
前日、夜遅くまでMメカのお店でユーノス500を整備して、自宅に帰って来て寝付いたのがなんだかんだで朝方のこと。クタクタだから普通の休みなら昼過ぎくらいまで寝ているけれど、今日は特別な用事があって早朝から横浜に向けて3rdを走らせていました。
その向かった先とはご存知、子安にあるマツダ横浜研究所。通称MRYで初代のNAテンロク・ロードスターを手がけた平井主査(画像真ん中)と、当時CAR GRAPHIC TVのインタビューで対談した田辺憲一さん(画像右)とのトークショー「平井敏彦氏 横浜講演会2007」があるとのことで、眠い目を擦りつつ参加してきたってわけです。
この組み合わせでのトークは実に18年ぶりのこと。なので、今だから話せる当時の撮影裏話などが聞けると思って楽しみにして行ってみたのでした。
前半の平井 元主査の話は、もうすでに何度も聞いたり、さまざまなインタビュー記事、著書などに記載されていることを回顧録的にザッとお話をされるに留まっていますが、開発していたのは今から20年以上の前にも遡ることなので、すでに記憶も曖昧な所もあるだろうし、逆に言うと、すでに70歳以上のご高齢にも関わらず、よくぞここまで記憶しておられると毎回感心しております。
で、今回の最大の目玉、後半の田辺さんとの対談。これがですね、ぶっちゃけ思いのほか話が広がらず、、、って感じでした(^^;
語弊があるので説明しますが、お二人のお話は十分に楽しいものでした。
田辺さんがCG(CAR GRAPHIC)の版元である二玄社に入社する以前の学生時代に当時、日本国内での激しい学生運動に嫌気がさし、ロシアを経由して北欧、インドなどをVWビートルで1年にも及ぶ放浪の旅をされた話や、幼少の頃からのクルマ好きぶりのエピソードを話していただき、それはそれはとてもオモシロイ話ばかりでした。
以上、終わり!?(笑)。
すでにお気づきの方もいらっしゃる通り結局のところ18年ぶりの対談とはいっても、ロードスターが大好きで(特にNA)、ロードスターの話(特にNA)が聞きたい人が大勢集まっているにも関わらず、まったくといっていいほどお二人の対談ではロードスターの話が出なかったのでした。
司会進行を努められていた三樹書房の小林さん(画像左)が、話の途中で何度となく脱線しまくる話をなんとかロードスターの話に戻そうと思っても、その努力も虚しく流れは一向に変わらず…。
結局のところ田辺さんはロードスターに乗っていたわけでも、ロードスターが好きなわけでも、まして特に興味があるわけでもなくただ単に当時「仕事」として平井さんにインタビューをしただけであって、そうなれば当然記憶には残っていないってわけです。
それを証拠に当時放映された映像が再び会場では流されていたのだけれど、その映像を改めて見ても、結局最後までどこのスタジオで撮影したのかさえも思い出せないくらい記憶の彼方にあったのだから、そんな調子では当時の話もへったくれもなく、話も広がりようがないのも無理もありません。
会場に集まってきている方々は何年経っても何度も何度も当時放送されたCG-TVを見返しては熱い気持ちで居て、それを期待して来ているハズだけれど、実際の当時の“演者”と参加者の「変わらぬ気持ちの熱さの差」を、とても感じた…というのが正直なところです。
田辺さんは過去にフェラーリF40の日本上陸1号車のフルテストやら、その他にもF3000やらACコブラ427SCやら今でも仕事上で鮮烈に、なおかつ刺激に満ちたクルマに接する機会が多いだけに、彼にとってロードスターはあまりにも「フツウ」のクルマ過ぎるのでしょう。
CG誌に連載している「CG-TV通信」の1994年9月号に実は松任谷正隆さんが書かれていた記事にも「それ」を裏付ける記述がありました。
松任谷さんはNAロードスターに接した当初からずっと欲しくて「ユーノス貯金」(この場合ロードスターのコトを指す)なるものをやっていたというのは、あまりにも有名な話です。おもに講演会などの“営業”で得たお金を奥様の松任谷由実さんにナイショでパンツの中に貯めた“パンツ貯金”が5年目になったとき、購入できる金額が貯まったのだとか(スゴイ…)。
しかし、貯まったはイイけれど本当に買うべきか、買うべきでないか考え込んでしまったそうで、その時に田辺さんに相談したら「ユーノスは飽きてしまいますよ(だからお止めなさい)」と、バッサリ言われてしまったのだそうだ。
しかも、その連載で「ユーノス」のコトを書くと伝えたときもナニか「イロイロ」と我々ロードスターオーナーにとって「怒り狂うようなコト」を言っていたようですが、というコトを踏まえると、極端に話がなかったのは彼にとって「快く思ってないから」と睨んでいるのですが、どう思われるでしょうか?(^^;
要するに、完全にお門違いな方に話を聞いてしまってることは確かで、18年前と同じくこのトークショーもただ単に「仕事」として来ていただけなのかもしれません。
同じ二玄社におられた方だったら他にも元CG編集長であり現在はモータージャーナリストの熊倉重春さん、あるいは編集部員だった今はモータージャーナリストの吉田 匠さん、または当時のCG-TVにも出演され、しかも「この人の1台」という「オンリー1カー」を選ぶ企画でもご自身が乗るロードスターを選んだ当時のCG編集部の川野和培さんなどが適任だったのではないかなぁ…と思われます。
ただ、田辺さんのお話がつまらないことはありませんでした。というのも、私は初期の2冊を除きほぼフルコンプリートに近いCGのバックナンバーを揃えるほどのCGの愛読者であるし、二玄社のコトも少なからず分かっているから話題に上った高島鎮雄さんのお話なども非常に興味深く聞くことができました。
というコトを踏まえた場合「CAR GRAPHICの読者」あるいは「二玄社」、あるいは「田辺憲一さん」をよく知らない場合、なんだかよく分からない話ばかりだったのでした。
これが「CG-DAY」などのイベントなら参加者全員で面白いのかもですが「ロードスターの集まり」として見た場合、果たして今回のトークショーって、参加された方のどれくらいが満足して帰ったのだろう? などとちょっと気にもなったりして。
正直なところ、いささか企画ハズレだったイベントではありました。
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Posted at
2007/11/21 02:04:43