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リック・ジョンソンのブログ一覧

2026年10月11日 イイね!

忘れかけたレッド・アイ  (第二音戸大橋)

忘れかけたレッド・アイ  (第二音戸大橋)














先日、ヌバックを購入しました。
今まで履いていた靴がボロボロになり縫い目が裂けてきていたが針と糸で縫い付けてきたがもう限界だった。FITを運転するとゴムペダルで黒く擦った跡が残るがメタルのペダルにすると今度は傷が入る。この靴は分厚いので当分は大丈夫だと思う。













さて今回は、橋の夜景です。
今回で3回目の撮影となるが過去2回は霧で真っ白になり没となった。
タイトルにアイとあるが・・・
英語では目・眼球の他にセンスと言う意味もある。
過去2回は真っ白の写真でセンスの悪さが目立ったが今回は運がよかった。
勿論、天気予報を確認してFITを走らせたが予報通りとは限らないのが世の中のセオリー。












この音戸の海峡の歴史は長い。
江戸時代からこの海峡を渡る手段として、「音戸渡船」と呼ばれる、片道運航距離120 mの日本で最も短い有料渡し船の便が存在した。
しかし、2021年に台風9号や悪天候の影響を受け2隻の船が相次いで故障し、同年7月中旬から運休が続いていたが、再開の見込みがたたないとして船頭が継続断念を決意、同年10月末で、日本で最も短い定期航路としての幕を閉じた。

そんな事だったら利用したらよかったが、もう遅い。確かに今でもONE EIGHTY pop up cafe 〇ndo tosenと言うCafeらしき店がある。


明治以降、呉市は大日本帝国海軍呉鎮守府の拠点として栄え、現在は周囲の島々に海上自衛隊呉地方隊の施設が点在する。
また、呉は呉海軍工廠からの流れをくむ重工業地域でもある。
対岸の倉橋島の経済活動は本州側の呉市に依存しており、島民は市内へ通勤・通学するために渡峡を繰り返し、その渡船はピーク時で1日250往復していた記録が残る。
一方で1932年には、島と鍋桟橋を結ぶ汽船が沈没。死者・行方不明者29人を出す海難事故も発生した。
事故の原因は、定員23名の小型船に6倍近くの137人が乗ったことによるものであった。 そうだったのか。ビクゥッΣ(゚ω゚ノ)ノ


こうした状況の中、1961年、瀬戸内海における初めての離島架橋事例として「音戸大橋」が架けられ、その後50年が経過したことにより、交通量増大とそれに伴う慢性的な交通渋滞に対応するため、警固屋音戸バイパスが整備され、2013年、「第二音戸大橋」が架けられた。 だからまだ新しい!

倉橋島や江田島の人達は呉市に働きに出ている人が多いのかな?
夜なのに交通量がやたら多い。
綺麗な線にするには橋を通る車が多いと難しい。みんな通る所が違うからね、通る所が違うと線が2本や3本になりパッとしない写真になる。















第二音戸大橋の坪井広場横断歩道橋から右側を向くと音戸大橋が見える。
ループ橋になっているので車が通る時が狙い目!













 最後はポンポン船が通るので狙ってみた。
浪で線が揺れないか?心配だったがこちらも綺麗な線になっていた。



参考資料

第二音戸大橋
Posted at 2026/10/11 22:12:42 | コメント(1) | トラックバック(0) | 建 物 | 旅行/地域
2026年08月17日 イイね!

未体験ゾーンの境界線 (関門トンネル人道)

未体験ゾーンの境界線 (関門トンネル人道)

















こちらのジオラマは凄いんです。「動いている」ではなく・・・「生きている」なんです。


















さて、今回は関門トンネル人道です。前々から歩いてみようと思っていましたが下関から北九州まではナビで関門橋を通る設定になっているのか?
毎回、橋を渡っていました。
先ずは車で通る事を考えたが渋滞で全く動かず、隣の車線はスイスイ進んでいるように見える。
しまった、失敗したか?
焦ってきましたがやっと料金所のおじさんの顔が見えた。w
大回りして駐車場に到着!
関門橋と和布刈神社の鳥居のコラボ。
中々こんなシチュエーションはない。














下からみると迫力があり、車で関門橋を通ると一瞬です。短いからね~














ここからエレベーターで地下道へ・・・
自転車や原付もOKみたいですが地獄かも?













