car magazine No177 1993-3
毎月1台の新車を取り上げ、編集部のスタッフ全員で徹底的に解剖してみようというのが、この"解体新車"というコーナーである。今回まな板にのせるのは、オートザムの軽スポーツ・カー、AZ-1だ。
嬉し、恥ずかし……ガルウィング
TEXT 清水雅史
コクピットに体を押し込み、ガルウィングをよっこいしょと引き下げるとほとんど身動きできない。それでも、なんだかとっても嬉しくって顔が綻んだ。テスト走行やモーターショーでの展示などで酷使されたようで、各部は結構ガタが来ていたし汚れも目立ったが、コクピットという言葉がぴったりの室内は本当に僕をワクワクさせてくれた……。
3年近く前にマツダの三次テスト・コースにおいて自動車雑誌編集者対象の研修会が開かれた時の事だ。先代RX-7を使ってスキッドパッドや評価路でひと汗かいた後、当時のコンセプト・カーをコース上で見せてもらったのだが、その際試乗することができた(周回路に囲まれた直線コースをトロトロ走ったにすぎないが)のがAZ-1のプロト・タイプであるAZ550SPORTS(ボディは3種類のヴァリエーションがあった)だった。
この時に感じた強烈な印象は、市販車への移行が検討されているコンセプト・カーのステアリングを握れたというだけでなく、今までに無いタイプのクルマに出会ったことに対する新鮮な感激でもあった。そして、こんなクルマが街を走り出したらどんなに愉しいだろうと、そう素直に思った。
実際、東京モーターショーに登場した時にAZ550SPORTSに寄せられた反響は大きく、市販化を望む声も強かった。ところが、世界?初の軽ミドシップ・スポーツの座を突如として現れたビートにさらわれ、カプチーノにも市場デビューの先を越されて、AZ-1の販売は遅きに喫した感は免れず、今さらねぇ……なんて声も聞かれる。
それでも、やっと僕らの目の前に現れたAZ550SPORTS、いやAZ-1は、リトラクタブル・ヘッドランプが異形丸形タイプに変更されて、フロントがちに眺めると妙に子供っぽいこと以外は、ミドシップ・レイアウトはもちろん例のガルウィングだってちゃんと採用しオリジナルデザインをそっくり纏っているから、見るものは強い個性を感じることになる。真横から眺めると、スラントしたフロント・セクションとそれにつながる広いグラス・エリアが、実にカッコイイ。
確かにガルウィングなんて実用性の面から言えば、不便この上ない。スカットルが高くてシートが落とし込まれているから、乗り降りの際は"どっこいしょ"とつい口に出してしまうし、ドアの開閉だってかなり力が要るし、それに周囲の"熱い視線"の中で開閉するのは、はっきり言ってかなり恥ずかしい。
けれど、AZ-1はこのドアによって"愉しいクルマ"をストレートに表現している。
一方、リクライニング機構を持たないタイトなシートに収まって走り出すと、とたんに公道を走ることが前提のクルマとは思えないほどクイックなステアリングに驚かされる。最初は怖いくらいだったが、慣れてしまえばわずかな操作で鼻先が向きを変えてくれるのが、圧倒的に低いアイポイントと相俟ってダイレクトに"ファン"に結びつき、粗削りだけど実に愉しい。走り出してもAZ-1は、"愉しいクルマ"であることを主張するのだ。
AZ-1は軽自動車という厳しい枠組みにありながら、割り切れることは潔くすっぱりと切り捨てて、プロトタイプほぼそのままのカタチで登場し、"愉しい遊び感覚"が乗り手に伝わってくるところがいい。クルマって実用だけじゃなくって、もっともっとワクワクする愉しい部分が詰まっているものなんだということ、もっと面白いんだということを、AZ-1はちっちゃな図体でけっこう大胆に訴えかけてくる。
だから"こんな時代やさかい"、ってAZ-1に目もくれないんじゃなくて、その示した可能性に、僕は大きな拍手を送りたいと思う。
カーマガジン 1993年3月号p130より抜粋
カーマガジンの編集部員がインプレッションしていく解体新車。
この編集員はAZ-1のプロトタイプ、AZ550SPORTS TYPE Aに試乗して
『こんなクルマが街を走り出したらどんなに愉しいだろう』と思ったと言っています。
そして、
『クルマって実用だけじゃなくって、もっともっとワクワクする愉しい部分が詰まっているものなんだということ、もっと面白いんだということを、AZ-1はちっちゃな図体でけっこう大胆に訴えかけてくる』と言っていました。
まさにその通り!AZ-1は面白くて愉しい部分がギュッと詰まっていると思います!
今までいろんなクルマに乗ってきましたが、乗ってこんなにワクワクする車はありませんでした!
そして最後に
『"こんな時代やさかい"、ってAZ-1に目もくれないんじゃなくて、その示した可能性に、僕は大きな拍手を送りたいと思う』と言ってくれています。
読んでいて目頭が熱くなりました。
発売当時、AZ-1のインプレッションは、それは辛辣なものばかりでした。
某大物自動車文化評論家など、つぶれそうな会社がこんな子供だましのものを作っている場合か!と切って捨てていました。
しかし、AZ-1が示した可能性にこそ価値があると認めてくれて、大きな拍手を送りたいと言ってくれる編集者がいたのです。
この両極端な評価は当時の一般の人たちの評価と似ている気がしました。
こんなオモチャみたいなクルマといって見向きもしない人が大多数でしたが、ごく一部の人たちは『こんなに愉しいクルマはない!』と言ってくれました。
そしてAZ-1・CARAに乗って『ワクワクする』と感じるごく一部の人たちに大切にされながら、AZ-1・CARAは長く愛され続けてきました。
『マツダ本社で生誕20周年記念のミーティングをするぞ』と言えば、たった1週間で100台を超える参加者が集まるほどに。
発売から20年が経った今でも、私はAZ-1にワクワクし、その可能性に心奪われた幸せ者のひとりです。
Posted at 2012/09/20 23:23:05 | |
トラックバック(0) |
AZ-1 書籍 | クルマ