、自分とはかけ離れた幸せが嫌でもあちこちに見受けられるわけで、特に年末年始とか、お盆とか、周りに人の温もりを目にすることが多くなればなるほど、自分の身の上を思い知らされるわけで・・・もう、正直自分の一生について、ただただ、冷めた目で見るしかありませんでした。
例えるなら、真っ暗な夜道を土砂降りの中歩きつつ、そこにゴミ袋を幾つも投げつけられるような・・・そんな思いで暮らす日々が幾年も続いていました。
“人はひとりでは生きていけない”って、昔ある人に言われたことがありましたが、男として恥ずかしい話ですが、本当にもう、独りで生きていくことに疲れて、何度死んでしまおうと思ったことか。

それを思い留めさせてくれたのが、今の しばわんこ と みゃーうー なのです。
まだハマーン様がウチに来られる前の話ですが、オートバイ運転中に事故に遭い、数メートル吹っ飛ばされて、もう、その時はやっぱり走馬燈のように色々な思いが頭の中で浮かんでは消え、浮かんでは消え・・・。
で、正直、“もういいかな、これで・・・”って、薄れかけた意識の中で、死んでしまうことがそれほど哀しくも辛くも怖くもなくて、むしろ“やっと解放される”っていう安堵感のほうが強くて・・・。
ヘルメットにかけたゴーグル(モトクロス用)越しに見えたおっ月様が、すごく優しく見えたことを覚えてます。

ここからが不思議なんですけど・・・これ、ハマーン様にも話したことないんですけど・・・話しても信じられないようなことなので、ずっと黙ってたんですけど・・・。
何ででしょうね?単車から投げ出されて、仰向けに空を飛んで、地面にはどう考えても頭から落ちる体勢だったのに、落ちたのは最初に足、次に両手をついて、ちょうど四つん這いみたいな格好になって、着地したんです。
で、次に極めてゆっくりと、まるで何かに支えられてるみたいに身体を捻って、尻餅をついて・・・。
最後に、横たわるようにしてゆっくり、ヘルメットを被った頭をアスファルトにのせたような格好になったのですが・・・。その時、後頭部から鼻の奥の方にかけて、微風みたいに温かい、ふうわりとした匂いがしたんです。
その時、“あ、この匂い”って思ったんです。
その匂い、みゃーうーの匂いだったんです。猫を飼ってる方ならご存じだと思いますけど、猫って、あんまりシャンプーしてなくても(というか、ウチのヤツは飼いだしてこのかた一度も洗ったことがない)、柔らかい、良い匂いがするんです。

で、思い出したのが、ウチのみゃーうーでなくて、以前自分がおくりびとになって旅立たせた猫のこと。
その猫は、当時から5年ほど遡ったある冬の日のこと、仕事を終えて家路を辿る途中、路上に捨てられたみたいに横たわってて・・・一目で車に轢かれたのがわかりました。
で、その道路は割と頻繁に車が行き来するものだから、放っておいたらその猫、更に後続の車に轢かれてしまうので、急いで自分の車を路肩に寄せて外に出て、アスファルトの上から抱き上げて、助手席に横たえたんです。
そのまま近くの24時間体制の動物病院に連れて行ったけれど、医者からはもう、「助けようがない」状態だと告げられて・・・まだ意識があるのに、抱き上げた私の腕に血が滲むほど爪を立てるほどだったのに・・・ごめんな、辛いよな、助けてあげられなくてごめんな・・・って心の中で話しかけつつ、医者に安楽死をお願いしました。
注射を打たれて、徐々に弱々しくなるその目を最後まで見つめながら、涙が溢れて溢れて、般若心経を唱えつつ、私はその灰色のとらじまを抱きしめてました。
最期には残っていた温もりも徐々に失せて、ゆっくりと旅立っていった灰色のとらじま。
その時の匂い、忘れようもありませんでした。

あのとらじま、もうずいぶん前のことなのに、もしかしたら私のこと、助けてくれたのかも。
で、その匂いを思い出したと同時に、頭の中ではじけるみたいに浮かんだのが、ウチのしばわんことみゃーうーの顔。

私がもしもいなくなったら、コイツら生きていけない。
しばわんこは私以外には絶対に懐かないし、みゃーうーはもうおばあちゃん、引き取り手もいないでしょう。
その前に、帰らない私の代わりに、誰がご飯をあげるんだ?誰が散歩に連れてってやるんだ?誰が抱きしめてやるんだ?誰が温もりを与えてやるんだ?って思えて。
その時、コイツらのために、“絶対に生きて帰らなきゃ”って思ったんです。
たとえ天涯孤独でも、家族もいなくても、コイツらだけは絶対に不幸にしちゃダメだって・・・
もう、理屈とか冷静さなんてなくなっちゃってるんですね。
とにかく、たかが犬猫のことで、なんかふざけてるみたいですけど、心の底からそう思ったんです。