このトンネルも立派な国道2号です。
ハングルの人も多かったが福岡からフェリーで韓国まで9000円で行けるから手軽に来れる外国かも知れない。















関門トンネルの歴史は長い!

関門海峡を貫いて本州と九州を結ぶトンネルは、1942年に関門鉄道トンネルが先に開通していたが、1938年9月22日、内務省は、関門国道トンネル工事を1939年度から4ヶ年計画で着工することを決定した。
1939年5月12日、起工式。
道路のトンネルは、関門海峡の最狭部である早鞆瀬戸の下に建設されることになり、鉄道より遅れた1937年5月14日に試掘導坑の掘削を開始し1939年に完了。
同年、本坑掘削に着工し1944年12月に貫通したが、トンネルの掘削に適さない地質であったことや、第二次世界大戦の勃発で資材不足に陥り、相次ぐ戦災で1945年6月ないしは7月に工事を中断するなど、工事は困難を極めた。

その後、1952年に道路整備特別措置法による有料道路としての工事を再開し、着工から21年の歳月をかけて1958年3月9日に開通した。
総工費は当時の金額で約57億円である。海底道路トンネルの誕生は、本州から九州まで徒歩でも渡れるという話題性から全国から観光客が集まり、散歩を楽しんだといわれる。

タオルや飲み物を持ってる人多かったが毎日散歩をしているのだ。
車で通う人もいた。












780mが世界的にも珍しい歩行者用海底トンネルで、所要時間は約15分はちょうどいい距離感。


真ん中までは下り坂だけど後半は上り坂になるから原付でもしんどいかも。
さっき言った地獄とはそういう意味。
ハーレーだったら絶対無理だろう。w













境界線に近づくと人が集まってる。
やっと着いた感じでコスプレイヤーも多くいた。












このようにスタンプカードに半分だけ判を押す。
残り半分は出口で・・・













そんなに距離は長くないけど疲れるね~













最後に再び鳥居で・・・









参考資料

関門トンネル人道

山口県下関市みもすそ川町
Posted at 2026/08/17 21:43:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | 建 物 | 旅行/地域
2026年07月17日 イイね!

UNFAIRなBORDERLINE (フルーツバス停)

UNFAIRなBORDERLINE (フルーツバス停)

















今回は「フルーツバス停」です。
「フルーツバス停」は、1990年の長崎旅博覧会に合わせて当時の小長井町が整備した今ではインスタ映えスポットです。

















ボーと運転していたら、うっかり見過ごしてしまいますが、207号の流れも速くUターンも危険なため、次の交差点で左折なんだが、中々難しい。

写真はいちごバス停。
イチゴの種は、一つ一つ空の缶コーヒーにモルタルを流し込み、型をとったあとに削って種の形にしています。
その数、なんと1基あたり約180個!!
種だけでなく、種の先についているヒゲのような部分もしっかり再現。
ヒゲの長さを3cmにしようか、5cmにしようか...とそこにもこだわりを発揮!
現在そのヒゲは手に届く範囲はほとんど取られてしまってますが上の方にはしっかり残っています!

そうか~この黒い種は缶コーヒーのモルタルだったのか~

因みにいちごの表面にある「つぶつぶ」は種そのものではなく、種を内側に包んだ「痩果(そうか)」と呼ばれる小さな果実です。
私たちが普段食べている甘い赤い部分は、植物学的には果実ではなく「花托(かたく)」と呼ばれる花の土台が膨らんだものです。
つまり、いちごは表面のつぶつぶが本物の果実で、赤い部分は偽物の果実という少し変わった構造をしています。
















この時点でもう向日葵が咲いていました。 早っ!














