今回のミーティングは神奈川県藤沢市の「いすゞプラザ」で行われました。
小生は、従兄妹の結婚式のため前日から神奈川県の秦野市入りとなり、我が家を前日の9時過ぎに出発して朝霧高原経由で一路秦野市に向かいます。

婚礼は、出雲大社相模分祠で執り行われましたが、出雲大社の分祠が全国にある事を初めて知りました。
相模分祠は住宅街の奥まった場所にあり、小ぢんまりとした神社なのですが、当日は七五三で賑わっておりました。
因みに、従兄妹と仲間の写真です。

神前結婚式を無事に済ませて身内での食事会場となった鶴巻温泉の陣屋さんにお世話になりました。かなり高級な旅館でビックリです。

翌日は8時30分頃、余裕を見ながらいすゞプラザへと向かいます。
渋滞もなく9時30分頃にはミーティング会場に到着、小生は5番目でした。
ほぼほぼ全員揃ったところです。

総勢30台ぐらいですかね・・・正確な参加台数はFBのelan meetingでその内発表されると思います。
今回のメインイベントは「いすゞプラザ」の見学です。
見学前にしっかり記念撮影です。

代表で写っているお車は、遅刻してたまたま入口で捕まえたS3初期型です。
遅刻したお陰でラッキーでした。
いすゞプラザの綺麗な受付嬢をしっかりおさえました。(快く撮影許可をいただきました)

立派な建物と貴重な車両の展示が在りました。また、中尾様(いすゞプラザの実質的な館長様でプラザの立案から携わっていたそうです。)

ご配慮で貴重なベレットを拝見させていただきました。
何と、ベレットのシートの表皮は西陣織だそうです。しかも1965年当時、四輪独立懸架でかなりコストのかかった車だった様です。

プラザは入館無料で当日も子供連れのが家族が大勢来館していました。
展示車両もトラックから乗用車まで色々です。

そして、いすゞ自動車と言えば117クーペ
今回の展示車両は初期型の手作り?と言われた個体です。
外装のデザインはヨーロッパ調で洗練されています。

小生は、当時この車の内装に非常に興味をそそられていたのを記憶しています。
割と高めなセンターコンソールとスティック式のサイドブレーキ等ELANと少し似ている様な気がします。

見学を早目に終わらせmeeting参加者と隣接するレストランで昼食をいただきました。
今回は、S1の26R改のドライバー様と、S4の夫婦でお越しの方とご一緒させていただきました。
お二人共船橋サーキットに出入りされていたとの事で貴重な当時のレースプログラムや貴重な資料を拝見させていただきました。
meetingの良いところは、年代を問わずコミュニケーションがはかれるので小生みたいな単独参加者は非常にありがたいです。
午後は、暫く参加者のお車を拝見させていただき早めに帰路に向かいました。
何時ものことながら勝手に撮影させていただきました。
そして今回最年少で参加したS1です。

以前、成田のホテルで開催されたmeetingでご年配の方が乗っていた車ですが、訳あって若者の所に来たそうです。(お父さんはヨーロッパとエランを所有しているそうです。)
この個体はかなりオリジナル度が高くて小生の好みの個体です。
このように、ELANは仲間内で大切にされていくのでしょうか・・・
小生のELAN達も一時的に小生が所有しているだけで、これから先は色んな人たちが大切に引き継いでくれると信じています。小生の場合、次のオーナーとして二人の息子たちが引き継いでくれたらと密かに願っております。
そして、帰路の途中、圏央道から中央道を経由して笹子トンネル手前でmeetingに参加した松本ナンバーのS2に追い越されてから悪夢は始まりました。
ここまでは絶好調で走ってきたのですが、割と遅いサンデードライバーを追い抜いた時にいきなりカス欠状態に陥り慌てて路側帯に避難しました。
停車して燃ポンを確認しましたら空打ちの音です・・
キャブレターへの流入も僅かなのでホースバンドの締めつけや燃料ラインの確認をしたのですが、はっきりとした原因は特定できません。暫くすると燃ポンの音が変わってキャブレターへの流入も確認できました。この時は一時的に燃料ラインがエアーを噛んだと思い、この期を逃さぬように一番近いインターチェンジを目指すのですが、難関の笹子トンネルが控えています。
もし、トンネル内でトラブルが再発したら悲惨な状況となるだろう・・・
しかし、このままでは埒があかないので清水の舞台から飛び降りた気分でトンネルに突入しました。
走り出して暫くは順調でトンネルの真ん中過ぎた辺りまでは絶好調だったのですが、残り500mでトラブルが再発してしまいました。
トンネルの出口は若干下り坂なのですが、走行車線にはサンデードライバーらしき車がいてスピードは60kmぐらいです。
心の中で「もっとスピードを出せや・・・」と叫んでいましたが結果的にトンネル出口手前20mでついにELANは撃沈してしまいました。
ここからは命懸けの作業です。幸いにも小生のELANにはハザードランプが付けてあったので、目いっぱい左側に寄せて取り敢えず車から退避して監査路から様子を見ます。この時点で完全にパニック状態です。近くには非常電話もなく車から離れる事も出来ずトンネル内はクラクションの嵐です。
しかし、このままではいつかは追突されると思い、自分の起こした事でもあるので決死の思いでトンネルから手押しでELANを外に押し出しました。
流石にこの時は本当に死を感じました。
運良く脱出した直後非常電話でトラブルを報告したら、「大丈夫でしたか、監視モニターで状況は確認していましたのでトンネル内故障車ありの表示は出しておきました・・・」との返事でした。
待避所で小生の拙い知識であれこれいじっているとまたもやエンジン復活です。
ここで高速隊のパトカー登場、一通り説明して自力でインターまで行くことを決断しました。
幸いにも、出口付近からは急勾配の下り坂なので惰性で勝沼インターまで自走できますのでエンジンを始動して加速まで、その後は惰性で下りました。
この時はパトカーが後ろについてガードしていただきましたが、惰性でも80km/h程出るので一般車両からは、いかにも違反で捕まったかの様に見えていたと思います。
インターから出て取り敢えず息子に☎してレスキューをお願いしたのですが、あちこち出来るだけのリカバリーを施したらエンジン復活となり自力で無事に帰宅できました。
以前から思っていたのですが、クラシックカーにはハザードランプは必需品です。
残念ながら、トラブル時の写真はありませんが、とても写真を撮れる精神状態ではありませんでした。
ご迷惑をおかけした山梨県警察の高速隊のお二人と小生の長男、そして中央道を偶然その時に通過した皆様方に心よりお詫び申し上げます。
トラブルの報告で終わるのは申し訳ないので追記します。
今回見学させていただいた「いすゞプラザ」ですが、エントランスの端っこに、いすゞ自動車と藤沢市の年表がありました。
いすゞ自動車と藤沢市がともに発展し現在に至り、尚且つ「いすゞプラザ」を造り地元へ貢献している姿は非常に微笑ましく感じました。
地域貢献をしながら共生を続けることは大切です。
最近、日産自動車の問題が大きく取り上げられているようですが、日本の企業はやはり地域密着型でないといけないのではないかと感じます。
日本の名のある企業が今や外資の力を借りないと存続できない状況は悲しい限りです。
頑張れ日本・・・
頑張れ自分・・・