で、救急病院からの帰り道、バイク友達の運転する車に揺られながら、今でもよく言うんですけど・・・心の底から思いました。


“しばわんことみゃーうーは、私に生きる責任を与えてくれている”


ほんと、ちっぽけで、笑われてしまうようなことなんですけど・・・その時、本当に私は助けられたのです。
動物は言葉を喋らないし、何か具体的に私達にしてくれるわけじゃないけれど・・・彼らは、彼女たちは、間違いなく私達を助けてくれてます。
それは、真っ直ぐな信頼であったり、盲目な愛情だったり、切ないほどの優しさだったり・・・私達が生活してゆくために必ずしも必要なものではないけれど、笑ったり、泣いたり、怒ったり、嘆いたりなんて、人間として生きていくための根っこのようなものを、心の中の深い土深泥から洗い出してくれているって、私はそう思うのです。


ともぬこ様、秋の虫が鳴く夜更けに、心に染みるブログ、有り難うございました。




「貴様・・・私に対して責任は感じないのか!? 俗物!!」 by ハマーン様
Posted at 2010/09/09 04:46:42 | コメント(4) | トラックバック(0) | ペット | 暮らし/家族
2010年08月18日 イイね!

きてくれたんだね 精霊送りの日

きてくれたんだね 精霊送りの日お盆です。
でも、私の家は静かです。
ウチには血縁のある家族や親類縁者が全くおりません。
私とハマーン様と、しばわんこ、みけにゃんこの4人で、ご先祖様と4日間をご一緒します。

12日、盆前の仕事(接待で酒飲んじゃった)が終わったら、一目散に帰宅、ハマーン様と二人で大掃除。

13日。ハマーン様はサービス業勤務。お盆が終わるまで、日中はどうしても家には居られません。
ひとりでご供物、おこも、なすび、きゅうり、お花といった買い物をして・・・精霊提灯に火を入れて。
ジリジリの日差しのなか、父母それぞれの菩提寺を訪れ、納骨堂をお掃除。
とって返してお墓に出向き、墓石を磨き、草取りをして、合掌。
自宅に戻って、仏壇前に祭壇を設け、まずはお線香をあげます。
夕暮には和尚様を招いて棚経。
そうめんをつくって、お供え。
夜、ハマーン様が仕事からお帰りになられたところで、迎え火を焚いて、盆提灯を軒先に飾ります。
般若心経、観音経、舎利礼文を唱えて、ご先祖様と亡き父母を自宅に招きます。

14日。
朝からそうめん作って、しばわんことみけにゃんこのご飯作って、線香を焚きます。
ご近所からは皆さん家族揃って、楽しそうな笑い声が聞こえてきます。
私はひとり仏壇の前で静かにご飯を食べます。

独身時代は毎年一人でこれをやってて、本当に寂しい思いもしたのですが・・・今はたったひとりと2匹だけど、私には家族がいてくれます。
本当に、こんな嬉しいことはありません。
あらためて、嫁と犬と猫に、心から感謝

15日、精霊送り。宵には菩提寺でお供えや卒塔婆を燃やして、ご先祖様や父母を送ります。

で、扉の写真です。

精霊送りの焚き火のなか、先代のしばわんこですね。
笑って、こっちを見ています。
相変わらず、よーく肥えてます(当時体重20キロ♀)。
10年前の、やっぱり今日と同じ暑い日に、庭先の芝生の上で、静かにお空に帰って行きました。

私のこと、心配して来てくれてたのでしょうか?
大丈夫だよ。元気でやってるよ。
お前は、父ちゃんと母ちゃんに可愛がってもらってるかい?
あんまり何でも欲しがると、また叱られるよ?

それにしても・・・ペットはキッチリ帰ってきたのに・・・
ウチの親は何やっとんじゃ!?
Posted at 2010/08/18 12:58:07 | コメント(6) | トラックバック(0) | ペット | 日記
2010年08月03日 イイね!