バス停の写真も一枚撮っておこうとしたら輪が4つ並んだドイツ車のSUVが急停止!
助手席から奥さんが下りてきてスマホでパシャ!
旦那さんはサングラスしてジッと前を向いていました。
轢かれるかと思った。💦

とにかくコンプリートする人達で大変でした。
時には止まれないこともあります。もはやバス停ではない!
女性1人の方も多く徒歩かバスかタクシーも考えられるが時間が無いので次に行きます。












みかんのバス停は一番最初に出来たそうです。36年経っても綺麗にされています。













ここでちょっとMAPで説明。
海沿いにバス停はあるが山側にもあります。そして隠しコマンドで葡萄もあるのです。(小さいけど)

ヒントはこの地図をよ~くみてね!














コラボです。本当はイチゴの裏側に赤い軽四のお姉さんがいたので写らないように工夫。













バス停の室内はこんな感じ。














メロンが一番綺麗に仕上がった。













写真はインターネットから拝借。

作ったのは(株)吉次〇業の左官職人です。

メロンの表面にある網目(しわ・線)は、果実が成長する過程で中身が急激に大きくなり、外側の皮がひび割れてできた「かさぶた」ですがこのしわだけで25日くらいかかったそうです。全体で一つ3ヵ月で完成したみたいで大変苦労されてるのです。












完成した時は当時凄い話題になり、アチコチから依頼があったが市からのオーダーであった為、同じ物は難しく、バ〇モントカレーからも依頼、韓国からも連絡が・・・
社長もこの道を毎日通っているみたいでバス停を見ているのです。
会社も近くだからかな~












イベントの時はゴレ〇ジャーのような隊員も登場するほどの人気!














セメントやモルタルの、「色粉(いろこ)」はドイツのバイエルンを使って作ったみたいでかなりの拘りがあるのです。
また葡萄も検討したがNGになりましたがバス停の裏側に小さいのがあります。















晴れた日はフルーツロードのツーリングはどうでしょうか?
また、グッズは山茶花高原ピクニ〇クパーク等で手に入ります。




参考資料

フルーツバス停

長崎県諫早市小長井町遠竹
Posted at 2026/07/18 22:42:56 | コメント(1) | トラックバック(0) | 建 物 | 旅行/地域
2026年07月02日 イイね!

アンバサダーになれなかったスターアニス (八角トンネル)

アンバサダーになれなかったスターアニス (八角トンネル)


















今年の夏はちょっと涼しいですね~
「冷やし中華はじめました」の掲示板はまだ見ないです!
先日、中華料理を作りましたが、香辛料も値上がりしていました。
このスターアニスは別名八角ともいいますが中々高価です。スーパーでもない店が多い。中々売れないから?
パエリアを作る時にサフランを使いますがこの2種類の香辛料は安くならない!
パエリアを焦がした時は悔し涙で食べています。













さて、今回は八角トンネルなんですが、地味な場所にあるのですがこのお車が目印!
何だか親近感が・・・
自分だけですが兄貴と呼ばせていただきます。W
この奥に車を止めてテクテク400m程歩きます。













この林道をテクテク歩いて行きますが整備されて楽でした。












当時の写真。
怖っと思う人もいる逆に自分は乗ってみたいと思いますがスリルがあっていい!
余談ですが過去に余部鉄橋列車転落事故もありました。
あの思い車両が、梁中央部を通過中に日本海からの最大風速約 33 m/s の突風にあおられ「みやび」の全車両が台車の一部を残して転落した。
当時、橋梁の真下にあったカニ缶詰め工場だったかな?
工場の従業員の女性5名と列車に乗務していた車掌1名の計6名が亡くなったと言う痛ましい事故がチラッと甦る。












石も薄っすら緑色。
ここでちょっとおさらい
☟
かつて熊本市内にて稼働していた「熊延(ゆうえん)鉄道」の遺構のひとつである八角トンネル。
この路線は昭和39年に廃線となりましたが、熊延鉄道は、戦前・戦後の時期にかけて熊本市の南熊本駅から下益城郡砥用町(現・美里町)の砥用駅までを結んでいた路線です。
また、トンネルではなく洞門に近い存在かも知れません。













見えてきましたね~ゴツゴツした岩から・・・手前はこんな感じだったんですね~
テレビでは分からない部分が少し感動のボーダーラインにきました。














このように案内板もあり分かりやすいです。













この穴はなんでしょう?
分かる方がいたらコメントお願いします。
電線などのケーブルを支える為の支持具をここにさしていたのか?
昔、子供の時にコンクリートの穴に枝を差し込んで蛇を怒らせていました。
懐中電灯で確認して枝をゴシゴシ入れても出てこないので「おかしいな~」と思い目を近づけたら、蛇がシャ~って出てきて3人で逃げた事があります。
怖かったです。蛇の怒りを感じました。
こう言う細い穴に入って蛇は寝るのです。その方が安心だから?
また話しがそれてしまいました。














こちらが当時の路線図。スマホだったらちょっと分からないかも。
スマホは拡大すると文字が滲んで読みづらい。













一般的にはやっぱりこの写真が分かりやすいかな?

肉眼では真っ黒でした。













写真の奥にはコンクリートで出来た立派な橋が見えます、この当時で既にモータリゼーションが始まっていたのかも?

床版は外され今では橋脚だけが残されている。












ひょっとしたらこの部分が一番美しいのかも?
自然に出来たのかな?
アンバランスな緑色の苔?














線路だけは残して欲しかった。

そう言えば「日本一美しい廃線跡」と称される旧国鉄倉吉線も竹を伐採すと言っていたけどその後は新しいタケノコが生えてきているみたいだけど。
伐採して欲しくなかったけど、観光客も増えてきたので安全の為仕方ない。













洞門の上を見上げるとこんなこんじです。
木や枝や葉が多く太陽の光は届かない。
だから上下の洞門は暗いでしょ。
















写真をよく見ると先頭車両は顔を出している人がいる。
学生さんか?鉄道職員?

奥にはかやぶき屋根が元気そう。また右には橋が見えます。















ゴミの落ちていなかったので近所の方が清掃作業等しているのかな?綺麗でした。












左上の部分の草が綺麗でした。この斜面を登ろうと考えたがここで我慢しました。

ここだけ緑色に光っていたのです。












洞門の間はどうなん?
こんな感じで凸凹していました。
アート作品のようにも感じますがコストかな?
これで無料ですからね~
そのうち入場料300円とか必要になるかも・・・













八角を出て振り返ったところ。
中を見せる為、周りを飛ばしました。
ここで車の撮影をしている方がいましたが帰りは400mバックギアです。
根性がいりますね!あっぱれです・・・・














最後は洞門を出てまた暫く歩き第一津留川橋梁橋脚です。

この橋脚の奥に洞門があり、右下に階段が見えますか?ここを下りてきました。

これで食べ残しは無しです。
訪問者は自分だけかと思ったら駐車場で多くの車やバイクが入ってきました。
入口のシルバーの車の写真を撮ってました。

長い道のりだったけどテレビでは見えない部分が見えて感動しました。
お盆休みに行かれてみてはいかがでしょか? (^ ^ )



参考資料

八角トンネル

熊本県下益城郡美里町佐俣
Posted at 2026/07/02 22:45:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | 建 物 | 旅行/地域
2026年06月25日 イイね!