風にひとりで (PC閲覧推奨)

風にひとりで (PC閲覧推奨)“みけにゃんこ”とは、ウチのネコの愛称だ。本名は別だが、ここでは“みけにゃんこ”と呼ぶ。
他にも、“みゃーうー”とか“黒い悪魔”という二つ名さえ持っているが、収拾をつけるため、以後、“みけにゃんこ”という呼称に統一しようと思う。








さて、今日はその“みけにゃんこ”のお話。

昨夜のこと・・・週末旅行の打ち合わせをしていた私とハマーン様は、乗っていく乗りものをエキシージにするかHSにするかで、ちょっとした口論となった。

勿論、口論と言っても、そこは偉大なる我が家の摂政と、血統のみで成り上がったただの下っ端の会話である(以後、私のことはグレミー・トトと呼べ)。
そこにはディベートなどという建設的なものは一切無く、ただ、以下のような不毛なやりとりが行われたに過ぎないことは、皆様のお察しの通りである。

曰く、





私「私はうねうね道で遊びたいのだ!ハマーン、なぜそれがわからん!」
ハマーン様「リゾートとやらに行けば、下々のことを見る良い機会になろう。レクサスを出せ、俗物!」





・・・と、こんな調子である。






しかし、久しぶりの一泊旅行、今度ばかりは私も譲るわけにはいかないので、結局目的地は同じ民宿(のような旅館)、そこまでは自分の好きな交通手段で向かうことになった。

つまり、ハマーン様は電車、私はバイク(ヽ(*´∀`)ノ)。







ハマーン様、いつものように懐柔されない私によほど腹が立ったのか、夜も更けているというのにひとりウチを出て行ってしまった。
もちろん、出て行ったハマーン様に向け、私は おしりペンペン 気遣う振りをしたが・・・まあ、そんなことはどうでもいい。






ハマーン様が出て行かれた居間で、ひとりピアノ独奏なぞ楽しもうと、エスプレッソ片手に鍵盤に手を伸ばすと、突然・・・






ウギャニャアュ~!!!!!







とんでもない雄叫びが、2階から聞こえてきた。


我が家に来て10年、初めて聞く、みけにゃんこの







“魂の叫び”








である。





びっくりして廊下に躍り出て、2階に続く吹き抜けの階段を登ろうとして・・・




私、思いっきり・・・コケました







コケた原因は・・・





コイツ








急いで階段を上ろうとしたら、通路のど真ん中で思いっきり爆睡してやがった。
“魂の叫び”にも何ら動じることもなく、迷惑そうにのそのそと起き上がると、ひとつ欠伸をしてどっかへ行ってしまった。

しばわんこ、お前は、一体何なんだ・・・!?


口の中に鉄錆の味を感じつつ、私はよろめく足取りで2階に辿り着いた。







「みけにゃん、どこだ!」





と、また・・・。






ウギニャアァ~!!!!!










と、もう、内臓を抉り取られるような悲痛な鳴き声が・・・




これはいかん、何が起きたのかは知らんが、もう、一刻の猶予もないらしい。

私、声の聞こえた書斎に飛び込んだ。

しかし、みけにゃんこの姿はない。






私「みけにゃん、どこにいるんだ!!!」





と・・・突き当りの窓辺から







みゃぁーーーうーーーーーー!!!!!!!











・・・・・・・!






声がした方を振り向くと、







窓は開け放たれ・・・

そこにあるはずの網戸は枠から外れ・・・





無惨にも窓の外に向かって、






だら~ん









と、垂れ下がっている。






















おまえ、何やってんだ!????????

















みけにゃんこ

無惨にも枠から半分以上外れ、
遙か数メートル下の裏庭に向けて、





垂れ下がった網戸




しっかりと前肢の爪を引っかけて、まるで、ブランコのように・・・








ぶら~り、ぶら~り











と・・・夜風に吹かれておりました。





呆気にとられる私・・・

頭の中には、井上大輔の
















いつまでも鳴り止むことなく、リフレインを続けていました。




みけにゃんこは、ただ、




ぶら~り、ぶら~りと、








垂れ下がった網戸につかまって、いつまでも、いつまでも・・・
Posted at 2010/08/03 22:17:52 | コメント(3) | トラックバック(0) | ペット | ペット

プロフィール

「5年乗ったスピトリRSから乗り換えた。旅先でどうしてもダートを見ると心がときめくからだ。林道レベルならモタードはオフも走れる。問題はタイヤだが、純正のスーパーコルサSPはナラシ終了時に坊主になってるはず。次はスコーピオントレイルあたりにしたい。だが情報が大陸に漏れるのは必至。」
何シテル?   09/19 00:51
平成30年2月現在、 【四輪】 家車…モデル末期、叩き売りのアウディA4 AllroadQuattro。 使用用途は主に近所のスーパーへの買出し、...
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