COOL DOWNされた遺産 (旧豊後森機関庫)

COOL DOWNされた遺産 (旧豊後森機関庫)




















雨も本格的になってまいりました。
さて、今回は旧豊後森機関庫ですが、その前に道の駅で偶然国鉄職員の作業服をみつけました。

この作業服を見た瞬間「これは買わねば!」と思いました。

当時、国鉄(日本国〇鉄道)の作業服は、通称「ナッパ服」(菜っ葉服)と呼ばれ、主に1960年代から70年代にかけて機関士や検修員などに支給されていました。がこの作業服があてはまるかどうかわかりません。
















これ下さいと言うと若いお姉さんはこのナイロン袋と服台紙を捨てようとしたのでそれも込みでくださいと言いました。
新しい袋に入れますよ!と言われたがそのナイロン袋と服台紙も自分にとっては価値があるのです。















ここへ来るまでにトラブルが発生していたが、解決しました。
スマートキーを紛失。でも車は走る?
でもパンツのポケットにはない!
バッグ5つとリュックサックを全てみたがない!
ところが、リュックサックの小さいサブポケットから出てきた。
よかった~と思いながら疲れがドッとでた。

タグに国鉄と書いてあり新品で宮本さんは着ていないようだ。
次にいきましょう。














ようやく着いたけど、高速道路ぼようなバイパスを走って疲れました。
地元に機関庫はもあるが雰囲気はいいです。













こちらが転車台。
福岡県久留米市の久留米駅から大分県大分市の大分駅に至る九州旅客鉄道(JR九州)の鉄道路線の真ん中にあたるところが豊後森機関庫の重要なな場所だったのです。













上から見た図
















機関庫を建てるのにあたり日田と豊後森が候補に・・・
最終的には豊後森が勝ち取りました。













当時の新聞














転車台から見た機関庫。













冬の久大本線?

、福岡県久留米市の久留米駅から大分県大分市の大分駅に至る九州旅客鉄道。
だから久と大。












昭和4年開業。

140㎞の当時としては長い道のりで国鉄職員も230人もいて、単身赴任もない時代で家族も一緒に引っ越しをしてきた為、町は賑わっていたそうです。













国鉄9600形蒸気機関車 29612号機もピカピカで、手入れされているのです。













当時の写真。インターネットから拝借しました。





























連結部分。












空撮みたいですね~











当時の様子、今とは違い子供が沢山いる。

中央のお母さんは背中に子供で下駄を履いている。
今だったら変な人に見られるが当時は当たり前。
また、右の青年は一文字のハンドル。これもまた見ないね~

余談だがこの時代、豆腐屋がこんな自転車を押しながら
プーパッポー(プー、プー)と低音と高音を織り交ぜて鳴らす、日本の風物詩となっている金属製のリード笛で近所の奥様が集まってきてお金を払ったら、そのままの手でおじさんが豆腐をお椀や洗面器に入れていた。
昔はアバウトだったのだ!
今は手が汚いと言い出し、衛生面の関係からも時代の変化は面白いと思う。
写真を観ても小さい事を気にする人は写ってないような気がする。












米軍から機銃掃射を受けたあと。
壁に穴が空いているが窓もそうなのか?














また踏切で事故もあったよう今も昔もかわらない。

トラックはいすゞTXD50型かな~
首を横に曲げるとトラックが笑っているようにみえます。
6tだと思うが当時としては大型だったのかな。
しかも荷台に羽のようなモノが見えるのでダンプだね~
男たちの足元にはジャリが撒かれている。
右から踏切に入り接触?
鉄道車両は台車から外れて横転している。

こちらも空撮なのか?当時からセスナ等使っていたのかな?
















昭和45年蒸気機関車は廃止され役目を終えました。
その後は2000年を過ぎた頃から地域の方の協力をえて保存活動が始まりいまにいたります。



また来年も行ってみたいのだけど距離があるからね~




参考資料

旧豊後森機関庫

玖珠郡玖珠町岩室
Posted at 2026/06/25 20:47:44 | コメント(2) | トラックバック(0) | 建 物 | 旅行/地域

プロフィール

「[整備] #フィット タイヤブラシ (ハンドキッチンブラシ(ミッキーマウス)) https://minkara.carview.co.jp/userid/727708/car/629160/8698096/note.aspx」
何シテル?   06/29 21:59
リック・ジョンソンです。よろしくお願いします。 気の向くままドライブをするのが至福の時間になります。 申し訳ありませんが、無言申請は全てお断りしてい...
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